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ヴァルターはその場に膝をつき、床に伏せた。
しかし、それが致命的な判断となった。
「ぐっ、は……っ!」
顔を伏せた瞬間、焼け付くような刺激臭が鼻腔を突き抜けた。
喉が火を噴いたように熱くなり、肺が激しく拒絶反応を起こす。
吸い込もうとすればするほど、猛毒の気体がヴァルターの気道を焼き、肺胞を
破壊していく。
視界の端で、副長がよろめき、壁に手をつくのが見えた。
だが、床に近いヴァルターの周囲は、すでに濃密な死の霧に包まれていた。
指先に力を込めようとするが、急速に酸素が奪われ、手足の感覚が遠のいていく。
激しい咳き込みは止まらず、口の端から溢れた唾液が床に広がった。
荒い呼吸の音すら聞こえなくなり、ブリッジの喧騒が、深い海の底のような静寂へと変わっていく。
靴の先が目の前で揺れ、やがて倒れ込む鈍い音がした。
ヴァルターの瞳から光が失われ、瞼が重く閉ざされる。
暗転する意識の果てに、不気味なほど冷ややかな静けさだけが残った。
END




