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静寂を、短い爆発音が打ち砕く。
ヴァルターは反射的に身を伏せたが、衝撃は背後からやってきた。
戻ってみると、配電盤を吹き飛ばされ、電力供給を喪った昇降機は、鉄の棺桶
と化していた。
ヴァルターは他の搬出口へと走ったが、重厚な鋼鉄の扉は外側から施錠されて
いるのか、体当たりにも微動だにしない。
熱気が肺を焼き、炎が酸素を奪い、視界が歪む。
外套を脱ぐと、床にひろがる血と吐しゃ物を、乾いた布地に塗りたくった。
外套を頭から被り、熱の壁を突き抜けて炉の正面下部へ這いつくばる。
燃え残った灰を回収するための「掻き出し口」があった。
分厚い鋳鉄製の小窓で、熱で膨張し、一体化した壁の様に立ち塞がっている。
彼は濡れた外套の端を、熱を帯びた回転式の取っ手に幾重にも巻き付けた。
ジュウ、と不気味な蒸気が上がり、布越しに伝わる熱が掌の皮を焼きにかかる。
絶叫を喉の奥で押し殺し、彼は全身の体重をかけて取っ手を垂直に引き下ろした。
カチリ、と金属が噛み合う鈍い音がして、閂が外れる。
ヴァルターはそのまま、真っ黒になった扉を手前へと強引に引き開けた。
穴の先には、熱風が渦巻く暗い煙道が横たわっている。
焼けるような喉を抑え、灰と煤の堆積する闇の中へ、頭から滑り込んだ。
収容所の外壁の根元、分厚い煤に覆われた煤出し口から、黒い塊が吐き出された。
軍服は焼け焦げ、顔は煤と脂で塗り潰され、剥き出しの皮膚は赤く爛れている。
凍てついた草に倒れ込み、肺を焼くような冷気を狂ったように吸い続けた。
遠くから、トラックのエンジン音が風に乗って聞こえてくる。
声を上げる気力も、銃を握る指の感覚も残っていない。
彼はただ、煤けた瞳で空を見上げていた。
1945年 5月
ベルリン
廃墟は、どこも同じだった。
通りの名は残っているはずだが、標識は折れ、家並みの輪郭も消えている。
ヴァルターは、自分が生まれ育ったはずの場所を何度も往復した。
瓦礫を踏むたび、乾いた音が鳴り、石灰の粉塵が舞う。
壁の一部も残っていれば見当がついたかもしれない。
しかし砕けた石も木材も、すべて同じ色にしか見えず、自分の家がどちらを
向いていたのかさえ、思い出せなかった。
瓦礫の前に屈み、石をどけ、湿った土をすくい上げた。
ふと、指先に硬いものが触れる。
小さなコップだった。
縁が欠け、煤でひどく汚れている。
それでも、形に覚えがある。
幼いころ、母に持たされていたものに似ていた。
「おい、グレーべ。泥遊びか?」
濁った声に顔を上げると、見知った顔が立っていた。
軍服のボタンを外し、顔は赤らんで、両脇には女が二人ぶら下がっている。
頬が削げ目だけが大きく、真っ赤な紅をひいた骸骨の顔が、誘うように笑った。
「いい場所があるんだ。来いよ、『勝利』を祝おうじゃないか」
女たちを連れ、1人目が歩き出す。
ヴァルターはコップを一瞥したあと、瓦礫の山へ放った。
軽い音がして、すぐに見分けがつかなくなった。
END




