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宰相の娘  作者: 衣々里まや
13歳
7/50

まずは小さな一歩から

厚い扉が開かれ、一気に外の喧騒が礼拝堂内に流れ込んでくる。


荘厳なひんやりとした空気から一転して、太陽は真上に近く、日射しは強く、一気に気温が上昇していくのを肌で感じた。


「ご病気のかたが快復なさって、なによりです。また祈りが必要になりましたら、いつでもいらしてください」


見送りの神官の言葉に笑顔で別れを告げ、わたしは誰にも知られないよう、馬車に乗り込んでから窓に寄り掛かって重いため息をついた。


「どうしたらいいのよ……」


もとから多くはなかったお金が、献金のしすぎでもうほとんど残っていない。資金が底をつきそうだった。


うちが貧乏なわけでは決してない。そもそも基本的な買い物はラノビア家の署名でできたから、お金を手元に置いておくという習慣がなかったのだ。


もちろん王室からも生活の予算を預かってはいるけれど、それをさすがに教会には渡せない。


この国では完全に政教が分離しており、互いに互いの領域を侵さないのが鉄則だ。なのに王子の婚約者がせこせこ教会に国庫のお金を貢いでいたなどと知られたら、大問題になってしまう。


『暗き王宮にて月はまどろむ 』の終盤、父の策略によりカイルは北方砦で蛮族に襲われ、片目と大勢の配下を失ってしまう。しかし、失意に暮れる中のカイルに、思ってもいなかった方向から転機が訪れる。教会の関係者から過去の暗殺事件について間接的に重要な証言をする者があらわれるのだ。


わたしはその人物をみつけるために、教会の中で情報を流してくれる人を欲していた。5年後、誰よりも早く証言者たちに接触を図り、ともに父の罪を告発することでわたしの身の安全をカイルに交渉するためである。


しかし、たいてい小説などでは腐った政治家と同じくらい宗教も腐っているものだけれど、この国の宗教指導者たちはまったくもってまともだった。宰相の娘としての地位も、王子の婚約者という立場も、献金という名の賄賂も、完全に通用しなかったのだ。


「父に、もう少しお小遣いをくださいだなんて言えるわけがないわ……」


用途を聞かれるし、明細を詳しく知らせろと言われる可能性がきわめて高い。“わたしだけ生き残るための投資”なんて口が裂けても言えるわけがない。


先立つものがなければ、未来を知っていてもときに講じる手段が限られてしまう。資金があれば、より有効でより安全な手段をとることもできるはずだ。


「カイルの心証を変えるだけでもひと苦労なのに、金策まで考えないといけないだなんて……」


また教会関係者以外にも、父の策を潰すためにぜったいに繋がりをつくっておかなければならない人物がいる。その人らへの接近方法も見つけなければならない。


問題が山積みすぎて頭が痛い。


しかし、とりあえずいまはここでぐだぐだしてる場合ではない。わたしには婚約者としての立場も、宰相の娘としての役目もあるのだから。


杖がないから手でノックし、御者との間にある小窓にむかって声をかけた。


「授与式が午後から始まるから、このまま公会堂へ行ってちょうだい。殿下の面目を潰さないように、間に合わせてね」


* * *


「殿下にお目どおりの機会を得ましたこと、慶賀の至りでございます」


ひとりの男性が胸に手を当て、腰をかがめる。


「あ、ああ……」


その後頭部に向かってカイルが戸惑い気味に言葉を返すのを、わたしはすぐ後ろで眺めていた。


寒さも飢えも知らず、身を包む柔らかな絹に色とりどりの宝飾品、毎回食べきれないほどの豪勢な食事にも囲まれ、命じる必要もなく身の回りの世話はすべて行われる。


その贅沢な生活と引き換えに、復調すると同時に休む暇も考慮もされず、ふたたび倒れない限り、こうして叙爵式や勲章の授与式などの公式行事に参加して回ることとなる。


王族とは本当に因果なものだ。


オシュタイン王国は世襲君主の政体であり王が義務と権限を負って頂点に立ってはいるが、すべてを直接管理しているわけではない。ひとりで広大な一国をすみずみまで把握するのは不可能だし、時間もかかりすぎる。


だから、それぞれの領地を賜った貴族がかわりに各地域を適切に管理し、税収を行い、国に納める。その中で、今年は不作だったから税を下げてほしいとか、交易品に国産品が負けているから関税をあげるべきだとか、地方や国の運営に必要な是正を王に求める。


身体を張って王に詣でて直訴でもしない限り、基本的には要求は王に届く前にまず先に議会に掛けられる。


法や条約の議題は誰もが――王を含めて――提議できるが、その要不要を最初に議論するのは、領地を持っている貴族や、推薦をうけ票を獲得した力のある貴族たちからなる、貴族評議院だった。


王は、評議院により是と上がってきた施策や必要な陳情について最終判断を下し、策定する。


その際に王と評議院のあいだに介在し 、貴族らに意見を提供し、取りまとめ、さらに王に助言を与え政務を補佐するのが、わが父、宰相の役目であった。また王の過度による権力の行使があったときは、自らの命と信念でもって王をいさめ、説得し、とめる役目もある。


一応、王が自ら発令するものに関しては議会の承認を得ずに公布することができるが、これは戦などの非常時の場合がほとんどであった。王令は諸刃の剣で、絶対的な効力を持つ一方、その絶大さゆえにとくに貴族からは激しく忌避されているのだ。


そしてたいていの小説や現実とおなじく、この国の政治もまた腐っていた。


本来、王を支え、国を支えるために存在している評議院ではあるが、いまや王とともに立ち、国の行く末を憂いている者などほんのひとにぎりしかおらず、かつてあった王族の権威は薄れつつあった。権利は徐々に欲深な貴族たちによって浸食され、不正な慣行がまかりとおり、国益よりも己の私腹を肥やそうとする者たちで溢れていた。


そうした厳しい現実を跳ね返し、国と貴族と法のあらゆることを掌握するにはカイルはまだ幼すぎた。


このように目の前で礼儀正しく頭を下げながらも無礼にしゃべり続ける男に、何と声をかけていいかも分からないようなのだから。


わたしは改めて男をみつめる。


本来、挨拶に入るさいに自分の家名を名乗るのが礼儀だけれど、この男は何も告げずに本題に入った。


わざとだ。


臣下の手綱を握れないカイルの幼さをみせつけて、貶めようというのね。


王族相手にちからのない貴族がよくやるものだと呆れるけれど、おそらく父の差し金だろう。今日は外交の関係で父自身は欠席している。が、自分がいなくてもこういう小細工は怠らないようだ。


評議院最大派閥のニンス一派の可能性も捨てきれないけれど、父により勢力を削られているいま、彼らが露骨に表だって仕掛けてくるとは考えられにくい。


わたしはそっと、さとられないよう静かに首を巡らせて周りを観察する。


おそらく、フレディリクさまが口を出してくることはない。さらに評議院派の貴族たちもカイルの支持力の低下自体は喜ぶべきことなのだから、動くことはない。


カイルの周囲の人たちも分かってはいるはず。かといって、いまべつの従者がのこのこやってきて耳打ちするわけにもいかない。カイルに恥をかかせるだけだ。注意して名乗らせても、カイルが憶えていないことを知らしめてしまう。それに、少々無礼ではあるが緊張してしまってなどと誤魔化されたら、狭量はこちらであるように映るだろう。


カイルだって努力はしている。ただ、今回は病み上がりでとくに時間がなかった。くわえて、貴族の世界はとにかく広く、そして簡単に足をとられてしまうほどに底なしに深いのだ。


男が、とうとつに口を閉じた。声をかけられるのを待っている。


どう出るのか。自らの駒をどちらの盤面に載せるか、おしゃべりに興じているふりをしながらも、集まっている貴族たちが注視しているのが肌でわかる。


「お、俺は――」


「まぁ、わたくしと同じ紫色ですわ!」


カイルの声に重ねて、まったく空気を読まないとぼけた黄色い歓声が差しはさまれる。わたしの声である。


父の策の前で目立つようなまねはしたくないが、動いたほうが得策だとわたしは判断したのだ。


見舞いの件では、とくにカイルに何を言われることもなく返礼品がお定まりのメッセージとともに届けられて終わった。一応、カイルの前でおおげさに快気を喜んでもみたけれど白けた目を向けられただけだった。


いまはとにかく一点でもカイルの点数を稼ぐべきよ。


わたしは宝石に夢中になっている愚かな娘を装うためにわざとカイルより一歩前に出て、貴族の胸元を指さす。


「その石、ロデッキール卿のご領地の特産品ですの? コンテケでしたかしら?」


「い、いいえ……ウェデキールのカンテです。仰るとおり、カンテの産出品でございます」


男は突然の横やりに眉をしかめ困惑の体を示しながらも、答えた。


そうそう。間違えられたら訂正が必要だものね。


あからさまにわたしが答えれば、カイルの面目も潰してしまうし、フレディリクさま、ひいては父にも目をつけられる。


でも、わたしは愚かな娘で空気が読めないから口をはさんだだけ。このたび正解を言ったのはウェデキール卿自身だ。父に問い詰められた際は、無理筋でもその説で押し通す。


とはいえ、間違えたことは大変礼を失していることには変わりない――そもそも間違えてもいいならカイルが適当に呼びかけて場をおさめている――ので、わたしは申し訳なさそうな顔をして言い訳を口にする。


「ごめんなさい。いま、エルゲネス語を学んでおりますの。そちらの発音に引きずられてしまったみたい」 


「おお、あの古語をですか。語学は令嬢のたしなみでもありますから……さすが宰相閣下のお嬢さまです」


乾いた世辞が卿の口から漏れる。


教養どころか、エルゲネスなんていまどき誰も使わない、古めかしく発音も異なった、忘れられた言葉だ。わたしの勘違いが真実かどうかなど、よほどのマニアな研究者でもない限り確かめようがないだろう。


父の側の人間であるはずのわたしに、あからさまな態度をとっていいのか判断がつきかねるのだと思われる。興味もなく、話を広げることもできず、ウェデキール卿の言葉はだんだんと小さくなっていく。


それを確認して、わたしは無邪気な笑顔をはりつけ、いまごろ気が付いたといった具合に声をあげ、一歩下がる。


「あら、失礼をいたしました、殿下。わたくしとしたことが、カンテ結晶石に夢中になってしまって殿下のお言葉を遮ってしまいましたわ」


目を丸くし、わたしと貴族の会話にあっけにとられていたところに話を振られ、カイルはあわてて我にかえり、


「いや、お……俺も、カンテ結晶石を美しいと思っていた。……ウェデキール卿、彼女が卿の石を大変気に入ったようだ。どうだろうか。上質なものをいくつか、彼女に贈りたいと思っているのだが」


「な、なんと、光栄の至り!!」


ウェデキール卿は垂涎の表情を見せ、話しかけてきたときとはまったく異なる礼儀正しさですばやくひざを折り最大の謝意を表した。


まぁ、カイルもやるわね。


王室に求められ、献上したともなれば、その市場価値は数十倍にもはね上がる。弱小貴族にとってはまたとない褒美となり、目の前の男は簡単に飛びついた。


すくなくとも彼の駒を完全に奪われることは避けられただろう。


カイルがさっと手をあげるとすぐさま担当者が現れ、侍従を伴ったウェデキール卿を別室へと案内していく。


それを見送る形で、ふたたび式典場に喧騒が戻ってくる。茶番は終わり。


わたしは静かに息を吐いた。


これで今後同じ手はしばらくつかってこないだろう。そのあいだにカイルにはしっかりと復習して、貴族の名と顔を頭に刻みこんでもらいたいものである。


* * *


後日、カイルは公言したとおり、ほんとうにカンテ結晶石を贈ってきた。未加工の一番大きい石を。


ここに、とりあえず一番高いものであれば文句はないだろうとのわたしの扱いの適当さが表れている。それから、これで借りは返したという意味も。


「このていどで彼の好感を得られるなどとは端から期待していなかったもの、問題ないわ。――それよりもこの石、売ったら相当の額になりそうよね……」


思わず生唾を飲み込んだ。


しかし、カイルから個人的に贈られたと言っても、これもまた国の予算を使っている。


「さすがにこれをわたしの将来のためのお金に換えることはできないわ」


涙をのんで欲望をはらい、いずれヒロインに引き渡すために、わたしはそれを棚の奥にしまう。


わたしの手によってこれが引き出されることは二度とないだろう。

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