第十一話・女騎士ナシジウム・マルバシア(1)
これまでの二つ名のクーンは……
クーンとその仲間達は力を合わせて成り上がることを誓う。
プエリテイア街道で馬車が襲われた。賊の名前はエリゴル、営利誘拐を行う山賊集団だった。襲われた娘、サーシャは二〇トラスという法外な身代金を更に引き上げ五〇トラスとするようエリゴルに要求する。
それから更に一ヶ月後、エリゴルから逃げのびたサーシャの侍女リウムはクーン達に助けを求め、クーンらドミニーシャ同胞団はサーシャ救出に向けて動くことを決めた。
一方サーシャの父ドミニーシャ辺境伯は賊の一味と会い身代金を渡すことを約束するが、実は辺境伯の娘は七年前に死んでいた。辺境伯は亡き娘の名を騙った山賊達を抹殺するべく親衛騎士団を派遣した。
親衛騎士団長ナシジウム・マルバシアは自身の執務室の椅子に深く腰掛け、その長い脚を机の上に投げ出していた。帝国軍の軍装は殆ど男女兼用なので、彼女の鎧も膝より上の部分までしか守っていない。そのため、少し筋肉質な脚が露出するままに投げ出されている。彼女は槍を持った騎士の姿で作られた帝国将棋の赤騎の駒をくるくると手の中で玩びながら、何かを待っていた。従者の少年は部屋の隅で控えているが、一度マルバシアが謁見の間から戻ってきた時に茶を出すよう命じられてから何も指示されていない。靴を磨くことも、服を洗濯することも、あるいはゲームの相手をすることも命じられぬまま、ただじっと控えていた。
扉を叩く音がした。マルバシアは一瞬上を向いてため息をつくと、「誰か」と声をかけた。
「衛士のノメルです。辺境伯閣下からの命令書を持って参りました」
マルバシアが従者を見て顎で指示する。取ってこいという意味なのだろう、短く頷くと少年は扉の方へ走り、少し扉を開いて書類を受け取りすぐに扉を閉めた。それをマルバシアがまた脚を投げ出したまま、頬杖をつきつつ片手を伸ばす。少年もよく意を得たもので、彼女へ書類を渡すとまた部屋の隅へ戻っていった。
書類を開くと、そこには簡潔な命令が記載されていた。曰く『今回の英雄騎士団討伐に際して辺境伯が指揮を執る。加えて以下複数名の同行にあたって失礼がないよう十全の備えをしておくように』とのことだ。
「あー……やっぱりね。何の知らせだと思う?」
呼ばれた従者の少年は少し考えてから答えた。
「奥方達が同行するから準備をしておくようにとの命令でしょうか」
彼女は笑った。そう、少年が言うように複数名の同行者の中には辺境伯夫人を筆頭に貴族の子女が名を連ねていた。更にその下には給仕長の指示として牛・豚・羊各三〇頭以上を用意しておくように、と書いてある。勿論給仕長も同行する。塩漬け肉を樽の中に詰め込んで運ぶというのも手だが、そんなものでは貴族のお歴々の舌を満足させることが出来ない。家畜を連れて進軍すること自体は珍しいことではない、問題は頭数だった。往復一月以上の行軍になるだろう。人質達の事を考えれば騎兵という強みを活かし、最短時間で進撃し稲妻のように攻撃し、解放してしまうべきなのだ。一〇〇頭近い家畜を引き連れノロノロ進み、作戦を物見遊山の種の一つにしてしまう辺境伯に、彼女はどうしても納得がいかない。
「その通りよ、今回の山賊討伐のね……。彼らは辺境伯のご令嬢マシウス・サーシャ様を人質にしていると言ってるのよ」
「そ、それは……」
少年は息をのんだ。
「サーシャ様は亡くなられたはずでは」
「ええ、私がここへ来る前に亡くなられたから、サーシャ様のお顔は肖像画でしか知らないわ。当時何があったかも知らないし」
「流行病で亡くなったと聞いています、ある日突然、神に召されたと」
マルバシアは頷いた。良い話ではないから大体誰もがそれぐらいの事しか知らないし、あえて深く聞くこともしない。だから彼女の心の片隅には「もしかしたら本当に令嬢は生きていたのかもしれない」という発想があった。それを誰かに話すことはない、ただの可能性の一つとして記憶に留めておくだけだ。
マルバシアは繊維紙を何枚か机の上に出して姿勢を正し、手紙を書き始めた。今回の遠征に際して通過するであろう町の町長に向けて水と食料。兵士や馬、貴人のために寝床の提供を求める手紙だ。公営の郵便制度というのは存在しないので伝書使に届けてもらうことになる。マルバシアのナシジウム一門のような大貴族であれば、伝書使に出せる使用人は常にいる。彼女は一門の力をフルに使うつもりでいた。この手紙も後で従者に二枚ずつ複写させて一通あたり計三枚を同時に配達させるつもりだった。彼女にはそこまでする理由があった。
なぜならば、この遠征で失敗すれば自分自身の軍人生命に関わるからだ。