6話 部活動見学
吹奏楽部の部室には、見学者だけで三十人近くが集まった。中には人の多さに挫折して翌日の見学にしようと決めた生徒もいる。
皐月を含む経験者達は入部確定がしているため、すでに席が設けられていた。フルートパートの二、三年生は六人。一年生の募集人数は三人。その内、皐月と他校の経験者が一名決まっているため、初心者一名を募集する形になる。
パート内の先輩六人に挨拶を済ませた所で、指定の席に座ったのだが、どうやら皐月はフルートとピッコロの掛け持ちらしい。
(やばっ! プレッシャー半端ないよ! ピッコロも持ってきてよかった!)
それが判明して楽器の準備をしていると、同学年の経験者が合流した。その子は端側の席だ。だが、先輩二人の間に挟まるようになっているため、完全に端ではない。
しかしそれより気になったのは、皐月どころか先輩達にも挨拶をしなかった事、さらには楽器の準備ではなく、足を組みながらスマホを弄っている。本当に経験者なのだろうか。
その女子は左右の先輩に促されてようやく楽器を用意し始めた。
(この子、大丈夫かなぁ)
部活の開始時間になり、部活動説明会に出ていた三年生が指揮台に立った。
「お疲れ様です! ミーティング始めます。まず一年生のみなさん、私が部長の飯島由美子です。パーカッションやってます。入部希望の経験者の皆さんには本日から一緒に練習しますが、未経験の皆さんはこの後教室へ散らばる各パートへお邪魔して、楽器を体験して頂きます。相性がありますからね。先に厳しく言いますと、入部となっても希望の楽器を吹けるわけではありません。人数制限があります。真剣に考えて頂けるのでしたら、最低でも第三希望まで考えてください。以上です。他、何か連絡事項ある人いますか?」
「はーい。今週一週間は、十八時からの基礎合奏で終わります。毎年の事ですが、まずは一年生とコミュニケーションとりましょう」
「あ、パートリーダーは見学の一年生を案内してね。では解散」
ミーティングは淡々と終わった印象がある。だが、先輩達はしっかり話を聞いていた。かちこちに緊張していた皐月に隣の男子の先輩が声をかけてきた。
「まずは教室に移動しよう。自己紹介も含めて全部移動したらするから」
返事をした皐月に、にこっと微笑み返す先輩。
ずっと皐月を見ていた葵の胸がモヤモヤする。楽しみにしていた部活に集中して一度も葵を気にかけず、見向きもしなかった初彼女。頭では理解出来ても少し寂しく、僅かながら皐月の隣の男子の先輩に嫉妬している。
そんな事に気付かない皐月も教室へ移動し始めた時にキョロキョロと周りを見渡すと、葵を見つけて微笑んだ。
(すげー嬉しそう)
微笑み返した葵は皐月の後ろ姿を焼き付けた。
そんな葵の斜め後ろには綾乃がおり、その周りで葵についてヒソヒソと黄色い話題を話している。
噂の和久井葵は吹奏楽部希望なのか、なんの楽器をやるのか、一緒がいい、など、綾乃にとってストレスにしかならない話題だ。
(葵くんが吹奏楽部なら私も入る、バイトなら同じバイト先にするだけよ。絶対に顔面偏差値の低い皐月なんかに負けないんだから)
新入生達が葵はどこのパートを見学するのか注目すると、まっすぐフルートを選択した事で最初の見学メンバーが抽選式ーーあみだくじになった。
葵は希望通りのフルート、それにプラス綾乃とほか一名ずつ男子と女子がいた。
よりによって綾乃がいるとは、運がない。とにかく無視を貫かなくては。
先に教室に移動した皐月達フルートパート。
移動する間も移動した後も、経験者の一年生が終始不機嫌に見える。まずは気分を和らげようと、三年生から自己紹介を始めた。フルートパート全体的に明るいようだ。
セカンドを担当して早川奈津子はそのまま奈津子先輩と呼ばれている。次は口を詰まらせた。
「堤……花って呼んで! お願いだから!」
首を傾げる皐月と、苦笑いをする先輩達。大きなため息を吐くと、堤が頭を垂らして吐いた。
「お花の花って書いて、フラワーって名前なの……」
うっかり二度聞きそうになったが、堪えた。読めない名前で可哀想。何故ハナという読み方にしなかったのか、哀れでしかない。
「だから、花って呼んで。花で定着してきているから! あだ名て花壇とか言われるけど、まだマシ!」
これに食いついたのが、不機嫌だった女生徒だ。
「フラワーって、初めてかも……」
目が輝いている。明らかに他人の不幸を喜んでいるように見えたのだがーー
「あたし、同じ悩みを持っている人に初めて会いました! あたしなんて苗字は普通に田原なのに、名前が金星って書いてビーナスなんです! 名前変えたくて変えたくて……!」
パート内の誰もが思った。上には上がいたのだと。
フラワーも引いたがビーナスもない。堤は名前の読み方を変えればいいだけなのだが、金星はどうしようもない。
「いい弁護士、知ってるよ! 後でじっくり話そうね! 自分で名前付けるならなんで呼ばれたい?」
「普通がいいです。読めれば鰯でも鮪でも」
「それもないよ。よし、自己紹介が終わったら真剣にみんなで考えよう」
はい、次。と続けて二年生三人の紹介。佐藤弥生、相沢睦美、皐月の隣に座っていた中川涼だ。この中川は、葵に負けず劣らずのルックスの持ち主だが、皐月は全く興味がない。ただの先輩でしかないのだ。
そして皐月の番。
「佐山皐月です。月丘中出身です。よろしくお願いします!」
一通り自己紹介が済むと、涼が瞳をキラキラさせながら尋ねた。我慢できないと言わんばかりに。
「気になってたんだけどさ、それ自分の楽器だよね。どこのメーカー? 見た感じ、ナナサワのBBDっぽい」
「出た。涼ちんの楽器オタク」と早川奈津子が言う。
「凄いですね、当たりです」
これには全員が沸いた。ナナサワといえば国内屈指のフルートハンドメイドの老舗。BBDは総銀製で重厚感のある音色が特徴。さらに決して安くはないのだ。
「すごーい! いつ買ったの?」と弥生。
「これだけで八十万はしますよ!」と涼。
「ピッコロは!? まさかこれもナナサワ!?」と睦美。
「ナナサワっすよ! 四十万のGDFっす! しかも一昨年出たやつだ! 癖はあるけど深みのある響がめっちゃいいやつ! すげえええ!! 吹きてええええ!!」と涼のテンションが爆発しかけている。
盛り上がる二年生を暖かく見守る奈津子とフラワーは、話についていけないビーナスに説明をした。彼女は弱小の吹奏楽部に所属しており、楽器について調べた事がない。
名前で親近感を持ったフラワーが説明すると、少し興味を持ったようだ。
「サックスの小百合って三年からか聞いてたんだけど、いやーびっくりした。田原さんも有名メーカーは押さえとこうね。で、名前どうしようか」
楽器に盛り上がっていた涼達はぴたっと止まり、真剣にビーナスの呼び名を考えようとしたのだがーー田原が黒板に書き出した。
「ナナサワが有名なメーカーなので、菜奈とかどうでしょう」
田原菜奈。なかなか良いのではと言う意見の他、奈津子の案ーー田原沙和。
どちらもビーナスにとっては嬉しいのだが、実際に口に出して言いやすい菜奈に決めた。せめて学校にいる間はビーナスではなく菜奈と呼ぶようにと、フラワーが真剣に話した。
と、落ち着いたところで、パートリーダーが見学の一年生を連れて教室に入ってきた。
「みんなの自己紹介は済んだ……みたいね。田原さん、よろしくね」
機嫌が良くなったのか、素直に返事をするビーナス。名前ではなく苗字で呼ばれる事が嬉しかったようだ。
このパートリーダーの名前は渡辺もも。皐月はもも先輩と呼んでいる。
「皐月は私と同じ中学なの。さて、まずは私たちの演奏を聴いてもらおうかしら」
はしゃいでいた先程までとは違い、簡単な音合わせを済ませると一曲披露した。誰でも一度はテレビで聴いたことのあるような曲。流石に葵も知っているようだった。
皐月は思った。音程が僅かにずれてもすぐに修正し、遠くまで通るような響きとメリハリのある強弱。技術力が高い。
(凄い、先輩達上手い。この中で一緒に出来るなんて!)
興奮が止まらない。葵は皐月と演奏、交互に見ていたのだが、感想すら考える余裕もないほどの感動があった。
葵達、初心者見学生は拍手をしたのだから、綾乃だけが遅れて二、三度手を叩いた。
では次に楽器の試奏だ。個人で持っている楽器は吹かせず、学校で用意した楽器の持ち主が、吹き方から構え方から丁寧に説明していく。
葵には涼が対応した。隣の皐月が見守っている。見守られている。
葵が四苦八苦しながら楽器を構えようとし、持ち方を間違えたりして微笑ましい。そしてなかなか音が出ない。
「難しいっすね」
「瓶で音を出すイメージかな。それでもう一度」
微かだが、ようやく音が出た。
「おおー! 出たね!」
「先輩の教え方が上手いんすよ」
隣の皐月は葵に拍手を送り、視線があった二人は笑い合った。
他の男子も苦戦している中、綾乃は一度でフルートそのものの音を出し、奈津子を驚かせていた。
「聴いたでしょ、葵くん。私こんなに上手く吹けるのよ」
綾乃を無視した葵は、皐月に頼んだ。
「さっちゃん、何か吹いて欲しいな。聴きたい」
葵の提案に身を乗り出したのは涼と他の二年生たちだった。いわゆる、楽器大好きな三人である。
唐突に始まるナナサワコール。葵の前で恥ずかしい皐月だったが、では一曲と立ち上がった。
少し前に流行りだし、今も続いている人気歌手の曲にした。もちろんサビの部分を。
皐月の奏でる音色、技術力、その全てに先輩達とビーナスは息を飲むと同時に危機感が湧き上がる。
上手い。このままでは夏の吹奏楽コンクールに出られないかもしれないーーと。
吹き終えた皐月は照れ臭そうに「すみません、こんなんで」と言った。葵を始め、見学の一年生男子は聴き惚れており、綾乃は鼻を鳴らした。
(何よ揃いも揃って皐月なんかに拍手して)
不機嫌な綾乃を横目に、ももは次のパートに見学に行くよう、葵達を誘導した。
教室を出る時、葵は皐月と目を合わせて微笑むと、皐月の心臓に矢が刺さるやつな刺激が貫通した。
(頑張れって言ってる気がする)
真っ赤になった皐月の頬が緩む。それはそうと練習に取り組まなくては。
そんなこんなで次々とやってくる見学者達。パート内の雰囲気は明るく、田原金星ことビーナス、いや菜奈とも打ち解けた初日は上々の日であった。