花畑の向こう側で -1-
本編よりも前、ニナの親友デイジーの子供の頃のお話です。
小さな森の中の小道を不機嫌そうな若い男に連れられて、小さな女の子が大きなリュックをしょってトボトボと歩いていた。
小石が転がる土の小道で、時折足元の石を蹴りながら少女は憂鬱そうに歩いていたが、やがて森が切れると目の前が開けて、今は何も無い冬枯れの広い畑と、点在するビニールハウスの向こうに小さな木の家が見えてきた。
素朴な木の家は古そうではあったが小さな花壇に冬の花が咲き、窓辺に明るいオレンジのカーテンが揺れて、煙突から静かに暖かな煙が立ち昇っていた。
少女を連れた男は戸口に立つとドアをノックして「こんにちは、Mr.ネルソン。『ハンセン児童養護院』の者です」と、めんどくさそうな顔で室内に呼びかけた。
燃えるような赤い髪の毛をツインテールに縛って、ソバカスの浮かんだ頬に緊張を浮かべたまま、少女は緑色の瞳で睨むような上目遣いで、戸口に立ち竦んだままじっと目の前の、赤い髪に緑の瞳の優しそうな女性と、金髪で薄茶の瞳で微笑んでいる男性を見上げていた。
荷物の入ったリュックに手を掛けたまま身じろぎもしない少女を、若い夫婦は困ったような顔で、それでも笑みを浮かべてじっと見つめていた。
「それでは、よろしく」
付き添いで来ていた児童養護施設の職員は素っ気無く言って、少女に気遣いを見せる風でもなく、若夫婦に小さく頭を下げて帰って行った。
その六歳の少女デイジー・ケインは、児童養護施設で育った。父親は無く、母親はドラッグ中毒でデイジーを施設に預けて失踪した。
「よろしくね。デイジー」
花農家を営む若い夫婦の妻マーガレットは、にこやかにデイジーに微笑んだ。
「さあ、中へ入って、デイジー。寒かったろう」
夫のクレイグ・ネルソンも、笑ってデイジーを招き入れた。
若い夫婦には子供が居なかった。妻の不幸な病で子供が出来ない事を知った夫妻は養子を取る事を考えて、此処より少し北にある小さな町の養護施設でデイジーに出会った。
最初は小さな赤ちゃんを望んだ夫妻だったが、寂しそうな瞳を虚勢で隠すように夫妻を睨んで立っていたデイジーから目が離せなくなり、二年間、里子として預かる事にしたのだった。その二年が経過したら、正式に養子に迎える事にしていた。
施設で虐待を受けていたデイジーは、大人が信じられなかった。母親もデイジーを四歳で施設に預けるまで、デイジーを虐待していた。およそ愛情と呼べるものを受けた事が無かったデイジーは、目の前のにこやかな二人を見ても信用する事が出来ずに、ただ黙ったまま指示に従って家の中に入った。
「長旅で疲れたでしょう? おやつを食べましょうね」
デイジーがリュックを床に置いて、促されるままダイニングの大きな木のテーブルの前に腰掛けると、マーガレットが微笑みながら、用意してあったらしい小さなケーキをデイジーの目の前に出した。小さな白いチーズケーキには花が乗せてあり、見た事もない綺麗なケーキにデイジーは手をつける事も忘れて、目を丸くして口を開けてポカーンと見ていた。
「ケーキにお花って初めて見たのかい?」
クレイグが笑いながらデイジーの隣に腰を掛けた。デイジーが目を見開いてケーキを見つめたまま黙って頷くと、
「これは、食べられるお花なんだ。花にも色々な物があるんだよ」
と、クレイグは薄茶の瞳を優しく細めて、デイジーの頭を撫でた。驚いた目でクレイグを見上げたデイジーに、クレイグは優しく語り掛けた。
「ウチはお花を沢山作っているからね。デイジーにも沢山、お花の事を教えてあげるよ。お花はね。一生懸命育てると、本当に綺麗に咲いてくれるんだ。今は冬だから外には無いけど、後でハウスのお花を見せてあげるよ。とっても綺麗なんだ」
「あなた、いつまでも話してたら、デイジーが食べられないわ。私達もお茶にしましょう」
マーガレットが困った顔でクレイグに笑い掛けると、バツが悪そうに苦笑したクレイグが、
「ああ、ごめん。デイジー、マーガレットのケーキは美味しいから食べてごらん」
と、デイジーの頭を撫で、頬を染めてクレイグの話を聞いていたデイジーは、おそるおそるケーキを一口、口に運んだ。
「おいしい!」
デイジーが初めて口を利くと、夫妻は嬉しそうに笑い合った。