第十一話・女騎士ナシジウム・マルバシア(2)
――それに、ナシジウム家への面子も……か?
謁見の間での辺境伯が言った台詞をマルバシアは思い出した。手紙を書く手を止めて、また長い脚を机の上に投げ出した。指先で顔の傷をなぞりながら考え込む。彼女には左眉から右頬までの大きな刀傷があった。完全に癒えた今でもその痕は残っていて、彼女に過去の自分のミスを思い出させた。そして真剣に何かを考えたい時、傷痕をなぞるのが彼女の癖になった。
「ねえ、私がもし討伐に失敗したらどうなると思う?」
「……その時は贈り物をご用意します。銀の大皿の上に丸焼きの豚と、あとは蜂蜜と木の実のお菓子は如何ですか?」
従者の機転の利いた冗談にマルバシアは笑った。どちらも結婚式の時に供される目出度い食べ物だからだ。丸焼きの豚はただ豚を焼いたものではなく、内臓を除いた部分にツグミ類や野鳥を香草と一緒に詰めて卵黄と血のソースをかける。蜂蜜と木の実のお菓子は香りが非常に良く甘く美味しいので、大人数の結婚式ともなると次から次へと追加を運ばなくてはすぐに品切れしてしまうほどに人気のお菓子だ。
「そうね、多分討伐に失敗したら私は帝国首都に呼び戻されるわね。そして伯父様からどこか名門貴族の結婚相手を紹介されるでしょうね」
「山賊ごときに、そこまで悲観される必要がありますか?」
「いいこと? 私は閣下の指揮でしか動けないの。きっとそうなる。だから手柄が出来れば閣下の手柄になるし、失敗すれば同行した私の責任になる。……私が男ならナシジウム家の手前も考えて手柄もくれたかもしれないけど、女が騎士をやるなんて、閣下は結婚前の女の道楽ぐらいにしか思ってないわ」
「では、指揮を外れれば宜しいのでは?」
即座に否定しようとして、思いとどまる。成程、それも手だと彼女は思った。何かしら適当で正当な理由により指揮を外れてしまえば。そしてその間に山賊のリーダーの首級でもあげてしまえば……。彼女はまた傷痕をなぞりはじめた。
「まぁ……でも、普通に考えれば私の遊びもここまでよ。今年でもう二四にもなるし、結婚もせず子供も産まずに女の盛りを過ぎ去らせるのは伯父様が許さないわ」
「しかしマルバシア様には指揮官の才能があります。黒い都の籠城戦、コルサバン王国との戦闘で見せたムールウ山脈からの撤退は……!」
「前者は指揮官と激しく意見が対立した挙げ句に、指揮官が『事故死』して指揮を引き継いだアレね。結局一門の力で有耶無耶に出来たけど、そうでなければ縛り首になってるわよ。ムールウ山脈の時は、まさかあそこまで敵の『契約』が済んでたとは誰も思わなかったからもうちょっとで大隊丸ごと焼き殺されるところだったわね。あれは指揮官が事故死……する前に進言を認めてくれたから良かったけど、普通なら軍法会議。手柄を渡したからこそお咎め無しなだけよ」
「損な生き方ですね」
「損な生かされ方なのよ。だから、私は公式には何の手柄も立てずに任地を転々としているだけのおてんば娘扱いなの。それも多分このドミニーシャ地方で終わり、私の軍人生命はここでお仕舞いってわけ」
それでも討伐に一定の貢献をすれば、あるいは……そんな思いで書いた手紙を彼女は一瞥した。千に一つの可能性も切り込んでいかなければ勝ち取れない。籠城戦の時も撤退戦の時も、引っ込み思案なお嬢様だったらもうこの世に生きてはいない。自分の正しいと思う道を他人を押し退けてでも追求してきたからこそ今がある。
「では、マルバシア様もどこか私兵集団に参加なさってはどうでしょう。辺境では自警団的な組織が増えているようですよ」
それもアリかな……と思って、すぐ考え直す。
「無理よ、私がそんなところに参加したらすぐ上司が『事故死』してしまうわ。私兵に身を落とすぐらいなら帝国首都でのほほんと暮らしてる世間知らずのお坊ちゃんに鞍付けて轡を噛ませて乗りこなした方が大分マシだわ。でももし、その私の上司となり得る人が……私を使いこなすほどの人物なら、そうね、参加してもいいと思うわ」