参
制限時間4時間 お題「気持いい顔」
錫杖を振り朱色の袴で舞いながら、私は山の邪を探る。
しゃん、と柄を付き頭を振れば、チリリと無数の鈴が鳴り、惹かれて近付く邪気を吸う。
封じの舞を終えた私に朱塗りの鏡が差し出される。覗き込むと、髪に巻き付く鈴のうち数個が暗く濁っていた。
これでまた、野斗男に会える日が近付いた。
野斗男は、年の離れた兄のような存在だった。
幼い私の世話役として付いた彼は、数歩離れた所から跪いて私を見ていた。
屋敷から出られない私は、毎日のように持ってくる彼の土産が楽しみだった。
「今日は鈴虫を持って参りました」
ある日そう言って渡された竹籠には、小さな虫が入っていた。
リーン
見た目にそぐわぬ美しい音に、
「この虫は鈴を持つのか?」
と私は野斗男に訊ねてみた。
「いいえ、この虫は羽を震わせ恋の相手を探しているのです」
「恋?」
「はい、夫婦になりたいと願う、好いた相手のことですよ」
しゃらら……
頭を動かす度、私の鈴が擦れ合い、囁くような音色を奏でる。
野斗男。
――会いたい。
数年越しに再会し、その逞しい胸に抱きつき彼の匂いを嗅いだ瞬間、私は彼が兄ではなく一人の男なのだと気付いた。
『鈴替え』として彼が社を訪れるようになってから、私は一段と熱心に舞いに励むようになった。
鈴が濁りきってしまえば、野斗男に会える。
今なら鈴虫の気持ちがよく分かる。
初潮を迎えた私に告げられたのは、巫女の解任と隣国への嫁入りだった。
あらかじめ教わっていた事であり覚悟はできていた。
ただ、野斗男に会えなくなる事が辛かった。
「さて、これで御終いです」
白木の箱を閉じ、呪い紐で結ぶ野斗男に、
「のう、せめてそなたの髪束の一筋でももらえぬかのう」
と、私は勇気を出して請うてみた。
「勿体無い御言葉痛み入ります。ですが、お立場ゆめゆめお忘れにならぬよう」
「――分かっておるわ」
ああ、終わった。
「今までご苦労じゃったな」
私は目頭が熱くなるのを堪え、後ろを向いた。
野斗男が去る気配がする。
耐え切れずに振り向くと、遠い石段の向こうに頭が沈んでいくのが見えた。
「とのお……」
幼い呼び名のままなのは、特別だと思わせたかったから。
「行くな……」
嫁になど行きたくない。
野斗男以外の男と夫婦になどなりたくない。
幼な子のように声を上げて私は泣いた。
* * * * *
嫁ぎ先の国長は野斗男とは真逆な男だった。
ひょろりとした体躯の女好きで、正室と、私を含む数人の側室以外にも見目が好ければどんな娘にも声をかけた。
私が長の寵愛を受けたのは、最初の一年と半年だけ。
「やれやれ石女か。これだけ通っても懐妊せんとは」
飽きた声でそう言われ、以降、私は見知らぬ地で独りぼっちになってしまった。
屋敷の外に出ることもできず、朝から晩までやることもない。
一人思い返すのは野斗男の事ばかりだった。
ある夜、孤独な私の寝所へ邪な念が入り込んだ。
それが排斥を企む女の仕業か、妖の類なのかは分からない。
けれどそれが形を持って入って来た時、私は
「とのお……」
と愛しい名を呼び受け入れたのだ。
――そうして私の身体と心は、毎夜少しずつ壊れていった。
* * * * *
今の私はとても自由。
荒地を駆けながら私は笑う。
侵食されてしまった身体は勝手に屋敷を抜け出し、私は呼ばれるがま金鉱山へと走っていった。
鉱山の強い禍に蝕まれ、じくじくする痛みは同時に淡い快楽を私にもたらしてくれる。
「とのお……」
私に入り込んだ愛しい男。
山を歩き毒気をまき散らしながら私はうっとりと微笑む。
膨れ上がる邪念を抱え込む事は、鈴を持たない今となっては――いや、たとえ持っていたとしても最早不可能となっていた。
シュッ、と鋭く空気を裂いて私の胸を矢尻が貫く――かに思えた。実際は、私の身体より伸びた黒い手がその矢をはっし、と掴み取っていた。
「――来たか」
前を見据えて私は笑う。
「遅かったのう。待ちくたびれたぞ」
四方から現れた忍び装束の御庭番は五人。そのうちの一人は、夢にまで見た、
「と の お」
私の呼び声に、野斗男は反応しなかった。
五つの影は間合いを取りながら印を組み、人には見えぬ複雑な方陣を張り巡らせていく。
「無駄じゃ」
私は手を挙げ、ナタ形の影を生み出した。
ぶぅン、と振り降ろしながら一気に方陣を砕き割り、そのまま低く横薙ぎに伸ばし一人の影を捕らえる。身体から新たに二本の黒蔦を伸ばし、男の両の踵に突き刺す。ぎゃっ、という声と共に男の身体は萎んでいった。
私が生気を吸い終えると、男は毒で膨れた身体で転げまわって絶命した。
「――次は誰かの」
男達がザッと下がり、顔を見合わせたのは一瞬だった。
一斉に遅いかかってきた男達を、私は邪念まみれの身体で受け止めた。黒く伸び出る念で一人の目を潰し、一人の手首に巻き付いた。眼球を抉られ悶える様を楽しみ、蛭形の吸い口で手首の脈を破らせ血を啜った。
「と の お。会いたかったぞ」
私は蜜のように甘い声で、ねっとりと野斗男を誘った。
「お前は最後に取っておこう。ゆっくりゆっくり味あわせておくれ」
とのおと残る一人は背中あわせでこちらを伺っていた。
「愛しい と の お」
私は初めて本心を言った。
「恋しくて恋しくて、わらわはもう何度もお前と夢で逢瀬を重ねた。
のう、お前もわらわを好いてくれたのじゃろう?
その男を殺し、共にこの地で暮らそうぞ」
野斗男は返事をせず、帯刀の鞘に手を掛けた。
「そうか」
私は寂しく笑った。
「それがお前の答えか」
野斗男は刀を抜き、私は無数の黒蔦を一斉に身体から噴き出した。