-05:旅は道ズレ-
朦朧とする意識の中、目の前の人間が、仮面を付けた恐ろしい者が問う。朦朧としてはいるものの、なかなか意識は飛ばせない。それが男には辛かった。
(あのガキに会ったせいで道化師にも会っちまうなんて、とんだ厄日だ)
「お前らの主人は、誰だ?」
「……ア、アス……ラエル……の」
声を出すのさえ辛い。しかし、答えなければ意識を飛ばすことも出来ずに苦しむ。それを知らされた男は苦痛から逃れたいがために答える。
「……エ……クド……、フェ……ザ……リ――」
そこまで言うと男の身体からはさらに血が流れた。
男はピクリとも動かなくなる。
「エイクド・フェザリードル、か」
手に持ったナイフを純白の布で拭い、そこから影が1つ消えた。
―05:旅は道ズレ
道化師。
仮面を付け、道化師のように派手な格好をした彼らを人々はそう言った。
彼らはその地で金を巻き上げる貴族を倒し、その金を人々に返してあげた。という話や、証拠がなく捕まらない犯罪者を裁いた。という様に一見人々の為に動く者だと思われるのだが、貴族の家にあった高価なものが消えていたり、巻き上げられた金を返さなかったりと、その時々によってまちまちだった。そして、その裁き方が時に残酷なため、国民は道化師に対しいろいろな見解を持っている。
ある者は殺戮者と言い、ある者は義賊だと言う。
仮面の奥は誰も知らず、人々が分かっているのはその仮面と格好、そして、4人いるという事だ。 仮面の左目下にあるマーク。狂愛、金欲、死神、博識。それぞれが動き、国を陰から見つめている。
そして、それを追う者が1人。
「あれ、リース? 遅いよ」
昨日の午後にはリスターを出て、隣の町であるアスラエルに向かう2人だが、元気なのはルーナだけだった。
彼女を追うリースは信じられないものを見るように彼女を見ていた。
(かれこれ3時間は歩いているのに……)
「待て、そろそろ、ここで休む。続きは明日だ」
切り株に腰を下ろし、持ってきた水筒から水を飲むリース。ルーナは軽やかなステップで彼の元へと戻っていった。ステップを踏むその度に肩まであるブロンドの髪の毛がふわりと揺れる。
あの時震えていた少女とはまるで違うので、少し戸惑ってしまうリースだった。
リースが火を焚いている間、ルーナはその様子をじっと見つめていた。彼女にとっては、町の外に出るという事、さらに、こうやって野宿するという事も初めての事だった。
リースは野宿に慣れているのか、てきぱきと準備を進めている。夕食をこしらえたり、寝る場所を作ったりと、彼の動きをルーナは感心しながら見ていた。
「そういえば、どうしてアスラエルに向かうの?」
「あそこはイダラとの国境だから、いろいろな物が入ってくるんだ。工芸品とか、ここらじゃ珍しい食べ物とかな。そういうのは仕入れておきたい。まあ、そういうの目当てで来る奴は結構いるから道化師の情報も得られるんじゃないかと思う」
そう言いながら、お椀をルーナに差し出した。
その中には温かいスープが入っており、ルーナは目を輝かせた。野菜がたっぷりと入っていて、いい香りがすうっと体の中に沁み渡っていく。
一口飲めば、野菜の甘さと旨みが口の中いっぱいに広がって、思わず感嘆の言葉が漏れる。
「リースは料理も上手ね」
「旅は結構している方だから、自然と身に付くだけだ」
「リースってどこ出身なの?」
隣にいるリースをのぞき込みながら聞いてみたルーナだったが、当のリースは顔を少し背けた。火が作り出す明りで、リースの顔が照らされる。その分、影も作られている。
少し間が空いてからリースは再び口を開いた。その少しの間がルーナにとって不思議だったが、そんな些細な事、今はどうでもよいと思っていた。
「……クリスタス」
「へー。クリスタスって聖都ね。聖都ってどんな場所なの?」
「まあ、人が多い」
誰でも知っているようなことを言ったので、ルーナは睨む。
「適当言わない。そんな事私でも想像できる」
「……聖都でそんなに過ごさなかったし。それに、誰もが生まれた土地を好きになるわけじゃない」
「……そう」
火を見ているようで、見ていない、もっと違う、深いものを、遠くを見つめているようなリースの横顔に、これ以上聞いてはいけないとルーナは思った。彼女にとって、故郷は好きなものだった。両親と過ごした温かく、幸せな日々があるからだ。同時に両親を失った辛い場所でもあるが、楽しかったことの方がいっぱいあった。
他者は難しいのだなと、ルーナは思った。
「こんな空気にするつもりじゃなかったが……そういう事だ」
リースは申し訳なさそうな顔をして、ルーナを見ていた。先ほどとは違う、優しい紅い瞳だった。その表情にルーナはほっとする。
そして、おかわりを要求する、ルーナにリースは苦笑いした。
起こしていた火は消えてしまったが、代わりに太陽の光が地上を照らし始める。それとともに動物たちが活動を始めていた。
そんな中で、ルーナはまだ寝息をたてている。
「起きろ、すぐ行くぞ」
「……ん、あと、すこし」
「俺より早く寝たくせに何言ってんだ、起きろ」
リースはとっくに起きており、旅の身支度も早々に終わらせていた。だが、一方のルーナは全く起きずに、横ですやすやと眠っていた。
「置いて行くぞ」
「……んー」
「知らな――」
ガサッ
風ではなく、何かが動いて、それで茂みが揺れる。
その音に反応したリースは茂みの方に目を凝らして見る。距離は少しあるが、何となく嫌な気配がする。リースはそれ
をなんとなく感じ取っていた。気配を読むのは得意な方であるからだ。
「ルーナ、起きろ! まずい」
小声だが、その声は鬼気迫ったものである。
その声でさすがのルーナも目を開けて目を擦る。
ガサガサッ
「ガァァァァァアアッ!」
飛び出してきたのは黒い塊。
いや、1匹の狼だった。
しかも、距離があるとはいえ、野生の狼相手に十分とは言えない距離だ。
「狼っ!!」
ルーナはさっきまで寝ていた身体を奮い起こして、全速力で狼から遠ざかろうと駆けていく。とっさの事で、頭よりも身体が先に動いた。
「待て、馬鹿!」
狼は突然動いたルーナに反応し、その後を追いかけた。
狼と人との追いかけっこなど、決着は始める前から決まっているようなものだ。ましてや、ルーナは女である。
「ったく……!!」
ルーナと狼の後をリースも追った。
目の前に次々と迫りくる、木々、草、蔦、全てを避けながら、逃げる事だけを考える。
自分が今、どこに向かっているかも分からない。分かることは足を止めてはいけないという事。足を止めたら、背後からくる怖いものに捕えられ、殺される。だから、ルーナは振り向く事は決してせずに走り続けた。
が、迫ってくる、獣の声。足音。
「――っは!!」
耳元で聞こえる、獣の息。
狼はルーナの背中に飛び乗っていた。
それをルーナは振り払うが、その時、地面に倒れてしまう。
じりじりと詰め寄る狼と真正面から向き合って、恐怖が全身を支配する。震えと汗が止まらない。口の中が渇いていく。
「……あ、あ、あ」
呼吸が荒くなり、息を吸うのも辛い。
狼が一歩踏み出した。
ルーナは自分の終わりを覚悟した。
次の瞬間、視界に広がるのは、赤。
「勝手に動きやがって」
ルーナの腕をぐいと掴んで起き上がらせたのは、リースだった。
狼は、首から上が無くなっており、その身体の周りはどんどん赤く染まっていく。リースをよく見ると、血にまみれた剣を携えていた。
「リース、が……?」
「お前、馬鹿」
またしても、リースに助けられてしまったと、情けなく感じるとともに、頭の上に乗せられた手の温もりに安堵するルーナだった。
「でも、まあ、ここ、どこだ?」
2人はこうして、迷子になった。