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宰相の娘  作者: 衣々里まや
13歳
8/50

宰相

本日は、王室主催の大規模な園遊会が行われている。


王宮にある関連施設の庭園で、毎年この時期になると国内の有力貴族・要人を招待して初夏の宴がひらかれるのが通例である。


カイルやフレディリクさまによる招待客への挨拶もひととおり終了し、いまはなごやかに、大人は大人、子どもは子どもの客同士で談笑する時間へとかわっていた。


父ももちろん招待されており、宰相として社交的な交わりの中で政治談議に花を咲かせている。


わたしも参加者のひとりだ。


今日着ているのは、頭上の雲一つない空のように鮮やかな青を主としたドレス。その布の切れ込みからのぞくたっぷりの白いフリルを、スカートのふくらみを抑えるようにレースがぐるりと囲っていて、それらがわたしを中心に徐々に波紋が広がるように大きくなりながらサーモンピンクのリボンで飾られている。


昼に行われる園遊会らしい、爽やかで明るい色の衣装だった。


「殿下、いかがですか、こちらのドレス? 殿下のお好きな色を取り入れましたのよ」


「その色は今日嫌いにかわった」


返ってくるのは、すがすがしいほどの拒絶。


それはもう不快に思っているのがたっぷりと伝わってくる。まわりに人がおらず、彼が無作法であったならば、舌打ちすらしていそうな雰囲気だ。


「でしたら、お次は違う色を纏いますわね」


周囲の失笑も気にせずしつこくまとわりつくわたしを、冷ややかな目でカイルは一瞥する。


それもそうだろう。とくに今日は嫌がるカイルをさんざん追いかけまわしていた。


もうそろそろ止めに入られる前に終わらせたほうが良さそうね。


満足したわたしはカイルから離れ、頃合いを見て、とあるテーブル席の華やかな輪に加わった。


さっそくわたしを、たくさんの着飾った少女たちの好奇心にあふれた目が取り囲む。その中のひとり、いちばん華美な装いの少女が扇を広げて口元を隠し、まず口火を切った。


「ほんとうにカイル殿下に大切になさってもらえて、うらやましいかぎりですわ、テオドラさま」


扇の裏から彼女のころころと笑う甲高い声が届く。それに追従する周囲の含み笑いの声も。


彼女は大昔に王女様が降嫁した侯爵家の血筋で、そういう意味ではカイルの親戚でもある。王家の血はそうとう薄くなってはいるが、正統で高貴な、何ら恥じる必要のない血という意味では、彼女のほうこそカイルの結婚相手に相応しく、じっさい彼女がわたしを口撃するのは、彼女自身もそのことを理解しているからであろう。


この女さえ割り込まなければ、殿下の隣で笑っているのは自分だったのに、と。


わたしは素知らぬ顔で茶器の取っ手に指を絡め、温度を確かめる。まだ熱い。もう少し待つ必要があると悟り、笑顔で彼女に応じた。


「あら、わたくしをうらやむ必要はございませんわ。どうぞ、安心なさって。エメリーさまもお美しいのですもの。この国で最も尊き殿下にはとうぜん劣りますでしょうけれど、いつかきっと、素適な殿方が現れてエメリーさまを大切にしてくださいますわ。いまはまだであっても、ええ、おそらくは」


わたしの応酬にさざめきに似た笑い声がやみ、静まり返る。凍った空気の中、エメリー嬢を囲っていた中で勇気ある数名の少女がおそるおそる様子をうかがうように彼女を振り返った。


エメリー嬢ほどの良家の子女ならばすでに婚約者がいてもおかしくはないのに、現時点で彼女にはお相手がいない。それは、おそらくまだ国王の妃という立場を彼女の家が諦めていないからだと推測される。


今日ほどのアピールをせずとも、カイルがわたしのことを嫌っているのは周知の事実だ。わたしたちが婚姻までいきつくことはないと、考えているのだろう。


そのために彼女はお取り置きされている状態だった。


「……ご心配痛み入りますわ。殿下のお隣に立たれるお方は、ほんとうに違われますわね。あらゆることに目を配り、ここぞという機会を逃されないのですもの。そのようなこと、わたくしにはとてもとても……」


殿下が弱っているところに親の力でねじ込まれただけの恥知らずのくせに、というところだろうか。わたしも応えるべく扇を広げ、その上から、まっすぐに彼女を見据える。


「まぁ、お褒めいただけて光栄ですけれど、わたくしはなにも……殿下とのことは父の取り計らいですから。ですが、その父が殿下とのご縁をくださったのですから、感謝しなければいけませんわね。そうだわ、宜しければ、父をご紹介いたしましょうか? 取柄と言えば知識が長ける程度ですが、きっとすぐにエメリー様にもいいお相手が見つかることと思われますわ」


パシン、と音を立てて扇が閉じ、かろうじて笑顔をたもったエメリー嬢が現れる。しかしよく見れば、目には怒りが浮かび、口元がわずかに震えてもいた。


「あ、あなた……いい加減に――!!」


「で、ですが、カイル殿下のお好みの色をご存じなのは、さすがテオドラさまですね……」


突如、控えめに、おずおずとした態度の少女が口をはさむ。


目が合うと、少女はそっとわたしに微笑みかけてきた。令嬢たちの位置関係からして、わたしがここに来るまで標的にされていたのは彼女であることは明白だった。


セシリエ・セーディ――彼女は昔、わたしの親友だった。


とあるお茶会で出会い、たまたま割り当てられた席が隣同士だったということで会話をしたら、おなじお菓子とお茶の組み合わせが好みだと分かり、意気投合した。一時期はしばしば互いの家を行き来するほどの仲にもなっていた。


楽しい時にはにかむように笑う、そのような彼女をわたしは愛らしいと思っていた。


けれどある日、評議院らの私欲による政策の余波を受け彼女の父親の事業が不渡りを出し、セーディ家は一気に没落寸前にまで転落する。以降、わたしは彼女との交流を禁じられた。彼女との過去などなかったかのように彼女からもらったものもすべて捨てさせられ、思い出を示すものはいまやわたしの記憶以外にはなかった。


現在はセーディ家も何とか持ち直してはいるようだけれど、それでも以前ほどの隆盛を誇ってはいない。父からふたたび許可が出ることはないだろう。


「セーディさま、いまはわたくしとテオドラさまが話をしておりますのよ。わきまえていいただけるかしら?」


「ご、ごめんなさい。わたしは、ただ、そのお色はテオドラさまにお似合いだと思って……」


凋落するとどうじに手のひらを返したような態度をとったわたしをなじるでもなく、彼女は、わたしが大好きだったあの少しだけ恥ずかしそうな笑顔をこちらに向けてから、エメリー嬢につっかえつっかえ言葉を返す。


彼女の必死な態度に気持ちが伝わってくる。


わたしがカイルにするように取り入ろうとしているのではない。友人を守ろうとしているだけなのだ。そして、もし叶うなら、昔のようにまた仲の良い友達に戻りたいのだ。


ふたりで笑い合ってたくさんのことを共有した、幸せだったあの日々に。


小説でのテオドラは、ここで彼女に向かってカップの中身を撒き散らすのをカイルに目撃されている。小説を読んでいたときは、テオドラの我が儘がまた炸裂したのだとばかり思っていたけれど、いまなら分かる。


たぶん、わたしはしつこい彼女に苛立ったのだ。父に相手をするなと言われていたから。


縁をいっぽうてきに切ったのはこちらなのに、彼女はあまりにも優しいから、後ろめたくて。


なじられたほうがまだよかった。こういう人間だから切って正解だったのだと自分を正当化できたから。


そしてそのしぶきがエメリー嬢のほうにまで飛んでしまい、相手の家を怒らせてしまう。


ええ、大丈夫よ。しっかりと覚えているわ。


わたしは茶器に手を伸ばす。陶器越しに伝わる、ひりつくような熱の感触はない。お風呂のように適温だ。


わたしは微笑み、カップを勢いよく傾けた。


* * *


「ああ、ここにいたのか」


園遊会がお開きになったあとのこと。父が、人気ひとけのない庭の片隅、通路から奥まった木陰に潜んでいたわたしを見つけて声をかける。


「お、お父さま……」


呼ばれてもその場に留まったわたしに、出てこいとは言わずに目をすがめることによって父は不快感を表した。


園遊会のあとだというのに、父は汗ひとつかいておらず、格好もいま着替えてきたと言わんばかりにしわ一つない。上着は一分の隙もなく身体にぴったりと合っており、真鍮の釦は全て光り輝いている。服の折り目は触れれば切れそうなほどで、鏡のように磨きこまれた黒い靴の爪先についている砂の粒だけが唯一、ここまで実際に父が歩いてきたことを示していた。


鋭利な刃物に似た冴え冴えとした容貌は貴族的で洗練されており、宰相という言葉のイメージのとおりだ。


高い背にほっそりとした長い手足、また動作は優美で上品、言葉の端々から知性を感じさせ、人の扱いにも長け、行動は自信に満ちあふれている。


地位もあり、年齢よりも若く見え、ひじょうに整った顔だちのため、既婚者であるというのに第二の座を狙う女性もいまだにあとをたたない。


しかし、見るものが見れば、父の内側には狡猾な蛇が潜んでいるのに気づくことができるだろう。どのようなときでもつねに冷然で慎重に計算されつくし、意識の及ばない言動はなく、弱みも焦りも見せることはない。


銀の髪はくすんだ灰色ではなく一片の濁りもない冷たい金属のよう。そして、切れ長の青い瞳は冬の空のような厳しさをたたえ、穏やかで丁寧な物腰とは裏腹に雰囲気はどこか近寄りがたく、口元の笑みにもあたたかさはかけらもない。


「テオドラ」


チェロの柔らかな響きに似た、わたしの名を呼ぶ、深い、艶のある声。


ぞくりとした。


内心の不機嫌さは微塵も含まれておらず、口調こそ穏やかであるものの、言葉には間違いなく子どもを怖がらせる何かがあった。しつけ直す必要がある子を前にしている大人特有の音が、そこにはあったのだ。


「なぜ、あのようなことをした?」


あのようなこと――わたしがエメリー嬢のドレスにお茶を掛けたことを意味している。


演じているのを悟られないよう、叱られている原因に心当たりがあって目を合わせられないでいる態度をよそおい、うつむきながら、わたしは答えた。


「だって、彼女が、わたくしを殿下には不釣り合いだなんて笑ったのです。みなの前で、わたくしを馬鹿にしたのです」


「なるほど、そうだったのか」


言葉ほどに納得の気配はなかった。ただ冷ややかに父は続けた。


「つまり、そのていどのことで、あのようなことをしたというのだな」


口調は変わらないというのに一気に周囲の温度が下がったように感じる。


言いながら、父はこちらに一歩だけ近づいた。そして無言で、さっさと出てこいとわたしを責め立てる。


恐れをなしおずおずと出てきたわたしのことを、父は幼子を慰めるように高く高く抱き上げ――手を放した。


硬い地面に落下した衝撃でわたしの口から、低くうなるようなうめき声が漏れる。


「ああ、すまなかったね、テオドラ」


優しく、まるで意図せず手が滑ってわたしを落としてしまっただけとでもいうように、謝罪の言葉を口にする。しかしその割には、こちらを気遣うそぶりはまったく見せず、ただ立ったまま、父はわたしを冷めた目で見下ろし続けている。


いつもそうだった。


わたしが父から折檻を受けるのは、なにも今日が初めてというわけではない。失望させるたびにこうして、声を荒げて叱責はしないかわりに、この男はわたしの体にしっかりと不愉快だったと刻み込んできた。二度とする気を起こさせないように。


その基準は社会的な倫理観でも、善悪の道徳観でもない。父がどう感じるか、の一点だ。


「お父さま、ごめんなさい……」


さすがに家にいたときのような躾けかたはしないだろうけれど、そうとう頭にきているだろうから、念のために綿わたと頑丈なコルセットも巻いてきていた。


エメリー嬢の生家とわたしの家は微妙な関係にある。


もともと父が宰相となるまでラノビア家の家格は中の下がせいぜいであり、宰相として役職こそ父のほうが上であるが、名家としての貴族の格はあちらのほうがさらに上にあった。


また、あちらは王族側に与するため、父のことをよく思っていない。とくに王家に力がないいま、幼い殿下になりかわって話をしているとばかりに父の施策になにかと反対の声をあげるあちらは、父にとって目の上の瘤だろう。


その家の娘にどうどうとお茶をひっかけ、人前で謝罪をせねばならぬという屈辱的な行為をさせた。


今後は動きにくくなるし、何かと当てこすられつづけるであろうことも目に見えている。


しかもわたしは貴族の娘だ。そして社交場は戦場でもある。陰口をたたかれたのなら弁舌で相手を負かせばよい。それすらもできず、よりにもよって大勢の前で直接手をくだすという愚行にでた。


父がわたしに怒るのは至極もっともなことだった。


それでも、わたしがカイルに気に入られていれば父もわたしには手を出さなかっただろうけれど、そうではないことも見せつけてある。わたしが怪我をしたところでカイルは気がつかないと分かっているのだ。


そう。父の思うとおり、カイルは気にしないだろう――わたしがこういう扱いをうけていることを知らなければの話だが。


「ごめんなさい、もうしません……お父さま、どうか……どうかお許しください」


内心とはうらはらにわたしはおびえた態度で頭を地にこすりつけ、父に懇願する。


物語では飛沫がエメリー嬢のほうにも飛んでしまったという失敗をしたのだけれど、今回、わざとわたしは彼女に浴びせた。父を怒らせるなら彼女に何かするのが一番だと分かっていたから。


そして逃げた先の庭の片隅で、こうして父の仕置きを甘んじて受けている――カイルに見せるために。


わたしがいまいる場所、ここは奥まっていて誰にも見られる心配のない場所だけれど、近くにはとても古い物置小屋がある。


その小屋は、いまはもう憶えている者も少ない地下通路で王宮と繋がっていて、騒々しいのが嫌いなカイルはたくさんの人と会ったあとなどは、ここを使ってひとりになる時間を作っていた。


そして小説のとおりなら、今日、彼はたまたまこの状況を目撃する。


前世を思い出してすぐ王宮を隅々まで歩き回り、どこに何があるか、事件がおこる場所がどこかを調べつくした。この場所は小屋の中を調べずとも一目でわかった。


わたしは見つかったのではない。わざと父を怒らせ、そしてここに誘い込んだのだ。


物語ではわたしは父に何でも言うことをきくから捨てないでとただ縋っていただけのシーンだったが――いま思えば、12歳で親とも家とも引き離されひとりでの生活を強いられていたのだ。テオドラだって寂しくないはずがない――いまのわたしはそのようなことはしない。わたしもまた被害者なのだと、カイルの心に植え付けるために父の静かな叱責、そして暴行にこれから耐えつづけるのだ。


わたしは無力な娘のようにうなだれながら、父に胸の内で言葉を投げつける。


さぁ、やるならやりなさいよ。


わたしはもう昔のわたしじゃないのよ。


憶えておくといいわ。これがわたしの戦い方。いまこの瞬間、あなたの終わりが始まったのだから。

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