その笑顔、きっと届く。
母親が好きだった川へ流した骨。そこで育ったであろう魚。けいこ達は、焼き魚を目の当たりにして、突然そのことが頭をよぎった。二人は、今までそのことを深く考えてはいなかった。父親と遊びに行く、そしてそこで魚を捕まえるのだと、ただそれだけであった。しかし、いざ食した時、居た堪れない気持ちになってしまい食事を続けられない、けいこやあきとがそこにいた。けいこ達はまだ、母親の死を完全には受け止めきれていない。父親は、まあ無理もないかと思いつつも暫し考えた。 ここで三人して、泣き暮らすのでは、おれがこの家に再び戻ってきた意味がない。
あいつがおれに送ってきた手紙には、こういう時に子供達二人の力になってほしいという気持ちがあったのだろうと、父親は今ひしひしと感じていた。そうでなければ、わざわざ別れた旦那に、自分の死期を含めた手紙を送るはずがない、そう思った。そして、自分自身を振り返れば、もともと、自分の子供達になんか全く興味がなかった。ただ毎日、うまい酒が呑めれば最初はそれでよかった。よかったはずなのだが、実際にこの家で暮らしてみると、子供達は驚く程、日々成長していく。自分はというと、酒ばかり呑んでいて働かず、そればかりか家の手伝いも全くしなかった。やろうとも思わなかった。それが共に生活していると、自分には成長している子供達が、とてもまぶしく輝いて見えてきた。そんな光景を毎日見ていたら、自然と家事をやろうという気になっていった。そして実際にやりだすと、結婚した頃をよく思い出していた。子供は最低でも二人は授かりたい。そして、不自由なく毎日を過ごせるように、おれは自分の仕事に精を出す。お前は、うまい飯を毎日作る。そうすれば、まず金に困ることはないし、飯がうまければ、子供達は腹を空かせて家に帰ってきたいと思うだろう。楽しみだなあ・・・。
一気に父親の思いが脳内を駆け巡り、この状況にもっとも適していることは何なのかを模索していった。そして辿り着いた答えは、二人が残した魚を全て食べつくすことだった。「なんだ。もう食べないのか。それじゃ、全部おれにくれ。」と、父親は言った。二人は驚き、やっぱり人の気持ちがわからないのだろうか、と疑わざるを得なかった。しかし二人は、そんな気持ちを抑えつつ、「食べたければどうぞ。」と、さっと父親の座席にそれぞれ持ち寄った。すると父親は、「うお。これはうまいなあ。やっぱり、川魚は焼くのに限る。」と言いながら、再びむしゃむしゃと食べ始めた。父親の口元は、しばらく動き、ごくりとそれを飲み込むと下を向き押し黙っていた。その目には、涙が薄くにじんでいるように見えた。あきとは、そんな父親の姿を見ているのが次第に辛くなって、「お父。今日は楽しかったよ。僕、魚釣り、また行きたいよ。」と、静かに言った。すると父親は、「おおう。また行こうなあ。」と、魚の骨を丸ごとぼりぼりと食べながら、威勢よく言った。けいこは、そんな二人を横目で見ながら、居間へ向かおうとしていた。ちょうどその時、父親はそれまで持っていた箸を、すっと横に置き「お前達・・・。」と、二人に問いかけた。そして、口の中の食べものを飲み込んだかと思うと、「あのなあ。いつまでもめそめそしてんじゃねえぞ。」と、一喝した。父親は、かつて二人が見たものとは比較にならないような、ものすごい睨みへと変化していた。あまりの形相に、二人はとっさに目を背けた。父親は続けて、「あのなあ。お母さんはもう、死んじまったんだよ。なあ。どうなんだい。」と父親は、一言一言、語気を強めていき、まるで酒を呑んでいるかのように二人に問いかけた。下を向き、静かにただ黙っていた二人がこう言われた時、なんとなく父親が怒る気持ちがわかるような気がした。父親は気持ちが収まらず続けて、「だからよお。もう母親はいねえんだよ。それをちゃんとお前らがわかってなけりゃ、きっと成仏どころじゃないだろうがよ。それでもいいのか、お前らは。あのなあ、酷かもしれないがこれは言っておくけどよお。これから先、お前らのお母さんがいきなり生き返ったりすることなんか、もう二度とあるわけないんだからなあ。」と、二人に言い放った。二人はただ、黙ってその場に立ち竦むしかなかった。
父親にそう言われたあきとは、ふと思った。確かに、いつか母親はふっと現れてくれるのではないか、自分が母親に言い聞かされたことを守ってさえいれば、きっと現れてくれるのではないかと心のどこかで期待していた。けいこは、いや、そうじゃない。実際にお母さんを見たし、匂いもした。と、なんとかして父親に反論しようと思った。でも、そうであるのだけれど、父親が言っていることもまた、間違いではなく事実であり、さらに現実であることも、けいこはわかっていた。「私はわかってる。わかってはいるけれど・・・。」と、けいこは声を詰まらせた。悔しさと怒り、母親の死なんて素直に認めたくなかった当時の気持ちが、今再び溢れだしてきた。けいこはその場で泣き崩れた。しかしあきとは、なんとか必死に泣くのを堪えようとしていた。その目を見開き、「僕はもう泣かない。」と一度きっぱり言った。しかし、すぐに「も、もう泣かないもん。」と言いながらも、自然に涙がぽろぽろとこぼれ出してきた。子供達は母の死から今初めて、素直な感情が溢れ出してきているのであった。
二人の涙は決して、父親への憎しみではなかった。母親の死後、父親と生活出来るようになるまで、二人はいつも気を張って生きてきた。父親が現れた時、正直、どうにでもなれと思ったこともあった。ただその父親は、あのおじ夫婦に対して自分達と同じ感情を持っていたことがわかり、嬉しかったことを思い出していた。そんなことを思い出しながら、どうしてあの時、母が死んだ時、あれ程泣いたはずなのに、今でもこうして涙が出てくるのだろう。自分で抑えようにも抑えきれない。けいこがそう思っていた時、父親は、二人を自分の脇へ呼び寄せ言った。「あのなあ。お前ら、泣きすぎだろう。」と、苦笑いしながら言った。二人は泣きじゃくって、返事もままならないほどであった。ひくひく動くそんな二人の肩をそっと抱き寄せ、父親は「お母さんは、俺のことを贈り物だと言ったんだよな。」と、改まって二人に問いかけた。二人は、泣きながらも「うん・・・。」と首を縦に振った。すると、「あのなあ。ある日、俺のところにあいつから手紙が来たんだ。」と、父親は二人の頭を撫でて言った。けいこは、「あいつって、お母さんのこと。」と問い返すと、「ああ、お前達のお母さんだ。」父親は続けて、「そこにはいろいろと、心配事が書いてあってよ。それがまあ、あまりにも長い文章だったもんで、途中で読むのを止めようかと思っていたんだがよ・・・。」と言葉を濁し、天井を見上げた。その後「だがな。その手紙の最後の文に目が止まった時、お前達の所に行こうと思ったわけだ。」と父親は言った。二人は泣きながらも、その最後の文章が気になっていた。そして静かに「それが、これだ・・・。」と父親は二人の頭を掴み、くるりと自分の方へ向けて、にっこりと優しく笑ってみせた。けいことあきとは、間近で父親の笑顔を見たのは初めてなので戸惑いを隠せなかったが、その表情は、何故か不思議と二人を落ち着かせた。父親は、「な。そういうことだ。お母さんはな、お前達の笑顔が大好きなんだとよ。」と、どこか照れながら二人に伝えた。その父親の話を聞き、子供達は再び泣きじゃくった。「いつまでも泣いていては、つまらんさ。」父親は、二人の肩を力強く抱き締め言った。
それからしばらくたったある日のこと。「お父。ねえ、お父。起きてよ。」と、あきとは父親の布団を引っ張って言った。「ああ・・・。」と、父親は全く起きそうもない声で返事をした。あきとは急ぐように、「仕事、今日から行くんでしょ。間に合わないよう。」と言った。すると父親は、「仕事だと・・・。しまったあ。」と言ったかと思うと慌てて飛び起き、着替えを済ませて急いで出かけて行った。けいこは、皆の弁当を用意している途中だった。父親がばたばたと出かけて行ったので、あれ、もうそんな時間になるのかなと不思議に思った。時計を見ると、まだ出勤時間までには十分余裕があるのにと思いながらも、けいこはその続きをしていた。するとその後すぐに、あきとが慌てた様子で近くに来て何かを姉に話そうとしたが、一足先にけいこが、「お父さん、随分早くに出かけたね。仕事、久々で張り切っているのかな。」と尋ねた。するとあきとは、「お父、行っちゃったよう。どうしよう。」と、息をきらしながら言った。姉はそれを聞くと顔色を変えて、「え。どうしようって何。あきと。お父さんに何かしたの。」と、詰め寄り言った。あきとは、「お父を早く起こそうと、ちょっと演技しただけだよう。そしたら、お父、しまったあって言って行っちゃった・・・。」と、しょぼくれて言った。姉は、きっと父親は、あきとの演技にやられたんだなと思うと、なんだか笑えてきて「ははは。大丈夫よ。きっと一度、帰ってくるよ。」と言った。ちょうどその時、玄関の方でがらがらと音がした。そして父親がどしどしと台所に向かって歩いてくる音が、次第に大きくなってきた。「あーきーとー。」と、低い声で名前を呼びながら、けいこの予想通りに父親がそこに現れた。「き、来た。」あきとは、さっと姉の後ろに姿を隠した。「あーきーとー。やってくれたなあ。」と言いながら、けいこの後ろで様子をうかがっているあきとを抱えた。あきとは、「放してよう。」と言いながらも、顔はにこにこしていた。けいこは、「遅刻はしないから、もういいでしょ。お父さん。さあ、弁当の準備は出来たから、朝ごはんにしよう・・・って、全然聞いてないし。」あきとは、父親の攻撃を受けていた。「きゃははははあ。くすぐったいよう。やめてえ。」けいこは、自分の話を全く聞いていないことに腹がたち、あきとを両腕で抱えている父親の背後に回り込み、攻撃を開始した。すると、父親は「わはははは。こら、やめろ。ははははあ。」と笑うと、思わずあきとを手放してしまった。あきとは、すぐさま姉と合流し「お返しだい。」と言いながら、姉と二人で父親に向かっていった。「それ。それ。」「ぎゃはははは。やめろ、やめろ。こらあ、やめい。」
こうして家には絶えず、誰かの笑い声で包まれていた。いつも笑ってくれた母親に、この笑顔が届きますようにと、それぞれの想いを込めながら。
<作者より>
「真実とは。」短編小説は、今回の投稿を最後に無事、完結となりました。短い間でしたが、読んでくださった方々、ありがとうございました。
この物語は、フィクションです。




