page.11『小説家の先輩』
翌日。
週明けの月曜日。
この日、悠羽は昼休みを迎えると、普段は毎日のようにお世話になる学食には向かわずに、学食とはまた別の場所に設けられた売店に足を運んだ。
売店内は学食とは違い、昼休み特有のざわめきはなく、あまり生徒の姿も見られなかった。それもそのはずで、売店では主に軽食のみの販売しかされていない。そのため、昼休みに昼食を求める生徒たちは、ほとんどが学食を利用する。
軽食が並ぶ中で、鮭のおにぎりと昆布のおにぎりを二個ずつと、タマゴとハムのミックスサンドイッチを二個、それと五百ミリリットルのペットボトルのお茶を二本購入したあと、戦利品を手にした悠羽は特別棟の三階に足を向けた。
昼休み最中の特別棟には生徒の気配は全く感じない。誰ともすれ違うことなく、階段で三階まで上る。廊下を進んで、悠羽が足を止めたのは最近ではよくお世話になる旧文芸部部室の空き教室の前。
その教室に、悠羽はノックをせずにドアを開けた。
教室内には、見知った女子生徒の先客がひとり。
椅子に腰を下ろして机にうつ伏せた彼女は、悠羽がドアを開けた音に反応して、ゆっくり上半身を起こすとこちらを振り向く。すると、
「お、きたきた。おとーとくん」
と、眠たそうな反応を示した。そのまま、両腕を天井に目がけて突き出すと見事な伸びを披露した。
学年別で色が分けられた学校指定のスカートの色は二年生のものとは違い、三年生を表す色。要するに、目の前の生徒は年上の先輩。
名前は、渡良瀬京子。
悠羽のことを『おとーとくん』と呼びはしたが、けして、悠羽の実の姉と言うわけではない。ましてや義理の姉弟でもない。
京子は悠羽の姉と中学時代から先輩後輩の仲で、悠羽とも顔見知りな人物。去年、悠羽がこの高校に転校する際に姉から紹介をされた。そのため悠羽の姉から京子には、悠羽のことに関する事情は知らされてある。事故のことも……。記憶のことも……。
「後輩をパシるのはどんな気分ですか?」
「あたしはただおつかいを頼んだだけだよ?」
それは単にポジティブな言葉に換えただけのような気もするが。
「まあ、今回は僕が先に呼び出したんでいいですけど」
悠羽は伸びを続ける京子が座るテーブルの脇まで移動すると、戦利品を詰めた袋を置く。ビニールの袋の中から売店で購入した戦利品たちを取り出す。二種類の具のおにぎりとサンドイッチ、それとペットボトルの緑茶。その一個ずつを京子の前に並べてゆく。
「あれ、ツナマヨのおりにぎはなし?」
テーブルの上に並べられた四個のおにぎりたちの具に目を留めた京子が、異議申し立てがありそうな眼差しで悠羽を見上げる。
「売り切れでした」
ツナマヨのおにぎりはしっかりと、数種類のおにぎりが並ぶコーナーに陳列されてあった。鮭と昆布を選んだのはふと目に入ったからだ。
「おとーとくん、うそつきは泥棒だよ」
じっと、京子が怪訝な眼差しを向けてくる。流石に嘘は通用しない。
「はじまりが抜けてますよ。それだと、僕がまるで売店でこれらを盗んできたみたいになるでしょ」
「おにぎりの具と言えば、ツナマヨだと思わないの?」
「文句があるなら、僕が全部食べますけど」
京子の前に並べた鮭と昆布のおにぎりに、悠羽は手を差し伸べる。
すると、危機を察知した京子はすかさず魔の手から我が子を守るように両腕でおにぎりをガードした。
それから制服のブレザーの前ポケットから一枚の硬貨を出すと、それを悠羽が手を伸ばす落下地点に置く。そして、
「いただきます」
と、京子はさっそく鮭のおにぎりのフィルムを開けた。そのまま、大きなひと口を決める。中の具まで届くほどの。
そんな京子を前に、手元に置かれた一枚の五百円玉を、悠羽は素直に受け取る。一人前としては若干のオーバーはするが、何食わぬ顔で悠羽はそれを回収すると、五百円玉を自分の財布の中に大事にしまった。
「それで今日はどーしたの? おとーとくんからあたしに会いにくるなんてめずらしいけど」
二口目を口に運ぶ前に、京子は自分の分のペットボトルの緑茶を悠羽に差し出した。キャップを開けてくれ、と目で訴えかけてくる。
受け取ったペットボトルのキャップを開けながら、
「先輩に見てもらいたいものがありまして」
と、キャップが取れたペットボトルの本体を京子に差し出した。
そのために悠羽は今日、京子を呼び出したのだ。
「見てもらいたいもの?」
緑茶をぐびっと流し込んだ京子が、首を少し傾げる。
悠羽は京子が座る対面の椅子の前に移動したところで、売店で購入した戦利品の入ったビニール袋とはまた別で持ってきたトートバックからノートパソコンを取り出す。
それをテーブルの上に置き、本体を起動させる。
デスクトップからとあるファイルを画面に表示させて、そこから『プロット』と名付けたデータを画面の全体に映し出させた。
「これなんですけど」
すぐに鮭のおにぎりを完食した京子の前に、悠羽はパソコンの画面が見えるようにと、パソコンの本体を百八十度回転させる。
緑茶のペットボトルに口を付ける京子の目が、パソコンの画面を向く。
「これは?」
「小説のプロットです」
端的にそれだけを悠羽は伝えると、ペットボトルのキャップを閉めようとしていた京子の手がぴたりと止まった。
「もしかしてだけど、これおとーとくんが書いたの?」
「はい」
にやりと、京子の口角が上がる。
「それってつまりつまり、あたしに憧れて?」
嬉しそうな口調で、パソコンの画面から視線を上げた京子と目が合う。
「違いますけど」
そう悠羽が素直に答えると、上がった京子の口角が見るからに下がった。口元も唇を少し結んで不満そうにしている。そんな目に見えて残念そうな京子は不貞腐れた子供のように、今度は昆布のおにぎりに手を伸ばした。
フィルムから出した昆布のおにぎりを、鮭のおにぎりの時よりも大きなひと口でかぶりついた。昆布はもうほとんど残されていない。
「先輩にこれを見てもらいたかったのは、現役小説家の先輩としての感想をもらいたいからなんです」
悠羽が続けた言葉に、もぐもぐさせる京子の口が止める。かと思うと、すぐさま目の輝きを復活させた京子が、昆布のおにぎりを片手にしたままパソコンの画面に意識を向けた。
渡良瀬京子。
彼女の正体は、現役高校生作家として有名な渡良瀬みやこ。その本人なのだ。
学校の図書室にポップアップ付きでの紹介がされてあった小説の作者。それが、彼女――渡良瀬京子。
だからこそ、今日は京子を呼び出した。完成させたプロットが如何ほどのものなのか、それが知りたかったから。
「……」
片手でおにぎりを口に運びながら、もう片方の手でパソコンを操作する京子は、画面に映し出されたプロットの文面にすらすらと視線を走らせてゆく。
そんな京子を前に、悠羽はどこか居心地が悪くなりそうになりながらも、サンドイッチをフィルムから取り出すとタマゴサンドを口に運んだ。タマゴサンドを味わう自分の咀嚼音が、今はやけに大きく体中に響くような気がした。それと同じように、京子がノートパソコンのタッチパットに触れる指の音もよく聞こえる。
しばらくして、悠羽がミックスサンドイッチを完食し、鮭のおにぎりに手を付けようとしたところで、
「ねえ、おとーとくん。このプロットは誰に向けて書いたものなの?」
と、パソコンから顔を上げた京子がはじめにそう口にした。
「え?」
思わず、京子の口から放たれた言葉に悠羽は顔を上げた。おにぎりを掴んだ手も止まる。
「あたしを誰だと思ってるのかな? それぐらい読めばわかりますとも」
えっへんと言わんばかりに、京子が得意げに口角を上げた。
まさかの質問に、悠羽は追及から逃れるように視線をテーブルの上に落とすと、おにぎりをフィルムから出して大きく頬張った。ツナマヨがおいしいのはそうだが昆布も負けずとおいしい。
「それで、誰のためなのかな? おとーとくんよ」
しかし、残念なことに逃げることは許してはもらえず、椅子からおしりを上げて身をテーブルに乗り出した京子は、フィルムに包まれたままのミックスサンドイッチをマイクに見立ててこちらに向けてきた。
「……自分のためです」
仕方なく悠羽は、追及から逃れるためにペットボトルのキャップを開けながら答えた。
悠羽の言葉に、少し驚いたように目をぱちくりとさせた京子は、
「その答えは、予想してなかった」
と、どこか嬉しそうにゆっくりと椅子に座り直した。
それから、マイク代わりのサンドイッチを引っ込めると、フィルムから出してハムサンドを口に運ぶ。
「そんなことはどうだっていいんですよ。内容の方はどうなんですか……?」
悠羽が本題に戻すためにそう促すと、もぐもぐと咀嚼しながらくぐもった声で「あ、そうだった」と、京子がノートパソコンに視線を戻した。
「あたしは全然いいと思うよ」
その言葉に、少し安堵した悠羽は見るとはなしにパソコンの背中に視線を落とした。
「まぁ、もっとこうした方のがいいとかはもちろんあったりもするけど。はじめて書くことを加味すればよく作り込まれたいいプロットだと思うよ? それはあたしが保証してあげる」
改めて、パソコンに指を這わせて操作し出した京子がそう付け足す。現役小説家の京子からの保証は、この場でもっとも信用できる言葉だ。
「ありがとうございます……」
身体の強張りが解けたように悠羽は椅子の背凭れに身を預けると、手に残ったおにぎりを平らげた。
そんな悠羽を、京子はじっと見据える。すると、
「変わったね、おとーとくん」
と、突然、そんなことを口にした。それから閉じたノートパソコンを「はい」と、差し出してくる。
それに対して、
「そうですかね……」
と、視線をテーブルの上に落とした悠羽はパソコンを回収した。




