第十三話・手紙(3)
馬上から振り向くと、馬に乗った従者がマルバシアめがけて速歩で追いかけてきていた。従者はポケットから一通の手紙を取り出し、彼女に手渡した。
「どこからの手紙?」
「封蝋に五尾の鯛の紋章が刻んでありますが」
「ナシジウム一門からの手紙ね」
五尾の鯛はナシジウム一門を意味する紋章だ。マルバシアは封蝋を割って中の手紙を取り出す。
「……全く、この人達は相変わらず……」
「どうなさったんですか?」
「昔から一門に仕えている人からの手紙なんだけどね、私の事を呼ぶ時は決まって大麦って言うのよ。髪の毛が金色だからって」
従者はなんと返答すれば良いか分からず、黙って彼女からの指示を待った。
「ああ、ナシジウム殿。閣下の側におらずにこんな先頭におられたのか。閣下がお呼びですぞ」
速歩で駆け上がる蹄の音がして、尊大な声が彼女にかけられた。鎧すら身につけず、華美な装飾がごてごてと付いた服を着ているその男は辺境伯の従者だった。
「困りますな、貴女には指揮官として閣下のすぐ側に控えているべきなのだ、指揮官としてね」
そう言う辺境伯の従者の目はマルバシアの全身を舐め回していた。
「……指揮官が部下と共に行軍するのは当然のこと。ましてや敵の規模や根拠地も分かっていない今、あの丘の向こうに大軍が控えているかもしれない。その時は先頭に立って指揮を執ってこそ閣下のお役に立てるというもの。その程度のことも諫言できんのか、貴様は?」
「なっ」
かの従者は怒りに身を震わせていた。女のくせに、という彼の心がありありと見て取れた。
「閣下がお呼びというならば行こう、だがその前に貴様のような佞臣、閣下の宮廷には必要ない。剣を抜け、せめて男らしく死なせてやる」
マルバシアが剣を手に取ると彼は短く悲鳴をあげて馬首を翻した。ため息をつき、剣を離す。
「やはり損な生き方をしておられる」
マルバシアの従者が呟いた。彼は彼でいつの間にか手に持っていた短刀を鞘に戻した。
「損な生かされ方よ? あの視線の寒気のすることときたら! とりあえず閣下がお呼びなのは本当らしいから行ってくるわ。副長、しばらく指揮を頼むわよ」
マルバシアのすぐ後ろにいた男が頷いた。彼はナシジウム一門の庇護者の一人であり、他にも騎士団中に数人いる。彼らは何代にもわたって一門に仕え、また一門もその誠意に応えてきた。彼女にとってこのような庇護者こそが騎士団の中で最も信頼のおける人々だった。
マルバシアは手綱を引いて馬首を反転させた。隊列の後方、辺境伯とその家族らが乗る儀装馬車に向かう。儀装馬車は四頭立ての馬車であり、金の装飾が施された馬車の最上級品である。同乗する栄誉に浴せないマルバシアは馬車の後ろに立つ御者の一人に取り次ぎを頼んだ。程なくして馬車の窓の一つが開いて、辺境伯が顔を覗かせた。
「閣下、お呼びでしょうか」
「うむ、ナシジウム……行軍は順調か?」
「おおよその中間点にある高所の角村までは後一日・二日の距離ですから、順調です」
――二日の出発遅れに目をつぶればですが。
そう心に思いはしたが、口にはしなかった。
「そうか、実は我が妻とこちらの貴婦人達が退屈をしておってな。巷で噂の美しい騎士に一目会いたいと言っておるのだよ」
マルバシアが身を屈める。窓の奥から別の顔が見えて挨拶をすると、きゃあきゃあと歓声をあげて喜んでいた。いずれも知らない顔だった。恐らく辺境伯の愛人だろう。
「女性なのに騎士なんて凄いわ、格好いい」
「剣は重くありませんか?」
「どうして騎士になろうと思ったのですか?」
矢継ぎ早に飛び出す質問の数々をマルバシアは半ばあきらめつつ、やんわりと受け流した。
「ねえ、貴女と他の騎士とどちらが強いのかしら」
「私も騎士団の隊員も帝国と辺境伯を守る剣であり鎧ですから、どちらが強いかなど論ずる必要はありません」
彼女がそう受け流そうとした時、辺境伯の声が割り込んだ。
「そう無粋なことを言うな、皆知りたがっている。女騎士ナシジウム・マルバシアの武勇伝は本当かどうかを」
「帝国主神に誓って、私は嘘偽りを申し上げたことはありません」
「ならば証明すればいいだけのことではないか。私が許そう、騎士から代表者を一人選ぶのだ。一騎打ちをせよ! この場で己の強さを証明してみるがいい」