第七話・サーシャ(4)
林とアルフの距離は約四〇スオロン。仮に猛獣が現れたとしても狙って当てることは出来ないだろうな、とアルフは思った。スオロンはこの世界での長さの単位で約一.七メートルを意味する。
リカルドは静かに作業者達に指示を出して林から距離を取らせた。狩猟班は駆け寄り、アルフと同様に弓を番えて構える。ランバの指導の下で製作した弓は単弓という単一の材料――この場合木材――で作られた弓だ。飛距離はおよそ六〇スオロン。ただし射程距離が足りていても狙って当てられなければ意味がない。そのためリカルドは射手の数を増やして命中率を上げようとした。
「各自何射いける?」
「四射ずつぐらいです。矢はまだ沢山は制作出来てないので……」
「あまり無駄撃ちは出来ないな……」
草むらが揺れた。伸び放題の茂みの向こうから何かが近付いてくる。
「人か?」
「いや、違う、速すぎる。それに複数いるぞ」
次第にアルフは自分の右手が震えてきたのに気付いた。弓を引き続ける辛さに腕が耐えきれなくなったのだ。
(くそっ、こんなことならもっと訓練しとくんだった。俺はこんな最前線で働くタイプじゃないんだけどな……)
アルフが独りごちているその時だった。茂みを割って一つ影が飛び出す。全員に緊張が走った。四〇スオロンの距離で即座に何が出てきたか判別するのは簡単なことではない。
「人だっ……人だっ! 射るな、射るな!」
アルフは大きな声につい、反射的に矢を射ってしまいそうになる。だが、抑えた。茂みから出てきたのは女の子だった。背が低く、栗毛の髪を振り乱しながらこっちに向かって走ってくる。かつては高級品だったであろう暗色系のドレスは無残に引き裂かれている。その背の低い女の子は息も絶え絶えにこちらへ向かって走りながらも、喘ぎながら何かを叫ぼうとしていた。リカルドは女の子を凝視した。声は聞こえない。かすれるような声しか出せないのだろう。ただ口の動きだけでリカルドは女の子の言葉を理解した……助けて、と。
全員が弓を下げた時、リカルドは叫んだ。
「まだだ! まだ何かいる!」
女の子が林とリカルド達との中間まで来た瞬間再び茂みから何かが二つ飛び出した。それは四つ足で疾駆し、黒い毛皮を纏い、唸り声をあげながら女の子を狙っていた。
「狼だ! 黒狼が二匹いるぞ!」
仲間の一人から声があがる。狼はリカルド、アルフ含め仲間の殆どが見たことのない獣だった。それこそ自ら山奥へ踏み込むような、猟師を生業にしていた村人しか見る機会のない生き物だ。
「各個に射て! 頭は狙うな、腹だ! 腹を狙え!」
頭より腹の方が大きく、命中する率が高い。一発で仕留めたいなら当然頭だが今回は何が何でも狼の脚を止めなければいけない。
リカルドの号令で全員が弓を力一杯引いて放った。弦を弾き、矢が鳴く。殆どは狼を飛び越した。狼が接近するのが速すぎるのだ。
「狼の動きを見るんだ、もう一度!」
気楽に注文してくるな、とアルフは毒づいたが言われたとおり狼の動きを見た。狼は真っ直ぐに女の子めがけて走っている。もし自分たちが間に合わなければ……。アルフはそう考えて見えない手に心臓を触られたような気分になった。
そして第二射が放たれた。