-68:負う過去3-
どうしても頭の中がぐちゃぐちゃになったアズウェルは冷たい水で顔を洗う。バシャバシャと必要以上に顔に水をかけ、洗い流す。しかし、どうしても消えないもやもやと苦しさに苛立ちが募った。
朝日は暖かくダークバイオレッドの揺れた毛先を包む。清々しいと思える朝のはずだが、アズウェルにはそう思えなかった。
執務室に戻り、大量の書類、それに付随するジルファのメモに軽く目を通した。目を疑ったのは、ウロストセリア帝国の第二皇子が昨日姿を見せていたという事だった。軽く流して捨ててしまおうとしたメモを慌てて握りしめ、目を凝らす。
「『昨日、ウロストセリア帝国大使レーラー・レイン殿と共に陛下に謁見。帝国へ文書を飛ばす。』か」
アズウェルは執務室の椅子にへたり込んだ。ウロストセリア帝国の第二皇子が殺されたとなったときは国が終わるのではないかとアズウェルは一瞬考えた。帝国にはまだアルセアのしたことを許せ無い人間も多くいると聞いている。アルセアとしては戦いたくはないのだが、もしもの時はやはり、国を守らなければいけなかった。
ウロストセリア帝国第二皇子が無事だと分かれば、戦争までの大事になることはないとようやく安心が出来たのだ。
「なんだ、まだ続きが? 『また、王女の護衛を陛下より依頼されている。騎士団より王女付きの騎士を用意せよ。』……は?」
アズウェルは何度も何度もその文章を読み直した。確かにそこにははっきりと“王女”と書かれている。
アズウェルはジルファが疲れているのかと心配になったが、彼がそのような抜かりをするとは思えない。だが、このアルセアで王女誕生などアズウェルは聞いたことがなかった。しかも、王妃が懐妊したとも耳にしていない。
和平条約締結5周年式典での一件が落ち着こうかというのに、新しい問題にアズウェルは頭を抱える。
「団長殿、昨日はどちらに行かれていたのですか。大変だったのですよ。ただでさえ式典でこちらを空けており、メリケン殿から様子を伺い、やっと聖都での仕事に復帰しようかという時に。……その様子ですと、読みましたか」
ジルファが短いノックの後に書類を抱えて、部屋にやって来る。ジルファは部屋に入るなり小言をアズウェルに言うが、執務室で頭を抱える彼の姿を見てそれを続ける気にはなれなかった。
「私も先日知ったのです。どうやら王女は隠されていたようですね。どのような理由があるかは分かりませんが」
「確かなのか」
「はい。しかし、まだ正式な発表出はないのでこの件は内密にお願いいたします。王女付きの騎士の選定は行いますが、まだ辞令は出さない事、と」
アズウェルは低く返事をして頭をくしゃくしゃとした。ジルファはその様子を見て溜息を吐き、書類を机の上にどんと置く。
「それで、昨日はどちらに? なかなか帰ってきませんので本当に迷惑しましたよ、騎士団長殿」
「……バグライドに行っていた」
「それにしても、いつもより空けていましたよね。まさか、あの村で誰か知り合いとお話でもしましたか?」
「……ああ」
ジルファは一旦「そうですか」と流そうとしたが、アズウェルを鋭い目で見る。バグライドが今どのような状態であるかジルファは知っていた。あの村に人が寄り付くことなど滅多になく、行くとすればアズウェルくらいだというのも知っているからだ。墓地しかないような、廃墟が並ぶ所になど誰も行かない。バグライド出身ならまだしも興味本位で近づくもの等ないに等しいのだ。
「……失礼な事とは思いますが、誰が行くのですかあの村に」
「……ジルファ、あの村を治めていたのは?」
唐突なアズウェルの質問にジルファは眉をひそめる。
「トランとスラクスですね」
答えたのにも関わらず、アズウェル黙ったままでジルファは不思議に思う。何が言いたいのかとジルファなりに考えてみた。
「スラクス家は確か団長殿が7歳……つまり、20年前になくなりましたよね。スラクス家の生き残りは団長殿だけ。トラン家も確か13年前に一家全員が亡くなっています。……ですよね?」
「ああ、俺もそうだと思っていた」
「……まさか。スラクス家かトラン家に生き残りが居るのですか?」
アズウェルの口振りからそうとしか考えられなかったジルファは声を低くして尋ねた。アズウェルは苦い表情をするだけだったが、否定はしていない。
「……トラン家の双子は知っているか?」
「ええ。団長殿の2代前、第105代騎士団長ジェルド・トラン殿の息子達ですよね。……トラン家の子供が今、生きているのですか?」
「……ああ」
ひどく暗い表情で頷いたアズウェルにジルファは信じるほかなかった。
「いっぺんにこのような事が舞い込むとは、処理し切れません」
「……全くだ」
アズウェルは窓から空を見上ると、昨日のこと蘇ってきた。信じたくもない信じられない真実が頭の中でぐるぐると回る。




