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ヴァルターとフリンツは、船の揺れに紛れるようにして、無造作な足取りで下士官の背後へと歩み寄っていた。込み合う甲板上の兵士たちは、上官の作業を漫然と
見守るだけで、二人の動きに注意を払うものはいない。
「Не двигаться!」
ヴァルターが弾かれたように踏み込み、下士官の背後を取った。
銃口をそのこめかみに深く押し当て、反対の腕で男の喉元を締め上げる。
赤軍兵たちが一斉に小銃を構え、甲板に緊迫した殺気が満ちる。
「Оружие вниз! Если не хотите, чтобы он пострадал!」
フリンツが叫びながら、甲板の隙間に隠した小銃に腕を伸ばす。
がし、とその手首が横から掴まれた。
骨がきしむような、太い指の力。
動いたのは隣に立っていた大柄な船員だった。
思わず息を呑むフリンツの顎を、丸太のような腕が殴り飛ばす。
それに呼応するように、誰かがヴァルターの手から銃をもぎとり、さらに背後から押し寄せた数人が床へ押さえつけた。
彼らにとって、自分たちは密航者に過ぎない。
厄介の巻き添えを喰わされる義理はないのだ。
自由になった下士官は、乱れた襟元を忌々しげに整えると、冷酷な笑みを浮かべてヴァルターを見下ろしながら、顎で兵士たちに合図を送る。
「Связать их. Эти крысы будут переданы, как только прибудем в порт.」
身じろぎすら封じられたヴァルターの耳に届いたのは、船員たちの許しを請う声と
冷たい波の音だけだった。
END




