7.ロックバード
テッド組合長との交渉から、三ヶ月が経った。
「いやあ、さすがに疲れたね」
レナンドがベッドに飛び込んで横になる。
「そうですわね、しばらくはゆっくりしましょう」
エレーナはベッドの端に腰掛ける。
あれから、エレーナとレナンドは王都の商会を巡り、様々な交渉を行った。エメリ様はご紹介してくださるのみで、同席はしてくださらなかった。私たちの仕事だと、そういうことなのだろう。
最終的に、ラッドフォード家と最も懇意にしているローズウッド商会が盟主になり、共同事業体を発足させる事になった。
そして、領地の街にローズウッド商会の支店兼その事業体の本部を設立する事になり、今日はその設立式典が行われたのだった。
その名も、ロックバード・カンパニー。
嫌がるアイーダを会長に据え、実務的なことはローズウッド商会の腕利き、エドワードさんにお願いすることにした。
「いいように人を使いすぎでしょう!」
「あら、迎賓館の差配役だけではお暇でしょう?」
立ち上げのための様々な許可を求める書類の山に埋もれたアイーダから非難されたが、はじめだけだからとそのまま置いてきた。
「レナンド、お茶でもいかが?」
「ありがとう、お願いできるかい。いやあ、君のお茶をゆっくりいただくのも久しぶりだ」
「そうですわね、私も自分でお茶を淹れるのは久しぶりですわ。上手くできなかったらごめんなさいね」
「君のお茶はいつだっておいしいよ。初めてご馳走になったのは、そうか、学園の中庭だったね」
レナンドが懐かしいことを言い出す。まだ、この人と結婚するなど思ってもいなかった日。
「そうでしたわね。懐かしいですわ」
あの時にあまり上手く淹れられなかった記憶が蘇り、少し顔が赤くなってしまう。
雑念を振り払うように黙々とお茶の準備を進めるエレーナ。
「できましたわ、レナンド」
振り返るエレーナ。
その先では、レナンドがベッドの上で寝息を立てていた。
「あら」
ずっと責任者として忙しくしていたのだから、無理もない。
――本当にお疲れ様、あなた。
エレーナはレナンドに布団をかけてやり、頬に軽く口づけをする。
明日は久々のお休みだから、レナンドとお出かけしよう。エレーナはそう決めた。
*
エレーナはレナンドを起こさないようにそっとお茶のセットを持って階段を降りる。
すると、アイーダとアン、そして新米騎士のトッドが待っていた。
トッドはジェームズの息子である。エメリがアイーダの護衛として置いていった。実質的な監視役である。
「あらアイーダ。どうされました?」
「貴女を待っていたのよ。この書類とこの書類。中身が矛盾してるけど私には判断つかないから」
アイーダはそう言って紙を渡してくる。
「もう夜だから、明日でいいわ。いくわよ、トッド」
「はい、アイーダさん。しかしアイーダさん、奥方様にあのような物言いはいかがなものかと」
トッドは生真面目な性格で、騎士の家系らしく上下関係に厳しい。
「エレーナがいいって言ってるんだからいいじゃないの。うるさいわねえ」
アイーダはあくまで今は貴族ではないので、一度エメリ様もいらっしゃる前で呼び方や間柄を整理した。レナンドやエメリ様との血縁である事に変わりはないし、公式な場でなければ今まで通りで良いという結論になっていた。
「ですがやはり公爵家一門の方々と我々には……」
二人は馬車で迎賓館に戻るようで、話しながら一緒に出て行った。
「ああ、トッド様……」
横を見ると、アンの目がハートになっている。アンは真面目な男が好きなのだろうか。いや、そもそも職場に歳の近い男性がレナンドを除いてほとんどいない。若い騎士というだけで憧れの対象になるのかもしれない。
「アン、想いに耽っているところすみませんけれど、明日は旦那様と街にお出かけするのでそのつもりで」
「あっ、はい! かしこまりました。申し訳ありません、お見苦しいところを……」
エレーナはレナンドのことをどんどん好きになっていっているし、幸せだと感じている。しかし、これまでの人生で他の異性に憧れを抱いて追いかけるようなことはしてこなかった。貴族のルールではそれはやってはならないことだったからだ。
そういった意味では、平民のアンを少しばかり羨ましくも思う。
「いいのよ。トッドも誘う?」
エレーナは少し意地悪なことを言ってみたくなった。
アンがみるみる真っ赤になる。
「いえいえいえ、そんな! いえ、あの、旦那様と奥様のせっかくの大切なお時間ではないですか」
大慌てするアン。
「冗談よ、冗談。また今度にしましょう」
*
エレーナは、レナンドの腕に腕を絡ませ、街中を散歩していた。少し遅れてアンがついてくる。
「おっ、今日は旦那さん連れですかい! 奥さんも美人だけど、ご領主様もこう見ると優男だねえ! 一本、どうだい!」
串焼き屋の店長が声をかけてくる。
「あら、ありがとう。今日は他のお店に行くつもりだから、また今度いただくわね」
エレーナはパーティーの日以来、すっかりこの辺りでは有名になった。よく声をかけられる。
「もう変装して歩くのは無理だねえ」
のどかで平和。レナンドも街の様子に笑顔。
「そうですわね。少し楽しんでおりましたから残念ですわ」
後ろでアンが「少し!?」と声を出していたが、エレーナは気にしない事にする。
「さあ、あそこですわ。パーティーにいらしていた奥様が経営されているカフェです。パンケーキが美味しいということですわ」
「いいね、行ってみよう」
中に入ると、老舗らしくよく手入れのされた古い調度品が並んでいる。上流向けのカフェで、お値段もそこそこ。ただし、もちろん公爵家の者が気にするような価格ではない。
「まあご領主様に奥様。ようこそお越しくださりました。言ってくださればお迎えに上がりましたのに」
ご夫人が出迎えてくれる。
「突然の訪問、申し訳ありません。お席は空いておりますか?」
レナンドと街をブラつくデートがしたかったエレーナは、あえて何も準備をせずに出たのだった。難しければ別の店に行けば良い。
「ええ、もちろんでございます。どうぞこちらへ」
奥の半個室に案内される。店内は混んでいたが、どうやら重要な客向けの場所は別に確保しているようだ。
「だからあんたはねえ、真面目すぎるの」
「しかし、それでは……」
隣から聞き覚えのある声がする。
「アイーダ?」
半個室とはいえカフェの席。簡易な仕切りなので、隣を見ようと思えばすぐ見える。
見ると、アイーダとトッドが丸テーブルを囲んでいる。
「トッド様!?」
アンがトッドを見て思わず声を上げる。
「エレーナたち!? い、いや、勘違いしないでよ? 私はパンケーキをいただきにきただけですから。護衛だからって騎士を立たせて平民が食べてるのもおかしいから一緒に食べてるだけだからね!」
何も言っていないのに言い訳を並べるアイーダ。
確かに、お付きの者ならアンの様に脇に控えるのが普通。しかしあちらは二人とも席についてパンケーキを食べている。
「そういうことにしておきましょう」
「そういうのやめなさいって叔母様に言われたでしょう!」
「私はただ、職務の一環として食べていただけです! 邪なことはありません!」
トッドが胸を張る。
声が大きいので他の客の注目を集める。
「ま、まあまあ。じゃあ今日はみんなでパンケーキを食べる日にしようじゃないか。アンも席について。一緒に頂こう。仕切りもずらせそうだから」
レナンドがアンに椅子を勧める。
「えっ、私もですか?」
「たまにはいいじゃない」
エレーナも勧めるので、アンもおずおずと席についた。
「あら、本当に美味しい」
運ばれてきたクリームと苺のパンケーキを一口食べ、エレーナが歓声を上げる。
「ふふん、この街で一番美味しいパンケーキよ。美味しいでしょう」
アイーダが自慢げに言う。
「俺もここのパンケーキは好きです」
トッドも大きく頷く。どこまでもまっすぐな性格である。
「トッド様はパンケーキお好きなのですか? よかったら領主公邸にいらしたときに私たちのパンケーキも召し上がってください!」
アンが目を輝かせて話す。
エレーナもアンがこういう場でも積極的に行く方だとは知らなかった。新たな発見である。
「え? ええ、ありがとうございます」
なぜそんな誘いを受けたのかピンときていないトッド。
「あなた、私のお目付役なんでしょ。私が行く時ならわかるけれど、私を一人にして行っていいの?」
アイーダが口を挟む。
正しいが、そこまで杓子定規にすることでもない話。
――なるほど。
エレーナは口を挟むのは一旦やめておくことにした。どちらに転んでも利より大変さが勝りそうだったからである。
「それはそうと、迎賓館の方はいかが? 順調かしら」
エレーナは話を変えた。
アイーダの本来の肩書き。迎賓館差配役。
お客様をお出迎えするくらいの名誉職だが、先日から迎賓館の使用人の半分ほどを入れ替えた。アイーダに忠誠心が高すぎる者を配置換えしたからだ。
そのため様子を聞いておく必要はある。
なお、侍従長のゴードンと侍女長は、自ら屋敷を去った。騒動の責任を取り、かつアイーダにこれ以上よからぬ誤解が降り掛からぬ様にだろう。
「そうね、新しい者たちも少しずつ慣れてきているけれど、まだまだね。あなたが呼ぶお客様が商会の商人ばかりだからなんとかなっているわ」
「そう、ありがとう。ちなみに、今夜いらっしゃる方は貴族の方よ? ご存知でしたかしら?」
アイーダがトッドと目を見合わせる。
「知ってた?」
「いえ、俺はそもそも受付などには関わりませんから」
「エレーナ、それは本当? どこのどなたでしょう? 本当なら大変だわ、しっかり準備しないと」
「ええ、本当よ。お屋敷には伝えてあるわ」
アイーダはこうしてはいられないと席を立つ。
「何で私に伝わってないの!? トッド、帰るわよ!」
「え? アイーダさん、まだ食べ終わって……」
「いいから!」
どちらが護衛なのかわからない。トッドはアイーダに腕を引かれて連れていかれた。
*
「そ……そんな……!?」
迎賓館に戻り、予約の帳簿を見たアイーダは、震えが止まらなかった。
アントニオ・ロックバード伯爵
ソフィア・ロックバード伯爵夫人
帳簿に書かれていたのは、アイーダの父と、母の名であった。
「レナンド様から、本日までアイーダ様にはお伝えしないことと言われておりましたので」
新たな侍従長が言う。
エレーナたちめ、私を驚かすつもりだったのだろうか。
「準備も何も……」
うろたえるアイーダ。
「これは、アイーダさんのご関係者ですかな」
事情を知ってか知らずか、トッドが呑気な声を出す。
「私の父と母です。……合わせる顔なんてないわ」
「ふむ」
トッドがこれまで見たこともないほど落ち込んでいるアイーダであった。
「ご両親ならなんとでもなりましょう! 俺も控えておりますゆえご安心ください!」
ドン、と胸を叩くトッド。
「はあ?」
あまりにも根拠のない自信に虚を突かれ、呆れてしまうアイーダ。
しかし、そのおかげで震えは止まった。
「ありがと、事情も何もわからないけど心配してくれたのね」
「はい! その通りです!」
胸を張るトッド。深くは考えていないが、どこまでもまっすぐであり、周りを元気にできる男であった。
「よし。皆さん、二階奥のお部屋の準備を。食堂も二階を使います。よろしいですね」
アイーダは指示を出す。差配役としての役目をしっかりと果たすことに決めたのだ。
「それでこそアイーダさんだ」
トッドは、やはり深くは考えず、ただ純粋に思ったことを口に出したのだった。
*
「遠路、ようこそいらっしゃいました、ロックバード伯爵」
夜、迎賓館の面々が玄関前で伯爵の馬車を迎える。エレーナとレナンドもエスコートのため随行している。
屋敷の明かりで逆光となり、エレーナたちからはアイーダの顔はよく見えなかった。
伯爵夫妻にはお屋敷を迎賓館としたこと、そこでおもてなしをさせて頂くことを伝えているが、アイーダのことは伝えていない。
「迎賓館差配役を務めております――」
しかし、伯爵夫人はその声だけで誰だかわかったようだ。
「アイーダなの……?」
二年ぶりに見たその姿に、気づいてもらえたその声に、アイーダのこの二年の想いが錯綜する。
「はい……アイーダ・ロックバードで、ございます……うう……お母様……!」
アイーダは懸命に差配役としての仕事に徹しようとした。しかし、堪えきれなかった。
後悔、寂寥、孤独、怒り、そして、強がり。
自分が悪いのだからと全てを投げ捨てて割り切ったつもりでいたアイーダの、抑えていた矛盾と感情が堰を切ったように溢れ出す。
駆け出して母の胸に飛び込むアイーダ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
迷惑なんて言葉では表せないほどの迷惑をかけた。謝って許してもらえるとは思っていない。それでも謝りたかった。恥知らずと言われても、謝らせてほしかった。
アイーダは言葉にならない謝罪を繰り返した。
「……レナンド殿。これは事前にお伝えいただきたかったですな」
ロックバード伯爵が言う。
非難ではなく、やり場に困った感情の行き先のためであった。
「申し訳ありません、伯爵。ですが、お伝えしていたらご来訪いただけなかったでしょう?」
「それは、そうかもしれぬが……」
世間体のために娘を勘当せざるを得なくなった伯爵。だからこそ、本来は再会してはならなかった。高位の貴族への蛮行は、その程度の覚悟での贖罪であってはならなかったからだ。
生きてさえいてくれれば。そう思っていた。
もとより複雑な想いがさらに重なり、理性で整理しなければならぬ立場が一層苦しくなる。
「今日のことは内密にいたします。どうか、ごゆっくりとお過ごしくださいませ」
エレーナが伯爵に言う。
「アイーダ、しゃんとしなさい。ここの責任者なのでしょう」
アイーダの母、ソフィアが気丈に振る舞う。しかし母の目からも涙が溢れている。
「はい……お母様。お父様も。ご案内いたしますわ」
しばらくして我を取り戻したアイーダが言う。
二人を連れて中に入って行く。
レナンドとエレーナは後を追わない。あの様子なら、家族水入らずが一番だろう。
「エレーナ、君は優しいのですね」
レナンドがエレーナに言う。
エレーナは、「ロックバードの名を冠した事務所を作りたいので、その意義の説明と共に実際にご覧いただいた上でご許可願いたい」そう伝えて旧領に伯爵を招待したのだ。
「あら、私はいつだって優しいですわ。それに人の心に寄り添いなさいとエメリ様からも言われてますもの」
エレーナは悪びれずに言った。
「うおおおおおん!」
そんな二人をよそに、アイーダたちの様子を見たトッドが仁王立ちで号泣していた。
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