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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

寄り行くものの音

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ううむ、そろそろ音が聞き取りづらくなってきたか……。

 どうも加齢による身体の劣化っていうのは、なんともしがたくて嫌になるねえ。

 人間五十年、と言われていたのは、たいてい身体の耐用年数がそれくらいにできていたんじゃないかと思うよ、健康の調子を見ていくと。

 今よりも、戦とかで死の危険が身近にある時世だと、身体の衰えは死に直結しやすい。長生きできるのは運や環境に恵まれた一部の者たちで、大半は衰えを感じるより前に命を落としていったと思う。時代をもっとさかのぼれば、余計に顕著になるだろうなあ、そこらへん。


 歳を取ると、モスキート音が聞こえなくなるというのは、よく知られた話だ。が、場合によっては加齢して聞こえることが多くなる音、というのも存在するらしい。

 ただ、私は珍しいことに子供のころからその音を聞くことができる、まれな人だったようでね。親に聞かされて、初めて知ったんだ。

 そのときのこと、聞いてみないか?


 あれは私が8歳くらいのときだったな。

 当時はまだ夜更かしを知るには早く、風呂をあがるとさっさと布団へ横になっていたんだけど、目を閉じてしばらくすると耳鳴りに似た音を聞くときがあったんだ。

 音は、壊れた機械が出すかのように一定のオクターブのものを延々と垂れ流す。やっかいなのが、耳をふさいでも音が聞こえてくるという点だ。いささかも曇ることなく、届く。

 おそらく単純な鼓膜の振動などではないのだろう。もっと深いところで、私の何かが震えているものだったのだろうが、当時の私の知識ではそこまで考えが至らない。

 ひたすらに、ひたすらにうるさいものという認識だった。好んで聞き続けたくはないが、意識を手放して夢の中へ逃げれば大丈夫。起きたときにはもう、この音は鳴りやんでいるのだから。ここまでの経験で分かっている。

 なまじ、自分で対処できるものだから、私はこのことを家族の誰にも話さずにいた。へたに伝えて面倒ごとを呼び込むのは、ごめんだったからだ。

 自家療法? いや自家対症? をしばらく続けていた私が、その事態に出くわしたのが夏ごろのことだった。


 我が家は蚊が多く、蚊取り線香のお世話になることしばしばだった。

 燃え尽きてしまった後も、残り香が蚊をある程度は遠ざけてくれる。火のお世話をしきってから夜なり昼なり、眠りの体勢に入るのが常だった。

 その日の私も、午前中のプールを楽しんだものの、お昼ご飯を過ぎてからの昼寝の誘惑には抗えず。うとうとと、居間で眠りこけてしまったのだけど。

 キーン、という甲高い音に、私は「またか」と目を閉じたまま顔をしかめる。

 例の音だ。じっとしていて、また夢を見始めればどうにかなると、しばらくは思っていたのだけれど、今回は別。


 音がどんどん激しさを増していく。

 それどころか、耳の奥を耳かきでうかつに突っつかれたかのような痛みが、ちょくちょく走る。これが耳掃除中なら我慢しろと言われるところだが、この安眠の邪魔ものに対し、思わず寝返りを打ってしまったのだけど。

 ふと、耳が新しい音をとらえた。こちらも聞きなれているが、耳をふさげばすっかり小さくなってしまう。外からの音だ。

 スリッパの音。しかもこの歩く調子は、母のものだ。廊下を渡り、私の寝ている居間へまっすぐ向かって来る。

 そっと薄目だけを開けると、案の定母が廊下から部屋へ入ってくるところだった。床でごろ寝をしている私だが、母もお昼寝と察しているので特に起こしはしない。そのまま私の足元を横切って部屋の奥へと向かっていく。


 けれども、どうしたことか。

 部屋の奥はベランダにつながっており、足取りの進みからしてお庭に用事があると思ったのだが、途中で足音が止まった。

 と、同時に私の聞いていた内側からの音から、痛みがどんどん薄らいでいく。一気に消え去るのではなく、お湯が自然に冷めていくように少しずつだ。

 そうして痛みが完全に引いたところ、母がまたこちらへ戻ってくる。先ほどとは私の足をはさんで逆側へ。この部屋の隅へ向かっていく。

 真ん中へ寝っ転がる私に対し、部屋の角で手を合わせ、おがむように頭を下げていく母。それはまさにお祈りのようであった。

 そして、私はそのときに気づいたんだ。母の両耳から、赤い血が筋となって顔を伝い、首の表面にまで流れていることに。


 私の耳の中で、今度は音そのものが止んでいく。

 それが完全に止むと、母のお祈りの仕草もぴたりと止み、こちらを振り返ったのだが、その目が私をとらえて少し見開かれる。

 あ、これは私に用があるなと、まなこをしっかり開けて起きようとしたところ、ぽたりと垂れ落ちる音がする。

 見ると、床に血が垂れていた。私の耳から落ちたものだったよ。母と同じように、私も耳から出血していたんだ。

「あんた……ひょっとして、あの音を聞いた? いや、聞けたのかい? 珍しいねえ」


 どうも、母にとっては慣れっこのようだった。

 血を拭いながら聞いたところ、このあたりに住む人をご先祖に持つ人が大人になると、高確率であの音を聞き、こうして血を流してしまうことがあるらしい。

 歳を重ねるものほど聞こえる割合は高くなり、九死に一生を拾ったものの中には、耳ごと身体が裂かれるかと思うほどの叫びとなって、傷つけられることもあったとか。

 母がやったようにお祈りを捧げるとおさまるあたり、何かしらの意思はあるようなのだけどね……。

 大人になったものたち、いわば死に近づいたものたちが感じ取れる音を、小さいころから聞き取れるってことで、しばらくはえらい心配されたよ。いつ死んでしまうかもしれないって。

 まあ、今はこうして生きているし、あの音も聞こえなくなったが、またいつ聞こえてくるかは不安だな。

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― 新着の感想 ―
聞こえない方がいいかもですが、聞こえるからこそ何かしらの手を打つことが出来る場合もあるかも。 とても面白かったです。
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