思い出の川にて②
魚は川を自由自在に行き来する。それらは大抵餌を見つけた時に、口先で二度三度突付く。それでもそれに変化がなければその後、一気に喰らい付く。そういった習性があるため、これを知っている釣り人はよく釣れる。浮きがひょこひょこ動く度に、竿を上げ下げするようだとなかなか釣れない。あきとは、昨日父親から聞いたことを思い出しながら、明日のことを考えていると楽しみで仕方がなかった。ただ、釣竿がなくても釣れるといった父の言葉。いったいどうするのだろうと気になっていたが、それも楽しみだと布団に包まり、ごろごろとしばらく動き回っていた。しかし、そのうちに眠りについた。
翌朝、朝食を終え家事を一通りこなしてから、三人はあの川を目指して歩き始めた。あきとは、鉄製のスコップとタコ糸、けいこは、裁縫箱を入れたバケツをそれぞれ持ってきた。父親は、手ぬぐいを首に引っ掛け、手にはあの風呂敷を持ってすたすたと歩いた。あきとは父親が持っている、その中身が気になったので「何が入っているの。」と尋ねた。すると父親は、「だ、大事なものだ。」と少し照れくさそうに言った。あきとは、くるりと後ろを振り返り、けいこのそばに来て「お姉ちゃん。あの中身なんだと思う。」と、なんだか自信たっぷりに尋ねた。けいこは、「あれってさ。初めて家に来た時に持ってきた風呂敷だよね。なんだろう。そうだ、川に行くから服が濡れてもいいように、きっと着替えが入っているんじゃない。」と、これしかないだろうと言わんばかりに、自信に満ちて答えた。するとあきとは、にひひと笑いながら「あの中にはねえ、大事な物が入っているんだってさ。だから、きっと魚にあげるとびっきりの餌が入っているんだよ。絶対そうだよ、だから捕れるって言ってたんだよ。」うんうん、と一人で頷きながら、けいこに懸命に解説していた。けいこは横目でそんな弟を見やりながら、途中で切り上げた。そして、父親の方へと歩いていった。あきとがそれに気づくと、「あ。ねえ、待ってよお姉ちゃん。絶対そうだからね。」と、大きな声を張り上げた。半分呆れた様子で、はいはいとそのまま歩きながら、けいこは弟の方へ片手を横に振って返事をした。あきとは顔を膨らませぶつぶつ文句を言いながら、父親達の後を追いかけた。
しばらく歩くと、いつもの川が見えてきた。辺りはすっかり初夏の装いとなり、緑色に染まった川のほとりには、太陽の日差しと共に小さな蝶や鳥達があちこちに飛び交っていた。耳を澄ますと、暖かい風が吹き抜ける音や、ぱしゃぱしゃと水の音がする。そして時折、ぴいぴいと鳴く鳥達の声も聞こえた。そんな陽気の心地よさを感じていた時、けいこのそばをあきとはいきなり走り出した。ちょうどその時、風が吹き抜け、けいこの帽子を飛ばしそうになった。けいこは、片手でこれを抑えつつ「ふう。良かった。」と、溜息をついて言った。そんな姉の様子など一切お構いなしに、ぴいぴいと鳥達の真似をしながら、あきとは橋を一気に駆け抜け、渡ったところで立ち止まった。「まったく、もう。はしゃぎすぎよ。」と、けいこは父親の後ろから小声でぼそぼそと言った。「それにしても・・・。」と、けいこは続けて言おうと思ったところで躊躇した。釣りをするのに釣竿がない。そして、なんだか父親はその背後の様子からは、あまりやる気があるようには感じられなかった。父親はくるりと振り返り、「うん、どうした。」とけいこに尋ねた。けいこは、「ううん。なんでもない。」と静かに呟いた。父親は、「よし、それじゃ下に降りるぞ。」と、橋の手前の横道から下へと降りていった。けいこも父親の後に続いた。あきとは、一人で橋の先に行ってしまっていたため、「なんだよう、こっちじゃないのかあ。」と、ぶつぶつ言いながら二人の後を追いかけた。
橋の下に降りると、大きな石が一つあった。その上にそれぞれ持ってきた荷物を置いた。「それじゃ、あきと。お前の身長より長い、なるべく太い木の棒を探してきてくれ。」続けて、「けいこは、スコップで近くの土を掘り返してくれ。」と二人に伝えた。あきとは、「うん、わかった。」と言い、ぴょんぴょんと跳ねながら探しに行った。けいこは父親の話を聞き、いったい何のためにそうするのか全く検討もつかなかった。それなので、「別にいいけど・・・。それでどのくらい掘り返せばいいの。」と、父親に尋ねた。すると父親は真顔で、「そうだな。餌が見つかるまでだな。」と、けいこに言った。するとけいこは、「え・・・。もしかして、私の仕事は餌探しなの。もしかして、ミ、ミミズとか。」と、心配そうに言った。父親は、にこにこしながら「そうだ、その通りだ。ちょっと行って来てくれ。俺はその間に、竿に付ける道具を作っているから。」と持ってきた裁縫箱の蓋を開け、風呂敷に手を突っ込みペンチを取り出して言った。けいこは、引きつった表情を浮かべながら、咄嗟に「絶対嫌よ。私、ミミズだめ。私がそれやるから、代わりに行ってきてちょうだい。」と、父親に大きな声で言った。父親はそんな必死なけいこの様子を見て、笑い転げていた。「わはははは。お前、ミミズだめなのかあ。それは全く意外だな、わははははは。」それを聞いたけいこは、顔をぷくっと膨らませ顔を真っ赤にしながら、「そうだよ、し、知らなかったの。私、ああいうのダメなの。何、そんなに笑わなくたっていいじゃない。」と、むくれて言った。父親は、「ああ、そうだな。はははは。いやあ、意外だな。」と、持ってきたペンチを片手でくるくる回しながら言った。しばらく下を向いていたけいこは、静かに父親の目を睨み付け「いいから、それでいいでしょ。もう、笑い方があきとにそっくりだから腹立つわ。」と言い、父親が持っていたペンチを奪い取った。「わかった。わかった。それでいい。でもお前、道具作れるか。」と、父親が言った。「わかるわけないじゃない。教えてよ。」と、けいこは当然といった感じで、父親に言った。「仕方ないな。それじゃ、まずこのタコ糸が釣竿につける糸だ。」と、持ってきたタコ糸をくるくる回してほどきながら言った。「そして、ここに重りと浮き、さらに餌をつける針をつける。それをこいつに通して釣りの始まりだ。ここまでわかるな。」と、父親はけいこに尋ねた。けいこは、「う、うん。」と、眉間にしわを寄せながら返事をした。その様子を見て父親は、これはちょっとけいこには難しいだろうなと思ったので、「わかったな。それじゃまず、大きめなボタンをこの裁縫箱から探して、それからちいさな小石をこの接着剤でくっ付けておいてくれ。いいか、糸が通る部分は空けて置けよ。いいな、頼んだぞ。俺は餌を探してくる。」と言い、スコップとバケツを持って出かけてしまった。残されたけいこは、「こんなの簡単よ。しかし笑いすぎじゃない。何よ、もう。さっさと作っちゃえ。」と言いながら、注文通りの品物を作り始めた。
けいこは、あまりにも自分の作業が簡単だったので、あっという間に作り上げた。ボタンにつける小石は、自分の小指の先ほどの小さな物を取り付けた。やがて長い木の棒を肩に携え、あきとが帰ってきた。「あれ、どっかいっちゃったのかな。いいもの見つけたよ。これをきっと竿にするんだよ、お姉ちゃん。」あきとの倍はある木の棒を、肩からゆっくり下ろしてそれを眺めながら言った。けいこは、「ねえ、聞いてよあきと。お姉ちゃんにミミズ捕ってこいって言ったんだよ。だからはっきり嫌だって言ったんだ。」あきとは目を丸くして「え、それで。」と、姉に尋ねた。けいこは続けて「そしたらさ、あきとみたいにげらげら笑い転げてさ。それがあまりにもあきとにそっくりで腹が立ったから、これを作ることにしたんだ。」と、顔を赤らめて言った。するとあきとは、「え、じゃあミミズが餌なんだ。なんだ、あの風呂敷の中身には餌なかったんだあ。」と、残念そうに言った。その弟の様子を見てけいこは、「もう、そういうことを言いたいんじゃないの。だから、笑い方が・・・。」と、けいこが言いかけた時、「おおい。」と二人を呼ぶ大きな声がした。二人が振り返ると、バケツとスコップを上に掲げた父親の姿があった。「どうした、お。これはなかなかいい木の棒だ。」と言い、あきとの頭を撫でながら言った。続けて「重りはどうした。うん、まあいいだろう。」と言った。「簡単よ、こんなの。」と、けいこは得意げに言った。あきとは、下を向いてえへへと鼻の下を掻いていた。
父親は、二人に説明しながら釣竿を作り始めた。あきとが探してきた木の棒は、枝をそぎ落とし、先端には持ってきた工具で小さな穴を開けた。そしてそこに、タコ糸を通し先端を団子結びにして固定した。さらに片方の先端には、大きめなボタンを一つ通し「このくらいかな。」とそこで接着剤をつけ固定した。その後、残りの部分から、けいこが作った重りを通した。父親は「残るは針だな。」とぼそっと言い、裁縫箱から取り出した待ち針を一本取り出し、先端をペンチでU字に曲げ糸を巻きつけた。「よし、出来たぞ。餌をつけるか。」と言い、父親はバケツの土をかき分け一匹のミミズを掴んだ。「いいか、この餌のつけ方も重要なんだぞ。」と、二人に言い器用に針の先端の形通りに取り付けた。あきとは、「へえ、そうやってやるんだ。」と感心していたが、けいこは顔を背けていた。父親は、「よし。これでようやく釣りが出来るぞ。あきと、頑張れよ。」と言い、餌の付いた釣竿を手渡した。「やったあ。大きい魚釣ってやる。」と、意気込んであきとは針を川面に投げ込んだ。「私はちょっと休むから。」と、けいこは木の日陰で休むことにした。父親とあきとは、「そうだ、よし浮きが沈んだぞ。今だ。引き上げろ。」「え、何。何。うわ、ちくしょう。」などと言いながら、悪戦苦闘を繰り返していた。
やがて昼になり、一度休憩することになった。父親は持ってきた風呂敷の中から3個のおにぎりを取り出し、「ほら、食べろ。」と二人に手渡した。おにぎりは大きな丸型で、のりで包んであった。「おにぎり持ってきたんだ。」と、二人は驚きそのうち食べ始めた。父親も食べながら、「いいか、あきと。昨日言ったように浮きが動いたら少し待て。しばらくして、一気に下に沈んだら思いっきり上に引き上げろ。いいな。」と、あきとに伝えた。あきとは、「うん。そうしようと思っているんだけど、浮きが動くと引き上げたくなっちゃうんだよね。」と、照れながら言った。「そこを我慢しろ。いいな。そうすれば絶対釣れる。」と、口をもごもごと動かしながら父親は言った。「あきとは、意外とせっかちだからねえ。ふふふ。」と、けいこは意味深に微笑んだ。それを聞いたあきとは、「今度は大丈夫だよ。絶対釣ってやるさ。なんだよ、お姉ちゃん。笑うならミミズ、ほっぺたにくっ付けるぞ。」と、片方の手をバケツに突っ込んで言った。するとけいこは、「うそ。笑ってない。あきと、頑張ってね。」と、引きつった笑顔であきとに言った。その二人のやりとりを見ていた父親は、大きな声で笑っていた。さらに草や木々も、かさかさと密かにざわめきだした。三人の動きに合わせるかのように、細かく左右に動きだしていた。
いよいよ魚釣りが始まった。三人の収穫は果たしてどうなるのであろうか。そして、父親の風呂敷の謎。次回、けいこの苦悩。お楽しみに。最終話まで、残り2話となりました。




