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二つ名のクーン  作者: アブドゥルラフマン友松
第二章・同胞団のクーン
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第十話・廃城ガドア砦(3)

 サーシャは中庭を見下ろすのをやめて二階へと降りる階段へ向かった。階段に使われている石は真新しかった。古い石は角が磨り減りつるつるになって、とても登れたものではなくなるからだ。サーシャは壁に手を触れながら慎重に降りていく。

 一段降りるごとに気分も落ち込むような気がした。

(こんな風に考えるなんて、そうとう追い詰められているな、私……。原因は分かってる。それは本当のところ私に出来ることが無いから)

 やるべきことはやった。無事かどうかは別としてリウムを逃がした。けれど外部に連絡を取る手段は無い。救出が来るか、あるいは本当にドミニーシャ辺境伯が身代金を払いに来るか、そのどちらかを待つしかない。

 サーシャは苛立つ気持ちを抑えながら階段を降り続けた。一階部分まで降りた後、すこし廊下を進んでまた別の階段を降りると見張りが三人、カードゲームに興じていた。サーシャの姿を認めると手をひらひらさせて「入っていいぞ」と促した。

「失礼するわ」

 そういってサーシャは奥へと進む。そこには木の格子の向こうに五人の男女が居た。

「あっ、サーシャ様」

 一人が声をあげると無気力な顔をしてうつむいていた他の人質達もすぐ顔をあげ、明るい顔をサーシャへと向けた。

「サーシャ様……あぁ、勿体ない事です、私達のために毎日来てくださるなんて……」

「リウムは無事に逃げられましたか?」

 その質問はサーシャの胸に細く小さな針を刺した。

「ええ、彼らはリウムを捕まえるのに失敗したようよ。エリゴルはカンカンになって怒っていたわ」

 サーシャは人質達と一緒になって忍び笑いをした。

「遅くとも、もう辺境伯に私達の事が伝わっている頃だと思うわ。もうちょっとの辛抱よ。皆我慢してね」

「はい、サーシャ様!」

 サーシャは格子の小さな穴にその細腕を差し入れる。汚れた人質達の手を代わる代わる優しく両手で握手した。一人一人、名前を呼んで励ましてやると彼らは皆目に涙を溜めて鼻声になった。

「じゃあ、また来るから……皆しっかりね」

 そう言って牢を離れる。帰り際、見張り達に笑顔で会釈するのも忘れてはいない。それだけで荒くれの男達は頬を染めて陶然となるのだ。

「はぁー……本物の貴族のお姫様ってのは綺麗なもんだなあ」

「よそ見してるんじゃねえよ、ほら、三カードだ」

 背後で起こる悲鳴を聞きながらサーシャは牢を後にした。

(本物の貴族のお嬢様……か。そうだったらどんなに楽だったかしら)

 少なくとも今ほど苦労の多い人生では無いはず、とサーシャは思った。マシウス・サーシャ、偽りの名。今のところ山賊達は全員騙し通せている。私の事を辺境伯の娘だと誰もが信じている。そして人質達も。「優しいサーシャ様」を演じることによって彼らの精神状態を安定させようとするための演技、それがさっきの訪問の意味。彼らを心配する気持ちがないわけではない、けれど、心のどこかで必ず計算が入ってしまう。

(冷たい心だわ……、本当の私を知るのはリウムだけ。こうなったのはきっと『環境』のせいね)

 こう「なれ」と教わったわけではない。様々な事柄を教わるうちにこう「なった」方が一番楽だと悟った、その結果が今だった。趣味も持たず、遊びらしい遊びもせずに今の今まで生きてきた。綺麗な服を着たり、新しい髪型に挑戦したり、恋をしたり……そんな女の子らしい事を全て放ってきた。ふと、サーシャの脳裏に一人の老女の姿が浮かんだ。

――あなたもいつか恋をしなきゃね。

 ベッドで横たわる老女にそう言われたことをサーシャは思い出した。

――でも、どうしても人を好きになれません。皆バカみたいに見えてしまうんです。男は顔だって言う人もいますけど、顔を見たいだけなら石像を買って眺めていればいいんだわ。

 老女は朗らかに笑ってサーシャの言い分を受け止めた。

――いつかバカに見えない人が現れるわ。

(おばさま、どうやらそのいつかはかなり先になりそうです。あ、そうだ、バカみたいな男しか居ませんでしたって、ここの山賊の首を持って行ったら……ブラックジョークにもほどがあるわね。そのまま恋愛能力ナシと思われてお見合いの席を勝手に組まれかねないし)

 女の子らしい思考が欠けているのはサーシャ自身が一番よく承知していた。それでも今、その女の子らしからぬ思考をフル回転させなくては誰かが傷つくかもしれないし、自分の命が危うくなるかもしれない。

 サーシャは左手に意識を集中させた。手の平の中で小さな輝きが生まれたのを拳を握って隠した。光はゆっくりと弱くなり、やがて消え去った。

(『契約』はもう済ませた。役に立つかは別として、手は一つでも多く持っておいた方がいい)

 サーシャは自分にそう言い聞かせると、詩の発表会をする予定の中庭へと足を向けた。

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