第2話。やっていける気がする
だいぶ修正しました。
――しかし、こんなにリアルな体験ができるのなら、悪くない。
現実よりも鮮やかで、五感はしっかり機能していて、痛みもない。
まるで夢のような異世界。しかも海外旅行よりも手軽にアクセスできるなら、これはこれでアリかもしれない。
無理してレベル上げに明け暮れる必要もない。
探索をゆるく楽しむだけでも、今の俺にはちょうどいい。
特に、この若々しい体で動き回れるのが素晴らしい。
どこも痛くない。関節も悲鳴を上げない。
息切れもしないし、何より体が軽い。
「……じゃあ、街にでも行ってみるか。たしか――ディオグルーの街だったかな」
支援バフがかかった体で、軽やかに歩き出す。
まるで風をまとうような身のこなし。ステップ一つ一つが楽しい。
この調子なら、街までもすぐ着くはずだ。
――そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました。
道は、覚えている。
魂に焼き付けていると言っても過言ではないほど、覚えている。
地形も、山の輪郭も、大岩の位置すらも、完璧に記憶通りだ。
……なのに、だ。
「ポイントからポイントへの距離が、鬼長ぇぇぇ!!
あの岩、見つけるまでに何度引き返そうかと思ったか……」
昔のゲームでは、次の街まで徒歩で5分もかからなかった。
ミニマップを見ながら適当に歩いてれば、すぐ到着したのに――
この世界では、何日かかるかすら分からない。
歩いても歩いても進まない。
足は軽いのに、心がだんだん重くなる不思議。
ふと、視界の端が赤く染まる。
太陽が、ゆっくりと地平線へと傾き始めていた。
「……もう日が傾き始めてる。体感だと……5時くらいか?」
空は、淡いオレンジと紫が交じる美しいグラデーションに染まりつつある。
太陽の光だけでなく、空には巨大な惑星の反射光も漂っており、暗さはそれほど感じない。
けれど――
空気が澄んでいるせいか、星がちらほら見え始めている。
その静けさと空の表情が、夜の訪れを告げているようだった。
「……夕方一歩手前か。もう、野営するしかないな」
このあたり――たしかゴブリンが出るゾーンだった。
ゴブリン。子供サイズの青い肌をした二足歩行の魔物。
見た目は小さいが、初期プレイヤーにとってはちょっとした壁になる存在。
今の自分なら、恐らく脅威ではない。
――はずなのだが。
「……うーん、このリアルさでゴブリンって、逆に怖くないか?」
実際に出てこられると、ゲーム内の記号的な存在とは別物になる。
体液とかぬめりとか、そういう“リアル”な描写を想像したくない。
しかも、この先には――ゴーストエリアがある。
「……リアルなゴーストは、無理だわ」
某ホラーゲームの初代で、暗がりに入った瞬間コントローラー放り投げた記憶が甦る。
あれはトラウマだ。マジで。
見た目がリアルになればなるほど、耐えられる自信がない。
というわけで、まずは安全な野営場所の確保だ。
選択肢は二つ――
木の上:獣や敵から隠れられるが、蛇や虫のリスクあり
開けた場所:見通しはいいが、隠れる場所がない
熟考の末――
「……開けた場所にしよう。何が来るか分かんないけど、せめて見える方がマシだ」
夜の帳が落ちる前に、野営地の設営を始めることにした。
しばらく歩いたが――
なかなか「ここだ!」という場所が見つからない。
「贅沢に選びすぎてるか……?」
そう思いつつも、どこか納得できずに歩き続けてしまう。
疲れないのがいけないのだ。
この体、まったく息が切れない。
足も痛くならないし、筋肉もだるくならない。
おかげでどこまでも妥協せずに歩けてしまう。
「……もうちょっと歩いて、なければそこで妥協しよう。さすがに」
そう思った矢先、目の前がぱっと開けた。
「あっ、草原……?」
少しだけ盛り上がった地形。ちょっとした丘になっている。
坂と呼ぶには緩やかすぎる傾斜を登っていくと――
そこには、小高い草原の丘が広がっていた。
「思ったより……見晴らし、いいな」
標高で言えば、ざっと15メートルくらいか。
周囲を見渡せば、半径100メートルほどの草地が広がっており、遮るものはほとんどない。
死角がなく、全体を見通せる。
いざというとき、逃げやすいし戦いやすい。
「うん……これは悪くない」
だが――
“よく見える”ということは、“よく見られる”ということでもある。
……と、脳内の注意喚起が終わったタイミングで。
ガサガサ……ッ
草を踏みしめる音が、すぐ近くの森の方から聞こえた。
「……ん?」
その方向を見ると――
森の影から、緑色の小人が、ぬるっと出てきた。
「……えーっと」
一瞬、情報処理が追いつかない。
「……森から緑色の小人が出てきたんですけど……」
めっちゃ冷静に言ったけど、俺の心、今だいぶざわついてるからな!?
緑色の小人は――明らかにこっちを見ていた。
じっと、ジリジリと。
その視線が合った瞬間、顔が、グニャリと歪む。
口が開き、ベロンと舌が垂れ下がる。
口角が吊り上がって、ニタァ……と気味の悪い笑み。
しかも、よだれがポタポタ垂れてる。呼吸も荒くて、ハァッハァッ言ってる。
そして――
上下に揺れ始めた。
「……えっ? 何その動き、ちょ、なんかヤバくないか……?」
視線が離れない。
でも動く気にもなれない。
その時――
下半身が元気になり始めた。
「こっ、こいつ……ッッッ!!」
ゴブリン――たぶんゴブリン――は、明らかにテンションMAXでこっちを見ながら震えていた。
次の瞬間――
「グギャァァァァァァァァァァァ!!!!!」
奇声を上げながら、マッパの緑小人が突進してきた!!!
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
ムリムリムリムリムリ!!!
キモイキモイキモイキモイ!!!あんなの全力で無理!!!
「いやこれ誰がデザインした!?運営!?お前かセック!?」
思考が悲鳴と共に暴走する。
あんなキモいもんよく作ったな!? デザイナー出てこい!!
とにかく、がむしゃらに走った。
バフ込み、全力ダッシュ。命の危険を感じるとはこういうことだ。
「うおおおおおおおおおお!!!!」
たぶん時速40キロは出てる。
熊並みのスピード。いや、比較対象が悪い!
起伏のある草原なのに、体は軽い。
二刀流が揺れるが、気にしてる余裕はない。
オフロードバイクより速い気さえする。誰か計測してくれ!!
……でも、後ろから聞こえてくる声が――
「グギャギォギォァァァァァァ!グギャァァァァァ!!!!!」
「うっそだろ!? あいつも速えぇぇぇぇぇ!!!!」
なんであの状態で!?
なんであんなもんブラブラさせながら突進してくるんだよ!?
物理的におかしいだろ!反則だろ!!
そして――
もう後方30メートル。
間違いない、ゴブリン(仮)は、全力で追いつこうとしてきてる。
「やばいやばいやばい!! こっち見んなァァァ!!」
「くっそ……! 俺は高レベルのはずだ! 奴はたかがゴブリン……!
……だけどリアルになると、キモくて怖いんだよッ!!」
そう叫びながら、心を決める。
逃げ続けるのは性に合わない。
せめて一発、トラウマになる前に倒す!
周囲を見渡し、少しだけ開けた場所を見つけて――
スッと両手の剣を構え、滑るように振り向く。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇっ!! 雑魚がああああっ!!」
青く光る+10の両剣が、唸りを上げてゴブリンを両断する。
シュバッ――
鈍い手応えと共に、ゴブリンの体は首と胴に分かれて地面を転がった。
青い血を飛び散らせながら、ピクリとも動かない。
「ぐあああ、ぎもぢわるいぃぃぃ!!」
勝った。
確かに勝ったはずなのに、何一つスッキリしない。
手応えゼロ。ただただ、生理的嫌悪感MAX。
「……やっぱりゴブリンだったか。っていうか雑魚すぎて拍子抜けしたけど……
それよりも、キモさが全てを上回ってるってどういうことだよ……!」
そして、ふと気づく。
「……え、倒しても消えないの?」
ゴブリンの死体はその場に残っている。
まるで現実のように、生々しく。
「うわ、うわわ……!
なんか青少年に見せちゃいけないモノが丸見えだったんだけど!?」
明らかにアウト。
R18指定とかそういうレベルじゃない。
「……これ、モザイクなしで見せたら、法律的にどうなんだ……
いや、でも相手モンスターだし、人間じゃないからセーフ……?」
セーフか???
考えたくない。もう考えたくない。
脳が拒否反応を起こしてる。
「……とりあえず、なかったことにしよう」
剣を一旦仕舞う。
汚れてる様子はなかったが――
「……見た目じゃ分かんないし。微量子レベルで何か残ってたら嫌だし。」
そう自分に言い聞かせて、剣を倉庫に戻す。
倉庫から出せばリセットされてる、ってことにする。
「……つーか、そもそもこのゲーム、“武器が汚れる”って仕様あるのか?」
もはや、どうでもいい。
「……とりあえず、キモいからここを離れよう。」
そそくさと背を向け、全力でその場から離れる高木であった。
あんなに全力で走ったのに――息一つ切れていない。
「……さすがゲームだな」
やはりこれは“ゲームの中”なんだと、改めて思う。
これが現実だったら、走り出して30秒で膝が笑ってたはずだ。
「きっと、攻撃されても痛くないんだろうな……」
……とは思うが、試す気にはならない。
どこまでリアルか分からないし、体験する勇気もない。
さて――
空はすっかり夕方の色に染まってきた。
そろそろ、本気で休める場所を探さなければならない。
さっきのように見晴らしの良すぎる場所はダメだ。
学習した。
今度は、ちゃんと隠れられる場所がいい。
そう思って歩いていると――
視界の先、片側が崖のように切り立った地形が見えてきた。
その崖の下――
やや平らな地面が数メートルほどのスペースを作っていて、
周囲は茂みに囲まれ、上には大きな木が枝を広げている。
「……おお、ここ……意外といいかも」
茂みに囲まれているおかげで外からは見えにくく、
火を焚いたとしても、枝葉が煙を分散してくれそうだ。
「うむ、ここにしよう。ここは安全とする。」
根拠はない。
でも気持ちが大事だ。
「心配しても仕方ない、なんとかなるさ」
そうつぶやいて、大きな石に腰を下ろす。
疲れてはいない。
けれど――
「立ったままだと疲れちゃうっていう感覚が、もう刷り込まれてるんだよな……」
空いてる場所があれば、つい座ろうとしてしまう。
これはもう、おっさんの本能だ。
ゲームでは、立っているより座った方が体力の回復速度が早いという仕様があった。
さらに、“休む”専用のアイテムを使えば、もっと早く回復する。
いわゆるキャンプボーナスというやつだ。
その専用アイテムというのが――まあ、普通に言えばテントなのだが。
ただし、これは初期イベント限定のレア品で、今となっては古参プレイヤーの証でもある。
譲渡不可。使えるのは持ち主だけ。
つまり、これを持っているだけで「昔からこのゲームやってます感」がにじみ出るというわけだ。
「……あったあった、これこれ」
インベントリからアイコンをタップ。
表示されたのは――
まさに“ザ・テント”といった感じの、三角形のオリーブグリーンのテント。
見た目はまるで軍隊の装備品のような、くすんだ色と質感。
飾りっ気は一切ないが、妙な安心感がある。
設営されたテントの中に謎の異空間が広がっているわけでもない。
ただ、シンプルに雨風をしのげる“本物のテント”。
……だが、実はこのテントにはひとつ重要な機能がある。
休憩中にPKされないよう、保護フィールドが展開されるのだ。
見た目は地味だが、機能はガチ。
古参しか知らない、実用性重視の優秀アイテム。
「さて……他のアイテムも、ちゃんと出せるのか?」
インベントリを開いて、試しに素材アイテムを探してみる。
「一角熊の毛皮」とか「氷龍の鱗」とか――アイコン上でしか見たことないアイテムたち。
もしこれらも実体化できるなら、この世界ではアイテムすべてが“現物”として存在することになる。
試しに、一角熊の毛皮を選んでタップ。
――ボフッ
目の前に、厚みのある毛皮が現れた。
「おおっ! 出せた出せた……!」
手を伸ばして触れてみる。
ふかふかとした弾力。やわらかくて温かく、まるで高級寝具のような手触り。
アイテムアイコンとしてしか知らなかった素材が、今、現実の触感としてそこにある。
「さわり心地、抜群だなこれ……」
リアルとゲームの境界が、ますます曖昧になっていくのを感じた。
せっせと、毛皮をテントの中に敷いていく。
昔は――というか、かつてゲーム内でこのテントを使ったときは、
中で体育座りするくらいしかできなかった。
設置の意味、あったのか? と思うくらいに機能的じゃなかった。
でも今は違う。
ちゃんと「寝られる」テントになっている。
敷き終わった毛皮の上に、そっと横になる。
「……うん、いい感じだ」
柔らかくて、あたたかい。
背中から体を包む感覚が、不思議と落ち着く。
リアルでは、キャンプなんてやったことがなかった。
ずっと、憧れていたのに。
自分は寝つきが悪い。
自宅ですら、眠れないことがよくある。
旅行先のホテルでは、なんとかギリギリ。
そんな体質だから、テントで寝るなんて、絶対に無理だと思っていた。
そうして、いつの間にか**“あきらめる”が当たり前になっていた。**
年を取って、体の調子も万全とは言えなくなって。
「若かったら」「体力があれば」――そんな言い訳が、自然と増えていた。
「……若かったら、富士山の麓とかでキャンプ、してみたかったな……」
ぽつりと、誰に聞かせるでもなく、つぶやく。
たった一回でも、チャレンジしてみればよかった。
そう思うことは、少なくない。
けれど――
こうして、ゲームの中で、異世界で。
キャンプの“真似事”でもできるなんて、思ってもみなかった。
これは、嬉しい誤算だ。
そして何より、キャンプと言えば――
火起こしと焚き火。
これがないと、キャンプじゃない。
そういえば、アイテムクラフトの過程で**「焼く」**というイベントがあったっけ。
焚き火セットも、たしか持っていたはずだ。
「よし……やるか。男のロマン、焚き火タイムだ」
「あったあった、これだこれだ……っと」
アイコンをクリックすると、焚き火セットが現れる。
丸く組まれた石に、小さな薪がセットされた、懐かしい形。
だが――
「あれ? 火がついてないぞ?」
首をかしげる。
昔のゲームでは、設置した瞬間に勝手に燃えてたんだよな。
「点火」とかいう概念はなかった。
「……まいったな。ガチのキャンプだったら……ファイヤースターター?
なんか擦るやつ……火打ち石だっけ?」
記憶はあいまい。
とにかく、手元にはライターもマッチもない。
「しかたない、あれやるか……無人島サバイバル的なアレ。」
そう――サバイバル動画とかでよく見る、木に木をこすりつけて火を起こすやつだ。
「マジかよ……異世界来てまで“文明を捨てた男”やることになるとは……」
とはいえ、まずは素材探しだ。
乾いた木の枝がなければ、始まりもしない。
辺りを見渡す。
……が、見つからない。
ちょうどいいサイズの枯れ枝が、見事に落ちてない。
「うわぁ……めっちゃ嫌なフラグ立ってきた気がする……」
正直、あのキモい緑のアレ(※ノーパンゴブリン)に、もう一度会うのは絶対にイヤだ。
あんなのが木陰から出てきたら、今度は精神が死ぬ。
「……いやでも火がないとキャンプ感ゼロだし、これは……これは仕方ない……!」
しぶしぶ、立ち上がる。
「ちょっとだけ探して戻る。絶対深入りしない。
ほんとに、ちょっとだけだからな……!」
心の中で自分に言い聞かせながら、
高木は、焚き火のために――枯れ枝を探しに踏み出した。
数百メートルほど先――
「……おっ、あれは……?」
雷でも落ちたのか、半分燃え残っている木の幹を発見した。
炭化してはいるが、まだ形はしっかりしている。
夜露でやや湿っているようだが、生木よりは燃えやすいだろう。
「針葉樹の葉とか、松ぼっくりとかって燃えやすいんだっけ? ……まぁ試すのはやめとこ」
ここがどこまでリアルに忠実なゲーム世界なのか分からない以上、下手に燃やして変なフラグを立てたくない。
見つけた幹は、抱え込むようにして2本。
どちらもそこそこなサイズだが、軽々と持ち上がった。
「やっぱこの体、力持ち仕様なんだな……便利」
さて――このままでは薪として使えない。
割らないと、火も起こせない。
「……よし、アレの出番か」
インベントリから呼び出したのは、ドワーフ御用達の斧。
「……うわ、デカっ。でも、軽いな。……多分俺の体がバグってるだけだけど」
ジョブが違うので、手にしっくりは来ない。
けれど、使えないわけではない。
地面に大きな破片を置き、その上にやや小さな破片を乗せる。
構えて、腰を落とす。
「せーの……!」
勢いよく振りかぶって――
パァァァァァァァン!!!!!!!
「ええええぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?」
衝撃音が地形を揺るがした。
置いてあった木材が、粉砕。
破片が無数の弾丸のように四方に飛び散り、全身にバラバラと当たった。
「……いたくはないけど!痛くはないけど!!」
目の前の地面には――
数メートルに渡って抉れた、細長いクレーター。
そして、その中心にブスリと深く食い込んだ斧。
「おいおい……何だこの斧、補正機能でも付いてんのか!?」
思わず斧を見つめる。
明らかに普通の薪割り斧じゃない。
たぶん“【斬鉄+超振動】”みたいな名前ついててもおかしくない。
「……まぁいい、大惨事ってほどでもないし」
どこかで聞いたようなセリフを口にしながら、
高木は割れた破片をかき集めることにした。
「……とりあえず、細かくするという当初の目的は達成した。
これは……失敗ではない。成功とする。」
誰も見ていないが、一応そう宣言しておく。
言葉にしておけば、なんとなく納得できる。
大事なのはメンタルの安定だ。
そう言いながら、飛び散った破片をせっせと拾い集める。
意外と数が多い。地味に時間がかかる。
「うーん……範囲攻撃の代償ってやつか……」
それでも、薪になりそうな破片をひとつずつ確認しながら、
焚き火セット――かまどのような石の枠の中に大きめの破片を隙間を空けて配置。
その上に、小さめの破片をポンポンと乗せる。
そしてさらに――
「おがくず」の代わりに、
小さな破片をナイフで削って加工することにした。
「ナイフ、ナイフ……あった、これしかねぇか」
装備欄から取り出したのは、アサシンダガー。
暗く光る細身の刃が、うっすら青く輝いている。
「あ~これ……安全圏の+3まで強化したやつだ。
爆発はしない。……はず」
ちょっと不安になりつつ、そ~~~~~っと刃を木に当てる。
……スッ。
「チーズみたいにスル~っと切れるな……」
逆に怖い。
「これ、ほんのちょっとでも力入れ間違えたら指、飛ぶやつだ……」
じわじわくる恐怖を感じつつ、ダガーはそっと倉庫に格納。
代わりに、懐かしい**+0の片手剣**を取り出す。
昔、二刀流を使い始めた初期に装備していた、思い出の一本。
それを地面に固定し、刃に木片を擦り付けて削っていく。
ザー、ザー、ザー、ザー……
こそぎ落とされた木くずが、さらさらと足元に落ちていく。
「うん、こっちの方が安全……精神的に」
どこか現実とゲームの狭間を感じながら、
高木は静かに焚き火の準備を続けた。
さて――
いよいよ本番の火起こしだ。
やり方は、誰もが一度は見たことのあるアレ。
木の棒を両手で挟み、高速で回して摩擦熱を発生させる、古典的な方法。
これには、かなりのスピードと根気が必要なはず。
「……す~~~~……」
深く息を吸い込み、気合を込める。
テレビで素人が挑戦している番組を見たことがある。
だいたい火がつかず、皆へとへとになっていた。
だからこそ、少しだけ不安がよぎる――
「……とりゃァァァァ!!」
シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ!!!
異常なスピードで棒が回転した。
ドッ!!
木の先から、猛烈な火柱がボフッと舞い上がった!!
「アッチィィィィィ!!!!!」
反射的に手を引っ込めて跳び退く。
……が、実際は熱くなかった。
火が直接肌に当たった“ような気がして”、
脳が勝手に『熱い』と錯覚しただけだった。
「……いや、今のは**条件反射。**セーフ。セーフだから」
手をプルプル振りながら、一応の冷静を装う。
火種はしっかりとおがくずに引火し、徐々に薪全体に広がっていく。
じわじわと炎が安定し、ついに焚き火が完成した。
「結果的に火はついた……」
ここまでの苦労と過程をすべて棚に上げて、
満足げに火を見つめながら、一言。
「これはこれで、成功とする。」
パチパチッ――
焚き火は、心地よい音を立てながら燃えていた。
火はしっかりと薪に定着し、もう消える気配はない。
ちゃんと「芯まで火が入った」焚き火は、安定感が違う。
炎が揺れるたびに、火の粉がふわりと舞い、影が地面に踊る。
岩に腰を下ろし、静かに炎を見つめる。
肌にはじんわりと焚き火の熱が伝わってきて、
その一方で、夜風が頬を優しく撫でていく。
顔の前後で感じるこの温度差――これぞ、“ザ・焚き火”。
「うむ……いい感じだ。なんか落ち着くなぁ」
思わず声が漏れる。
某動画投稿サイトで“焚き火動画”がバカみたいに再生されていたのを思い出す。
あれ、見るたびに「なんでこれこんなに人気あるんだ?」と思ってたけど――
「……うん、**わかるわ。**これは確かに落ち着く」
現実だったら、ここでコーヒーでも淹れたいところだが、あいにくそんなアイテムは持っていない。
液体系アイテムといえば――
回復用のポーション
錬金素材の聖水
季節イベントでもらったシャンパンとワイン(クリスマス限定)
「……聖水、沸かしたら普通にお湯になるのかな?」
錬金用の吊り下げ式鍋があったのを思い出し、試してみることにする。
アイテム欄から聖水を取り出す。
アイコンでは栓付きのガラスフラスコ――実際に出してみても、やっぱりそのままの形だった。
「……まぁ、そりゃそうだよな」
鍋に聖水を注ぎ、火の上に吊るす。
**グツグツ……**と小さな泡が立ち始め、香りのない湯気が立ち昇っていく。
錬金セットに付属のビーカーですくい、
フーフーと息を吹きかけて少し冷まし、ひと口。
「……うむ、お湯だな。」
変な味もしない。香りもない。
まさしく“ただの温かい水”。
だけど――
それが今、なんだかやけにありがたく思えた。
聖水とはいえ、沸かせばただのお湯。
それでも――
この世界に来てから**初めて口にした“温かな飲み物”**というだけで、
不思議とほっとする。
「……ふぅ、悪くない」
一息ついて、焚き火の前でお湯を啜る。
だいぶ落ち着いてきた。
温かい飲み物。パチパチと揺れる焚き火。
しばらくぼんやりと炎を眺めて、ゆっくりと**“情景”そのものを味わう。**
周囲の暗闇はさらに濃さを増し、焚き火の明かりが唯一の光源になる。
炎が揺れるたび、木々の影がまるで生きているように踊る。
空を見上げれば――
そこには、はっきりと浮かぶ惑星のリング。
明かりはあるのに、星はやけに多い。
地球とは違う空、でもどこか懐かしい光景。
謎の光の粒――
ホタルのようにふわふわと漂う、小さな光が空気を舞っている。
「本物のホタル、一度は見てみたかったな……」
一度は見てみたいランキング、オーロラと並んで2位。
1位は――宇宙から見た地球。
高所恐怖症の自分には一生縁がないだろうが、憧れだけはある。
「高いビルでも窓際行けないからな……無理だな、やっぱり」
視線を戻すと、地面に咲く花がうっすら光っている。
「……あの花、光ってないか? 幻想的すぎるだろ。
デザイナーさん、どんだけ本気出してんだよ……」
その時――
腹部に、静かなる危機感が訪れる。
「……あれ? やばい、小したくなってきた……」
この体になってから、初めての尿意。
おそらく、今までずっと緊張していたせいだろう。
ようやく落ち着いて、感覚が戻ってきたのだ。
「ていうか、女って……拭かないとダメなんだよな?」
この体、見た目は完全に女性である。
ゲーム的には性別不問でも、こういう時だけは性別大事じゃない?
倉庫を開く。
「紙、紙……オリハルコン、ヒヒイロカネ、硬っっ!!」
金属系ばっかり。役に立たない。
「魔導書……か。魔法職じゃないし、いらないっちゃいらないけど……」
とりあえず取り出してみると――
「……え、日本語かよこれ。しかも字ちっちゃ!! 老眼に優しくない!」
まぁ今はこの体だから、普通に読めるのが逆に腹立つ。
ページをめくると、呪文名が目に入る。
「“グランドクロス”……いや知らん! こんな魔法、昔のゲームにあったか?」
悩むのも面倒なので、そのまま魔導書を破く。
もむ。 ← これ大事。柔らかさ重視。
「……よし、これでOK」
よさげな草むらを探し、少しだけ掘る。
自分の足が濡れないように――ちゃんと考えてる。
高木は、異世界でも**人としての dignity(尊厳)**を保ちながら、
そっと静かに、自然の中に溶け込んでいくのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――用足し、完了。
ふぅ……と、静かに息をつく。
男の時と比べて、多少感覚は違った。
特に、尿道の長さとか、そのへんの違和感が微妙にある。
「まぁでも、概ね同じ……かな?」
紙でチョン、チョン……と軽く拭く。
これで正解なのかは、まったく分からない。
しかも、誰にも聞けるわけがない。
「ていうか俺の本体、今頃おねしょしてないよな!?」
急に現実がよぎる。
もし今、現実世界の身体でも“排尿モーション”が連動してたら……
想像するだけでちょっと怖い。セックさん、頼むよ……。
――とはいえ、終わったことだ。
「……まぁ、難関をいくつか突破した。」
ここまでにゴブリンから逃げ、火を起こし、聖水を沸かし、
魔導書をトイレットペーパーにするという謎ムーブをこなし――
そして、異世界トイレ問題もクリアした。
ならば言える。
「これで……やっていける気がする!!」
夜空を見上げながら、
高木は、どこか誇らしげに立ち上がった。
お読みいただき、ありがとうございます。