四
「おい、そこの者止まれ」
呼ばれた家族は振り返った。行李を背負った旅商人の男が汗を拭き拭き
「何かあったんですかい?」
と役人達に問う。街道沿いに置かれた関所以外に取り調べなど滅多にあるものではない。
「この辺りで不審な若い女を見なかったか」
「はて、一体どのような格好で」
「証言によれば、年の頃は十七・八、腰まである髪はそのままに浅緋の女袴に深緋の金糸羽織の格好をしておる。どうだ、知らぬか」
「ハァ、あっしは貧しい旅商人ですが、左様に高貴な恰好をしてあればすぐに記憶に残りやしょう。ですが生憎存じませんで」
「ふむ。そうか」
「ではこれで」
商人夫婦が去っていき、役人達は気難しい顔をする。
「やはり生きてはおらぬか」
「だが、野斗男殿は帰って来ぬままだぞ。琴彦の話では差は圧倒的だったと……」
「あの野斗男殿の事だ。相討ちとなったやもしれぬ」
「まあ、このまま山に出ぬならそれに越したことはないが……」
野斗男達が鈴姫退治に出てから三日。
生き残った御庭番・琴彦の証言により、再度討伐隊が組まれたものの、金鉱山には野斗男はおろか鈴姫の姿さえも見出せずにいた。
* * * * *
「――屋敷へ戻れ」
黒い邪念を放つ鈴姫を睨みながら、背合わせした御庭番の琴彦に野斗男は言った。
「江茂子は目を潰されてはいるが、まだ息がある。連れて行け」
「ですが野斗男殿」
「お前は若く、がたいもいい。立て直しがきく」
野斗男は低い声で琴彦に言い聞かせた。
「姫は黄泉世の道連れを望まれている。幼き頃より伴であった俺の任だ。
いいか、俺が動くと同時に江茂子をさらい駆けろ。止まらずに一気に戻れ」
「しかし!」
「琴彦」
野斗男の声音は命令時のそれであった。
「戻るのは、策の直しを図る為だ。
――お前では時を稼げない」
それは真実だった。琴彦は拳を握り、前を見据えたまま「御無事で」と野斗男に向けて呟いた。
「勝ち戦となるかもしれんぞ」
悪戯っ気を含んだ声で野斗男は呟き、帯刀の鞘に手をかけた。
『――そうか』
ぼう、と身体を光らせながら、鈴姫は寂し気な笑みを浮かべた。
『それがお前の答えか』
「行け!」
掛け声と共に野斗男は刀を抜いて鈴姫に向かい、琴彦は江茂子に向かって駆けだした。
無数の黒蔦を一斉に身体から噴き出しながら鈴姫が笑う。聞く者の心を震えあがらせるその声を背に琴彦は走る。目を押さえたまま転げまわる江茂子を抱き「引くぞ」と告げて足を叩く。解した小柄な江茂子は縮こまり、琴彦はその身体を肩で背負うと一目散に逃げ出した。
しゅうぅ!とその背に黒蔦が伸びるのを野斗男が素早く刀で切り落とした。後から後から生まれては追いかけようとする蔦を次々に切り落としながら、
「白美津!」
と野斗男は叫んだ。
「黄泉の伴は俺がする!俺を見ろ!俺だけを見るんだ!」
ぴた、と鈴姫は動きを止めた。やがて妖艶な笑みを浮かべると、
『では、その証を見せよ』
と彼女は囁いた。
野斗男は手にした刀を捨てた。かさり、と音を立てて落ちた抜き身を見やり、次いで残った短刀も抜くと
「これでいいか」
と尋ねつつ、捨てた。
『相変わらず豪気なやつじゃの。そこを好いておった』
しゅるるる……
鈴姫の身体から生えた黒蔦が大きな繭を組んでいく。やがて幾重にも重なったそれは、野斗男と鈴姫をすっぽり覆い、刹那の闇夜を作り上げた。
『と の お』
細い指が野斗男の頬をなぞる。
『ようやっと……お前のものになれるの……』
荒れた唇がその指を甘噛みする。逞しい腕に引かれ、抱き締められながら鈴姫は歓喜に喉を鳴らした。
刹那。
『ア・アアアアアアアーーーッ』
絶叫と共に鈴姫が悶え出す。もがきながら逃れようとするのを、させじと野斗男がより強く抱き締める。
『おのれ!図った!図ったなァァアアアア!!!』
ぶくぶくと泡を吐き散らしながら姫は叫んだ。
「白美津……」
固く寄り沿うが故に共に激しい痛みを味わいながら野斗男はその名を呼んだ。
「黄泉の伴を……する前に………現にて……」
闇の中、野斗男は装束を脱ぎ捨てていた。その身体にびっしりと巻きつけていたのは、かつて彼女が『鈴姫』と敬われて呼ばれていた頃に付けていた、邪封じの鈴。
ぢりぢりぢりぢり
鈴は膨れ上がって熱を持ち、全ての邪を吸い取ろうとせんと震え続けた。
ぢぢぢぢぢぢぢ
『いたぁい!あつぅい!』
白美津は悲鳴を上げながら逃れようとした。野斗男と抱き合った肌が鈴ごと溶けて混じり合っているのだろうか、狂い切ったと思った頭が、尚狂うと叫ぶ程、業火に焼かれる鮮烈な痛み。
『ああ、ああ、ああああ』
悲鳴を上げ続ける白美津の唇を野斗男のそれが激しく塞ぐ。
それは刹那とも永遠ともつかぬひとときだった。
やがて。
ばらり、と崩れ落ちた黒蔦の繭の周りは、肉の焼け焦げた臭いに満ちていた。
そうして、そこにはもう、何も残ってはいなかった。
* * * * *
「おや、ここでもですか」
商人一家は足を止め、山道を塞ぐ三人の役人に声をかけた。
「何があったのかは存じませんが、高貴な姫様の格好なら――」
「男を探しておるのだ」
役人はゆっくりとした調子で言った。夕刻という事もあり、辺りには全く人影が無い。
「その男、身体の至るところに紫の痣があるという。念のため、お主の身体も検分させてもらう」
「へえ、どうぞ」
男が上着を脱ぐ間、妻は抱き袋に抱いた赤子をあやすように揺らしていた。
「――ふむ。行ってよいぞ」
「ありがとうございます」
「しかし胸から腹にかけて凄まじい火膨れだな。一体何があった」
「何、たいしたことじゃありません」
男が話しだそうと口を開いたところで、
「あっ、赤子じゃない、鈴だ!」
抱き袋を覗き込んだ一人が叫んだ。
手を入れ引くと出てくる出てくる、無数に連なった濁り鈴。
途端に男が動いた。裾をたくし上げ、隠していた短刀をぶすりと横の役人の喉に刺す。引き抜きしゃああっと吹き出す血を避けて、行季の隙間に忍ばせていた投げ刀を抜き連投する。ととと、とそれぞれの腕やら顔やらに突き刺さり、
「美津!」
呼び声に、妻が背負い籠から長刀を抜いて男に渡す。
男は迷いなく二人の役人を切り捨てた。
「――ひやりとしたな」
妻の渡した手拭いで刀を拭いながら男が呟く。
「のう。本当によかったのか?」
妻の問いかけに、男は明るく笑って返す。
「ああ。何処までも伴をすると言ったろう?
せっかく痣まで吸い取ってくれたんだ、鈴は遠い地の神社で然るべき供養をしてやらんとな。
いつか逃げ通せられたなら、その時は本物の赤子を産んでもらうぞ、美津」
「その名は慣れぬ」
つまらなそうな口調ながらも、美津と呼ばれた女は泥で汚した顔の下、妖艶な笑みを浮かべたのだった。
即興小説から生まれた姫と御庭番の恋物語、これにて完結です。
時間との闘いの中で生み出した話ですので各回に手直ししたい箇所が多々ありますが、その未熟さも含め楽しんでいただけたら幸いです。
お付き合いいただきありがとうございました。
最後の即興小説、お題は「刹那の深夜」でした。
■即興小説http://sokkyo-shosetsu.com/