page.6『主人公諸君へ。ヒロインの私服姿には感想を告げることを忘れずに。』
週末の日曜日。
迎えたデート当日。
悠羽は枕元のスマホから鳴る電話の呼び出し音で目を覚ました。
身体をそのままにスマホを充電器から取り外すと、画面に映し出される電話の相手の名前を目にする。
呼び出し相手の欄には『あすみ』とある。
悠羽はけだるさが纏わり付く身体をベットから起こしながら、スマホの画面を操作して電話に出た。スマホを耳に当てる。
「はい……」
絞り出されたのは、すぐに寝起きだとバレる低さの声。
『もしかして今起きたの?』
「……」
案の定、指摘された。しかし、弁明しようとも言葉が口から出ない。そして、その前にスマホ越しにため息がもれるのが聞こえた。
『今日の待ち合わせの時間と場所、しっかりと覚えてる?』
「……十三時に、駅前の広場ですよね……」
『今何時かわかる?』
そう言われて、耳元からスマホを離した悠羽は、ぼやけた視界の中で通話中の画面の一番上に表示された現在時刻を目にする。
「十二時です……」
スマホを耳元に戻した悠羽は、確認した時間をさばを読んで答える。本当の時刻は十二時十一分。ぼやけた視界の中でもしっかりと『12:21』の『21』は見えてはいたが。
『もちろん遅刻はしないように。じゃあまたあとでね』
そこで、空澄の手により電話は切られた。
悠羽はスマホを耳から離して、そのままメッセージアプリで空澄とのトーク履歴を画面に表示させた。トーク履歴には、昨日の夜中に空澄から送信された、今日の待ち合わせ時刻と待ち合わせの場所の指定が書かれたメッセージある。十三時に駅前の広場で、と。
スマホの画面を閉じた悠羽はベットから立ち上がると、さっさと身支度をし始めた。洗面所で事を済ませたあとで、遅めの朝食を食べて、部屋着から私服に着替える。
それから悠羽が家をあとにしたのは十二時三十分過ぎ。
待ち合わせの場所までは電車で向かうので、悠羽はまず学校までの通学で毎日お世話になっている最寄りの駅に足を向けた。
改札を抜けてからすぐにホームで停車した電車に乗り込む。いつもはそこで降りる高校前の駅は通過、そのまま更に二駅先にあるこの電車の終点の駅。そこで悠羽は電車を降りた。
同じく電車を降りた人の流れに従い、改札を抜けて駅の建物から出る。
待ち合わせの場所の広場は、そこからすこし歩けばすぐにたどり着ける。駅の建物の出入り口から右手方向に進んで、横断歩道を渡ると緑の芝生が特徴でちょっとしたステージのようなものが構えられた広場が目の前には現れる。
その広場を前に一旦、足を止めた悠羽は広場周辺を見渡した。
すると、背後からこちらに近付くような足音が聞こえた。そして、その足音は悠羽の背後でぴたりと止まる。そして、
「遅刻はしなかったようね」
と、声を掛けられた。
その声に、ゆっくり振り返る。
途端に、おちゃれな私服に身を包んだ空澄が悠羽の視界を占領した。
上はシンプルな白のブラウス、それに合わせた下は、上品な印象を与えるトレンチコートのようなフレアデザインをしたベージュ色のトレンチスカート。それにプラスして、白のトップスの上に羽織られたニット素材のガウンコートは、全体をカジュアルなコーデに仕上げる役目があるように思える。
それと、膝上丈のトレンチスカートから伸びる空澄の脚は、相変わらず黒のタイツにより大事に包まれた状態だ。
見惚れてしまうほど綺麗。それが率直な感想だった。
「早めですね」
広場に設置された公共の時計にちらりと目を向けると、時刻は十二時五十分前。待ち合わせの時間は十三時だ。両者ともに待ち合わせ場所への到着が少しばかり早い。
「お昼ごはんを外で済ませようと思って早めに出たのよ。それよりも、遅起きした君はちゃんとなにか食べてきたの?」
「食パンを一枚」
「それで平気なの……?」
「早く来いって言ったのは、藤宮さんですよね?」
「だからって食パン一枚だけって……」
「それで、どこに行くのか決めてるんですか?」
呆れたような表情をする空澄に、悠羽はさっさと本題を切り出す。
「それは、着くまでのお楽しみ」
そう言うと、空澄は肩から伸びるショルダーバックからスマホを取り出した。画面を操作してメールアプリでなにやら確認したあとで、
「目的地までは電車で向かうから。行くわよ」
と、広場に背を向けて、駅の建物の方へと歩き出した。
悠羽はそのあとに続き、隣に並ぶ。
その足が目指すのは、悠羽が行きの電車で使用した駅とはまた別の駅の建物。北口と記された場所から建物の中に入ると、そのまま駅の改札口を通過する。
駅のホームは建物の二階に位置するため、そこまではエスカレーターで向かう。駅構内には飲食店やコンビニ、小さな本屋まで構えられてある。週末の日曜日なだけあって駅構内からホームまで人通りが多い。
目的地行きの電車はすぐにホームに入ってくる。
悠羽と空澄は電車から降りる人の流れと入れ替わる形で、電車に乗り込んだ。ほどほどに座席が埋まる中で、悠羽と空澄は人ふたり分が余裕で座れるドア付近のスペースを確保した。
ドアが閉まるアナウンスとともに電車内にベルが鳴ると、電車はゆっくりとそれぞれの目的地を目指して動き出した。
「ねえ」
「はい」
「小説とかの物語で、こう言うデートの場面でよくあることだと思うんだけど、はじめて主人公がヒロインの私服姿を見たとしても全くそのことに何もふれてこないのは、どうしてだと思う?」
電車の中に吊るされた映画の広告に目を向けた空澄が、どこか含みのあるような口調でそんなことを切り込んでくる。その声音にはしっかりとした圧を感じた。横目を向けることすら躊躇してしまう。
「……」
「ねえ、なんでだと思う? 主人公くん」
今度は悠羽のことを覗き込むようにして顔を向けた空澄が、淡々とした声のトーンで追撃してくる。逃がしてはくれなそうだ。
「似合っていると思います……」
無難な感想を述べた悠羽に対して、追求してくる様子はない。無事に合格を得れたと言うことだろうか。そう解釈しておこう。
「これがヒロインの気持ちなのかな」
自分の足元に視線を落とした空澄が、嫌味交じりにそう呟く。
結果はどうやら駄目だったようだ。
けれど、悠羽はその言葉を聞かなかったことにして、目的地の駅に着くまでの間は大人しくして電車に揺られることにした。
出発した駅から電車に揺られること数分後。
乗客は最初の駅からだとかなり増えていて、今では座れる席がほとんどなく、ドア付近で壁にもたれかかる乗客や吊革に手を伸ばす人たちがちらほらと見られた。他の車両もたぶんそんな感じだ。
しばらくして、途中の駅で別の電車に乗り換えた悠羽と空澄を乗せた電車は、それからすぐに目的地付近の伊澄海浜公園駅に到着した。デートの行先まではこの駅から徒歩数分でたどり着けるらしい。
駅の改札を出てからの悠羽と空澄の足は、海が広がる方角へと歩き出した。
歩くこと十分もせずに、それらしき白く大きな施設の建物が現れる。
海に面した場所に構えられた、伊澄シーワールド。
つまりデートの行先の答えは水族館だ。
「カップルばっかりね」
「そうですね」
水族館の前を見渡す限りでは、人だかりの六割ほどが男女のカップルを占める。大人同士のカップルよりも学生同士のカップルの方が多いように思えた。それ以外では家族連れが次に多い。小さな子供からお年寄りまでと客層も広めだ。
「入場そろそろね」
そう言うと、空澄はチケット購入口を見向きもせずに、そのまま悠羽を連れて正門の入場ゲートに足を向けた。
「入場チケット、買わないんですか?」
チケット購入口を振り返る悠羽はそう訊ねる。
「チケットはもう買ってあるのよ。事前にオンラインで」
ショルダーバックから取り出したスマホを操作する空澄は、入場用チケットの購入画面を表示させるとそれを悠羽に見えるようにスマホの画面をこちらに向けてくれた。
「いくらでした?」
悠羽はポケットから出した財布を開こうとする。
「いいわよ別に」
しかし、その手は空澄の言葉に止められた。それに悠羽が口を開こうともするが、その前に空澄が口を開くことでそれすらも空澄に阻まれることに。
「もとはと言えば、このデートは私から君にお礼をするためのものなんだしさ」
そう言うと、財布を手にする悠羽を放って、すたすたと空澄はスマホの画面をそのままに入場ゲートに進んだ。
悠羽は財布をポケットにしまいながら後を追う。
入場ゲートを通過するには、駅の改札のようにスマホの画面に映し出したQRコードを機械にかざす必要がある。チケットを購入した代表者が一名、スマホをかざすだけで購入したチケット枚数分、人間がゲートを通れると言う優れたシステムだ。
正門を抜けると、まずはシャチのモニュメントがみんなをお出迎えしてくれる。
園内の広場には多くのキッチンカーが並び、メニューとしてはデザートや軽食の類が見られた。値段は千円前後がほとんどで、その場所にあった相応の価格と考えれば妥当な値段設定なのだろう。
伊澄シーワルドの敷地内は三種類のエリアで構成され、入場ゲートを抜けて左側に進めばシャチのパフォーマンスが見られる『オルカスタジアム』の建物が構えられる。右側にはイルカのパフォーマンスが行われる『ドルフィンスタジアム』の建物と、四つのフロアで構成された『アクアライブ』と言う展示エリアがある。と、ご自由にお取りくださいと置かれたパンプレットが教えてくれた。
「シャチとイルカのショーだって」
入場を出迎えるシャチのモニュメントが置かれた広場のような場所。そこに設置された案内用の液晶パネルには、おおまかなエリア地図と『オルカスタジアム』と『ドルフィンスタジアム』で行われるショーの開園時間が交互に映し出されていた。
次のショーの時間はそれぞれ、イルカのショーは十四時でシャチのショーはその一時間後の十五時スタート。
「まだ少しだけ時間ありますね」
現在の時刻は十三時半前。次のイルカのショーまで三十分程度の空き時間がある。
「なら、まずは水族館から回ろうよ」
液晶パネルの前を離れた悠羽と空澄は広場から西側のエリアに伸びる階段を上り、『ドルフィンスタジアム』の建物のさらに奥の建物を目指した。
案内表記に従い、三階に位置する出入り口から『AQUALIVE』の館内に入場する。
最初に悠羽と空澄を出迎えるのは、薄暗い空間。かと思えば、奥からは大きな滝の音が聞こえた。その音に導かれるようにすこし奥へと進むと、音の発生源である滝が現れた。魚たちはまだのようで、そこをさらに奥へと進めば、淡水魚のエリアが始まる。
水の一生、がテーマとされたこのエリアには、上流から外洋とさまざまな環境で生きる魚たちが流れてゆく。
「水槽も館内もきれいですね」
「たしか先々月にリニューアルされたばかりだそうよ」
「だからこんなに人が」
週末の日曜日と言う集客数に加えて、時間帯は昼過ぎ。リニューアルされたのが二カ月前だとしても未だ話題性があるための人の多さにも思える。当然、水槽前には人だかりが作られ、展示された水槽をまじまじと見ることは叶わない。
それでも、少し待てば水槽前は空き、間近で泳ぐ魚たちを眺められた。
淡水魚が泳ぐコーナーを抜けると、次に続くのは海水魚のエリア。そこをさらに進めば、展示される水槽内が外洋のような雰囲気に変化し、塩の濃度が高く泡だった水槽が並ぶようになる。
そこを、ぐるりと一周すると、次は照明が一段と落とされた空間が悠羽と空澄を出迎えた。
暗がりの空間でゆったりと優雅に泳ぐのは、神秘的な印象を見る人々に感じさせるクラゲたち。その空間はまさしくプラネタリウムのような非現実感を見る人達に体験させた。まるで癒しの空間だ。
最初のエリアと比べて、スマホを構える人の数が増えている。カメラアプリでくらげだけを撮影したりする人がいれば、ゆらゆらと優雅に泳ぐクラゲの水槽をバックに自撮りをするカップルなどの様々な光景がここにはあった。
「どうする? 私たちも撮る?」
彼氏と思わしき男性と彼女と思わしき女性が自撮りの最中の様子を視界に映した空澄がそう訊ねてくる。その手には、さりげなくスマホが握られていた。
「遠慮しときます」
「あくまで小説の参考のためよ?」
「……遠慮しときます」
「そう、残念ね」
「藤宮さんだけを、僕が撮りましょうか?」
「嫌よ。どうして私ひとりで撮られないといけないのよ」
「どうしても写真を撮りたいのかなと思いまして」
「私が言ったのは、君とのツーショット。それに撮りたがってはいないわよ」
クラゲのエリアをあとにした悠羽と空澄は、さらに奥のエリアを目指して順路を進む。すると、そこには南国の浜辺を再現したような水槽がエリアの大半を占める全体的に広々とした空間が広がっていた。
水槽の中を、砂浜の上からのぞくようにして見たり、順路を進んだ先からではシュノーケリングで潜ったかのように横から見れたりもした。
水槽を右手にスロープ状の順路を進んで、二階から一階のエリアに降りると、カラフルな魚たちやチンアナゴ、タツノオトシゴなどが展示された通路が現れる。
そして、その先に待ち構えるのは、伊澄シーワールドで一番の大きさを誇るオーバーハング型の大水槽。弧を描いたような反り返った形状の水槽の足元に立てば、本当に海の中に潜ったかのような没入感に包まれた。
中にはシロワニやエイなどが目立ち、他にも小さな魚たちが優雅に泳ぐ様子が見られる。
「イルカのショーもうすぐだけど、どうする?」
言われて、悠羽はスマホで時間を確認する。気付けば、時刻はイルカのショーが始まる十分前だ。
「続きはショーの後でにしますか」
「そうね」
大水槽前をあとにした悠羽と空澄は、その先にあったエスカレーターで出入り口のある三階まで上るとそのまま建物の外に出た。