怪話篇 第九話 鏡の村
1
「ねえ警部ぅー、本当にこんな所に村なんか有るんですかぁー」
「有る。ちゃんと役場でも調べた通りだ。道も……、間違ってない……と思う」
「でもぉー。警部ぅー、少し休みましょうよぉー。もう三日目ですよぉー。今日も半日近くも、こんな山の中を歩いてるんですよぉー。もういい加減、あきらめましょうよぉー。行き倒れの身元調査なんて、やったって無駄ですよぉー。警部ぅー、こんな事してたら、こっちが、行き倒れになっちゃいますよぉー」
「もう直ぐだから頑張るんだ、新井。確かに無駄になるかも知れん。しかし、死体の異常さと本庁の対応を考えると。俺は、自分で納得のいくようにしたいんだ」
「異常さって、大した事ないじゃないですか。都会へ出て来た田舎者が、喰う物が無くなって餓死しただけ。それだけですよ。本庁が、司法解剖もせずに火葬にしたのだって、そんな必要がなかったからですよ」
「それが、おかしいんじゃないか。害者は、現金を十五万も持っていたんだ。おまけに泊まってた旅館には、前金で2週間分も払ってあるんだ。旅館で俺が聞きこんだところじゃあ、やっこさん、不味そうにだったが、ちゃんと飯だけは食ってたんだ。それも餓死した1日前までだ。いくらなんでも、おかしいと思わんか。たった1日飯を喰わなかっただけで、人間が餓死するんだろうか?」
「それはぁー、減量でもしてて、普段からあまり量を喰ってなかったんでしょう」
「いや、確かにあまり食は進んでるようには見えなかったそうだ。だが、いつも全部平らげてたそうだよ。ん? おい! 新井、村が見えるぞ!」
「あっ、警部。あれですね。N県N郡加賀美野村。本当にあったんだ」
「よし、いくぞ、新井!」
「警部ぅー、待って下さいよぉー。あっ、警部! あぶない、そこは崖に!」
「新井ー! 来るなっ、ああっ、わー」
「わぁー、警部ー」
2
「……つっ、ああ。こ、ここは」
「未だ、動いちゃいかんよ。あっちこっち傷だらけなんじゃから」
「ああ、確か、崖から落ちて。ココは加賀美野村なんですね。私の他にも、若いのが一人いたはずだが、どうしたんです?」
「あっ、ああ。連れの若い方の人は、別の部屋じゃ。あんたは、安心して養生するとええ」
「すいません、御迷惑をかけます」
「しかし、あんたさん方は、なんでまたこんな山ん中までやって来たんだ。道に迷ったのかや。それとも」
「……」
「……」
「実は、守山鏡助という人物について調べているんです。彼は、この村の出身ですね。御存じありませんか?」
「守山、ああ、あの鏡助か。知っとるよ。あん馬鹿者がぁ、行っちゃぁいかんと言うのに、親父と翁さんのへそくりをみんな持って、村ぁ出て行きゃーがった。あんの馬鹿ぁーは、今頃どっかでのたれ死んどるだろうよ」
「そうですか。彼の家は、近くなのですか?」
「いや。村外れでのう、そうさなぁ、歩いて半日程かのう」
「そうですか。いえ、守山は東京で行き倒れになって死んでたんですよ。それで彼の血縁の方に、状況をお知らせしようと思ってここまで来たのですが」
「そうじゃったか。そうか、鏡助は死んじまったか、やっぱりなあ。それは、遠くからわざわざすまんこってす。おまけに、こんな怪我までこさえてしもうて。鏡助の親父にゃぁ、わしから言っとくから、あんたはココでゆっくりしてくとええだ。あの、若い方の人もちゃんと面倒みとくから」
「すいません。ではお言葉に甘えて、御厄介になります。怪我が直ったら、守山さんには私もあいさつに行きますから」
「ああ、わかっとる、わかっとるよ。守山の親父の所へは、わしから言っとくから」
3
「お食事ですよ。食べられますか?」
「ああ、あっ、ありがとうございます。いっ、いただきます」
「やっぱり、こんな田舎の食べ物は、都会の人のお口には合わなかった様ですねえ」
「いっ、いえ。そんな事は、ごふうっ……あっ、ありませんよ」
「はあ、でも、あまり無理をなさらない方が……」
「いや、この苦味が、ぐふっ、なかなかよろしいんじゃ、ないでしょうか。体力をつけんと、身体が直りませんから」
「でも、もう4日目なのに、返ってやつれてきていますし。まるで、何もお食べにならなかったみたいに」
「えっ。今、何とおっしゃいました」
「えっ? ええ、だから、この4日間何も食べてないように見えるなぁと。ちゃんと毎日、3度3度の食事をしてらっしゃるのにねえ、ほほほほ」
「そうですねえ。ああ、それはそうと、私、前から訊きたかった事なんですが」
「どうして村人がココから出ていかないか、その理由ですか? それとも、何故、他所の人達が一人も訪ねて来ないのか、という事ですか」
「参りましたねえ。探偵になれますよ。まさにその通り。どうしてなんです。大人達が村に留まるのは、未だ判ります。しかし、若者までが。まあ鏡助は例外ですが、ここに居続けるのは、言っちゃあ悪いが不自然です」
「そう難しく考える必要もないでしょうに。この村の周りは、険しい崖と谷間がありましてねえ。おまけに、山道を越えるのにも一日がかりでしょう。だから、出たくないんじゃなくて、外へ出る道がないんですよ」
「道がなければ、作れば良い。橋がなければ橋も作れば良いじゃないですか。そうして人間は道を切り開いて来た。どうしてこの村だけが?」
「この辺の土地は、何でも溶岩が固まった物だそうでしてねえ。硬い上に、迷いこんだら磁石も当てにならなくて、何でしたっけ、そうそう富士山の麓みたいに人を寄せつけないんだそうですよ」
「……」
4
「どうかね。食は進んどるかな?」
「ええ、この肉だけは何とか」
「すまんのう。ここには、あんたの口に合うような物がないもんでのう」
「……」
「どうなすった」
「前から訊きたかった事があります」
「何じゃね」
「実は、私は警察のものなんです」
「知っとったよ」
「そうですか。やっぱり」
「あんた、鏡助の死に方が気に入らんのじゃろう?」
「そうです。何故、彼は食事をしながらも、餓死してしまったのか? 何故、親類も知り合いも、亡骸を引き取りに来なかったのか? 確かに、こんな山の中から東京まで出て来るのには、大変な事でしょう。しかし、自分の息子が死んだというのに、亡骸を引き取りにも来ない親がいるのでしょうか?」
「わしらはのう、この村からは、出られんのじゃ。鏡助は、親が止めるのも聞かんと、飛び出してしまいおった。駈け落ちでもするつもりじゃったのじゃろうが、娘の方はとうとうついて行けなんだ。今にして思えば、鏡助のやつが一人で出て行って一人で死んでしもうたのは、不幸中の幸いじゃったろう」
「どうしてです! どうして、そんな事が言えるんです。どうして、村からは出られないんです。奥さんは、村から出て行く道がないからだと、言っていた。だが、本当は食べ物が違うからじゃないですか?」
「……」
「違いますか?」
「わしらは、この村以外では、生きてゆけん。この村の食い物以外は、食えん。あんたが、この村の食い物を受けつけんのと同じにな」
「やっぱり。しかし、何故なんです。何故、食べ物が」
「ここは、『かがみの村』じゃからじゃ」
「加賀美野村?」
「……」
「加賀美の、かがみの、……鏡の村!」
「そうじゃ、鏡の村じゃからなんじゃ。鏡の村に生まれた物は、外では暮らしていけん。外の食い物は食えんからじゃ」
「そうか、わかったぞ。これでも私は、昔医者を志したことがあるんだ。今でも、生化学なんかには興味をもってる。お前達は、我々の鏡像体だな!」
「ふん。やっと気がつきおったか。わしらだけじゃのうて、この辺一帯の動植物全ての細胞を構成しとる糖やアミノ酸は、おまえさん方の光学異性体なんじゃ。所謂、D型アミノ酸じゃのう。DNAからして、逆巻じゃからのう。心臓もちゃんと右に付いとるよ。触ってみるか?」
「そうだ。炭水化物も蛋白もアミノ酸も、我々とあなた方とでは光学異性体の関係にあるんだ。だから、酵素がそれと認識できずに、消化も吸収もされない。食べても、食べ物だという事が判らないんだ。それで、鏡助は東京で餓死したんだ。私が、ココの食物を受け付けなかったのもその所為だ」
「酢や簡単なアルコールみたいに、キラル中心の無い様な分子は別なんじゃがな。じゃが、気付いた所でどうなる。あんた、わしらを普通の人間にしてくれるか?」
「そんな、これは驚くべき事ですよ。生物学の常識を無視してるような現象だ。なにしろ、この辺一帯だけ、鏡像体の生物群が生きているんですから。学問が、根底からひっくりかえるんだ。しかし、どうして、この辺だけ」
「昔、神様になろうとした男がおってのう。わしらは皆、失敗作なんじゃ」
「何ですって。では、貴方達は」
「ココは、失敗作のごみ捨て場じゃ」
「この辺全てが……」
「肉は美味かったじゃろう」
「えっ?」
「『その肉』だけは、美味かったんじゃろう。あんたには、食えるやつじゃからのう」
「そういえばそうだ。だけど、まさか。あっ、新井は、新井はどうしたんだ。」
「もう居らんよ。あんたが喰っちまった。なかなか美味かったろう?」
「ぐうっ、貴様あ、よくも」
「勿体ないのう。おまえさんが生きる為に、若いのが肉になったのにのう」
「嘘をつけ! 俺は、許さん」
「それで、わしを殺すかね? あんたらにとっちゃあ、わしらは人間じゃあないからのう。じゃが、わしらにとってみても、それは同じ事なんじゃ。それに、殺した処で、喰う訳にもいかんからのう。肥料にもなりゃせん。剥製にでもするかの? どのみちあんたは、この村からは出ていけんのじゃ。還った処で、気違い扱いされるだけじゃからのう。それにあんたは、人間を食っちまった男じゃ。もう普通の町じゃあ、生きてはいけんよ」
「うるさい。俺は、世間に公表するぞ」
「無駄じゃよ。松戸の殿さんには、総理大臣も太刀打ちは出来んよ。何せ、その大臣からして殿さんの力作じゃからのう。もっとも、あんたが、わしらを真っ当な人間に直してくれるなら、考えても良いが。あんたに、そこまで学がある様には見えんからのう。まあ、死ぬまでココで暮らしなされ。そう長いこっちゃあないじゃろうし」
「くっ、くそう。くそう。こうなったら、とことん生きてやる。生き抜いてやるからな!」
「勝手になされい。酒と酢だけでも、生きて行けるならのう」
eof.
初出:こむ 7号(1987年9月)