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第1話。夢かゲームか「緑の衛星ルネージェ」

だいぶ修正しました。



1話。夢かゲームか「緑の衛星ルネージェ」



「……なんだ、これは……」


思わず声が漏れた。


鳥のさえずりがどこか遠くで聞こえる。木漏れ日がまぶしい。

俺は、気がつけば森の中、石造りの階段の途中に座り込んでいた。


最後に覚えているのは、自宅のベッドに身体を沈め、泥のように眠りに落ちたことだ。

疲れていた。いろいろと疲れていた。

でも、目を覚ましたらこれだ。

挿絵(By みてみん)

「……おいおい、なんで俺、胸があるんだよ……」


そっと胸元を見る。

ぷにっと、確かにそこには存在していた。柔らかいものが、ふたつ。


「いやいや、俺は男だぞ。性転換なんてしてないし、そもそも五十代のおっさんだってのに……」


状況が理解できない。

とりあえず目をこすり、頬をつねり、何度も深呼吸してみたが、事態が変わる気配はない。


目の前に広がるのは、深い緑と静かな陽光が織りなす、美しい森。

どこか既視感がある――そう思って見渡すうちに、ふと気づいた。


「あれ……ここ、見たことある……」


石段の配置、遠くに見える山の形、空気の色すらも、記憶の中と重なる。

昔、夢中で遊んでいたオンラインRPG。そのスタート地点によく似ているのだ。


ゲームの中で何千回も訪れた場所。館の位置も、木の並びも、覚えている。

それに、空を見上げれば――


「ああ、やっぱり。ルネージェ……だよな」


巨大な青い惑星が空を覆っている。

その星は月ではない。むしろ、ここが衛星で、あれが本体。

水面のようにきらめく惑星。その周囲には幾重にもリングが広がり、太陽の光を反射して美しく輝いていた。


設定資料では、あれは液体水素の海に覆われた氷の星だったっけな。

そんな光景が、今この目に映っている――裸眼で。


「……ってことは、これ、ゲームの中ってことか? いや、VRの機器なんて持ってないし……誰かにフルダイブでもさせられたのか?」


そんなはずはない、と理性が言う。

でも、現実として目の前に広がるこの風景は、どう見てもあのゲームの世界だった。


「……まさか、マジで入り込んじまったのか……」


そうだとしたら、問題は山積みだ。

まず、自分のこの妙に整った身体。なぜ女体化しているのか。

しかも無駄にスタイルがいい。なぜだ。


「いや、これで冒険しろって無理あるだろ……服装次第では目立ちすぎるって……」


もちろん、変にいやらしいわけじゃない。

ただ、いちいち動くたびに身体が気になる。それだけだ。


――これは夢なのか、現実なのか、それともゲームなのか。



夢だとしたら、もっとこう、現実と違う“違和感”があるはずだ。

たとえば、音がこもってたり、匂いがしなかったり、空気感が薄っぺらかったり――。


でも、ここにはそういうのが、ない。


肌に当たる涼しい風。

日差しを受けてほんのりあたたかくなる腕。

ふわっと鼻をくすぐる、どこか金木犀にも似た甘い香り。


風で揺れる葉の音。小鳥のさえずりのような声。

目を閉じて、耳を澄ませば、まるで“そこにある”ような自然の音が広がっている。


俺は軽く身体を動かしてみた。

腕を回して、軽く屈伸。……おお、めっちゃスムーズ。


「なんだこれ……全盛期の俺より動けてるぞ……?」


しかも軽い。明らかに体が軽い。

試しに軽くジャンプしてみた。


びょいん!


「おおおっ!? 一メートルくらい跳んだ!? なにこれ怖っ!」


すとん、と着地。

驚くほど衝撃がない。えっ、俺の体重、5キロくらいしかないの?


「いや、さすがにそれはないだろ……でも、なんだこの“無重力感”。」


ぴょん、ぴょん、と軽く跳ねてみる。なるほど、重力が弱いのか。

いや、たぶんこの世界の設定のせいだな。

まさにゲームっぽい。いや、ゲームだったら納得できる。


ただ――そのたびに、胸元がバインバイン揺れるのはちょっと気になる。


「う、うん……まあ、これはこの辺でやめておこう……な?」


どうもこの部分だけ重力設定が別枠っぽい。妙にリアルだ。開発者の妙なこだわりを感じる。

あんまり真剣に考えると負けな気がするので、そっとスルーする。


とりあえず、深呼吸。うん、空気もうまい。

なんというか、現実の山奥にでも来たみたいな、自然の香りが全開だ。


もはや頬をつねる必要すらない。

この五感の“リアルさ”は、完全に現実そのものだ。


「……もしこれが夢だったら、現実でも夢かどうか疑わないといけないレベルだな」


やっぱりゲームなのか?

でも、こんな高精度のフルダイブ型VRなんて、俺知らんぞ。

ここまでリアルに作られてるなら、最新式とか企業のテストプレイとかか?


「とりあえずログアウトだな。なんか音声コマンドとか、今風っぽい感じで――」


思いきって叫んでみる。


「ログアウト!」


……うわっ、自分の声にびっくりした。


「な、なんだこの声……すっげぇキレイ……!」


試しに「あ・い・う・え・お」と声を出してみる。

なんか美人声すぎて逆に落ち着かない。これ、耳元で囁かれたら速攻で堕ちるやつだ。


「……まあ、もしこの見た目で中身オッサン声だったら、それはそれでホラーだけどな……」


とにかく落ち着こう。

まずはゲームから出る手段を探そうじゃないか。


「ログアウト! 退出! シャットダウン! メニュー! ホーム!ポータル!」


思いつく限りのそれっぽいコマンドを口にしてみる。


……が、何も起きない。沈黙。

唯一変化したのは、自分の声にちょっと萌えてしまった心だけだった。


「うぅ……落ち着け、俺……なんだこの羞恥プレイ……」


そしてふと、ポツリとこぼした。


「昔みたいに、コントロールパネルとか見れればなぁ……」


その瞬間だった。

目の前に――ひらり、と。


空間に、半透明のメニューが浮かび上がった。



「おっ、やっぱりゲームか! いや~驚かせやがって。最近のゲームはここまで進化してんのかよ……」


そう言いながらも、実際は安心したというより、無理やり自分を納得させてるだけだった。

“ゲームってことにしないと精神がもたない”――まさにその一言に尽きる。


目の前に浮かんだメニュー画面は、妙に懐かしいデザインだった。

見覚えがある。たしか、あのゲーム……なんて名前だったか?


「えーと……“緑のなんちゃらルネージェ”だったような……うろ覚えすぎて情けないな」


リメイクされたのか、あるいは新作か。ともかく、感触としては昔やっていたあのMMORPGに限りなく近い。

なので当然、まず探すのは――ログアウトのボタンだ。


「たしか、このあたりにあったはずなんだけど……ん?」


それっぽいアイコンが、どこにも見当たらない。

“終了”とか“ログアウト”とか、それっぽいものが一切ないのだ。


「え、マジで? これ、タッチ式なのか?」


指先でそっと画面に触れると、

――カチッ、と擬似的なクリック感が指先に伝わった。なるほど、空間タッチパネル式か。


「これ、電気信号で触覚再現するやつだよな……最近のVR、マジで進化してんだなぁ」


スマホ世代でよかったと心から思う。

いや、俺は正直ガラケーでも困らなかったクチなんだが――

「なんとなく恥ずかしい」って理由でスマホに変えた過去の自分、今回はナイス判断だ。


「よしよし、操作も何となくわかってきた……けど、せめてチュートリアルくらい欲しかったな。ぶっつけ本番にもほどがあるぞ……」


そして目に入ったステータス画面。


「レベル……59?」


まさかの高レベルスタート。

これは……昔、俺がレベリングに疲れて挫折したあのレベルとぴったり一致している。


「データ、引き継がれてる……のか? それとも偶然? ……いや、まさかな」


思い返す。

当時は実生活を犠牲にして、寝る間も惜しんでレベル上げして……1年かけてやっとのことで到達したのがレベル59だった。


「60に上げるのに、59までの経験値の“倍”必要だったんだよな……」


あれはもう、完全に修行。

生半可なプレイヤーはここで心が折れる。


「廃人って言われてた連中が、確か62とかだったっけな……」


その差、たった3レベル。されど3レベル。

ここからは1レベル違うだけで、装備もスキルも特典も格が違ってくる。

日本で最上位が65、海外サーバーだと70とか言われてたような……もう伝説レベルの話だ。


「はぁ~……で、なんで俺が59なんだよ。オマケしてくれてもバチ当たらねぇだろ……」


まさかの高レベルスタートに感謝しつつも、微妙に納得いかないおっさん(♀)であった。




それからしばらく、俺はメニューをいじり倒した。


終了ボタンもログアウトも見当たらないが、ひとつだけ気になるマークがあった。

受話器のアイコン――あれってたしか……


「……うーん、やっぱこれに賭けるしかないか」


ログアウトは見つからなかったが、GMコールは発見できた。

困ったときの運営直通コール。違反プレイヤーの報告やバグ報告用だ。


昔はチャット形式だった気がするけど、今回は受話器マーク。

ってことは、音声通話ってことか?


他に手段もないし、試してみるしかない。


「……本当に繋がってくれよな。期待させてから落とすのはナシだぞ」


一度深呼吸してから、アイコンをタップ。


「トゥルルルルー……トゥルルルルー……」


コール音が空間に響く。なんだこれ、不思議な感覚だ。

しばらく呼び出し音が続いたあと――


ブツッ。


接続音。

繋がった、っぽい?


「あー、もしもし? 聞こえますかー? もしもし、もしもーし!」


しばしの沈黙。そして――


『はいは~い、聴こえてますよ~……って、なにこれ!?』


女性の声が返ってきた。若干のノリの良さと、強めの動揺が混ざったようなテンションだ。


『なんでここ、地上から直接つながるの!? あっ、この回線って……まさかプレイヤー!?』


パニック気味に叫んでいる。

「プレイヤー」と言っているあたり、やっぱりこれはゲームなのか?

ちょっと安心する。


「えーっと、自分もよくわからないんですけど……目が覚めたら、ここにいて……とにかく、ログアウトの方法を教えてもらえませんか? 強制退出とかでもいいんで」


少し申し訳なさそうに頼んでみる。


『えっと、ログアウト……ログアウトですね……すみません、予想外すぎて……うわぁ、どうしよう……』


こっちが困ってるってのに、まさかのGM側があたふたしはじめた。

予想外の状況? テスト中? それとも開発中のバージョンに入り込んじゃったのか?


それにしても――


「“プレイヤー”ってだけで驚いてたな。どういうことだよ……」


俺、普通にゲームしてるだけのはずなんだけど……はずなんだけど。



『え~っと、プレイヤーってことで……いいんですよね?』


急に改まった声色になったと思ったら、相手はこんな質問をぶつけてきた。


『お住まいはどちらですか? えっと、もちろん現実の方の……』


「いやいや、どうでもいいからログアウトさせてくれ……!」


思わず内心で叫ぶ。

こっちはそれどころじゃない。時間がわからないのが一番怖い。

もしかしたらもう出社時間を過ぎてるかもしれない。いや、確実にヤバい。


「はい、東京です、◯◯区です」


なるべく丁寧に、早口気味に答える。続けざまに言う。


「すみません、今何時かわからないんで、できれば早めにログアウトしたいんですけど……もし質問があるなら後ででも構いません。ご連絡いただければ対応しますんで。連絡先、教えてもらえます?」


一応、誠意は見せたつもりだ。

ぶっちゃけ、ゲームタイトルさえわかれば自分でググることだってできる。


「何ならゲーム名だけでも教えてくれたら、自分で調べますので」


それでもダメなら……最悪、個人情報になるけど電話番号でも教えて折り返してもらうしかないか……

……いや、でもこの状態でスマホに着信あっても出られるのか? 今、俺、どこにいるんだ?


そんなことを考えていたら――


『あ~、東京かぁ……やっぱりプレイヤーか……あ~うーん、どうしよう……』


相手の声がだんだん焦り気味になってくる。


『ちょっと待ってて! 今確認するから! 折り返す! ほんとにすぐ戻るから! ごめんね!』


一方的にまくしたてられたかと思ったら、ブツッと回線が切れた。


「……ええぇぇぇ?」


思わず声が漏れた。


なにこの雑な対応。

いや、繋がっただけありがたいけど、これサポートセンターだったら普通にクレームもんだぞ。


「……後で運営会社に電話してやろうかな。ちょっとクレーマー気質あるし、俺……」


まぁ怒鳴り散らすようなことはしないけど、

軽く皮肉くらいは言ってやるかもしれない。


『ちょっと待ってて』と言われたので、とりあえず近くの石段に腰を下ろしてみた。

ここで待機……ってことでいいんだよな?


それにしても――


「……この世界、やっぱリアルすぎるよな」


風は心地いいし、鳥の声もどこか懐かしい。

一見ファンタジーだけど、何かが妙に現実っぽい。


――待ってる間に、何か起こらなきゃいいんだが。



それにしても……よくできてるゲームだ。


フルダイブ型ってここまでリアルだったのか?

まるで本物の世界そのものじゃないか。


思い返せば、ネットでもよく話題になっていた。

「リアルすぎて規制が入った」とか、

「精神科医やら脳科学者が危険性を指摘していた」とか――


そのたびに、「安全装置は多重に施されてるから安心ですよ」と御用学者が反論する。

まるで昔の原発論争みたいな空気だった。


俺も怖くて手を出さなかったクチだ。

でも――


「こんなにすごいなら、もっと早く試してみてもよかったかもな……」


どうせ友達もいないし、酒も飲まないし、趣味らしい趣味もない。

現実でやることなんて、もう残ってなかったのかもしれない。


少し気持ちが落ち着いたところで、改めて周囲を見渡す。


本当に、よくできている。


木漏れ日が揺れ、風が通り抜け、遠くで小鳥が鳴いている。

よく目を凝らすと、地面にはアリのような小さな虫がチョロチョロと動いていた。


「……データ量、どんだけ使ってんだこれ……」


足元の石垣に手を触れてみる。

表面はひんやりと冷たく、そしてしっとりと湿っている。

まるで朝露に濡れた石そのもの。感触まで再現されているとは……恐ろしいな。


ふと、何かが視界の端をかすめた。

小さな、光の粒――蛍か? いや、昼間だぞここ。

演出か、それとも虫の一種なのか……幻想的な効果だ。


そして、なんとなく気になって、自分自身を見下ろす。


……細い手。


「えっ、これ……俺の手?」


指先が異常に細く、滑らかすぎる。骨ばっていたはずの関節も、今はしなやかで女性的だ。

なんの現実味もない。だけど、間違いなく“自分の手”のように動いている。


視界の端で揺れた長い髪。

指でそっと撫でてみると、シルクのようにさらさらで、指先にすっと馴染む。


「これが……俺の髪?」


信じられない。

それでも、指先の感触が「現実だ」と告げている。


青い髪。透き通るような白い肌――いや、少し青みがかっているか。

ダークエルフ……だったかな、この種族。そういえば、キャラメイクで選んだ覚えがある。


目も、青く光っている。

不健康そうな色合いのはずなのに、不思議と透明感があって、美しいとさえ思える。


「鏡がないのが悔やまれるな……」


その姿を見られないのが、もどかしい。


けれど、なんとなく思い出してきた。

あの頃――まだゲームを夢中でやっていた頃、

作り上げた、自分なりの“理想像”。


キャラメイク画面で何時間も悩み抜いて、

「もし自分が女性だったら」という思いを全力でぶつけた、究極のアバター。


「……ああ、やっぱり……昔のデータか。よく残ってたな、これ」


何年も前のものだ。サービス終了したと思っていたのに、どこかでバックアップされていたのか。

あるいは、この世界そのものが――当時の記憶を再現して構築されたもの?


いずれにしても、

この世界はあまりにもよくできすぎていて――


どこか懐かしい。



服装は――


「……あー、これ、初期装備だな」


いや、正確には初期防具をもらう“前”の格好だ。

昔プレイしてた頃も、さすがにこのまま戦闘には行かなかった。

最初のチュートリアルで、NPCから初心者用の防具を支給される――それが定番だったはずだ。


案山子相手に剣を振ったり、魔法職なら初期魔法を試したり、

回避動作やスキル発動の練習をする、ほんの軽い導入クエスト。

……そう考えると、この状態はまさに“ゲームスタート直後”ってことか。


試しに足を伸ばしてみる。

肩や腕を軽く触ってみる。


「足、ながっ……肌、すべっすべ……」


思わず呟いてしまう。


……いやいやいや、何だこの完成度。

本気でこのクオリティのボディが使えるなら、現実のアレ系のお店、壊滅するんじゃないか?


そこまでリアルだと、もはやR18指定じゃ済まない気がする。

ここまで作り込む運営の情熱、尊敬を通り越して若干ドン引きだ。


だが不思議と――

自分の身体をこうして触っていても、いわゆる“男の本能的ムラムラ”みたいなものが、まるで湧いてこない。


「……ん? 俺、今、女の身体だからか?」


そういうのも含めて、脳の信号か何かで制御されてるのかもしれない。

フルダイブ型だし、脳波とか感覚遮断とか、最新技術でバッチリコントロールされてる可能性は高い。


「……って、そこまで制御されてるってなると、逆にちょっと怖くないか?」


洗脳とかされても気づけないんじゃ……

反対派の学者が騒いでたのも、あながち的外れじゃないのかもしれない。


「いや、でもこの体験……ハマるのも分かるわ……」


自分の手をもう一度見つめる。

細くて、華奢で、滑らか。

信じられないけど、これは今、俺自身の身体なんだ。


「……ほんと、どこまでリアルに作ってんだよ……」



「さてと……そろそろ、周りを散策でもしてみるかな」


座ったままじゃ何も始まらない。

とはいえ、いまだに運営からの折り返しは来ていない。だったら、とりあえず動いてみるしかないだろう。


実は俺――廃墟、嫌いじゃない。

むしろ好物と言っていい。

特に、昔は人が集まっていたであろう遊園地とか、ショッピングモールの廃墟とか。

ああいう“過去の栄光を思わせる静けさ”がたまらなく好きだった。


そういう目で見ると、ここもたまらない。

朽ちた石段、苔むした遺跡。おそらくこの世界では、ここも“過去の何か”だったのだろう。

それが今、誰もいない静寂の中に佇んでいる。


「……30年以上前に遊んでたゲームの世界が、こうして“廃墟”として目の前にあるとか……考え深くて、良いな」


ほんのりノスタルジックな気分に浸る。

……が。


「とは言え、だ」


このままの格好で散策するのは、ちょっと気になる。

というか、めちゃくちゃ気になる。


森の中だ。

普通にうるしだって生えてる可能性がある。あの「かぶれるでおなじみのアレ」だ。


他にも、見た目じゃわからないかぶれ系の植物は多いし、

草や枝で肌を切るなんてのも日常茶飯事。

蚊? 毛虫? いるに決まってる。ヒルなんて出てきたら最悪だ。


「そう考えると、この露出多めの初期服……不安しかない」


ゲームの中では、セクシー系の装備が好きだった。

動きやすいし、見た目も華やかだったし。

露出高いほど回避率が上がるとか、そんな謎理論にも納得してたしな。


でも、ここまでリアルだと話は別だ。

布地の薄さが肌に直で伝わるし、風を感じるたびに落ち着かない。


「いや、ゲームの中だし、たぶん“無害”……だよな? たぶん……?」


自分に言い聞かせるように呟く。

でも、万が一にも**“ゲーム風に見せかけたリアル”**だったとしたら……?


「……あれ? やっぱ怖くね?」


なんか、急に現実味が増してきた。



「何か持ってるかな……? 装備と倉庫は、この辺りから見られたはず……」


そう呟きながら、思い出したように叫んでみる。


「コントロールパネル!」


目の前に半透明のウィンドウが再び開く。

慣れてきたとはいえ、視界にデジタルなインターフェースが自然に出てくるのは不思議な感覚だ。


装備タブを指でタッチすると――

ぱっと広がるのは、懐かしさすら感じる装備と持ち物の一覧だった。


「おぉ……なんか、昔持ってた物がそのまんまだな……」


洋服、防具、武器、ポーション、素材アイテム、イベント記念品などなど――

まるで何年も前に使っていた倉庫の中身が、そのまま引き継がれているかのようだ。


「とりあえず、長袖・長ズボンにブーツ……っと。って、ズボンがない!?」


画面をスクロールしても、出てくるのは――


「セクシー装備ばっかじゃねぇか!」


自分で集めてた装備とはいえ、今見ると見事に露出系が多い。

当時の俺、どんだけそっち系こだわってたんだよ……。


「……あ、でもロングブーツはあった。これと……あ、上着はこれかな」


あとは、どうやって着るのか――


「えーっと……昔みたいにドラッグ&ドロップで装備できたっけ……?」


装備品のアイコンをドラッグして、アバターの身体にぽいっと重ねる。

――おっ、いけた。即座に装備が切り替わる。


「助かった……着替え方なんて、分かるわけないしな」


画面の指示もなければ、物理的に着るわけでもない。まさにフルダイブならではの直感操作。

装備したのは、露出こそ少なめだけど、やっぱり全体的に“セクシー系”の名残を感じる服だった。


「……うん、面積は多いけどセクシー感は消えてねぇな。これ、昔の自分の趣味か……?」


苦笑しながら、軽く腕を回し、足を伸ばす。動きは軽い。さすが高レベルキャラの装備品だ。


「まあいい。最低限、肌を守れるなら上等だ。さて、探検でもしてみますか」


そう言いながら歩き出す。

探索といっても、この場所――かつて何度も通った場所の“構造”は、うっすら覚えている。



遺跡の奥へと足を進める。

踏みしめるたびに、わずかに苔が潰れる音がした。


遠い記憶の中――

画面越しに見ていた、あの賑やかな景色。

プレイヤーが行き交い、NPCの案内が流れ、チャットが飛び交っていたスタート地点の映像が、

今の静かな廃墟と重なっていく。


遺跡の角。NPCが立っていたはずの場所に、足を止める。

たしか、初心者に向けて簡単な操作説明をしてくれて、

ついでに低級ポーションを数本くれる、最初の“案内係”だった。


「生で見ると、こういう風景だったのか……」


改めて、当時のNPCの顔を思い出す。

髪を結い上げて、ゆったりとしたドレスを着た、

優しげな表情の美しい女性だった。


懐かしさが胸を締めつける。


その裏手には、練習用の案山子が並んでいたはずだ。

剣を振って感触を確かめたり、魔法の射程を試すための場所。


……だった、はずなんだが――


「……あれ? なんもねぇな」


見事に木々に覆われ、当時の面影は一切ない。

草が茂り、倒木が転がり、どこに案山子があったのかもわからない。

“練習場”の跡すら見つからない。


さらに奥へ進む。


左右の石垣の間に、車一台が入るほどの窪みがあった。

あそこには――たしか、防具屋とアイテム屋が並んでいたはずだ。


この場所にある店は、その二つだけだった。

街じゃない。あくまで“初期拠点”の規模。


「……カウンター、あったよな……木製だったはず……」


その記憶通り、今そこに残っているのは――

完全に朽ちた木の残骸。

木材だったものは形もなく、原型をとどめていない。

石畳の隙間からは、土が積もり、そこに雑草が生えている。


「って、大木まで生えてるのかよ……」


もう、ここは完全に“遺跡”だ。

ペルーのマチュピチュとか、アンデスのなんとか遺跡とか、そんなノリに近い。


「ゲームの中で、ここまで時間経過再現する必要ある……?」


さすがにここまで来ると、リアルすぎて逆に感心してしまう。



カウンターがあった場所の奥へと足を踏み入れる。

昔は入れなかった――店員NPCが立っていて、プレイヤーが中に入ることはできなかった場所だ。


「おぉ……懐かしいな」


カウンターの“内側”から風景を眺める。

この感覚、ちょっと似てる。

普段通っていたコンビニに、バイトとして雇われて、初めてレジの中に入ったときの、あのなんとも言えない新鮮さ。


“あの場所”の向こう側から世界を見るだけで、妙にテンションが上がる。


「うん……内側からの風景って、なんかいいよな……」


そこから奥へと続く小さな階段が目に入る。

「たしか、行き止まりだったよな……」と、記憶を頼りに上ってみると――


普通に、部屋があった。


「おお……マジかよ」


昔のゲームなら、見えない場所や入れない場所は、だいたいハリボテか適当な処理になっていた。

プレイヤーが見えないなら、作り込む必要なんてないはずだ。


だがこの部屋――ちゃんと存在している。しかも、妙にリアルに。


入口には、ドアが付いていたであろう跡があり、

その脇には青緑色に変色した蝶番ちょうつがいが辛うじて残っていた。


「……青錆びってことは、銅製か。腐食してるけど、逆に防錆の役にも立ってんのか……?」


細かい部分の作り込みに、妙なリアルさを感じる。

ゲームでここまでやるか? ってくらいのリアル。


部屋の天井は、もともと木製だったのか、完全に崩れ落ちて空が見えていた。

床の石畳には、ところどころに草が生えている。


部屋の隅。

おそらく棚があったであろう場所に、瓶の破片――ポーションの残骸が転がっていた。


割れていない小瓶もあるが、半分は土に埋もれている。


「さすがにこれは使えないか……」


ガラスにうっすら苔がついていて、触れるのも躊躇う。

かつては初心者を支えたアイテムだったのに、今では廃墟の一部だ。


「それにしても……なんなんだろうな、この感覚」


ノスタルジーと現実感と、わずかな不安がないまぜになったような、不思議な感覚。

プレイヤーだった頃には決して立てなかった“裏側”の風景が、今、手に触れられる距離にある。


この世界、やっぱりただのゲームじゃ済まされない気がしてきた。






突然――


「トルルル……トルルル……」


どこからともなく発信音が聞こえてきた。

思わずビクッと反応し、「コントロールパネル!」と叫ぶ。

即座にメニューが表示され、GMコールのアイコンが点滅していた。


「……おぉ、こっちからかかってくるとは……」


ためらいなくタッチ。すぐに通信が繋がる。


『え~っ、たいへんお待たせして申し訳ありませんっ! 今ちょっと、お時間よろしいですか!?』


慌てたような女性の声。先ほどのあの人だ。


「あっ、はい。大丈夫です。で……どうなりましたか?」


『えっとですね! あっ、すみません! 先ほどは取り乱しまして、まだ自己紹介もしていませんでしたよね!』


一息ついてから、名乗ってきた。


『GMの、セックと申します』


「セックさんですね。あ、私は高木といいます。よろしくお願いします」


一応、丁寧に返す。なんかこういうとこで社会人力が出るのが悲しい。


『どうも高木さんっ! それでですね……ちょっと調べるのに、時間がかかりそうなんです』


「調べるって……何を?」


『ええっと、ちょっとその……時間軸とか、環境設定とか、そういうものが想定とズレてまして……』


“時間軸”?

なんだそのSFめいた単語は。


『それで……ほんとに申し訳ないんですが、しばらくこの世界に滞在していただきたいんです。

と言いますか、そうしていただくしかないというか……』


なんとも歯切れが悪い言い方。

こっちは被害者なんだぞ。


「えーっと、“しばらく”ってどのくらいなんですか?

正直、自分はこのゲームを買った記憶もないし、ログインした覚えもないんです。

状況が分からなくて困ってます。現実世界も気になるんで、とにかく一度ログアウトできませんか?」


しごくまっとうな疑問と不安をぶつける。


が――


『申し訳ありません!! ログアウトは、現状ちょっと無理ですっ!』


元気よく謝られても、安心はできない。


『少なくとも、何日か……滞在していただく形になるかと。

もちろん、最大限の補償はご用意いたしますので!

本当にすみません、どうかご協力お願いしますっ!』


ものすごい勢いで謝ってくる。

音声だけなのに、なんかもうヘコヘコ頭を下げてる姿が幻視できた。


……が。

事情がまったく飲み込めていない以上、「はい、そうですか」とは、当然ならない。



「えっ、“何日間”って……ありえないでしょ!? なにかの事故なんですか!? なんとかなりませんか?

“できない”って、それ普通じゃないですよ!」


思わず声を荒げる。

確かに今の会社は、昔に比べれば随分ホワイトになった。

有給も普通に取れるし、勤続年数に応じて長期休暇も取りやすくなった。

労基や税務署から監査が入って、いろいろガチガチにルール整備された結果だ。


でも――


「無断欠勤はダメなんです。ホワイト企業でも、それだけで解雇理由になりかねませんよ!?」


『も〜〜しわけありません〜っ! どうしようもないんですぅぅぅ!』


セックさんの謝罪が、もはやお経のように聞こえてくる。


「いやいや、“どうしようもない”って、こっちは困ってるんですってば!

私の体とか、餓死とかしないですよね!?

会社だって放っとけないんです! 納期とか、仕事とかいろいろあるんですよ!」


『え、えっとですねっ……! お身体の方が今どうなっているかは、現在調査中でして……早急に確認いたします!

最大限の補償はもちろん、迷惑料も! 高木さんにも会社にも、しっかりお支払いします!』


「そう言われても、こっちは現実の生活がかかってるんです。

ほんっとうに大丈夫なんですね? 会社の連絡先言いますから、今すぐ連絡してください!今すぐですよ!」


『はいっ、かしこまりました! 必ず何とかいたします、お約束します!』


切羽詰まったような声。

声だけなのに、姿勢低く土下座でもしてそうな雰囲気が伝わってくる。


「で、現実の身体なんですけど……栄養とか大丈夫なんですか?

ゲーム内の食事で、さすがに補えるわけないですよね?」


『いえ、それはもう……食事は“普通にしてください”!

空腹になりますし、食べないと本当に餓死しますので!』


「……餓死する設定なのか……」


そこまでリアルに作り込むとは。

それとも、これは設定じゃなくて現実にそうなるってことなのか。

もはや混乱すら通り越して、苦笑いしか出てこない。


「……まぁ……自分の体のことは、そちらで確認してもらうしかないですね。

じゃあ会社名と電話番号、それから……家の住所と連絡先も教えますので、確認してもらえますか」


そう伝え、必要な情報を手短に伝える。

今はとにかく“現実”とのつながりを確保するのが最優先だ。


『承知しました! 必ず対応いたします!』


セックさんの声は相変わらず必死だ。


「ん……まだ正直、納得はできませんけど……。

とりあえず、今は分かりました。こまめに報告はしてください。

さすがに、何日も黙って放置は困りますよ?」


『はいっっ、定期的に必ず連絡いたします!本当に申し訳ありません!!』



なんか……今のセックさんの声、妙に悲痛だった。


大丈夫なのか、本当に。

むしろ向こうが心配になってくるレベル。

……いや、でもやっぱり上司に代わってもらったほうがいいんじゃ……?

いや、まだ早いか? 今のところ誠意は感じるし……。うーん……。


「……まぁ、とりあえず、いいか」


ひとまず自分を納得させて、深呼吸。


「わかりました。それで、今自分は何をすればいいんでしょうか?」


正直、遊ぶ気になれない。

ゲームだとわかっていても、何をしていいのか、さっぱり分からない。


「食べ物についても、どうすればいいのか見当がつきません。

何をどうすればいいのか、ほんとに分からなくて……」


少し間があってから、セックさんの声が返ってくる。


『えっと……一番近い場所に街があります。

そこには食堂兼宿泊施設があって、露店も並んでいますので、そちらでお買い求めいただければと思います』


一応、最低限の生活インフラは整ってるらしい。


『……お金は、今お持ちの通貨で大丈夫です!……たぶん!』


たぶんて。


『あっ、それと……レジストリーの中に食料やキャンプ用品もいくつか登録されているようなので、

街までの道中はそれを使えば大丈夫かと思います!』


あっという間に情報が詰め込まれる。しかも全部不安になるレベルのざっくり説明。


『ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。重ねてお詫び申し上げます。

あっ、あとお詫びと言ったらなんですが、今いらっしゃる場所――旧スタート地点の倉庫を開放しました。

中にあるアイテムはすべて差し上げますので、よければお使いください!』


まさかの“お詫びアイテム”支給。

さすがMMOっぽいノリ。


『それでは、私はこれから高木さんの状況を調査するために、しばらく通信に出られないかもしれません!

GMコールにも反応できない場合がありますので、ご了承ください!それでは失礼しますっ!』


――ブツッ。


「……切った!? いや早ぇよ!!」


まだ聞きたいこと、山ほどあるんだけど!?


思わず叫びたくなった。

説明も薄いし、情報も断片的。こんなんで納得できるわけがない。


「……後でマジで運営にクレーム入れようかな……」


まさかの異世界体験に巻き込まれてるのに、サポートがあの調子では不安しかない。

社会人としては冷静に言うつもりだけど――ちょっとはガツンと文句言わせてもらおうか。



「そういえば、“倉庫を開放しました”って言ってたよな……」


周囲を見回す。


「……で、どこだよ、その倉庫。そこまで説明しろよセックさん!」


相変わらず雑草だらけの廃墟と崩れた石の塊ばかりが目につく。

看板も案内板もない。自力で探せというのか。

こうなったら――


「……完全に宝探しじゃねぇか。◯◯エの序盤イベントかよ……」


愚痴をこぼしながら、廃墟の壁を一つひとつ、丁寧に見て回る。

やがて、その中で――


「……ん? これ……レバーっぽい?」


石壁の一角、ちょっとだけ浮いたように見える細長い突起があった。

ためしに指で摘んで握ってみる。


――青く光った。


「おおっ!? ……だけかい!」


一瞬テンションが上がったのに、光るだけで何も起こらない。

指紋認証? 魔力反応? 開かないなら意味ねぇ!


押す、引く、ひねる、回す――もう片っ端から試す。


そして――


ガチッ。


指先にわずかな手応えが伝わった。


次の瞬間――


ズゥゥゥ……ズゥズゥズゥ……!


壁がゆっくり、重々しくスライドしていく。

内部から、淡くやさしい光が漏れ出してきた。


「おおおお……来た……っ!」


思わず息を呑む。

壁の奥に現れたのは――まるで別世界のような空間だった。


中を覗くと、そこには外の荒れ果てた景色とはまったく異なる、

整然とした保存状態の良い部屋が広がっていた。


石組みの壁と床は丁寧に磨かれており、

床には魔法陣のような紋様が刻まれている。


「これ……保存魔法か? いや、だったら納得の綺麗さだな……」


明るい色の木材――ひのきっぽい棚が並び、そこにはぎっしりとアイテム類が陳列されている。

湿気も埃もまったく感じない。まさに“聖域”のような空間だ。


「うわっ……ここ、全然腐敗してねぇ……」


そして棚の上――目に飛び込んできたものに、思わず声を上げた。


「あっ! パワーグローブ!!」


テンションが一気に跳ね上がる。


「これ……昔、欲しくて欲しくて、でも最後まで手に入らなかったやつ!

まじかよ、ここにあったのかよ……!」


棚の奥には、見覚えのある剣もあった。

その刃は青く淡く輝き、魔法エフェクトのようなオーラをまとっている。


「これ……強化段階、かなり進んでるぞ。+8か+9はありそうだな……」


懐かしさと感動が同時に押し寄せる。

まるで、過去の自分が「こうなればいいな」と思っていたアイテムたちが、今この手に届くところにある。


「これ、本当に……ゲーム、なんだよな……?」


ふと、そんな疑問が浮かぶくらいに、リアルで、感情を揺さぶってくる倉庫だった。



棚には、それぞれの職業に対応した武器が並んでいた。

剣、弓、槍、杖、ナイフ――そして、その横には職業ごとの防具類。

さらに、装備枠にカウントされるイヤリングや指輪、腕輪などの装飾品まである。


武器や防具は職専用だが、グローブや肌着、帽子、指輪、リストバンドといった装飾系は全職共通だった。

懐かしい。ファンタジー世界なのに、なぜかTシャツとかも装備に混じっていたな……。


「あっ、あったあった……ここにもTシャツあるよ……しかもピチピチのやつ……昔、ネタで着てたなコレ……」


そして奥には、場違いとも思える異様な存在感のある武器が並んでいた。


――ハイクラス廃人御用達の、伝説級装備。


初心者の館に、なぜか常設されていた“ディスプレイ展示用”の武器たちだ。

性能は折り紙付き。けれど、その価格はもはや天文学的だった。


当時のプレイヤーなら誰もが知っていた。

普通に素材を集めてクラフトするか、ユーザー間の取引で購入する方が遥かに安上がりだと。


それでも、その武器たちは常に“憧れ”の象徴だった。


――手に入れるには、1年以上の廃プレイが必要。

いや、運が悪ければそれでも足りない。


例えば、レア素材「オーガの血」。


そのドロップを求めて、俺は1週間、オーガの森に通い詰めたことがある。

でも結局、一度も落ちなかった。ドロップ率はたぶん、0.1%とかそんなレベルだったはずだ。


仮に奇跡的にドロップしても、次は合成。

腕のいいドワーフ鍛冶屋NPCに頼んで、成功率50%以下のチャレンジ。

当然、失敗すれば素材は全部消える。


しかも、当時は詐欺師も多かった。

「絶対成功させますよ!」とチャットして、素材を預かったままログアウトするプレイヤーも珍しくなかった。


「……それでも、欲しかったんだよな、あの武器」


結局、俺がその伝説級装備を手にすることは一度もなかった。

何年も何年も、廃プレイを続けたけれど――憧れのままで終わった。


それが今、目の前に並んでいる。


ガラスもない、陳列棚にポンと置かれた状態で、

まるで「好きに持っていけ」とでも言わんばかりに。


「……夢みてぇだな、これ……」


懐かしさと、少しだけ滲む虚しさが、胸に残った。



そんな中――


今、目の前に並んでいるのは、かつて憧れ続けた強化済みの高級武器と装備だった。


装備の強化には、特定の素材を錬金し、専用の高価な強化アイテムを使用する必要がある。

しかし、安全に強化できるのは**+3まで**。それ以上は、失敗すれば装備そのものが消滅するというハイリスクなシステムだった。


+4に挑戦すると、成功率は8割。

たったの8割。されど8割。

何十時間もかけて集めた素材とマネーが、一瞬で消し飛ぶリスクを抱えて、それでもなお挑む価値があると思っていた。


――これは、一種のギャンブルだった。


今のゲームで例えるなら、高レア排出率の低いガチャに近い。

ただし、失うのはリアルマネーではなく、何十、何百時間を費やして集めたゲーム内資源。


大人になって分かる。

この世で一番価値のあるものは、命の次に時間だ。

そう思えば、金で済むガチャの方が、よほど優しいシステムかもしれない。


……まあ、ガチャが主流になった世代のゲームは、俺には縁がなかったが。


強化に成功すれば、装備には青く輝くオーラが纏う。

その美しさは見る者の所有欲を容赦なく掻き立てた。


廃プレイヤーたちは、+5、+6、時には+7へと挑戦していった。

表向きの成功率はどれも「8割」。

けれど、+6まで連続で成功する確率を頭で計算しようとすると――もう、気が遠くなる。


トッププレイヤーが装備していた+6以上の装備は、まさに別格だった。


海外サーバーでは、+8が最高強化値として報告されていた記憶がある。

それもまた、伝説の域だった。


そして、今。


俺の目の前にある装備――そこから放たれる青いオーラは、明らかにそれを超えている。


「……これ、+8どころじゃないな。下手すりゃ、+10……?」


青い光が揺らめき、時折、小さく火花のようにきらめく。

ただそこにあるだけで、圧倒的な存在感を放っていた。


かつてどれだけ憧れても、手が届かなかったその“理想”が、

今、手を伸ばせば届く場所にある――


俺はしばらく、その美しさに見惚れていた。



「アイテム欄……よし、スクロールしてっと……」


画面を指でなぞりながら、表示されているアイテム数を確認する。

思ったより空きが多い。


「だいぶ余裕あるな。よし、全部持っていこう」


迷いはない。

昔の俺なら躊躇していたかもしれないが、今の俺は、+10の武器を目の前にしている。


「昔は……こんなに持てなかったよなぁ」


ちょっとでも重量オーバーしたら動きが鈍くなったり、所持数制限で泣く泣くアイテム捨てたり。

あれはあれで楽しかったが、今はこの快適さがありがたい。


棚の中から、片手用の武器に手を伸ばす。

たぶん、このキャラのジョブにはこれが一番合っているはずだ。

そっと柄を握り、ゆっくりと持ち上げる。


「コントロールパネル」


呼び出した装備画面には、すでに手に持った剣が自動的に登録されていた。

装備スロットに収まり、画面にはしっかりと――


【+10】


「いや、サービスしすぎじゃない?」


ちょっと引くレベル。

+10って、ゲームバランス的にチート級だろこれ……。


でも、振ってみると意外にも軽い。

軽量素材なのか、それともこのキャラが元々筋力特化なのかは分からない。


「……ま、軽いならそれでいいか」


ふと、気分が上がってくる。

自然と体が動く。


「ふっふっふ……」


軽く構えて、空中に斬撃を数度。

ヒュン、ヒュン、と風を切る音が心地いい。


気づけば、もう片方の手にも別の剣を持っていた。

2本を構えて、軽くステップを踏む。


「二刀流って、やっぱカッコいいよなぁ……」


無意識のうちに、小学生の頃の記憶がよみがえる。

棒切れを拾って、雑草相手に**「ひたすら斬る練習」**と称してブンブン振り回してた、あの頃。


今もまったく同じことをやっている。

ただし、今の俺は――


美少女アバターの中年おっさん(♀)+10二刀流。


「……うん、なにこれ最高」


ついつい、クルクルと剣を回してステップを踏みながら遊んでしまう。

まさかここまでテンションが上がるとは、自分でも思わなかった。



「あっ、なんか……バッファーの気配がする」


ふと、そんな直感が脳裏をかすめた。


俺が昔作ったキャラクター――

あれは、支援職だった。


最初はずっと、二刀流で攻撃に特化したジョブだと思い込んでいた。

実際、盾を捨てて剣を二本持つって、普通はアタッカーでしょ?

でも――育ててみて分かった。


支援職だったのだ。


「……そりゃねーだろ……剣を振って支援魔法出すって……」


キャラを作る前に職業情報を調べれば、当然わかったことだ。

でも、俺は事前情報をなるべく入れずにゲームを楽しみたかった派だった。


気づいたときには、すでにこのキャラに愛着が湧きまくっていた。


そして今――

身体が、自然と動く。


「うわ、なんか……分かる。何すればどんなスキルが出るか、身体で覚えてる……」


まるで脳に直接操作されているような感覚。

考えるより先に、動作が出る。

この感覚、便利だけど……本当に安全なのか?

どっかの研究機関で人体実験でもされてるんじゃないのか、これ……。


疑念はある。でも今は――


「このスキルだな」


軽やかにステップを踏む。体が勝手に“バフ発動の動き”を取っている。

懐かしい感覚が、どんどん蘇ってくる。


支援魔法が、出る。

体の奥から、力が溢れ出すような感覚。


意識するだけで、どの魔法を発動するかも自然に選べる。


トーンッ、と軽く地面を蹴って跳び上がると、

その瞬間――


青白い光の渦が、体から勢いよく舞い上がった。

光の粒がキラキラと混じり、幻想的な軌跡を描きながら空へと昇っていく。


やがてそれらの光はふわりと舞い戻り、

俺の体へとやさしくまとわりつく。


――次の瞬間。


「うわっ……!」


体が、軽い。

地面の感触が消えたような錯覚すら覚える。

動きが、風に乗っているみたいに、するすると滑る。


明らかに、スピードが数倍になった。


「……『ダンス・オブ・ラピート』……」


思わず口元が緩む。


このバフを使えるジョブは――


ソードダンサー。


俺が、かつて何年もかけて育てた思い出のキャラクター。

苦労して、試行錯誤して、何度も転職を繰り返して、

それでも諦めずに愛着を持ち続けた、**もう一人の“俺”**だった。


今、こうして――


もう一度、あのキャラクターと一緒に冒険を始められるのかもしれない。


その事実が、じんわりと嬉しかった。

懐かしさが、心を温かく包み込む。











ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


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