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将校は苛立ちを隠そうともせず、吸い殻をコンクリートの床に踏みつけた。
「……これ以上は時間の無駄だな」
ヴァルターの耳には、その言葉さえも遠い海の鳴動のようにしか聞こえなかった。
視界は赤黒く濁り、己の肉体がどこまで続いているのかさえ定かではない。
彼はもう、救いを求めていなかった。
パンも、温かな寝床も、故郷の家族の顔さえ、今の彼にとっては輪郭のぼやけた
砂の城に過ぎない。
将校がホルスターからトカレフを抜き、銃口をヴァルターの眉間に押し当てる。
「言い残すことはあるか」
ヴァルターは、重い瞼をわずかに押し上げた。
声は出なかった。
だが、ひび割れた唇が、かすかに、嘲笑うかのように歪んだ。
乾いた銃声が、地下室の冷気を震わせた。
ヴァルターの頭が後ろへ跳ね、椅子ごとゆっくりと倒れ込む。
砕けた意識の断片が、真っ暗な泥の中に沈んでいく。
最後まで彼を包んでいたのは、愛国心でも忠誠心でもなく、言葉にできないほど
純粋で、救いようのない「拒絶」の感覚だった。
END




