この、浮気者ーーーっ!!
※ざまぁ優先のゆるふわ設定
「アーロン様、今日もキャロル様のお見舞いですか?」
私は笑顔で婚約者であるアーロン・フォン・ローゼンタール公爵子息を見送った。金色の髪を優雅に揺らし、青い瞳を細めて微笑む彼は、まるで絵画から出てきたような美青年だ。
私の父は辺境伯で、彼の家は王都の有力貴族。幼少期からの婚約は、両家の絆を深める為のものだった。
「ええ、リリアーナ。キャロルはまた熱を出してしまってね。君も心配してくれると嬉しいよ」
アーロンは私の手を優しく握り、額に軽く唇を寄せる。優しい仕草。でも、私は知っている。彼がキャロル・エヴァンスの屋敷に向かう足取りが、いつもより軽やかになることを。
キャロル・エヴァンス。彼女はアーロンの幼馴染で、幼い頃から病弱。肺を患い、ベッドからほとんど出られないという。美しい銀色の長い髪と、儚げな紫の瞳。まるで物語のヒロインのような少女だ。
私はリリアーナ・フォン・グランツェン。辺境伯爵家の長女として、しっかり者で知られている。キャロルの体調を気遣い、アーロンが頻繁にお見舞いに行くのも「当然のこと」として受け入れてきた。
花束やお菓子を用意し、「どうかよろしくお伝えください」と微笑むのが私の役目だった。
「行ってらっしゃいませ。アーロン様」
馬車が去るのを見送りながら、私は胸の奥に小さな棘が刺さるのを感じていた。でも、それを言葉にするのは野暮だと思っていた。
数日後、突然の報せが来た。
「リリアーナ様!ブラッド様が熱を出し、床に伏せっておられます!」
ブラッド・ヴァレンタイン。私の幼馴染で、グランツェン領の騎士団長の息子。幼い頃から一緒に泥んこになって遊んだ、明るく豪快な青年だ。
赤みがかった茶色の髪と、力強い緑の瞳。剣の腕は領内一と言われ、アーロンとは正反対の、太陽のような男。
「えっ、ブラッドが? すぐに準備するわ!」
私は慌てて従者のメアリーを連れ、馬車でブラッドの屋敷へ向かった。病弱なキャロルとは違い、ブラッドは滅多に倒れない。珍しいことだった。ブラッドの部屋に入ると、彼はベッドで苦しげに息をしていた。頰が赤く、額に汗が浮かんでいる。
「ブラッド、大丈夫? 熱、すごいじゃない…」
「リリアーナ…来てくれたのか。悪いな、忙しいのに」
彼は弱々しく笑った。私はメアリーに指示して冷たい布を用意させ、額に当て、薬草茶を飲ませた。幼馴染として当然の行為だ。アーロンがキャロルにするように。
「熱が下がるまでここにいるわ。安静にしていて」
私はベッドの横の椅子に座り、手を握った。ブラッドの大きな手は熱く、でも安心する感触だった。数時間過ごし、熱が少し下がったのを確認して、私は屋敷を後にした。その日は何もなかった。
翌日の午後、アーロンが私の屋敷に訪れた。いつもの優しい笑顔ではなく、眉を寄せ、冷たい視線を向けていた。
「リリアーナ。君は昨日、ブラッド・ヴァレンタインの部屋に行ったそうだね」
「ええ、熱を出したと聞いて。お見舞いに」
「異性の部屋に、しかも一人で?」
「メアリーを連れていきましたけど…何か問題でも?」
アーロンはため息をつき、呆れたように言った。
「病人だろうと、異性の私室に入るのは浮気だよ。君は私の婚約者として、もっと自覚を持ってほしい」
一瞬、頭が真っ白になった。
「…浮気?」
「そうだ。キャロルは女性だから問題ないが、君は違う。男の部屋に入るなど、世間体が悪い」
私はゆっくりと息を吸った。胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。
「アーロン様。あなたは毎週のようにキャロル様の部屋に通っていますよね。長い時間、二人きりで」
「それは見舞いだ。キャロルは病弱で、僕がいないと不安がるんだ」
「ブラッドも熱を出して苦しんでいました。私はただ、幼馴染として看病しただけです」
「違う。君の場合は浮気だ」
その瞬間、私の中で何かが決壊した。
今まで積もり積もった疑問、棘、違和感が一気に溢れ出す。
「つまり…あなたは今までずっと、私に浮気をしていたという事ですね?」
アーロンの顔がわずかに歪んだ。
「何を言ってるんだ。僕はただ——」
「キャロル様の部屋で、何時間も二人きりで。何をしていたんですか?病弱な彼女の看病? それとも…もっと親密なことを?」
私の声は震えていた。でも、怒りが勝っていた。アーロンは言葉に詰まった。その沈黙が、全てを物語っていた。
「この、浮気者ーーーっ!!」
私は思い切り右手を振り上げ、アーロンの頰を全力で叩いた。
乾いた音が広間に響く。
「リ、リリアーナ…!」
「今まで我慢してきました。あなたがキャロル様を大切にするのを、理解しようと努力してきました。でも、あなたは私の行動を『浮気』と決めつけ、自分のことは棚上げ。最低です!」
涙が溢れてきた。でも、これは悔しさの涙ではない。解放の涙だった。
「婚約破棄します。アーロン様。あなたのような人と、一秒も一緒にいたくない!」
アーロンは頰を押さえ、信じられない顔で私を見ていた。
「待てよ、リリアーナ。君は僕を失ったら——」
「失う? 私はあなたを得たことなんて一度もないわ。ずっと、キャロルの影に怯えながら生きてきただけ」
私は叫んだ。使用人たちが慌てて集まってくる。
「お父様!お母様!婚約破棄をお願いします! アーロン様が浮気していたのです!」
私のお父様とお母様は驚きながらも、私の話をじっくり聞いた。母は涙を浮かべ、父は厳しい顔でアーロンを睨んだ。
「ローゼンタール公爵家に、正式に婚約破棄を通告する。理由は婚約者への不誠実」
アーロンは必死に弁明した。
「誤解です!キャロルはただの幼馴染で——」
「では、リリアーナがブラッドを見舞ったのも同じはずだな?なぜそれが浮気で、お前のは違う?」
お父様の言葉に、アーロンは何も言えなくなった。その日のうちに、婚約破棄は正式に決定した。王都の社交界に衝撃が走った。
婚約破棄から一ヶ月後。キャロル・エヴァンスの病状が悪化し、アーロンが毎日通う姿が目撃された。しかし、世間の目は冷たかった。
「病弱を装って公爵子息を誘惑した」
「本当は体は丈夫なのに、男を虜にするために寝込んでるんじゃないか」
そんな噂が広がった。キャロルはベッドで泣き、アーロンは苛立っていた。
一方、私は解放された気分だった。ブラッドは回復し、私の屋敷に頻繁に訪れるようになった。
「リリアーナ、俺のせいで婚約破棄になったんだろ?責任取るよ」
「責任じゃなくて…好きだから一緒にいてほしいわ」
彼の大きな手に包まれると、安心した。ブラッドは笑い、私を抱きしめた。
「ずっと、お前が好きだった。俺はお前を守る」
王都の舞踏会で、アーロンと再会した。彼は痩せ、目が落ちくぼんでいた。キャロルとの関係も、周囲から白い目で見られ、公爵家内でも問題になっていた。
「リリアーナ…もう一度、やり直せないか?」
「冗談じゃないわ。浮気者のあなたに、何の価値があるの?」
私はブラッドの腕に寄り添い、堂々と答えた。
「私は今、幸せよ。病弱な幼馴染に奪われた男なんて、最初からいなかったわ」
アーロンの顔が青ざめた。キャロルも社交界に出られなくなり、噂はさらに悪化した。病弱を演じていたという証拠まで出てきたらしい。彼女の本当の病は「恋わずらい」だったのかもしれない。
辺境領に戻った私は、ブラッドと正式に婚約した。父は大喜びで、「本物の男を選んだな」と笑った。
春の花が咲く庭で、ブラッドと手を繋いだ。
「健康な身体でずっとお前を守り続けるよ」
「ありがとう、ブラッド」
「リリアーナ。お前はもう、誰かの影に怯えなくていい。俺はお前の前でしか、太陽にならないから」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。 アーロン様が与えてくれなかったもの。
キャロル様が独占していたもの。
全部、ブラッドは最初から持っていた。
私は踵を上げ、彼の唇にそっと自分の唇を重ねた。初めての、自主的なキス。
「…好きよ、ブラッド」
「ああ、俺もだ。死ぬほどな」
遠くでメアリーが「まあっ!」と声を上げ、使用人たちがくすくす笑うのが聞こえた。
これからは、私が愛される側になる。 辺境の風が、甘く香る花びらを運んでくる。
ここが、私の新しい物語の始まりだった。




