第十二話・準備と異変(6)
テグゼンには誰にも言っていない事があった。それは自分には価値がないと、心底感じているということ。誇れるような取り柄もなく、今回の同胞団活動で真っ先に人材集めに名乗りをあげたのも自分にはそれぐらいしか出来ないだろうと思っていたから。
――僕が今こうなのはきっと環境のせいだ。もし、僕がこんな村に生まれなかったら、もっと都会で生まれていたら。いい家柄の生まれで最高の教育を受けていたとしたら、きっと今はもっとマシな人生を送っていたんじゃないか。
彼の心にあるのはそれだった。だから彼はリウムに焦がれた。見栄と虚勢で固めた鳥の羽で太陽に向けて飛び立った。暗い気持ちは全て後ろへ置いて忘れて、今、テグゼンは間違いなく幸せだった。
「はい、これで掌握ですね」
「えっ、ホント!?」
テグゼンは慌てて盤面を見る。掌握というのは帝国将棋の用語・作法で「ここから先どう指しても私がミスをしなければあなたは負けます」という宣言だ。早い段階で掌握を宣言する方がより良いとされているが、早いとそれだけ見落としていた逃げ道などによって宣言が空振りになる事もあり得る。そうなると、笑いものになることは避けられない。
「……無いね、僕の負けだ。参りました」
「ありがとうございました」
「しっかし……葡萄酒が来る前に対局終わっちゃったね、ローズさん遅いな」
「そうですね、どうしたんでしょう」
ちょっと様子を見てくるよ、とテグゼンは立ち上がって部屋を出る。リビングの方へ向かうが、誰もいない。
「あれ、クーンまで?」
周囲を見回しても変わった様子がない。家を出て行った気配もなかった。もしやと思い、テグゼンはクーンの部屋の扉へ向かいノックした。
「誰だ?」
「僕だよ、テグゼンだ。ローズさんを知らないか?」
扉が開く。部屋の奥、ベッドの上で横になる女性の姿があった。ローズだ。
「葡萄酒を飲んでたら倒れたんだ。そしたらコップの中に血が混じっててね……どうも血を吐いたらしい」
「大丈夫なのか?」
二人でベッドの側へ行き、ローズを見下ろした。若干呼吸が荒いものの、さして辛そうな様子はない。
「今は落ち着いてる。時々悪くなるんだけど、そうなると寝付けなくなったり、偏頭痛が酷くなったりするんだ。でも、血を吐くのは久しぶりかな」
「なぁ、クーン……医者には診せたことはあるのか?」
「いや。だけど、母さんはどんな病気かは知ってるらしい。治らない病気なんだって。一生付き合っていくしかないって」
絶句するテグゼンの背中を、クーンは強く叩いた。
「暗くなんなよ! どうせ皆死ぬ時は死ぬんだ、案外僕やテグゼンの方が早く死ぬかもしれないんだから」
「いや、でもさ」
「今はサーシャさんの事を考えないと。母さんに僕達が出来ることはないけど、サーシャさんは俺たちが頑張らなきゃ危険なんだぜ?」
「……分かったよ。でもサーシャさんの事が解決したら、きっと医者に診せよう」
「ああ、分かった。約束だ」
クーンとテグゼンが握手をすると外でクーンを呼ぶ声がした。家の扉を叩く音が響く。
「おい、クーン氏開けてくれ」
メイトの声だった。二人は部屋を出てリビングの方へ、扉を開ける。
「どうしたってんだ」
「近隣の町から連絡が入ったんだ」
「なんの?」
「詳しい内容は知らされてないけど、約三〇〇頭分の馬の飼葉数日分と三二〇人分の水と食料、宿泊に適した施設の提供を求める文書が届いたんだと」
「……討伐軍だ!」
しばらく腕を組んで唸っていたクーンが何かに気付いたかのように顔を上げメイトと視線を交わした。メイトはクーンの言葉に首肯する。
「多分ね。辺境伯は何を考えているのかね、自分の娘が捕まってるのに、賊に対して一切妥協はしないーっ、てか? 格好つけ? それとも身代金が惜しくなった?」
「だとしても性急すぎるだろう……。それに近隣に英雄騎士団のスパイが潜んでるかもしれない。ちょっと動きが不自然過ぎる気がする」
「言われてみれば確かに。じゃあ、それを調べる方法は……」
メイトとクーンはローズの寝室の方へ視線を移した。テグゼンは何のことか分からない顔をしている。
「リウムを尋問しよう。多分、僕らがまだ知らない事を隠してる」