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page.5『恋の病は人はそれぞれ』

「それで、プロットを作るにあたって初めはなにからすればいいんですか?」


 翌日。

 その放課後。

 特別棟三階に位置する旧文芸部部室の最近では見慣れた空き教室。


 部室の中央に置かれたテーブルで、悠羽ゆうはは昨日、空澄あすみから貸し出されたノートパソコンの画面に顔を向けながら隣の椅子に座る空澄に横目で訊ねた。


「私だと、最初は、登場人物が何人だとか、そのひとりひとりがどんな人物なのかを決めるかな」


 その説明を耳に、悠羽は文章作成ソフトを起動させたパソコンを操作して、新規のデータを作成する。それから白紙のページに文字を打ち始めた。安直に『恋愛小説のプロット』と名付けて。

 続けて、二行先の行に『登場人物』と区切りを綴る。


「登場人物……」

「最初はおおまかに、主人公とヒロインの二人だけとかで初めて、増やすならあとから君の判断とかでいいと思うけど。まあ、全ては君に任せるわよ」

「じゃあ一旦、主人公からとして……」


 改行してから『主人公』と打ち込む。

 その下に、名前は未定、と書き足しながら悠羽は隣を見る。


「藤宮さんは、どんな主人公がいいみたいな理想はあるんですか?」

「理想、ね……」


 その単語を反芻する空澄は、「んー」と、椅子の背凭れに軽く身体を預けた。机の模様の上にゆっくり視線が走らされる。


「これと言ってないかも?」


 しばしの沈黙が挟まれたあとで、そう空澄には返された。


「だから主人公に関しては、君のお任せでいこうかな」

「それはそれで困るんですけど?」

「そう言われても、私に理想のタイプがあるならそもそも君にこんなことをお願いしてないと思うのだけれど?」

「……」


 全くもってその通りだ。至極ごもっとも。

 理想の異性のタイプがあるんだとするならば、それは立派な恋愛感情と言えるだろうから。


「なんなら、主人公のモデルも身近な誰かとかにして……君とか?」


 声のトーンを少しも変えずに空澄が、そんなことを口にしてくる。

 口調からして、冗談交じりのつもりでからかおうとしたわけではなさそうなのが困るところだ。タチが悪いとも言える。単純に提案してみただけ。そう聞こえたから。


「……主人公は追々、考えます」


 悠羽は平静を装いながらキーボードを叩くと、『主人公』と記入した下に未定、と続けた。


「ならあとは、ヒロイン……に関しては藤宮さんをモデルにするとして」


 二回改行した先で『ヒロイン』と綴る。続くように、その下には『藤宮』と付け足す。そこで、悠羽の手が止まった。


「あの」

「ん?」

「下の名前のあすみ、漢字ではどう書くんですか?」

「空が澄んでる、で空澄」


 説明してくれた通りに、悠羽は『藤宮』の下に『そら』と打ち込んでひとまずそこで、漢字に変換させた。あとは、『すみ』を漢字に変換させる。


「君の名前は、なんて書くの?」

「そもそも名字はわかるんですか?」


 パソコンの画面を向いたまま、悠羽は質問で返す。


「樫井、でしょ?」


 見事に当てられた悠羽はキーボードに置く手を動かして、

「これです」

 と、椅子の背凭れに身体を預けて、画面に打ち込んだ文字を空澄に見るよう促した。


 すると、空澄は画面をのぞき込むように体を悠羽によせる。


 画面に映し出されるのは自分の名前。

 ――悠羽 ゆうは

 と、ふりがな付きで。


「ゆうは、ね。じゃあ、悠羽くん、かな?」


 突然、名前で呼ばれたことでどこかむずがゆさを感じた悠羽は、姿勢を戻してパソコンの画面に意識を集中させた。下の名前で呼ばれたことがこれまで家族以外にでなかったからだろう。そうに違いない。


「嫌なら樫井くん、はどう?」

「……なんでもいいです」


 そう返した悠羽は、淡々とキーボードを叩くのを再開させた。『ヒロイン』についての簡単な情報からまずは組み立ててゆく。


「あ、そうだ」


 なにかを思い出したかのように声を上げた空澄は、テーブルの上に寝そべったスマホを手に取ると画面を操作し始める。すると、

「今週の日曜日なんだけど、君、予定とかはある?」

 と、訊かれた。


「ないですけど」


 キーボードを叩く手を一度止めて、悠羽は横目で答える。


「なら今週の日曜日はそのまま予定を空けておいてほしいの」

「何かあるんですか?」

「君には、私のことをモデルにして小説を書く上で、私のことをもっとよく知る必要があると思うの」

「……?」


 今の説明だけでは、さすがに話の答えが見えてはこない。それと、予定を開けておくことにどんな関係性があるのか。


「だからさ、今週の日曜日、デートをするの」


 デート。

 その単語に、キーボードを打ち込む悠羽の手がぴたりと止まった。


「……別に、デートまでしなくてもいいんじゃないですか?」

「相手をよく知るために、デートをすることが一番うってつけな方法だとは思わない?」

「……」


 否定はできない。もちろん肯定もしない。


「今週の日曜日はあけておくようにね? 時間と場所はまた連絡するから」


 画面をしばらく操作した空澄はスマホをテーブルの上に戻す。すると、

「私とデートすることに、君は何か不満でもあるのかしら?」

 と、悠羽の顔を覗き込むようにして指摘してきた。


 そのため、おのずと一瞬目が合う。


「別にありません……」


 視線を外に逃がした悠羽は、冷静を取り繕うようにそう返した。


 仮に、そこに恋愛感情がなかったとしても、顔立ちの整ったクラスメイトからのデートの誘いに何も思わない男子なんていないだろう。健全な男子高校生なら尚更だ。相手を自然に意識してしまうようになる。それが、年相応の男子高校生と言う不思議な生き物なのだ。と思う。


「なら決まりね」


 強制的に話を切り上げた空澄は、席を立ち上がる。それから対面の椅子の上に置かれた自分の鞄の中から一冊の文庫本を取り出す。それを手に元の席まで戻ると、ぱらぱらとしおりが挟まれたページまで開き、文章の上に落とされた視線はゆっくりと動き出した。


 著者、渡良瀬みやこの小説。


 そんな空澄を横に、悠羽はキーボードに乗せた手の動きを再開させた。


 キャラクターの細かい設定の諸々は後回しすることにして、悠羽は次に決めることとして物語の構想を考えはじめた。つまりは、物語のテーマ。

 また改行した別の行に『ストーリー』と、打ち込む。


「あの」

「ん?」


 開かれた文庫本のページに顔を向けたままの空澄が返事だけをよこす。


「ひとつ聞きたいことがあるんですけど」

「なに?」


 今度は顔を悠羽に向ける。


「昨日の話の続きで……『恋愛の好きがわからない』に関して、もっと詳しく聞かせてくれませんか?」


 キーボードからは一度手を離した悠羽は、そう訊ねた。


「どうしたの? 急にそんなこと」

「誰かさんがさっき言ったからですよ。小説を書く上で、相手のことをもっとよく知る必要があるんだって」


 悠羽の言葉に、そっと文庫本を閉じた空澄が「そうだね」と、表紙のイラストを見据えながら口を開いた。

 制服のブレザーを着た女の子が、涙を瞳と頬に滲ませたままにっこりと笑う綺麗な表紙。


「言葉そのままの意味よ。まあ要するに、私には感情が欠けてるのよ。誰か(ひと)を好きになるのに必要な感情そのものが」

「恋愛感情が、欠けてる……」


 パソコンの画面に顔は向けたまま、悠羽は言葉を反芻する。


「物語の世界ではさ、小説のヒロインの女の子は気が付けば主人公の男の子のことを好きになるでしょ? 恰もそれが当然かのように。どんな出会い方をしたって、第一印象が最悪だって」


 例えばの話で、晴れて高校生となった主人公がある日、通学路で転校生のヒロインとどんな最悪な出会いを果たそうとも、場所を選ばず顔を合わせば僻み会うような関係性のふたりだとしても。物語の世界ではストーリーさえ進んでしまえば、主人公はヒロインに惹かれるのだ。それは逆も然りでヒロインもまた主人公に惹かれる。そしていつしか結ばれる。


 要するに、創作の世界ではなにがどう転ぼうとも、最後には最初から用意された結末にたどり着くよう進められる。それが、作品であると同時に読者が求める物語なのだろうと思う。


「だけど、私は違う」


 表紙を向ける文庫本を、ゆっくりと裏表紙に返す。イラスト女の子は見えなくなり、その代わりに今度は裏表紙に綴られる作品のあらすじが現れた。


 すると、文庫本をそっとテーブルの上に置く。そのあとで、

「私は、自分の物語のヒロインになんてなれない。私が主人公のことを好きになることはない。なれないのよ」

 と、ぽつりと言葉をもらした。


 裏表紙に綴られたあらすじを見据える空澄のその横顔はどこか儚げに、悠羽の目には映った。わずかに下がった目じりからは切なさのようなものが滲んでいる。


「だからこそ、君にはどうしても私の小説を完成させてほしいの」


 空澄は一度、悠羽を振り向く。


「私のこの変な病気のようなものを治すために。それでいつかは私もこの小説のヒロインのように、普通の恋がしてみたい」


 そう言うと、裏表紙を向く文庫本を再び表紙に返した。そうしたことで、表紙に映る女の子がまた姿を見せる。その女の子を、空澄は羨むようにそっと指でなぞった。


 その様子を横目に、

「病気、ですか……」

 と、言葉を復唱した悠羽は、そのあとでパソコンの画面に向き直ると作業を再開させた。


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