第14話 ピカピカ団の初仕事とハンター登録
ギルド館の昼下がりは、いつになく賑わっていた。
依頼掲示板の前ではハンターたちが押し合いへし合いしながら、明日の稼ぎを夢見て情報を吟味している。そんな喧騒の隅っこで、控えめに、それでいてなんとも目を引く光景があった。
「おとなしく、並んでね~。ルミナス、そっち行っちゃダメだって」
ヒディが両手で子どもたちをなだめている。ピカピカ団、始動前の予行練習といったところだ。
子どもたちは、元気いっぱいな孤児院組と、ちょっぴり内気な孤児たちが混じっていて、ヒディの後ろに並ぶ姿もまちまち。妙に整列しているかと思えば、すぐ誰かが「なにそれー!」と動き出す。
ルミナスはその筆頭だった。ジョンのしっぽを追いかけて回転し、途中で転んでヒディのマントに絡まり、笑いながら起き上がってくる。
「うー、ジョン まてー!」
ヒディは頭を抱えつつ、子どもたちの様子を温かく見守っていた。
そんな中、ギルド館の扉が開いて、年配の女性が姿を現す。
白髪まじりの髪をお団子に結い、頬には年輪を刻んだ皺。だがその目は若々しく、しっかりとした足取りでまっすぐこちらに向かってくる。
「……あれ、あの人って……」
ヒディが顔をしかめて記憶を探る。どこかで見たような――
「やっぱり、あんたじゃないかい!」
先に声をかけてきたのは、その老婆だった。
「あっ! はいっ、あのときの!」
思わずぴしっと背筋を伸ばしてしまうヒディ。
ミチ婆はヒディの姿をぐるりと一瞥し、次にその背後の子どもたちに視線を移す。ルミナスは警戒もせず、「おばー ぴかぴか?」と笑いかけ、ジョンは気を利かせたようにお座りした。
「なんだい、ずいぶん賑やかじゃないか。……ああ、なるほど、こりゃ話を聞いたってわけだね」
「えっと、はい……クリーン魔法を使って、子どもたちでちょっとしたお掃除屋を始めようかと」
ヒディは恥ずかしそうに答えるが、ミチ婆は大きく頷いた。
「それだよ、それ。うち、手伝ってほしいんだよ」
「え?」
「いやね、長年住んでる町家なんだけど、手が届かなくて埃がすごいんだ。ちょっと若い子に掃除してもらえたら助かるなと思ってね。特に天井の梁とか、もう腰が痛くて手が届かないのさ」
ミチ婆は苦笑しつつも、どこか楽しげに話す。
その言葉に、子どもたちはワクワクし始めた。「やる!」「いくいくー!」「ピカピカするー!」と声が飛び交う。孤児たちもそれに釣られて笑顔を浮かべ、互いに目を合わせて小さく頷き合っていた。
その様子を見て、ヒディは一度うんと深呼吸をした。
「わかりました。では、正式にギルドの受付で依頼として受けさせていただきます」
「おお、頼もしいねぇ」
ヒディは受付嬢に事情を説明し、受付台で依頼の手続きを始める。受付嬢は、微笑みながらも目を丸くしていた。
「子どもたちによる掃除団……珍しいですが、ギルド登録上問題はありません。報酬はどうしましょうか?」
「ミチ婆さん、どうしますか?」
「そうだねぇ……じゃあ銀貨三枚と、あんたたちにまんじゅうも付けてやろうかね。うちの裏で蒸かしたふかふかのやつだよ」
子どもたちは「まんじゅうー!」と歓声を上げる。
「じゃあ、それでお願いします」
ギルド受付に紙が渡され、依頼票が発行される。正式なギルド依頼として、初めての仕事が記された。
【依頼内容:町家の掃除】 【依頼人:ミチ婆】 【報酬:銀貨3枚とまんじゅう】
「……ピカピカ団、発進だな」
ヒディが小さく呟くと、子どもたちは「おー!」と声を合わせ、受付の周りに元気な笑いが広がった。
「こっちだよ、こっちおいで」
ミチ婆に手招きされて、ヒディたち一行は街の中心部から少し離れた、古い長屋が並ぶ通りへと歩いていた。
日が傾きかけた石畳の道を、ルミナスがピョンピョン跳ねながら先を行き、ジョンはその横を忠実に歩く。孤児たちは緊張と期待を入り混ぜた表情で列になって歩いていた。時折ヒディの後ろをこっそり覗いたり、ミチ婆の服の柄を面白そうに眺めたりしている。
ミチ婆は歩きながら、ぽつぽつと語り出した。
「ここらはね、昔は商人や職人が住んでいた通りさ。あたしの家も、もとは染物屋だったんだけどね……今はもう、道具も売っ払っちまってさ」
通りの左右には、古びた木造の家が肩を寄せ合うように並び、瓦の隙間から草が伸びている屋根もちらほらある。
やがて、ひときわ古びた、けれど手入れの行き届いた町家の前で、ミチ婆が立ち止まった。
「はい、ここだよ」
引き戸を開けて案内されると、ふんわりとした木の香りと、少しばかりの懐かしい埃の匂いが鼻をくすぐった。
内部は縦長の構造で、奥に台所と風呂場、二階へと続く階段があり、中央には中庭に面した座敷が広がっている。時代を感じさせる建具や棚には、ところどころ布がかけられ、年季の入った欄間や照明具が目を引いた。
「なんだか……昔の映画に出てきそうな家ですね」
ヒディが感心したように言うと、ミチ婆は鼻を鳴らした。
「今どきの若いもんは、こういうの見たこともないんだろうけどね。けど、天井の梁や高いとこがもうダメでさ。ほれ、見てごらん」
ヒディが顔を上げると、天井の木の梁には白い埃がふんわりと溜まり、光を受けてほこりが舞っていた。
子どもたちは一斉に「うわっ」「ほんとだー!」と声を上げる。中には「ここ、ピカピカにしたい!」と鼻息荒く言い出す子もいて、ヒディはその勢いに押されつつも頷いた。
「了解、じゃあ作戦会議はあとにして、まずは一通り案内をお願いできますか?」
「いいとも。こっちおいで、階段は気をつけてね」
二階は板張りの廊下と、小さな客間が二つ。古い桐箪笥や置物が整然と置かれているが、どれもやや埃を被っていた。
「この箪笥、戦後すぐの頃の品でね……あんたたちにはわからないだろうけど、ずいぶん重たいのさ。動かす必要はないけど、裏がすごいのよ。あとでお願いね」
ミチ婆の言葉に、ヒディは苦笑交じりに「任せてください」と答えた。ルミナスは隅にあった古い人形をじっと見ている。ジョンは鼻をヒクヒクとさせながら畳の上を歩き、梁をじっと見上げていた。
(やっぱり、清掃用に向いてるな、おまえ……)
ヒディはジョンに感謝の視線を送りながら、心の中でメンバー構成を確認する。
子どもたちは、年長の子を中心に掃除分担ができそうだし、低年齢の子たちも魔法を使えば戦力になる。ルミナスも……まあ、彼なりにキラキラしてくれるだろう。
ミチ婆は最後に、裏庭につながる勝手口を案内してくれた。そこには干し野菜や洗濯物が並び、風通しのいい空間が広がっていた。
「この勝手口からは、掃除終わったゴミを外に出せるよ。庭の片隅に古い木箱があるから、そこに入れといておくれ」
「了解しました」
ヒディは拳を小さく握った。
「さて、そろそろ……準備、始めようか」
「おー!!」
子どもたちの声が響き渡る。
陽が傾きはじめたディオグルーの街。長年積もった埃と思い出が眠る家に、今、ピカピカ団が挑もうとしていた。
「それじゃあ、いくよー!」
ヒディの掛け声とともに、ピカピカ団の活動が本格的に始まった。
最初はおそるおそるだった孤児たちも、慣れてくるとすっかり楽しそうな表情に変わっていた。小さな手で雑巾を握りしめ、床をゴシゴシ。天井の梁には脚立代わりに“ジョン”が控えている。
「ジョン、そこでストップ! いい子だね~、ありがとっ」
年長の子がジョンの背に慎重に乗り、《クリーン》の魔法をそっと唱える。ふわりと淡い光が舞い上がり、何年も放置されていた埃が一瞬で消えた。
「すごい! ホントにキレイになった!」
「これが魔法かぁ……なんか、気持ちいい!」
子どもたちは目を輝かせてはしゃいでいる。床を磨く子、壁を拭く子、道具を運ぶ子。みんな自分の役割を見つけ、ワイワイガヤガヤと活気に満ちた空気が流れていた。
ルミナスはというと、キラキラの目を輝かせながら部屋の隅を探索していた。
「ピカピカ、するー!」
そう言って小さな手で魔法を唱え、ヒディの街服の裾までピカピカにしてしまう。
「わ、わたしにかけなくても……! でもありがと、ルミー」
ルミナスは得意げにうなずくと、再び走り出していった。
ヒディはというと、危なっかしい動きをする子のそばについてフォローに回っていた。小柄な子が椅子の上から落ちかけた時には、さっと支えに入り、本人以上にドキドキする。
「高いところは無理しないでね~。……あー、心臓に悪い……」
それでも、子どもたちがどんどん綺麗にしていく様子に、ヒディの表情もつい緩んでしまう。
ふと、畳の下からは、ミチ婆が話していた通り、古びた扇子や干からびた果物の皮などが出てきて、子どもたちの好奇心を煽った。
「これ、なに!?」「宝物じゃない?」
「違う違う、それミカンの皮じゃない!?」
「うわー、しわっしわー!」
ジョンはその騒ぎに耳をぴくりと動かしつつも、ずっと「動く脚立」係として無言で活躍していた。鼻をヒクヒクさせながら埃のある場所を探し、子どもたちをそこへ誘導するという器用さまで見せていた。
「おまえ、なんか……便利になってない?」
ヒディは小さく笑いながら、そんなジョンの頭をなでた。
途中、戸棚の奥から古びた人形や破れかけた巻物が見つかって、一時作業は中断。子どもたちがそれを囲んで盛り上がる中、ヒディはにぎやかなその風景を眺めていた。
(……こんな感じの、ゲームじゃなかったな)
いつもは命がけのダンジョン探索とか、時間との戦いとか、効率を求められる冒険ばかりだった。けれど今、ここには“生活”があって、“人のぬくもり”がある。
(……悪くないな)
やがて陽が傾き、家の中はすっかりピカピカに磨き上げられた。
木の柱には艶が戻り、畳は清々しく、台所には整然と食器が並ぶ。何より、漂う空気そのものが変わっていた。まるで、家が微笑んでいるような……そんな温かさすらあった。
「うわぁ……すごい……」
ミチ婆が静かに呟いた。
入口で立ち尽くすその顔には、言葉にできない思いがにじんでいた。
家の中を一通り見て回ったミチ婆は、ゆっくりと息を吐いた。
「……あんたたち、本当に……ありがとねぇ……」
その言葉には、長い年月を経て積もった埃のような感情――懐かしさ、哀しさ、感謝、すべてが詰まっていた。
ピカピカになった床に、ついさっきまでの子どもたちの足跡が残っている。畳の目に沿って走り回った跡。家具を動かして一生懸命拭いた跡。ルミナスが頬をすり寄せていた柱の光沢までが、すべて今この瞬間に“生きている”と語っていた。
ミチ婆は奥の部屋から、小さな木箱と包みを持ってきた。
「これはね、今日のお礼だよ。はい、銀貨三枚。それから……あんたたち、子どもは甘いもん好きだろ?」
ふかふかの布に包まれていたのは、湯気が立つほどの出来たてまんじゅう。
孤児たちは目を輝かせた。
「まんじゅう!」「お金もらえるの!?」「え、こんなに!?」
ヒディは銀貨三枚を受け取りながら、ミチ婆に頭を下げた。
「ありがとうございます。でも、こんなに……」
「いいのいいの。これくらい払えなくて、何が依頼主かねぇ。あたしの方こそ……ありがとね」
ミチ婆はちょっと涙ぐみながら笑ってみせた。
ヒディは、少し恥ずかしそうに微笑む。
その後、子どもたちはまんじゅうを分け合いながら、帰り支度を始めた。ルミナスはまんじゅうを両手で抱えるように持ち、「ルミーの、これ……もらったの」とヒディに誇らしげに見せてくる。
「うんうん、よかったな。ちゃんと働いたもんな」
ジョンはというと、荷物の上にしれっと腰を下ろし、まるで「今日はオレが一番働いたぞ」とでも言いたげに鼻をフンと鳴らしていた。
「……そういや、ジョン、階段でずっと脚立してたな……おつかれ」
帰り道、夕焼けに染まる街の中、ヒディとピカピカ団の子どもたちは、口々に今日の成果を話しながらギルドへと戻っていく。
「まんじゅう、ふわふわ!」「あたし、天井の梁もやったんだよ!」「オレも、魔法うまくいったし!」
ヒディはその後ろ姿を見守りながら、ふと自分の手のひらを見つめた。
(ただのゲームの中じゃ、こんな喜びはなかったな……)
小さな一歩。でも確かな一歩。
そう実感しながら、ヒディは夕暮れの道を、仲間たちと一緒に歩いていった。
夕方、暗くなりきる前に、ヒディたちは孤児院へと戻ってきた。
「たっだいまー!」 「まんじゅう、あるー!」 「ぎんかー!」
ワイワイと賑やかな子どもたちの声が玄関をくぐり抜けると、出迎えたのは院長セレナとシスターたちだった。セレナはエプロン姿のまま、目を瞬かせながら出てきて、驚いたように目を見開いた。
「どうしたの、そんなに嬉しそうに……って、ヒディさん? あなたも一緒だったのね」
「ただいま戻りました。皆、頑張りましたよ。初仕事ですから」
そう言って、ヒディが一歩下がると、前に出たのは子どもたち。 その手には、ぴかぴかと輝く銀貨三枚が大切そうに抱えられていた。
「せんせー! これ、きょうの おしごとの ほうしゅう!」 「もらったの! ほんとに、もらったの!」
ぽかんと見つめていたセレナの顔が、ゆっくりとほころび始める。
「……まあ……本当に? あなたたちが……」
差し出された銀貨を、震える指でそっと受け取ったセレナは、言葉に詰まったまま目頭を押さえた。
「ありがとう……本当に……」
その後ろで見ていたシスターたちも、思わず「やったね!」と声を上げて子どもたちを抱きしめる。 子どもたちはきゃあきゃあと笑い、ジョンは尻尾をぶんぶんと振って回りを駆けまわる。
そして、ルミナスが目をキラキラさせながら、両手にしっかりとまんじゅうの包みを持っていた。
「ヒディ、たべるのー! みんなで!」
「お、おう。まんじゅう、大事に持ってきたな……」
包みを開くと、ふかふかのまんじゅうが、まるで宝石のように並んでいた。 「ほら、手を出して」「一人一個ね!」と声をかけながら、子どもたちが自然と分配係を始める。
セレナやシスターたちにも渡され、最後にヒディの手にも一つ。ふと見ると、ジョンの前にはちょっと小さめにちぎられたひとかけら。
ルミナスが「ジョンのぶん!」と得意げに渡したらしい。
「ルミー、えらいな」
「えっへん!」
まんじゅうを頬張った瞬間、院内に「おいしー!」「あまいー!」という声が一斉に響き渡る。 窓の外はもう夜の帳が降り始めていたが、孤児院の中は一日でいちばん賑やかな時間となった。
——小さな銀貨三枚と、甘くてあたたかいまんじゅう。
それは確かに、子どもたちが流した汗と魔法の努力の対価だった。
ヒディはそっとまんじゅうをかじりながら、(……いい一日だったな)と心の中で呟いた。
ディオグルーの街は、宵の口のにぎわいの中にあった。
昼の喧騒がやや落ち着き、夜の活気へと移り変わるその狭間。石畳の通りには、店じまいを始める商人や、まだ何かを求めて歩く人々の姿が交差している。
ヒディはその中を歩いていた。
今日一日、孤児たちと共に「ピカピカ団」としての初仕事を終え、ほくほく顔のままギルド館へと戻ってきたところだ。
――達成感と、微かな疲れ。
それでも気分は悪くない。いや、むしろ心地良い。
(よし、あとは宿舎に戻って、皆で夕食を食べて……ジョンにもおやつでもやって……)
そんなことをぼんやりと考えながら、ギルドの大きな扉を開く。
中は案の定、仕事を終えたハンターたちで混み合っていた。
獲物を抱えて報告に来た者、報奨金の受け取りで列をなす者、にぎやかに酒場へ移動する者――。
そんな中にあっても、普通の町娘風の服に身を包んだヒディの姿は、やはり目を引いた。
ゆったりとしたフード付きマントに、柔らかいラインのワンピース。しかし、完全に隠しきれるものではなかった。
歩くたびに揺れる腰と胸。透けるほどではないが、身体のラインが浮かび上がるそのシルエット。通り過ぎる男たちが思わず二度見し、慌てて視線をそらす。
「ただいまー……っと」
小さく挨拶をして、ギルドの管理人のおばさんに手を振ると、「おかえりなさい」といつもの調子で返された。
宿舎の扉に手をかけたその時だった。
「ヒディさんっ!」
パタンと勢いよく開いた扉の向こうから、受付嬢の声が飛んだ。
ヒディは、反射的にピタリと足を止め、すぐさま振り返る。
「ん?」
……そのタイミングが完璧すぎたのだ。
駆け寄ってきた受付嬢が、慣れないヒールでバランスを崩し、ヒディの胸元に――
「……ふがっ!?」
顔面から突っ込んできた。
ちょうど良い位置にあったヒディの谷間へ、きれいにすっぽりと顔が埋まったのだ。
「うわっ!? ちょ、ちょっと!?」
ヒディは慌てて受付嬢の肩を支えた。受付嬢は数秒間動きを止めた後、ぷしゅぅぅと音を立てて真っ赤になり、ガバッと後ずさる。
「す、すみませんっっ!!!!!」
顔を真っ赤にした受付嬢が、耳まで染めて土下座しそうな勢いで謝ってくる。
ヒディは少し苦笑いしながら、「大丈夫、大丈夫……びっくりしただけだから……」と、なだめるように手を振った。
(いや、そりゃ驚くよ……谷間に全力で突っ込まれるなんて初めてだし……!)
しっとりとした夕方の空気の中に、ギルド内の妙なざわめきが広がった。
ハンターたちの目線が集中する中、ヒディはそっとフードを深くかぶり直すのだった。
「す、すみませんっっ!! 本当にすみませんでしたっ!!」
顔を真っ赤にしてヒディの胸元から飛び退いた受付嬢は、しどろもどろになりながら謝罪の言葉を繰り返していた。
まわりのハンターたちは見て見ぬふりをしているものの、耳が赤い者がちらほら。どうやら今の瞬間はギルド内の記憶としてしっかり刻まれてしまったようだ。
ヒディは頬をひきつらせながら、軽く笑って言った。
「いや、私の反応が早すぎたのも悪かったし、大丈夫……ところで、何か用だったんじゃ?」
「はっ、はいっ! あのっ、それがですね!」
受付嬢は、何とか平常心を取り戻そうとしながら、ヒディの隣にいるルミナスとジョンをちらりと見やる。
ルミナスはぽかんと口を開けて、受付嬢を見上げていた。「おねーさん、なに したのー?」
ジョンは尻尾をふわりと揺らしていたが、気楽な表情。まるで「なんだか楽しい空気だな」とでも言いたげだった。
受付嬢はもう一度深呼吸をしてから、要件を口にした。
「えっとですね、ヒディさん、実は……今ギルド宿舎に滞在していらっしゃるじゃないですか? それなんですけど、本来あそこって、ギルド登録している方専用なんです」
「……あっ」
ヒディは思わず間抜けな声を漏らした。
そういえば、ミチ婆に紹介されて、そのまま特例として宿舎に泊まっていたのだった。ちゃんとした登録をしていなかったことを、今さらながら思い出す。
「なので、今後もご利用を続ける場合は、ぜひギルド登録をお願いしたくて……」
「うん、うん、ごもっともですね。はい」
ヒディは苦笑しながら、宿舎の扉から踵を返し、受付カウンターへと向かった。
受付嬢が急いで手続き用の書類を取り出す。
「こちらが登録書になります。えっと、こちらにご署名をお願いしまーす。下の欄にお名前と魔力属性、それから……」
渡された紙を見たヒディは、思わず眉をひそめる。
やたらと細かい規約がびっしりと書き込まれていたのだ。
(うわぁ……思ったよりガチガチに管理されてるんだな、これ……)
項目には「ギルド規範遵守」「任務中の報告義務」「遺体発見時の速やかな通報」など、なかなかに現実的かつシビアな内容が並んでいた。
### ハンターギルド登録規約
**第1条: 登録の目的**
本ギルドは、ハンターに安全かつ公平な環境を提供し、異世界社会の発展と調和を目的とします。
**第2条: 登録資格**
- 登録者は15歳以上であること(例外: 特別な能力や推薦状がある場合)。
- 魔法、武術、または特殊技能を所持していること。
- 本人確認(身分証明書またはハンター資格C以上か、納税記録のある市民の保証人が必要)。
**第3条: 登録手続き**
- 登録者は必要書類(履歴書、推薦状など)を提出すること。
- 初期スキルテストおよび心理評価に合格すること。
- 登録料および年会費の支払い(支払い方法はゴールドコインまたは指定の魔力結晶)。
**第4条: ハンターの義務**
- ギルドの規範を遵守し、倫理的に行動すること。
- 依頼遂行中に発生した損害を適切に報告し、可能であれば修復に努めること。
- 仲間や依頼者の安全を優先すること。
**第5条: ハンターの権利**
- ギルドの安全保障(負傷時の治療、法律援助など)を受ける権利。
- 依頼内容や契約条件に納得した上で参加を決定する自由。
- 個人情報の保護を受ける権利(魔法的セキュリティによる保護を含む)。
**第6条: 登録解除および処罰**
- 規約違反者は登録の一時停止または永久追放の対象となる。
- 詐欺や暴力行為が確認された場合は、ギルド法廷にて裁かれる。
**第7条: ギルド独自の特典**
- 宿泊施設や訓練場の利用。
- メンター制度による技能向上サポート。
- 定期的なイベント(競技会、フェスティバル)への参加資格。
**第8条………………………………………………………………………………………………………………
(GMやりすぎだろ……)
ヒディは顔を上げて、何もない天井を見つめる。
その瞬間、どこかから「なかなか良く出来てるだろ?」という、聞き覚えのある女性の声がしたような気がした。
――セック。GMのあのアンポンタンの幻聴だ。
「はーい、署名完了ですねー!身分証明書は後日ください。保証人でもいいですよ。今は仮登録ですね~」
現実に引き戻されるヒディ。ペンを置くと、受付嬢がにこやかに笑った。
(身分証明書は論外だが、保証人か……セレナさんに頼むかミチ婆に頼むか)
「これで、ギルド所属のハンターとして仮登録完了です! ヒディさんはEランクからのスタートになります」
「はい、ありがと……F?」
思わず聞き返したが、当然のランク付けだった。登録したての新人なのだから、Eランク以外の選択肢はない。
ヒディは肩をすくめ、軽く笑った。
「まあ、別に……ランクなんてどうでもいいか。泊まれればそれでいいし」
ジョンが「ふにゃっ」と鳴いて、後ろからヒディの腰に顔を寄せた。ルミナスも「ヒディー、つかれたー」と言って手を引っ張ってくる。
ギルドの宵の口のにぎわいの中で、ヒディはゆっくりと宿舎へと戻っていく。
静かに、しかし確かに、彼女の異世界生活は少しずつ前に進んでいた。
「え、試験があるんですか?」
受付カウンターの向こうで、しどろもどろだった受付嬢が、ようやく要件を伝え終えた直後だった。
「あ、はい、その……あのですね。登録自体は簡単なんですが、ギルドとしては、登録者の実力をある程度把握しておきたいんです。なので、軽い実技試験がありまして……」
口ごもりながらも、しっかりとした説明だった。横でルミナスが首をかしげて「しけんー?」と聞き、ジョンは呑気に尻尾を振っている。ヒディは苦笑しながら頷いた。
「なるほど。まあ、やるしかないか……」
そうして受付嬢に案内され、ギルド館の裏手へと移動する。そこには、石造りのギルド建物に隣接する形で、広々とした運動場が広がっていた。
見渡せば、木製の人型カカシが等間隔に並べられ、若いギルド員たちがそれに向かって打ち込みを繰り返している。指導に当たる職員は、鍛え抜かれた歴戦の戦士のような体格で、目線ひとつにも威圧感があった。
(うわ……思ったより本格的)
だが、それ以上にヒディの胸を打ったのは、光景そのものだった。
カカシ。砂の地面。何もない空間。
(……これ……)
——古いゲームの、最初のログイン地点。
無人の草原。小さな村。ログインしたばかりの初心者たちが、ぎこちない動きで、試し斬りや魔法の練習をしていた場所。
あの頃の、まだ何も知らなかった自分。試行錯誤しながら、操作を覚えて、アイテムを手に入れて、知らない人とパーティーを組んで。
(あの時は、ただ楽しくて、毎日が新鮮だったな……)
心の奥が、ジン、と熱くなる。
思い出の景色が、まさかこんな形で再現されているなんて。いや、再現というより、ゲームの世界そのものが現実になっているのだから、当然といえば当然なのかもしれない。
(でも、なんでだろう。こうして見ると、泣きそうになるな……)
ヒディは深く息を吐いた。
(大丈夫、落ち着け。……ただの試験だし)
そう自分に言い聞かせながら、ヒディは一歩前に出た。
ヒディと受付嬢がギルド館を出て運動場へ向かうと、その様子を見ていたギルド内の数人のハンターたちが、ひそひそと興味本位で後をついてきていた。
美貌のヒディに加えて、日頃から人気のある受付嬢・リサが一緒にいるという、ある意味"珍しいツーショット"。否が応でも視線を集めてしまう。
「……ねえ、あれって噂のダークエルフの嬢ちゃんじゃないか?」 「しかも、リサさんと一緒って、何事だよ……」
そんな囁きが背後で飛び交うのを感じながらも、ヒディは努めて平静を装っていた。
運動場に着くと、そこには魔導灯で照らされ、そこそこ明るかった。リサは真っ直ぐに近くで指導をしていたギルド職員のもとへと歩み寄った。
「ヒューゴさん、この子、ギルド登録の実技試験をお願いします」
呼びかけられた職員は、黒髪を後ろで束ねた屈強な中年の男。筋肉質の体躯にギルド印入りの軽装をまとい、木剣を腰に下げている。経験豊富なベテランの風格がにじみ出ていた。
「ヒューゴ」と呼ばれた男はちらりとヒディを見て、やや驚いたように目を見開いたが、すぐに腕を組み直して頷いた。
「了解だ。で……お前さん、名前は?」
ヒディは軽く会釈して答えた。
「ヒディと申します。ええと……仮登録しまして、そので試験を」
「ふむ……そうか。登録時の確認ってやつだな。リサ、そっちも準備いいか?」
「はい! あっ……」
慌てて答えたリサは、ヒューゴに呼ばれたことで自分の名前がヒディに知られてしまったことに少し赤面した。
ヒディはそれに気づいてにっこり微笑むが、あえて口には出さない。
「じゃあ、好きな武器を選んでくれ。あそこにある模擬武器は全部木製だが、重さと形はほぼ本物だ。自分が一番扱いやすそうなものを選んでいい」
そう言ってヒューゴが顎で指した先には、数本の模擬剣や槍、短剣、ハンマーが並べられた木製のラックがあった。
ヒディはその中に目を向け、ゆっくりと歩いていく。
(さて……どれにしようか)
——と、その前にちらちらと背後で自分を観察しているハンターたちの視線が、肌にじんわり刺さっているような気がしてならなかった。
(……やりづらいったらありゃしない)
ヒディは木剣を二本、両手に取った。
カツン、カツンと、手に馴染ませるように軽く振る。剣の重みと手首の返し。動かし方は……ちゃんと再現されている。
「おいおい……両手に剣? 二刀流ってやつか」
ヒューゴが目を細めてつぶやいた。 それを聞きつけた興味本位のハンターたちが、ワラワラと集まり始めていた。
「うわ、ホントに二本持ってるよ……」「ってかあの人、何者だよ?」「受付嬢と一緒に歩いてたから見に来たけど、見逃せなくなってきたな……!」
ささやきが波のように広がっていくのを、ヒディは聞き流しながら視線を前方へと据える。
——でもその視線の先にあったのは、今の訓練場ではなく、もっと懐かしい場所だった。
円形の闘技場。ギルド施設の裏、PvP専用のサブエリア。
狩りに飽きた仲間たちが気晴らしに集まり、勝った負けたで笑い合っていた場所。中には血盟間のスパーリングや、装備の試し合いで火花を散らしたこともある。
「ヒディさん、いきますよー!」「お、二刀流じゃん、久々に燃えるわ!」
1対1で、何時間も斬り合った日もあった。
時にはチーム戦。4対4で、声を掛け合いながら背中を守り合い、戦況を動かす連携の妙。
——それは単なる遊びではなかった。
このゲーム世界ではPvPが承認されていた。
つまり、フィールドで襲われることもある。だからこそ、実戦を想定した鍛錬は重要だった。
何もかもが命懸けではなかったけれど、「緊張感を持って闘う」という意味では、あの頃は今よりずっと真剣だったかもしれない。
レベルも、装備も、反射神経も、全てが試される。
“ゲームのメイン要素が攻城戦”という特殊な世界では、PvPができなければ話にならなかった。
(あの頃……私、けっこうやれてたんだよな……)
苦笑がこぼれた。
それが、今も通用するかはわからない。
でも少なくとも、最初に狩ったあのゴブリン戦では、そんなことを試す余地すらなかった。
——気持ち悪いゴブリンが勝手に転がっていっただけで、こちらの技量を試す隙なんてなかった。
(今回は、ちょっと試せるかもしれない)
剣を握り直す。
その時、不思議と恐怖はなかった。
目の前にいるのは殺し合いの相手ではない。ギルドのテスト用の模擬戦。相手もこちらも寸止めで、魔法の使用も禁止されている。
むしろ、最も気軽に“本気の技”を試せる場だった。
「準備はいいか?」
ヒューゴが問う。
「はい。大丈夫です」
ヒディは穏やかに答えた。
これは試練じゃない——“懐かしい場所に戻ってきた”ような、そんな気持ち。
(クマタロウ……見てる? 私、いま、ここでまた振るうよ)
そう心の中で呼びかけると同時に、ヒディは軽く地を蹴った。
ヒューゴはゆるりと構えていた。
姿勢は自然で、右手の模擬剣を軽く肩口に置くように掲げ、左足を半歩引いた基本の構え。
見た目には“楽な構え”に見える。だが、よく見ればその目は鋭く、相手の動きを一瞬たりとも逃さないという気配を漂わせていた。
ヒディもまた、構えた。
両手に握った木剣を、少し肩を落とすように下げ、重心をやや後ろに引いた二刀の構え。
まるで剣が意志を持っているかのような、呼吸に溶け込んだ佇まいだった。
柵の外では、ルミナスとジョンが並んで見ていた。
ルミナスは「ヒディー すごい?」と興味津々で目を輝かせ、ジョンはぴんと耳を立て、尾を左右にゆっくりと振っていた。
その視線を受けながら、ヒディは静かに一歩を踏み出した。
ゆっくりと、まるで散歩のような歩調で、ヒューゴとの間合いを詰めていく。
その動きは無防備で、隙だらけに見えた。
だが、ヒューゴは動かなかった。
いや、動けなかった。
(なんだ……この感覚……)
普通なら、思わず踏み込んでしまいたくなる間合いだ。相手が隙を晒していると感じたなら、即座に剣を伸ばすのが基本だ。
——だが、目の前のヒディには、それが通用する気がしない。
自然体で歩くその姿に、妙な“違和感”がある。
間合いを読みながら、一切の無駄なく、まるで空間を測るように近づいてくる動作。
動きにブレがない。息の乱れもない。
そして、踏み込んだそのギリギリの位置で、ピタリと止まった。
木剣の先が届く寸前。寸止めではあるが、刃を交えるには充分な距離。
互いに視線を合わせ、静寂が落ちる。
次に動いた方が、きっと負ける——そんな緊張感が、場を支配した。
ヒューゴは、焦っていた。
(二刀流? 最初は無知な素人が見た目で選んだか、カッコつけてるだけかと思ったが……)
最初の構えを見た瞬間、脳が「違う」と警告を出した。
この女、ただ者じゃない。
構えに隙がない。体の軸がブレず、左右の重心移動が見えない。
一瞬の動作でどこからでも踏み込めるよう、すべてが計算され尽くしている。
目の前のこの女は——何度も戦場を渡り歩き、何度も死線をくぐり抜けてきた者の、それだった。
まるで“本当に死んだことがある”人間のような、何かを超えた空気。
その気配に、ヒューゴは思わず額に汗を滲ませた。
(……くそ、俺が相手を見る目が甘かったのか?)
観衆のざわめきが遠くに聞こえる中、ヒューゴの背中に、じわりと冷たい緊張が走っていた。
静寂の中、ヒディは相手を見つめながら、ふと意識を過去へと沈めていた。
(……ああ、懐かしいな)
それは、かつての“ゲーム時代”の記憶。
闘技場。仮想世界の中で繰り広げられた戦いの舞台。
そこでは、死んでも何も失わなかった。
敗北しても、何度でも立ち上がれた。だからこそ、誰もが本気で戦った。
攻撃のタイミング、視線の誘導、スキルの駆け引き、相手の読み合い——
そんな訓練を、何千回、何万回と繰り返してきた。
一年近く、ログインするたびに誰かと模擬戦をして、
時に血盟同士の狩り場を巡る戦争に巻き込まれ、
時に、敵対ギルドとの攻城戦で、文字通り“城を奪い合った”。
闘技場内では死んでもノーペナルティ——それが救いだった。
しかし、外では違った。
一度倒れれば、経験値の大幅ダウン。装備は破損し、最悪、持ち物が散らばって他人の手に渡ることもある。
だから皆、本気だった。
本当に、死ぬかもしれない——そんな“擬似的な死の恐怖”があるからこそ、ゲームは面白かったのだ。
(今思えば、あのスリルが……妙に心地よかった)
体が覚えている。
戦い方も、動きのパターンも、相手の呼吸の読み方も——
筋肉に、反射に、全部、染みついている。
それが、今のこの世界で通じるかはわからない。
だけど——
(試す価値は、ある)
ヒディは深く息を吸い、目を細めた。
それは、かつて何度も見た“開戦前”の目だった。
剣を持つ手に力が入る。
空気が、わずかに震えた。
ヒューゴが無意識に一歩、足を引いた。
見えないはずの“圧”が、彼の直感を刺激していた。
運動場の中央。
ヒディとヒューゴが、互いに木剣を構えて向かい合う。
もうすっかり暗くなり、魔導灯で照らされた広場には、いつのまにか人が集まっていた。
仕事を終えたハンターたち、受付から覗く職員たち。
目の前で始まろうとしている異種格闘技戦に、誰もが息をのんでいた。
「いつでもいいぜ、嬢ちゃん」
ヒューゴは木剣を片手に、剣道のような構えを取る。
筋骨隆々の体、無駄のない動き。
その姿は正統派剣士のそれであり、攻防に隙はない。
技術も経験も申し分ない。少なくとも、並の相手なら一撃で沈むだろう。
対するヒディは、スカートの裾をふわりと揺らしながら一歩前に出る。
「じゃあ、遠慮なく」
言うなり、風が舞った。
軽やかな足取り。
スカートの裾が翻り、脚線がチラリと覗いた瞬間、観衆から「おぉ……!」という小さな歓声が漏れる。
「おいおい……なんだあれ、動きが違うぞ」
「ヒューゴさんが押されてる!?」
ヒディの剣は、まるで踊るようだった。
左手の木剣が斜めに払えば、右手の剣が追うように突き出される。
一つひとつの動作は小さく、しかし流れるような連撃が、波のように押し寄せた。
「っ——くぅ!」
ヒューゴは咄嗟に木剣で受けた。
その瞬間、重みは軽いはずなのに、打ち込まれる剣筋の“速さ”と“精度”に目を見張る。
(何だこの……剣。型が……ない!?)
ヒディは斬撃の合間にも細かなステップを踏み、まるで舞台のダンサーのように体を回転させながら、絶妙なタイミングでヒューゴの攻め手をいなしていた。
刃が交錯するたび、スカートの裾がふわりと舞い上がる。
白く滑らかな太ももがちらりと露わになり、観衆からまたも「うおおお……」と声にならない声が漏れる。
「や、やべ……ありがたく拝ませてもらってる場合じゃねぇ……!」
ヒューゴは顔を赤くしながらも、決して目線を逸らさなかった。
それだけ、ヒディの剣が、本気で危険だったからだ。
その間にも、ヒディは踊るように攻め続ける。
踏み込み。ひらりと回転し、ふたたび距離を詰める。
片足を軸に体を半回転させるたびに、裾がふわりと跳ね上がり、観衆は無言で手を合わせるようにして拝んでいた。
だが、ヒディはそれを狙ったわけではない。
あくまで彼女の剣は「優雅」で「効率的」で「美しい」。
それが結果として——
“妙にセクシーに見える”
というだけである。
「な、何者なんだあの女……っ!」
ヒューゴは再び打ち込もうとするが、その前にヒディの二本の木剣が、寸前で首筋と腹部にピタリと寸止めされた。
「……終わり、かな?」
息一つ乱さず、ヒディが微笑む。
ヒューゴは顔をしかめて、木剣を下げた。
「……ああ。参った。降参だ」
その言葉に、観衆はしばし沈黙し——
「おおおおおぉぉぉぉーーーっっっ!!」
盛大な拍手と歓声が広がった。
興奮冷めやらぬ中、ヒディは木剣を収めながら、観衆に軽く頭を下げる。
その姿は美しく、誇らしく、そしてどこか不思議な親しみを含んでいた。
ジョンは嬉しそうにワン!と鳴き、ルミナスはきらきらした目で「ヒディ、つよーい!」と拍手していた。
ヒディは少しだけ頬を赤らめて、照れくさそうに笑った。
(……久しぶりに、いい汗かいたな)
試験終了の合図とともに、ギルドの職員がヒディとヒューゴの間に割って入る。
観衆は拍手喝采、ヒューゴは息を切らせながら苦笑い、そしてヒディは木剣をくるりと回して腰の後ろに収める。
そんな中、広場の柵の外からバタバタと駆け寄ってくる影が一つ。
受付嬢だった。
「ヒディさーん! お疲れさまでしたー!」
にこやかな笑顔で駆け寄ってきた彼女は、そのままヒディの目の前でぴたりと止まり、軽く息を整えると――
「……あの! まずは合格、おめでとうございます! Eランクですが、登録基準はクリアしました!」
「ありがとうございます……」
ヒディがぺこりと頭を下げると、受付嬢の表情が一転、ちょっと困ったようなものに変わる。
「えっとですね、試験……実は、あれ、勝たなくてもよかったんですよ」
「え?」
「えっと、実力を見るためだけなので、基本的に軽く動いてみせてくれたら、それでいいっていう……Eランクですし。いや、ほんとに普通は……こう、もう少し……軽く終わるんですけど……」
だんだんしどろもどろになりながら、視線を泳がせる受付嬢。
その視線の先には、ヒディのヒラヒラしたスカートと、わずかに乱れた裾が――。
「……あとですね、はい、あの……私もそんなに動けると思ってなかったので、そのまま送り出しちゃったんですけど……」
くいっと人差し指を立て、思い切ったように告げる。
「そんなに動けるなら、次からはズボンを履いてください! 慎みを持ってください! お嫁にいけなくなりますよ!」
ビシィッ!
と、指差されるヒディ。
「…………っ」
ヒディの動きが止まる。
ぐらり、と肩が落ち、足元がふらつき、ゆっくりと膝をついたかと思うと……
両手を地面について崩れ落ちた。
「ご、ごめんなさいぃ……っ!!」
地面にめりこむくらいの勢いで、見事な土下座スタイル。
ルミナスはぽかんとしながらも、「ヒディ、つちー!」と嬉しそうに指をさし、ジョンは横でまったく気にせず、あくびをかいていた。
ギルド試験の本当の意味を知ったヒディは、異世界でも慎みが大事だということを改めて学ぶこととなったのだった――。
ヒディが地面に両手をついたまま、しょぼんとしていると、ギルド職員――ヒューゴが静かに近寄ってきた。
観衆の熱気が残る中、彼はヒディの隣にしゃがみ込み、低く、けれど確かな声で言った。
「……あんた、かなりの使い手だな」
その一言に、ヒディは顔を上げる。
「えっ、あ、いえ……その……ありがとうございます……」
どこか申し訳なさそうに返すヒディに、ヒューゴはふっと笑う。
「この業界、実力だけじゃなくて、人となりも見られる。だが一つだけ言っとく。ハンターの過去は、詮索しないのがマナーだ」
その目には、ただの興味ではない、戦士同士の敬意が宿っていた。
「じゃあな、ソードダンサー嬢」
「えっ」
言葉の意味を咀嚼する間もなく、ヒューゴは立ち上がり、手を軽く振って観衆の間をすり抜けていった。
ぽかんとするヒディ。その背中に、ルミナスがトコトコと近づいてくる。
「ヒディー、つかれたー? クリーン、つかうー?」
「う、うん……ありがと……」
ジョンはというと、なぜかヒディの足元で尻尾をぶんぶん振っており、なぜか誇らしげだ。
「はいはい、帰ろう。なんか……今日は、いろいろと疲れた……」
そう呟いて、ヒディはルミナスとジョンと一緒にギルド宿舎へと戻っていった。
そしてその頃、試験場だった広場の隅では――
「すっごかったな……あの人」
「木剣でヒューゴと互角……いや、優勢だったぞ?」
「しかも、二刀流だろ? あんな戦い方、初めて見た……」
どよめきがまだ残っていた。
その中で、誰かがぽつりと呟いた。
「……まるで、剣をもって踊るみてぇだったな。ソード……ダンサー、みたいな」
「ソードダンサー……いいな、それ」
「あの人にぴったりじゃねぇか」
そうして、いつしかその名は、ギルド内でヒディの“あだ名”として囁かれるようになっていった。
かつて、記録にも記憶にも消え去った、幻の職業。




