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page.4『私が恋をする物語を』

 そんなこんなで、悠羽ゆうはは放課後を迎えた現在、特別棟三階に位置する旧文芸部の部室、その空き教室を訪れたのだ。


 目の前の教室に入ることに対して躊躇しそうになりつつも、悠羽は教室のドアに手を伸ばす。


 旧文芸部の部室の中は、部室の中央に置かれた大きなテーブルがひとつあるのと、その両サイドに向き合うように置かれた椅子がふたつずつとだけの殺風景な教室。

 普段は物置として使用されるであろう一般的な空き教室だ。


 そこには、先客がひとり。

 入り口の対面側にある部室の一カ所部分の窓を全開にして佇み、そこから外の景色を眺めるひとりの女子生徒。

 空澄あすみだ。


 夏の間近を肌で感じるような吹き込む風に靡く髪の毛と、その後ろ姿。


 すると、

「もしかしたらこないんじゃないかと思った」

 と、こちらを振り返った空澄はそんな言葉で悠羽を出迎えた。


 悠羽はドアを閉めて、教室の中に入る。

 そのまま中央のテーブルの脇で歩みを止めた。


「これを返しにきただけです」


 言いながら、悠羽は鞄の中から小説の原稿を出すと、それを目の前のテーブルの上に置く。


「……」


 けれど、テーブルの上に置かれたそれを空澄は一瞥するだけで受け取ろうとはしない。その場からも動こうとしない。


「まだ君、それ読めてないんでしょ?」

「……」


 その言葉に、悠羽は昼休みのときみたく、わかりやすく言葉を詰まらせた。


「それとも、本当は読んでくれてるとか?」


 そう言って、全開にされた窓を閉めると空澄は窓の前からテーブルのそばまで進み出る。


「昼休みのときのどっかの誰かさんは、『読んでません』とか言ってたと思うんだけどなぁ」


 含みを持たせたようなトーンに、悠羽は居心地が悪く感じて視線を机の上の原稿に逸らしてしまう。


 空澄は、「まあ、それはいいとして」と前置きをすると、言葉を続けた。


「だったら聞かせてよ。君がもし、本当に私のその小説を読んでくれてるのだとしたらさ」


 悠羽はその言葉に、じっと黙り込む。そうするしかなかった、の方が正しい。


 けれど空澄は、そんな悠羽などよそに容赦なく言葉を続けた。


 すると、それは、悠羽の言葉を代弁するかのように空澄の口からは放たれた。



「酷かったでしょ?」

 と。



 思わず、悠羽は一瞬目を見張る。


 そのまま、空澄が口にした言葉に対して悠羽は肯定も否定もしなかった。けれど、その沈黙は肯定したのも同然のそれになる。なってしまう……。


「もし本当に、君が私のその小説を読んでくれてるのだとしたら、きっとそう思ったはずよ。そうよね?」

「……僕にそれを言わせるためだけに、わざわざこれを僕に渡したんですか?」

「まぁ、そうね。確かにそれもあるけど、本命は違う」


 そこで一度、言葉を区切ると、悠羽の目の前に置かれた原稿に一度目を向けてから空澄は続けた。


「君は、物語の世界のような恋愛に憧れたことはある?」

「……」

「私にはある。小説の中の世界で、主人公の男の子とヒロインの女の子が様々な出会いをして、ストーリーが進むのに並行して主人公とヒロインがお互いに惹かれ合う……そんな恋愛に」


 言いながら、空澄の視線は徐々にテーブルの上の原稿へと戻される。


「……それが、僕にこれを渡した理由となにが関係するんですか?」


 悠羽の質問に対して、見据える小説の原稿から顔を上げた空澄はなにかを決意したような眼差しを悠羽へと向けた。そして、

「君には、私の小説を書いてほしいの」

 と、続けた。


 悠羽に向けて放たれたのは、そんな衝撃的な提案。おかげで悠羽の思考は見事に停止させられた。


 しかし、そんな悠羽を構わずして、まだ思考が停止されたままが続く悠羽に空澄は言葉を続ける。


「ただ書いてほしいわけじゃなくて。私が物語のヒロインのモデルとしての恋愛小説を、君には書いてもらいたいの」

「言ってる意味が、さっぱりわからないんですけど……」


 ようやく、遅れて対抗するように悠羽はそう言葉を口にした。 追加の説明を求める意味を込めて、悠羽は空澄を見る。


 すると、空澄は軽く深呼吸をした。そして、

「私ね、これまでに誰かを好きになったことがないの」

 と、話し始めた。


 そこで、悠羽はその言葉にあることが腑に落ちた。


 ずっとあったもやもやが晴れてゆくように。


 結末まで描かれきれていない、明らかに不自然な途中段階での終わり方を告げたのがどうしてだったのか。


「『恋』とか『恋愛』が、私にはなにもわからないの。だから私には、自分の書きたいような恋愛小説が書けない」


 全てはそれが理由なのだろう、と。


 現実世界を舞台に繰り広げられる恋愛小説。それは、異世界ファンタジーなどの非現実的で描かれる作品とは違い、そこには多少なりとも読者の共感や感情移入を得れるようなリアル性が重視される。


 例えば、主人公とヒロインの行動や気持ちに対して共感してもらうにはもちろんリアル性が必要とされる。そして、主人公やヒロインに共感した上でキャラクターへ感情移入をしてもらうには、読者の価値観や理解の枠組みを超えてくるようなストーリーやキャラの行動などが必要とされるのだ。


 しかし、感情移入をしてもらうべき根本である『恋愛感情』そのものを空澄は持ち合わせていない。


 それ故に、『藤宮空澄《彼女》』の書く小説はあのように不自然な途中段階での終わり方を告げることになってしまった。


 物語での、主人公とヒロインの間で繰り広げられる恋愛模様が、空澄には描けれないのだから。


 執筆者本人がそうなのだから……。


「だから藤宮さんは、自分の代わりに小説を僕に書いてほしいと?」


 ゆっくり、と空澄は頷く。


「君に読んでもらったそれは、私が本気で書こうとした小説よ。だけど、結果はこのありさま。結末まですら描けてない、しかも……内容だって、恋愛小説とはかけ離れた駄作そのもの……」


 テーブルの上に置かれた原稿を、空澄は悲しげに見据える。その瞳には複数の感情が入り混じっているように思えた。


「私には、みんなの言う『恋愛の好き』がわからない。誰かを好きになると言うこと、初恋は甘酸っぱいだとか、恋は盲目だとか、片思いは辛いだとか、失恋は苦しいだとか。どれも私にはわかりっこない感情……」


 そう言う空澄の視線は、だんだんと下がってゆき、最後には教室の床にまで落とされた。


「それを自覚したのは、中学生になりたてのとき。同級生のみんなの話題はもっぱら恋バナばかり。私はそれがちょっと羨ましくて、理解したくて。沢山の恋愛小説を読んだし、こうして自分でも書いてみたりしたのに駄目で……」

「……」

「だから君が、私に教えてほしいの」


 顔を上げた空澄が、悠羽を瞳に捉える。


「『恋』とか『恋愛』がなにかを、君には教えてほしい。私に『恋愛の好き』がなんなのかを教えて」


 すると、悠羽のそばまで移動してテーブル上の原稿を空澄は持ち上げると、それを悠羽に向けて差し出した。まるで、あの日のように。


「――私が恋をする物語を、君に描いてほしい」


 じっと悠羽の方を見て、はっきりと空澄は言葉にした。


「……」


 差し出された原稿に、悠羽の視線が落ちる。


「……」


 単なるクラスメイトからの頼み。


 それを聞き入れる義理は、当然、悠羽は持ち合わせていない。


 小説の原稿は無理矢理に渡されただけ。


 小説を読んだことに関しては悠羽自身の判断だったが、それも……ただそれだけ。


 そのはずなのに……。


「どうして藤宮さんは、渡良瀬みやこ先生の作品が好きなんですか?」


 悠羽が口にした疑問に、一瞬ほど空澄は驚きを見せた。そのあとで、小説の原稿を差し出す腕をゆっくりと下げると、

「主人公が記憶喪失の物語の小説、君は読んだことある?」

 と、質問を返した。


「……ありますけど」


 それは確か、半年ほど前に刊行された作品だ。記憶喪失の主人公と、その事情を意図せずに知ったヒロインとの間で紡がれる恋愛小説。


「それが、私がはじめて読んだみやこ先生の作品。文字だけでここまで言葉だけじゃ言い表せれないものを描いていることに驚いたのを、今でも鮮明に覚えてる」

「……」

「そのとき思ったの。私もあの人のような物語を書いてみたいって。書けるようになれば、こんな私でも小説の中でなら恋愛ができるかもしれないって」

「……」

「もしも、この先、私が『恋愛』を知ることが無理だとしても、せめて自分で描く小説の世界の中だけでもいいから……私は普通に『恋』を経験してみたい」


 俯くように、空澄は手に握る小説の原稿に視線が向けられる。


「要するに、悪あがきみたいなものかもね」


 自分を笑うかのように、そう空澄は付け足す。


「……」


 そんな空澄を目の前に悠羽は一度、小さく息を吐き出す。そして空澄が手にした小説の原稿に目を向けて、

「わかりました」

 と、しっかりとそう言葉にした。


「え?」


 顔を上げた空澄は「ほ、本当に?」と、目をぱちくりとさせた。


「ただし条件はあります」


 悠羽は『は』の部分を若干強調させて口にする。


「条件……?」


 緊張した面持ちでなにかを覚悟したように、空澄は悠羽を見据えた。そのおかげでこちらを見る空澄は図らずも上目遣いになる。美人なクラスメイトからそんな表情を向けられてしまえば、男子高校生の理性が逆撫でされる。


「この件が済んだ時は、僕とは金輪際で関わらないと約束してください。それが僕が出す条件です」


 おかしな誤解を生んでしまう前に、悠羽はさっさと述べた。


 その言葉に、空澄は一瞬ほど首を傾げる。けれどすぐに、

「わかった。約束する」

 と、納得してくれた。


「僕はなにからすればいいですか?」

「えーと……あ、そうだ。君さ、パソコンは持ってたりする?」

「持ってないです」

「ならこのあと、まだ時間ある?」

「ありますけど……」

「ならまずは、私に着いてきて」


 すると、空澄は手にする小説の原稿を椅子の上に立てかけておいた鞄の中にしまう。それから悠羽と空澄は空き教室を出たあとで、昇降口を目指した。靴に履き替え、そのまま校門を抜ける。


 学校を離れてからは、隣を歩く空澄を頼りにして、悠羽は自分の通学路からは外れた住宅街の景色を進む。


 歩くこと数分後。

 空澄が足を止めたのは、六階ほどの高さがあるくらいのマンションの前。


「ここは?」

「私の家」


 目の前のマンションの全体を悠羽は見上げる。


「君はここで待ってて」


 そう言って、空澄はマンションのエントランスの向こうに姿を消してゆく。


 悠羽は邪魔にならないように、エントランスの脇にそれて空澄が戻るのを待った。


 しばらくして、エントランスの自動ドアが開き、そこから制服のブレザーを脱いだ姿の空澄が出てくる。その手にはさきほどまで方から下げられていた鞄とは違い、また別のクリーム色をしたトートバックのようなものが握られていた。


 すると、悠羽の前で足を止めた空澄は、

「はいこれ」

 と、クリーム色の鞄を差し出した。


 それに既視感を覚えながらも、今回は素直に差し出されたそれを悠羽は受け取った。途端に、ずっしりとしたしっかりめ重さが悠羽の腕にはのしかかる。


 それもそのはずで、鞄の中身を上から覗き込んでみてみると、中にはノートパソコンが一台。それと綺麗にまとめられた黒いコードが見えた。多分、パソコンを充電するために必要な充電器なのだろう。


「小説を書く上で必要だろうから貸したあげる」

「いいんですか?」

「いいもなにも、私の代わりに君が書くんだから当たり前でしょ?」

「ありがとうございます」

「そのパソコン、私のだから好きに使ってくれて構わないから」

「わかりました」

「あ、けど、他人のだからって勝手にそういうエッチなものとか調べたりしちゃダメだからね?」

「しませんよ」

「健全な男子高校生なんてみんなそういうのが好きなんだから一応ね」


 否定はしない。かと言って肯定もしない。


「ねえ、君の連絡先教えてよ」


 言うと、空澄はポケットから出したスマホを、慣れた操作でメッセージアプリを起動させる。

 それに倣って、悠羽はスマホで同じようにメッセージアプリを開き、そのまま慣れていない手付きで友達追加の画面を表示させた。


 悠羽はQRコードを出し、それを読み取るために空澄はカメラモードに切り替える。


『あすみ』と、シンプルに設定された名前が悠羽の友達欄へと追加された。


「それじゃあ、なにかあったらいつでも連絡してきてくれていいから」


 スマホの画面を閉じた空澄はそのまま、再び自動ドアを通過してエントランスの向こうに姿を消してゆく。


 こうして、樫井悠羽は同じクラスの美少女の悩みを解決するために、『小説代行』をすることになるのだった。


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