第十話・廃城ガドア砦(1)
これまでの二つ名のクーンは……
クーンとその仲間達はグループを作り、大きくして成り上がることを誓う。
プエリテイア街道で馬車が襲われた。賊の名前はエリゴル、営利誘拐を行う山賊集団だった。襲われた娘、サーシャは二〇トラスという法外な身代金を更に引き上げ五〇トラスとするようエリゴルに要求する。
それから更に一ヶ月後、エリゴルから逃げのびたサーシャの侍女リウムはクーン達に助けを求め、クーンらドミニーシャ同胞団はサーシャ救出に向けて動くことを決めた。
一方サーシャの父ドミニーシャ辺境伯は賊の一味と会い身代金を渡すことを約束するが、実は辺境伯の娘は七年前に死んでいた。辺境伯は亡き娘の名を騙った山賊達を抹殺するべく親衛騎士団を派遣した。
そして彼は自ら礎石を据えてこの地に砦を築くことを宣言した。
「かの悪魔共が二度と夜明人の地に踏み込まぬようここに壁を築く。大平原から我らが土地に入るのは良き風となるべし」
――帝国史 第六巻より
記録が証明するように約三四〇〇年前に築かれたとされるガドア砦は時代の要請に応えて増改築を繰り返していた。伝説を誇張されたものとしてある程度差し引くと、ガドア砦は悪魔――とされた何者か――から夜明人を守るための砦であったらしい。当時は土塁を堀で囲んだだけのごく粗末な砦だったようだが、やがてとがり杭の柵は石壁となり、土塁上の塔もより大きく、堅牢に作られた。壁は外へと広がり地域一帯を取り囲んで悪魔の襲撃があったとしても、十分人々を守れる造りへと変化した。
建設者である帝国初代副帝の志を汲んで維持されてきたガドア砦は『第一次・第二次帰還運動』において地政学的に重要な位置にあるとされ脚光を浴びたが、その後、砦がここにある意味を失い、更にその後の『夜明歴の史上最も苛烈な世紀』といわれる時代の主戦場からは対極の位置にあったため、ガドア砦の存在は忘れ去られた。深かった堀は埋まり、石壁は崩れて地域住民の家の建材となり、今はただ主塔とその周囲が残るのみとなっている。だが、それでもまだ砦としての機能は失ってはいない。
闊達とした足音が山賊達の根城である廃城・ガドア砦の通路に響く。男たちは近づくその足音に何事かと目を向け、足音の主が辺境伯令嬢マシウス・サーシャだと分かると恭しく頭を下げ、道を譲った。
「そこのあなた、エリゴルはどこにいるの」
サーシャは唐突に足を止め、道を譲った男に話しかけた。
「お頭……あ、いや、団長は執務室にいるはずです。場所は――」
「三階の階段を上がって右、すぐ左、右側二つ目の扉だったわね?」
男が頷くとサーシャは再びドレスをひるがえして先を急いだ。ガドア砦はあちこち崩れかけており足下がおぼつかない場所もあったが、彼ら山賊の補修の甲斐もあって小綺麗に落ち着いていた。
自称『英雄騎士団』の山賊、営利誘拐集団にサーシャが軟禁されてからすでに一ヶ月が経っていた。光沢感のあったドレスも既に汚れてくすみ、コルセットはもう着けていない。代わりに山賊達の使っている肌着を自分用に裁縫しなおして使っている。サーシャは三階の目的の部屋にたどり着くと、ノックもせずに勢いよく扉を開け放った。
「エリゴル!」
呼ばれたエリゴルは鬱陶しそうにベッドから身を起こした。
「ノックぐらいしてくれてもいいんじゃないか、お嬢様」
「私とあなたの仲じゃない」
サーシャはベッドの前に立つと、冷たい目でエリゴルを見下しながら吐き捨てるように言った。シーツには彼のほか、もう一人分のふくらみがある。美しい黒髪の頭が少し出ていた。
「そういう艶っぽいセリフはもっと言い方ってもんがあると思うんだがな……」
エリゴルは一人ベッドから出て服を着た。
「で、何の話だった? ネズミでも出たか? それとも飯の不味さの苦情か?」
「誤魔化さないで。リウムの事よ」
サーシャの方をちらりと一瞥すると、エリゴルは卓上の皮袋に手を伸ばした。蓋を取るとワインの香りがあたりに広がった。
「お前もやるか?」
「リウムの追跡に狼を放ったって本当なの!?」
「無粋な奴だな……」
エリゴルは皮袋を持ち上げてワインを呷った。口元から溢れて首へと紫色の筋が降りていく。
「ぷはっ。ああ、本当だ。あいつを逃がしてみすみす五〇トラスを無駄にするわけにはいかないからな」
「人質全員が無事でなければ五〇トラスの身代金は約束出来ないわよ。もしリウムの身に何かあったら……」
「なんだ、ひっぱたくのか?」
サーシャはエリゴルの襟を掴み上げて睨む。
「この砦にいる全員生きたまま皮を剥いで縛り首にしてやるわ……!」
わぁ怖い! と言わんばかりにエリゴルは両手をあげておどけてみせる。
「まぁ、俺も無茶はやらねえよ。なんたってあんたには五〇トラスがかかってるんだ、俺の目にはあんたが今まで見たこともないような美人に見えるぜ」
「そこで寝てる彼女に聞こえるわよ?」
サーシャがベッドの方を見ると、エリゴルは「あぁ」と言ってシーツをめくりあげた。そこには瑞々しい肌の少年がいた。
「う、うわっ、団長……!」
少年は慌ててシーツを取り返すと下半身を隠してエリゴルへ抗議の視線を送った。
「……人の趣味にとやかく言う気はないけど。で、リウムは無事なんでしょうね?」
「さあ? ……冗談だよ、まぁ大丈夫だろうさ。猛獣使いを二人付けてあるから無茶はさせん」
「それは安心していい要素なのかしら……? じゃあ、私はこれで失礼するわ」
「どこに行く?」
「今日は私の詩の発表会の日よ。全員強制参加なんだから貴方達もちゃんと中庭に来なさいよ?」
そう言い残し、サーシャは執務室を後にした。
「全く……なんてお嬢様だよ」