第十二話・準備と異変(4)
「駒、並べないんですか?」
「えっ、ああ、そうだね」
言われて、テグゼンは駒を並べ直し始めた。手前から三段目に兵を並べ、二段目は左から2筋目に白騎、逆に右から2筋目に赤騎を置く。一番手前の段は左から槍・忍・剣・近衛・帝・近衛……と続く。
「ん?副帝と正帝が逆になってますよ」
リウムの言葉にはっとして、テグゼンは慌てて自分の手元にあった正帝の駒を手に取る。それは伸びてきたリウムの手とぶつかり合い、弾みで周りの駒を落としてしまう。手と手が触れ合った時、テグゼンが目を逸らしながらわずかに頬を弛ませたのをローズは見逃さなかった。
(あらあら……これはこれは)
「すっ、すいませんすぐ拾いますから」
「いいのよ、私はちょっと皆の分の飲み物を取ってくるわね」
ベッドから出たローズにリウムが慌てて立ち上がる。
「ローズ様、そんな事は私が」
「いいのいいの、対局する時は対局と対局者の事だけ考えてないと」
リウムにそう声を掛け、テグゼンの背後に回った時、ローズはボソッと「頑張りなさい」と呟いた。テグゼンは顔を赤くしてローズが去っていくのを見送った。
「……何かありましたか? さ、始めましょう」
リウムはサイコロを二個振って目を確認した。九、奇数なのでリウムが先手だ。
「宜しくお願いします」
「宜しくお願いします」
「むぅーん……数字が合わねぇ……」
テグゼンを母の部屋へ行かせた後、僕は書類と睨めっこしていた。何の数字かって、同胞団の帳簿書類である。今のところ同胞団は自警団の提供とかもまだ何も進んでいない段階で、当然ながら団員に渡す給料も何もない。けれど、いつか採算が取れるようになって皆にお金が渡せるようになったら貢献度に応じて皆に公平にお金を渡したい……と僕は思っている。
だが、数字が合わない。
単に貢献度をカウントしていくだけじゃなくて、例えばアルフが作った斧や剣等……現状無償提供みたいな形になってるけど、これを購入したものとしてきちんと計算に入れる。そうして差し引いた分を団員の給料として計上するんだけど、普段そろばんを弾いていないだけにミスが多すぎる。
「クーンちゃん、どうしたの?」
「計算が合わなくってね……って、テグゼンそっちに行かなかった?」
「うん、テグゼンちゃんなら今青春中」
は? 青春中……? 頭の上に疑問符が浮いてる僕の事を気にせず、母は台所周りを漁りはじめる。
「葡萄酒なかったっけ?」
「一昨年のが少し残ってるけどもう飲めないと思う。三ヶ月ぐらい前に行商から買ったやつがそっちに入ってる」
「あ、あったわ、ありがと。……飲む?」
短く頷くと素焼きのカップに葡萄酒を注ぎ、僕が書類をどけて作った空きに置いてくれた。
「テグゼンちゃんってリウムちゃんの事好きなんじゃない?」
飲もうとした葡萄酒をすんでのところで吹き飛ばさずに済んだ。意外すぎる言葉に頭の中が止まってしまった。
「え、何? どういう話の流れ?」
「だからそれを聞きたいんじゃない」
「えー……あいつ今までそういう話全く無かったよ? だってあいつ『村の女の子は皆ジャガイモに手足が生えてるだけ』だって公言してたし」
「それは酷いわね」
(いや、それは母さんのせいなんだけどな……)
頷きつつ、それを言うのは止めた。テグゼンとは昔からの付き合いだ。あいつはよく母の事を「美人だね、都会の女性って皆ああなのかな」と言って褒めていた。最初はもしかしてこいつ狙ってるのか? と思ったけれど、どうも違うらしく、都会の女性への憧れ自体がテグゼンの好みとして根ざしているらしい。
「あいつはさ、都会の女の子に憧れてるんだよ。だから突然村にやってきたリウムさんに興味を持ったんじゃないかな。ましてや、辺境伯令嬢の侍女なわけだし都会も都会の女の子だよ」
「でも、それって『都会の女の子』なら誰でも良くてリウムちゃんが好きなわけじゃないって事?」
「最初のとっかかりなんてそれでいいじゃん、あとは当人達の問題でしょ」
「ずいぶんマセてるのね、クーン……あなたはどうなの? 恋人はいないの?」
「息子離れしてくれない母親がいるからね」
そう言って笑って母の方を見ると、母は口元を押さえて少し屈んでいた。二回、三回濁った咳をする。まさか、病気が悪化したのか。
「……あー、息子に酷いこと言われて調子が悪くなっちゃった」
良かった、まだ軽口を言う余裕はある。一時期血を吐くほど病状が悪くなったことがあったけど、その時のことを考えれば今は大丈夫な方だ。
「勘弁してよ、お酒飲みすぎなんじゃない?」
「こんなもの飲んでるうちに入らないわよ?」
そう言うが早いか、コップを掴むと一気にごくごくと喉を動かしながら飲みきる。我が親ながら、全く言い飲みっぷりだ……こりゃあまだ長生きしそうだよ、ホント。