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page.9『予期せぬエピローグ』

「これが、僕が聞かされたことの全部です……」


 そう悠羽ゆうはがすべてを話しおえたところで、悠羽と空澄あすみ、それと謎の少女を含めた三人の間には当然のように沈黙が訪れた。


 海岸で謎の少女と遭遇したあのあと、悠羽たちは伊澄海浜公園いずみかいひんこうえんからひとまず離れると、そこから数分ほどでたどり着ける、ゆったりとした雰囲気のあるカフェに場所を移した。


 十代後半の大学生ぐらいのアルバイトの店員さんに四人掛けのボックス席まで案内されると、悠羽と空澄は隣り合わせに、謎の少女はテーブルを挟んだふたりの正面に座った。


 そして、悠羽が話しをおえると、

「だから樫井かしいくんは、わたしのこと、全く覚えてなかったんだね」

 と、少しの沈黙を挟んだあとで、謎の少女が最初に言葉をもらした。


 その表情はどこか切なそうで、彼女はそれを隠すようにオレンジジュースのグラスに手を伸ばすとストローに口を付けた。


 謎の少女の正体は、記憶を失くす以前の悠羽……の元同級生なのだと、注文したドリンクが運ばれてくる前の段階で説明してくれた。

 名前は、織島おりしま小春こはる


「わたしはてっきり、二年も経ってたから忘れられてるのかと思っちゃった」


 自分を笑うように、冗談交じりで小春が言葉をもらす。


「……」

「音沙汰もなしに転校するし、連絡も取れなくなるもんだから、何かあったんじゃないかって学校内で噂も流れたりもしたんだけどさ……まさか、事故で記憶を失くしてるとまでは思いもしなかった……」


 オレンジジュースのグラスをテーブルの上に戻すと、小春はそう続けた。


「だけど、ひとまずは少し安心した。……どんな形であれ、またこうして樫井くんと会えて話せたから」

「……」


 少し微笑んだ小春が、目の前の悠羽を視界に映す。その瞳には安堵が見て取れた。再会の喜びから生まれた穏やかな感情が。


 悠羽はその眼差しからどこか逃げるように、目の前のアイスコーヒーの表面に視線を落とした。そのままグラスに手を伸ばして、ストローで黒く苦い液体を吸い上げる。


「……」


 会話が続けられない。

 言葉が全く口を出ない。

 その原因はたぶん、小春に対する緊張だ。それと、一方的に悠羽の中に潜む罪悪感……。


 記憶を無くす以前の樫井かしい悠羽ゆうはのことを知る彼女を前にして、一体自分はどうしていればいいのか。どんな風に彼女に接するのが正解なのだろうか、と。それが上手く見出せていない。

 それゆえに、妙な居心地の悪さが悠羽の中にはあった……。


「それで、なんだけど……」


 小春はそこで言葉を区切ると、目線を悠羽からその隣のアイスティーのグラスを握る空澄に移動させた。


「あ、かの……」

「彼とは、同じ高校の……単なるクラスメイトです」


 悠羽が説明しようとしたのに被せるようにして、向けられた視線の意味をすぐに理解した空澄がグラスをテーブルに置きながら、そう淡々とした声のトーンで答えた。


 単なるクラスメイト。

 自分たちの関係性を表す言葉としては、けして間違ったものではないのだが、その口調には少しばかり冷たさがあるように悠羽は感じた。


 それに、小春は一瞬目をぱちくりとさせる。そのまま、

「そうなんですね」

 と、納得したのかしていないのか、どっち付かずな表情のままの小春は悠羽と空澄を見比べた。


 空澄の視線はアイスティーが注がれたグラスのそばに落とされ、悠羽の視線は店の外に向けられる。


 すると、小春の鞄の中でスマホが震えた。鞄から取り出したスマホの画面に、小春は視線を落とす。


「ごめん。私、もう店出ないと」


 小春は残りのオレンジジュースを飲み干すと、席から立ち上がる。けれど、小春はそこで小さく「あ、そうだ」と、悠羽を振り返った。


「……?」

「もし大丈夫ならなんだけどね。念のため、樫井くんの連絡先だけ聞いても、いいかな?」


 同じように席から立ち上がろうとした悠羽に対して、小春はスマホをぎゅっと握りながらどこか遠慮がちにそう続けた。


「……あ、はい」


 少し遅れて反応した悠羽はスマホを出してメッセージアプリを開くと、連絡先の交換を済ませる。


 そのあとで、会計を済ませた悠羽たち三人は店を出た。外はもうすぐ夕日が見えなくなるような明るさだ。


「元気でね。樫井くん」と、最後にそう告げた小春とは店の前で別れたあと、その背中を何とはなしに見据える悠羽をよそに空澄は伊澄海浜公園の方に向けて歩き出した。


 悠羽はそのあとを追うと、その隣に並ぼうとする。けれど、空澄の隣に並ぶのを前にして、悠羽は一瞬、躊躇するかのようにぴたりと足が止めた。それから悠羽は、そのまま自分の少し前を歩く空澄の背中を追うようにして駅までの道のりを進んだ。


 店の前を離れてからの道すがらで、悠羽と空澄の間に会話が交わされることはなかった。ゆっくりとした足取りで駅までの道を、海を背にして進んでゆく。


 しばらくして、駅に到着した悠羽と空澄は改札を抜けてホームに入る。


 駅のホームには、利用者の人影はまばらにしか見られなかった。ホームに設けられたベンチにも座れるスペースがある。

 けれど、そこにふたりが座ることはなく、空澄はベンチが並ぶスペースを通り過ぎると、のりばの隅っこと人が集まる空間からはずれた位置で足を止めた。悠羽も今度はその隣に並ぶ。人ひとり分の間をあけてだが。


 電車が来るまではまだ少し時間がある。


「……」

「……」


 海風が吹くふたりの間には未だ沈黙が積もるばかり。


 駅のホームにアナウンスが流れ出す。次にホームにやってくる、悠羽と空澄が乗る予定の電車の到着を知らせるためのアナウンスだ。


 すると、そこでようやく空澄がゆっくりと口を開いた。


「さっきの話、本当なの……?」


 小さくとも不思議とよく通る声で、そう空澄が地面に視線を落としながら言葉を続けた。


「君が、過去に事故に遭ったって話も……」


 徐々に声のボリュームが小さくなりながらも。


「……」

「そのせいで、記憶喪失になったって話も……」


 駅のホームに消え入りそうなほどの声で。


「……」

「まだ君の記憶が失われたままなのも……」


 海風にさらわれてしまうんじゃないかと思えるか細い声で。


「全部、本当なの……?」


 空澄は続けた。


「……はい」


 そこで、隣の踏切から遮断機が下りるのを知らせる警告音が鳴りはじめた。電車がもうすぐ到着するのを知らせるアナウンスも再び駅のホームに流れ出す。その音たちが、今の悠羽にはこの場にとどまることを許すタイムリミットを告げるかのような警告みたく聞こえた。


「事情を知らなかったのはそうだけど、私の無茶なお願い事に君を巻き込むようなことして、ごめん」

「……」


 告げられた謝罪の言葉に、悠羽はゆっくりと隣の空澄に視線を向けた。


「もう、私は、君に関わらないようにするから……」


 そう付け足した空澄の視線は今も地面に向けられたままで、悠羽がどんなことを口にしようとも空澄がこちらを向こうとはしてくれなさそうだった。


「だから君も、私がお願いしたことは、もう忘れてくれて構わないから……」


 悠羽はそれに対して、何も言葉を返せない。そのまま悠羽の視線も自分の足元に落とされる。


 そこで、踏切を通過した電車が、そのままホームに停車しようとゆっくりとスピードを落としてゆく。


 空澄はその様子を顔を上げて確認する。すると、白線の手前にと進み出た。けれど、その足は一歩目で止められると、

「……私の無茶なお願いを、一度は引き受けてくれてありがと」

 と、停車寸前の電車に体を向けたままの空澄が、そう告げた。


 電車は完全に止まると、ドアが開く。


 そして、最後に、

「嬉しかった……」

 と、歩き出すのと同時に、空澄の口からこぼれるようにそう付け足された。辛うじて、その言葉を、悠羽は聞けた。


 そして、そのまま空澄は、電車に乗り込んでしまう。


 悠羽はそこで、片方の足が一歩前に進み出たが、それ以上は体を動かせずに空澄のあとを追うことができなかった。無理だった。


 電車はしばらくしてから発車のベルを鳴らすと、ドアは閉ざされる。そのあとで、ゆっくりと動き出した電車を、悠羽はその場に立ち尽くしたまま、ただじっと電車が走り去る姿を見えなくなる最後まで見送った。


 すぐに走り去る電車の背中は見えなくなる。


 悠羽と同じのりばに残されたのは、電車に乗りそびれた悠羽ひとりだけ。


 それはまるで、あの日のように……。


 放課後の教室で、強引に渡された小説の原稿が手元に残されたまま、自分自身もそこに取り残されたあの日のように。


 けれど、今度はあの日とは違う。


 もし仮にあの日に起きた出来事が、物語のはじまりを告げるプロローグなのだとすれば、今回は物語の閉幕を知らせる、それも予期せぬエピローグだけが、悠羽の手元には残されたのだから……。


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