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医務室の薄い灯りが、壁に鈍い光を落としている。
ヴァルターとフリンツは、薬品と油の匂いが混じり毛布にくるまれ、振動に震えるベッドに腰かけていた。
扉が開き、艦長が入ってきた。
背の高い男で、濡れたコートの肩に塩の白い跡が残っている。
短く刈った金髪が灯りを受けて鈍く光り、灰色の目が二人を順に見下ろした。
「U-22へようこそ。艦長のハルトマン大尉だ」
声は低く、金属の壁に吸い込まれるように響いた。
手には、二人の身分証がある。
「照会は取れた。君たちが国防軍の兵であることは間違いない」
艦長は身分証を指先で軽く叩いた。
「ただ……包囲されているはずの305連隊の伍長が、情報部と仲良く密輸船に
乗っていた理由は不明のままだが」
フリンツが、かすれた声で答えた。
「偶然です。捕虜になって、後方へ送られる途中に一緒になって」
毛布の下で肩がわずかに震える。
「あとは……さっき説明したとおりです」
艦長の眉がわずかに動いた。
信じていないわけではないが、納得している様子でもない。
探るような視線がベッドと身分証を交互に見たあと、艦長は短く息を吐いた。
「まあいい。しばらくは、ここで休め」
扉が閉じると、医務室には再び薬品の匂いと、浅い呼吸だけが残った。
木箱が破片を防いだおかげか、爆発による重篤な傷は無く、ヴァルターはその日のうちに歩けるようになった。
狭い通路には油と金属の匂いが混じり合い、壁に触れると振動が骨にまで伝わってくる。手すりを伝いながら、すれ違う乗員の顔には皆どこか同じ影が落ちていた。
「食堂」と呼ばれる前部居住区の片隅に近づくと、乗員たちの低い声が耳に入る。
「セヴァストポリの補給船、また遅れてるな」
「基地の連中が言ってた。救援隊は引き返したらしい」
「6軍は見殺しか。ロストフが陥ちたら、俺たちだって……」
声を張るものはおらず、疲れ切った兵士の本音が漏れ出したような響きだった。
ヴァルターが姿を見せると、乗員たちは自然と口を閉ざし、話題を変える。
「どうもルーマニアまで降りられない様だ。補給も全部あっちで組んでるらしい」
パンをちぎるフリンツの声には明るさが滲んでいた。
「まあ、補給司令部があれば輸送も手配できる。思ったより早く戻れるぞ」
安堵の色でスープを啜るフリンツを、ヴァルターは無言で見つめた。
胸の奥で、別の選択肢が静かに形を成していくのを感じながら。
-艦長を説得に行く→P.88
-方針に従う→P.87




