ジェミーの恋 -1-
本編第四章『天使の帰還』の頃の、ニナの弟分ジェームズに纏わるお話です。
パリへの一泊での出張の帰り、ジェームズは自宅へ向う道すがらハンドルを握りながらぼんやりと考えていた。外は冷たい木枯らしが吹いていたが車内は暖かく、成果のあった仕事にも満足してジェームズはご機嫌だったが、ふと出張での事を思い出していた。
――アイツ……本当に暗いんだよなぁ。
アイツとは、一緒に出張に行った部下のミミ・コールマンの事だった。
彼女は、昨年、人より一足遅れでプロジェクトリーダーに就任したジェームズに出来た初めての部下だった。
その時入社一年目だった彼女を前に、上司は黙って暫くジェームズを見つめた後、「お前ならきっとうまくやってくれる筈だ。宜しく頼む」と、いつになく真剣な目でジェームズの肩を叩いたのを今でも覚えている。
「はぁ」と頼りなげな返事をしたジェームズは、目の前で黙って真っ直ぐこちらを見ている女の子をしげしげと観察した。
かっちりとした地味なスーツ姿に、真っ黒いストレートの髪を肩で切り揃えて、細い銀縁のメガネを掛けた女の子は、黒い瞳で真顔でジェームズを見ていたが、「よろしくお願いします」と小さな声で、やはりにこりともせずに頭を丁寧に下げた。
「ああ、よろしく。俺は、ジェームズ・ボートンだ」
戸惑ったジェームズも釣られたように頭を下げたが、その名前に反応してミミは頭を上げてマジマジとジェームズを見返した。
「ボートン……って」
「ああ、アルバート・ボートンは俺の親父。でも期待しないでね。俺、歌の才能全く引き継いで無いから。カラオケで歌えって言われても無理。あ、でも歌ってる親父の真似は得意よ。歌は音痴だけど」
明るくおどけてみせたジェームズだったが、その言葉にも黙ったまま、ミミはじっとジェームズを見つめていているだけだった。
「どうしたの? 俺、穴開いちゃうよ」
と、ケラケラと笑ったジェームズに、ようやくミミは視線を外して俯いたが、戸惑ったような顔をしているだけでやはりにこりともせず、冗談が受けなかった事にジェームズは照れくさそうに頭を掻いた。
それからジェームズは新人の指導も仕事の一環になったが、とにかくミミは笑わない。いつもおちゃらけて女の子をからかっては「また、そんな事言う、ジェームズってば」と失笑されるか、「ふん」と冷たくあしらわれるかどちらかだったのに、ミミは表情も変えずに黙っているか、「はあ」と小さく声を出すぐらいで全く反応しなかった。
ミミは仕事は出来た。頭がよく、てきぱきと指示された事をこなすだけではなく、自分で指示以外に必要な事にも気づいて、おそらく新人の中では一番優秀だろうと思われた。だが、コミュニケーションを取るのが苦手で、同期の中でも浮いた存在だったようで、ランチはいつも独りだったし、仕事帰りに誰かと遊んでいる様子も無かった。
ジェームズは、そんなミミと一度だけ意外な場所で会った事があった。ミミが入社して半年ぐらい経った頃、ジェームズが久しぶりにテッドの店を訪れた時の事で、カウンターに座って独りで食事をしているミミが居た。
「あれ?」と、驚いてミミを見たジェームズに気づくと、気まずそうな顔を一瞬見せて俯いたミミは小さな声で、「こんばんは」とだけ言った。
「此処知ってるの?」
「……はい」
「へー。もっとお堅いクラシックとか好きなのかと思ったけど、びっくりだな」
隣に腰掛けて驚いた顔で話し掛けるジェームズに、ミミは少し顔を赤くして小さな声で答えていた。
「よう、ジェミー。ミミを知ってるのか」
店のオーナーのテッドが、ニコニコと笑ってジェームズの顔を覗き込んだ。
「やあ、テッド。久しぶり。だって、この子、俺の部下だもん」
「本当か。世間は狭いもんなんだな」
ジェームズはテッドにスコッチを頼みながら笑って答えたが、テッドは目を丸くしてジェームズの肩を叩いて笑った。
「へー。ミミ、ここの常連なんだ」
「ああ、夕飯はいつも此処だ。独りで食うより寂しくないからな」
「家、近くなの?」
「……はい」
二人のやりとりにも顔を上げずに俯いたままだったミミが、ジェームズに問われて小さく頷いた。
そんなミミを優しく見ていたテッドは、暫くして小さくため息をつくと、ミミの頭を撫でて「心配するな」と微笑んだ。その言葉にテッドを見上げたミミが、少し頬を染めて口元に微かな笑みを浮かべて頷いたのを見て、「……笑ったの初めて見たかも」と、ジェームズが目をぱちくりさせると、
「おい、ジェミー。会社でちゃんとミミを守ってくれよ」
テッドはジェームズを軽く睨んで笑った。
だが、その後もミミの反応は変わらず、いつも固い表情を変える事は無かった。今回の出張でも流暢なフランス語でジェームズをサポートして仕事では文句なく満点だった彼女だが、一緒に食事へ行っても笑わず、
――ニーナなら此処で笑い転げてくれる筈。ニーナなら目を丸くして驚いてくれるんだけどなぁ。
と、ついついニナと比較して考え込んでしまうジェームズであった。
「俺も絶対ニーナみたいな子と結婚するぞ! それまで結婚しない!」
と、いつぞや宣言した通り、ジェームズの理想は『ニナ』だった。と言ってもニナに恋愛感情を抱いていたわけではなく、ジェームズの中ではニナは姉であり、妹であり、家族だった。それでも憧れの存在である事には変わりは無く、年頃には相応な恋愛もしたジェームズだったが、どうしてもどこかでニナと比較してしまう自分が居る事にも気づいていた。
――俺……本当に結婚出来るんかな。
妹のアニーに先を越され、情けない気持ちになったところで、ようやく見慣れた我が家に戻ってきた。