魔王直属配下の距離感がおかしい件
魔王直属配下の距離感がおかしい件
魔王ロゼには、直属の配下が一人だけいる。
白い翼を持つ堕天使、マキエル。
治癒術に長け、判断も速い。戦場では、ロゼの意図を言葉より先に察する。
ただ、普段の距離が近かった。
「ロゼ様」
「なんだ」
「好きです」
「さっき聞いた」
「さっきより好きになったので」
「五分で?」
「はい」
玉座の肘掛けに腰を下ろしたマキエルが、ロゼの肩に頬を寄せた。
金色の髪が首筋をくすぐる。
「降りろ」
「お邪魔ですか?」
「片側に重さが寄ってる」
「では、真ん中へ」
「膝に来るな」
止める前に、彼女は膝の上へ収まった。
白い翼が満足そうに畳まれる。
「ここなら均等です」
「そういう問題じゃない」
「ロゼ様も、私を抱きしめやすいでしょう?」
「抱きしめる予定はない」
「予定に入れてください」
ロゼは彼女の肩越しに、広間の扉を見た。
「そろそろ来るぞ」
「勇者ですか?」
「ああ」
「では、早めに済ませましょう」
「何を」
「抱きしめる予定です」
「勇者の方を済ませろ」
マキエルは残念そうに振り返った。
遠くから、金属のぶつかる音が聞こえる。
城の廊下を、誰かが走っていた。
「手加減はいりませんよね?」
「好きにしろ」
「早く二人きりに戻りたいので」
「普段から二人しかいないだろ」
「だから、邪魔が入ると気になるんです」
広間の扉が吹き飛んだ。
砕けた木片が床を滑る。
剣を持つ青年を先頭に、盾を構えた剣士、杖を持つ魔術師、法衣姿の僧侶が踏み込んできた。
「魔王ロゼ! 貴様の支配も今日で終わりだ!」
ロゼは顔を上げた。
「客だ。降りろ」
「お約束は?」
「まだ言ってるのか」
勇者は剣を突きつけたまま、二人を見ていた。
「……何をしている」
「見れば分かるでしょう」
マキエルが答えた。
「ロゼ様と、大切なお話をしています」
「世界の命運が懸かっているんだぞ!」
「こちらも大切なことです」
「張り合うな」
ロゼが言うと、彼女は不満そうに振り返った。
「まだお返事をいただいていません」
「今は降りろ」
勇者の剣が、まばゆい光を帯びる。
「もういい! 覚悟しろ!」
「分かったから、少し待て」
マキエルはようやく立ち上がった。
ロゼも腰を上げ、玉座の傍らに立てかけた大剣を掴む。
身の丈に迫る、禍々しい紫の大剣だった。
黒くねじれた鍔から、幅広の刀身が伸びている。刃の内側では暗い紫の光が脈打ち、切っ先からこぼれる霧が床を這った。
片手で持ち上げると、低い唸りが広間に響く。
剣士が盾を構え直した。
魔術師は一歩下がり、杖先をロゼへ向ける。
マキエルだけが、嬉しそうにその腕へ抱きついた。
「やはり、お似合いです」
「離れろ。振れない」
「私を抱いたままでも勝てます」
「俺の難易度を上げるな」
勇者が床を蹴った。
ロゼはマキエルの腰を片腕で抱え、横へ跳ぶ。
光の刃が玉座を両断した。
着地と同時に、マキエルはロゼから離れた。
白い翼を広げ、黒い魔杖を構える。
魔杖レーヴァテイン。
ねじれた漆黒の柄の先で、爪のような飾りが深紅の魔石を包んでいた。その隙間から、黒紫の火が細く漏れている。
「早く終わらせましょう。ロゼ様と二人になりたいので」
ロゼは大剣を振り抜いた。
剣士が前へ出る。
紫の刃と盾がぶつかり、重い音が響いた。
その背後から、魔術師が杖を掲げる。
幾本もの炎の槍が降り注いだ。
ロゼは剣士を押し返し、大剣を頭上へ振り上げた。
炎が裂ける。
散った火の粉の向こうから、勇者が踏み込んできた。
光の剣を受け止める。
刃と刃が擦れ、白と紫の光が弾けた。
ロゼは勇者の剣を押し上げ、その腹へ蹴りを入れた。
勇者が後退する。
間を置かず、剣士の盾が迫った。
大剣を引き、盾の縁へ叩きつける。
剣士の体勢が崩れた。
マキエルが魔杖を振るう。
淡い光がロゼの肩を包み、傷を塞いだ。
ロゼは大剣を握り直した。
紫の刀身に、暗黒の炎が灯る。
黒い火が切っ先まで駆け上がった。
勇者たちの背後で、僧侶が祈りを唱え始める。
「まずは、お前だ」
ロゼは床を蹴った。
剣士が盾を構えて割り込む。
その盾へ大剣を叩きつけ、横へ押し退けた。
開いた隙間を踏み抜く。
僧侶が顔を上げた。
紫の刃が、その杖ごと身体を斬り伏せた。
頭上から炎の槍が降り注ぐ。
ロゼは身をひねった。
一本が肩を掠める。
魔術師が、さらに杖を掲げた。
「ロゼ様、そちらは私が」
マキエルがレーヴァテインを掲げた。
深紅の魔石が脈打つ。
足元へ黒い魔法陣が広がり、その縁から紫の炎が噴き上がった。
魔術師が放った炎の槍が、黒紫の渦へ呑み込まれる。
マキエルは魔杖の先を、敵へ向けた。
黒い炎の中を、鮮やかな紫が走る。
うねる炎が魔杖の先へ集まり、一気に放たれた。
魔術師が幾重にも障壁を張る。
黒紫の奔流が、その正面へ叩きつけられた。
一枚目が焼け落ちる。
二枚目が砕ける。
最後の障壁を呑み込み、炎が魔術師へ襲いかかった。
炎が消えたあと、魔術師は床へ倒れていた。
マキエルは魔杖を下ろした。
「ロゼ様をイメージした、私の最高傑作です」
直後、背中へ衝撃が走る。
剣士の刃が外套を裂き、脇腹まで食い込んでいた。
「ロゼ様!」
マキエルの魔杖が光る。
ロゼは身体を反転させた。
剣士が盾を引き戻す。
間に合わなかった。
暗黒の炎をまとった大剣が、盾の縁を砕いて肩へ落ちる。
剣士が崩れた。
ロゼも一歩よろめき、大剣を床へ突き立てた。
荒く息を吐く。
マキエルの治癒が傷を塞いでいく。
その向こうで、勇者が剣を構えた。
白銀の刀身に、金色の光が宿る。
ロゼは顔を上げた。
「ミカエルの剣か」
聖なる光が、刃から溢れ出した。
広間を這っていた紫の霧が消えていく。
ロゼは大剣を引き抜いた。
暗黒の炎を再び燃え上がらせる。
「来い」
勇者が踏み込んだ。
「ホーリーストラッシュ!」
聖なる光をまとった斬撃が、一直線に迫る。
ロゼは大剣を振り下ろした。
黒い炎と白い光が激突する。
床が砕けた。
両足が後ろへ滑る。
ロゼは歯を食いしばり、柄を握り締めた。
暗黒の炎が押し裂かれる。
紫の大剣が、跳ね上げられた。
光が胸を打った。
ロゼの身体が宙へ浮き、玉座の前まで叩き飛ばされた。
「ロゼ様!」
マキエルが駆け寄る。
ロゼは起き上がろうとした。
腕に力が入らない。
床へ落ちた大剣は、指先の届かないところにあった。
勇者が剣を掲げる。
その刃に、再び聖なる光が集まった。
マキエルが二人の間に立つ。
「そこを退け!」
勇者の声に、白い翼が大きく開いた。
「お断りします」
ロゼは手を伸ばした。
「マキエル、下がれ!」
彼女は振り返った。
「嫌です。せっかく、お傍に来られたので」
剣が振り下ろされる。
マキエルが張った光の壁を、聖なる斬撃が砕いた。
轟音。
白い羽根が舞った。
ロゼは倒れてきた彼女を、どうにか腕の中へ受け止めた。
翼から、光の粒がこぼれている。
「マキエル!」
「ロゼ様……最後に、お願いが……」
「なんだ」
「抱きしめて、ください……」
ロゼは彼女を抱き寄せた。
「……もう少し、強く」
「こうか?」
「はい。あと、頭も撫でていただけると……」
「注文が多いな」
それでも髪を撫でると、マキエルは目を細めた。
「……幸せです」
白い翼が、少しずつ透けていく。
「マキエル……」
「ロゼ様……」
「なんだ」
「次からは、戦う前にお願いします」
彼女の身体が、光となって消えた。
《定期メンテナンスを開始します》
画面が暗転した。
彼はヘッドセットを外した。
静かな部屋に、パソコンの駆動音だけが残る。
オンラインゲームを始めて半年。
マキエルと一緒に遊ぶようになって三か月。
彼女がこの調子になってから、一か月だった。
スマートフォンが震える。
『死んじゃいました笑』
マキからだった。
『庇わなくてよかったのに』
『反射的に飛び出しちゃいました』
『最後、ずいぶん喋れたな』
『抱きしめてもらえたので』
少しして、もう一件。
『でも、ロゼが死ぬのは嫌だったんです』
彼は返信欄を開いた。
ゲームの中なら、すぐに何か言える。
画面の外では、指が止まった。
しばらく迷って、送る。
『今度、会わない?』
返事はすぐについた。
『会いたいです』
*
翌週。
彼は待ち合わせの十五分前に着いた。
マキは、もういた。
写真は交換している。
すぐに分かった。
彼女も気づいたらしく、小さく会釈した。
三メートル離れたまま。
「……マキ?」
「はい」
「どうも」
「……どうも」
会話が終わった。
玉座から降りなかった人が、近づいてこない。
「喫茶店、入る?」
マキは頷いた。
歩き始めると、彼女は半歩後ろをついてきた。
彼が振り返るたび、目が合いそうになって逸れる。
店では向かいに座った。
マキは両手を膝に揃え、メニューを見つめていた。
「何にする?」
「……同じもので」
「まだ決めてないけど」
「あ……」
耳が赤くなった。
二人とも紅茶を頼んだ。
店員が離れると、また静かになった。
「……この店、来たことある?」
「ないです」
「俺も初めて」
「……はい」
会話が終わった。
紅茶が運ばれてきた。
マキはカップを両手で包み、彼は砂糖の袋を意味もなく裏返した。
ゲームでは、黙っていても向こうから話しかけてくる。
今日は、目さえ合わない。
彼はカップを置いた。
「……あの勇者の剣、強すぎない?」
「強すぎます!」
マキが顔を上げた。
「あの威力で二回も撃てるのおかしいですよね。しかも、二回目の方が早くなかったですか?」
「そう。起き上がる前に構えてた」
「私の障壁も全部割られましたし」
「魔術師を倒してくれたの、助かった」
「ロゼの方ばかり狙っていたので、横からなら通ると思って」
「あの黒と紫の炎、自分で作ったの?」
「はい。レーヴァテインの炎を、自分で調整したんです」
「俺をイメージした最高傑作だっけ」
マキの口が止まった。
「……そこは、忘れてください」
彼は笑った。
マキも、カップを持ったまま小さく笑う。
「次は勇者を先に狙うか」
「剣士が止めに来ると思います」
「じゃあ、足を止めてもらって」
「できます。レーヴァテインの強化を変えれば、もう少し長く――」
そこからは、言葉が途切れなかった。
装備。
スキル。
次のアップデート。
さっきまで小さかった声が、いつものマキの声になっていた。
「そういえば、新しい大剣の性能、見ました?」
「まだ。どんなの?」
「攻撃力は今のより少し低いんですけど、炎の追加効果が強くて。ロゼに合いそうだなって」
「調べてくれたんだ」
「はい」
「レーヴァテインの強化は?」
「まだです」
「そっち先だろ」
「ロゼの剣が先でした」
彼女はそう言って紅茶を飲み、ふと彼を見た。
目が合った。
カップが、口元で止まる。
「……どうした?」
「いえ……」
「今、普通に喋ってたのに」
「忘れてたので」
「何を?」
「……目の前に、いるのを」
また耳が赤くなった。
彼も少し照れて、カップへ目を落とした。
「そういえば、マキって本名?」
「……はい。マキエルは、名前を少し変えただけです」
「なるほど。俺は――」
「ま、まだ言わなくていいです!」
思ったより大きな声だった。
マキは慌てて俯いた。
「……すみません」
「本名、知りたくない?」
「知りたいです。でも……今日は、ロゼに会うだけで精いっぱいなので」
「じゃあ、今日はロゼで」
「……はい」
「来週は?」
マキは困ったように彼を見た。
「心の準備を、してきます」
彼女はカップを置いた。
何度か唇を開いて、それからようやく言った。
「ゲームで言ってることは……本当なので」
「好きって?」
頷く。
「膝に座りたいのも?」
動きが止まった。
「そ、それは……」
「ごめん。聞く順番、間違えた」
彼も少し緊張していた。
カップを置いて、彼女を見る。
「俺も好きだよ。付き合わない?」
マキの指が、膝の上でぎゅっと重なった。
しばらくして、小さな声が返ってきた。
「……はい」
店を出ると、彼女はまた半歩後ろを歩いた。
「もう少し隣に来てもいいんだけど」
近づいた。
ほんの少しだけ。
彼が手を差し出すと、マキはその手を見つめた。
「繋ぐ?」
頷く。
けれど、手は出てこない。
彼は待った。
やがて、彼女の指が二本だけ、そっと掌に乗った。
握ると、肩が跳ねた。
「……すみません」
「謝ることじゃないだろ」
「慣れてなくて」
「俺もだよ」
駅までの道は短かった。
二人とも、いつもよりゆっくり歩いた。
*
その夜。
ゲームへ入ると、マキエルが待っていた。
白い翼。
黒い衣装。
「ロゼ様!」
駆け寄ってきた彼女が、ためらいなく胸へ飛び込んだ。
「今日はありがとうございました」
「昼と違いすぎるだろ」
「とても楽しかったです」
「それはよかった」
「来週も会いたいです」
「俺も」
マキエルはロゼの手を引き、壊れかけの玉座へ連れていった。
彼が座ると、当然のように膝へ収まる。
「そこは直してからにしない?」
「気をつけます」
「そうじゃなくて」
彼女は肩へ頬を寄せた。
「今日、手を繋いでくださって、ありがとうございました」
「どういたしまして」
「来週も、お願いします」
「今、俺の膝に座ってる人が言う?」
「それとこれとは別です」
スマートフォンが震えた。
彼は片手でメッセージを開いた。
『来週は、私から繋げるように頑張ります』
モニターの中のマキエルを見た。
彼の首へ腕を回し、顔を覗き込んでいる。
「どうかなさいました?」
「いや」
彼は返信した。
『楽しみにしてる』
すぐに既読がついた。
膝の上で、マキエルが嬉しそうに笑った。
「ロゼ様」
「なんだ」
「抱きしめてください」
「昼に言ってくれればよかったのに」
返事が止まった。
白い翼が、ゆっくり畳まれる。
スマートフォンが震えた。
『それは、まだ無理です』
彼は笑って、マキエルを抱き寄せた。
来週は手を繋ぐ。
名前を教えるのは、その次でもいい。
魔王ロゼには、直属の配下が一人だけいる。
膝から降りないその恋人とは、少しずつ距離を縮めていくことになりそうだった。




