宰相の娘
全てが明るみになっても、ことは秘密裏に進められた。父に嗅ぎ取られないように、逃げられないように。
証言と証拠が揃い、すべての準備が整ったその日、カイルは私に王宮で待つように言ったけれど、私は断固として拒否した。
「私は父の娘だから、ちゃんと見届けないといけないわ」
カイルと2人で父のところへ向かおうとする私たちをラパント卿が待っていた。
先生は表情も平素と変わりがなく、私と父とのあいだにあったことを何ひとつ訊かなかった。
「先生は私がずっと逃げようとしていたことをご存じだったのですね?」
「……なんとなくですが、そう思うておりました」
「姫様という呼称はそのためですか?」
「……王妃になるべきだと思いました。儂がこの国に求めていたのは、否、我が国が求めているのはまさにこの娘だ、と。さりとて本人にはその気がなさそうだ。どうするべきかと悩みました。幼稚な手ではありましたが」
王妃とは呼べない先生なりの、幼い娘に向けたオブラートに包んだ圧であったということだ。王族となる自覚を持て、という。
授業が厳しかったのも納得だった。この人は王のそばに立つ人物ではなく、王とともに立ち、諸侯らと渡り合う政治家を育てあげようとしていたのだから。
罪滅ぼしだなんてしおらしい顔をしていたけれど、やることはしっかりやっていたというわけだ。
「心は、決まりましたかな?」
「はい、先生」
頷くと、ラパント卿はとても嬉しそうな顔をした。その笑顔はいままでになく若やいで見えた。
執務室の父は落ち着いた様子でかたわらの机に本を置き、現れた私たちを見て、カイルを見て、それからもう一度私に視線を戻した。
眉がしかめられ、いつもは冷静な父の思考が、その過程が傍から分かるほどに表情に如実にあらわれていた。困惑、混乱、疑念、そして最後に理解に至る。今までのかずかずの疑問の答えを私に見たのだろう。やがて、こちらをみつめる父の目に灯るすべてが静かに怒りに代わっていくのが見て取れた。
私たちのあとから入って来た兵が罪状を述べ、父を拘束する。緊張感の漂う中、父は一度も口を開かなかった。ただ連行され部屋を出ていくその背中が私にはっきりと告げていた。
最初から自分には娘なぞ存在していなかったのだ、と。
* * *
斬首とする――父の刑が確定してから数日後のある日の夜、私の部屋を訪れたカイルが真剣な顔で言った。
「ティア、お前が望むのなら――」
「それはだめ」
私はカイルの口を手で慌てて塞いだ。口にされてしまえば、心が揺さぶられているのをごまかせなくなってしまう。だから、彼がすべてを告げる前に私は首を横に振ることでそれ以上言わないでと伝えた。
「父を赦してもらいたいと思ったことはないし、赦されるべきでもないわ」
王令――独断により貴族の承諾を得ずに発することができる唯一の法。カイルにそのようなことをさせてはならない。王になる人が、最初にすることが私情により国の定めを曲げるだなんて、あってはならないことだ。
「正直に言うとね、ほんの少しだけ、どこかで冤罪だったらいいのにと思っていた自分はいたのよ。けれど、それは父が潔白であることを望んでいたというより、たぶん、自分がなんら恥じることのない存在でありたかったのだと思う」
「ああ」
「でも、結局は願望でしかなかった。父は間違いなく犯罪者よ。どのような理由があっても、あの人は今までにおこなった悪行のツケを払わなくてはいけないし、払わせなくてはいけない。そしてそれは自業自得なの。誰かがあの人にナイフを突きつけておこなわせたのではない。自分の意思で、したことなのだから」
「そうか……」
「……ただ、お願いがあるの。父に最後の挨拶をするとき、あなたにも――」
「無論。お前のそばにいる」
「カイル、ありがとう……」
証拠が揃っているのを悟ったからか、プライドからか、刑が確定する前から、父は調べに対していっさいの黙秘を貫いていた。
やつれてはいたものの牢の中でも父は父だった。
できうる限りではあるけれどきっちりと身なりを整え、背筋を伸ばし、私をなじるでもなく態度は平静で変わりはない。背景を家の景色に差し替えても違和感がないほどに。
言葉はなかった。何と言っていいのかわからなかったし、父もまた裏切り者の娘に掛ける言葉などなかったのだろう。格子越しに向かいあうかたちで互いに椅子に腰を下ろしたまま、重い沈黙が続く。
私たちはほとんど無言の時を過ごし、やがて時間が来て、私は別れの挨拶をした。
「お父様、私はあなたのやり方を決して認めません。あなたは悪人であり、間違ったことをおこないました。ですが、あなたの政治にたいする信念は本物であったと思っております。あなたの志は私が受け継ぎます。カイルとともに戦い、この国をよくしてみせます。……さようなら」
父が口を開いたのはその時だった。
父は、ただ一言だけ、言った。
「……大きく……なったのだな」
振り向けば、初めてテオドラというひとりの人間の存在に気がついたとでも言うように目を細めて父は私を見ていた。それが私たち親子の最後の邂逅だった。
父が、どういう意味であの言葉を口にしたのかはわからない。会いに行った翌日、なぜか今までの黙秘が嘘のようにすべての罪を告白し、娘は一切かかわっていないと供述したらしいことの理由も。
父の処刑があった日の夜、私は泣いた。子どもみたいに声をあげて。親子の情や繋がりなどないと思っていたけれど、それでも私たちは親子であり、あの人はたしかに私の父親だったのだ。
彼の両親の命を奪った男を悼むなど、愚かで失礼な行為だとわかっていた。だけど涙は止まらず、そして泣いているあいだ、ずっとカイルは何も言わず私を抱きしめてくれていた。カイルの体温が心地よかった。
父の罪と刑の執行を母に告げにいくと、彼女からは罵倒された。
人殺し、親を殺す血も涙もない奸婦だと罵られた。ルーデンスがあいだに入り、母を抑えなければならないほどに。感情を爆発させたあとは、母の中にあったすべてが流れ出てしまったかのように呆然となって一気に老け込み、今、母は自分では食事すらままならず人の手を借りなければ生きられないようになってしまった。王都から遠く離れた田舎の一軒家で数人の使用人に囲まれ、彼女は静かに療養している。
そして、父との対面にカイルがつきそってくれたように、私もまたフレディリク様に会いに行く彼につきそった。
「自分は異物で、この世に存在してはいけなかった。そんな扱いを受けたことのないお前に、私の気持ちがわかってたまるか」
格子の向こうからそう言い放つフレディリク様の表情は、歩み寄りの願えないものだった。
少しだけ、ほんの少しだけ、その心細さや哀しさは理解できる。親から顧みられない虚しさや心の痛みも。でも、理解できるけれど彼の犯した罪に共感はしないし、認めるわけにもいかない。
「叔父上、それでもあなたは俺の光でした。テオドラが今は俺の輝きとなってくれているが、叔父上がいなければ、俺はテオドラに出会う前に絶望して自ら死を選んでいたやもしれません」
「そうしてくれていれば、どれほど良かったか」
軋んだ音みたいな卑屈な笑い。さらに深く目が落ちくぼんでいるようにも見えた。
カイルのこぶしが、かけられたひどい言葉にびくりと震える。でも、カイルは少なくとも声を荒げたりはしなかった。ただ静かに、さよならを告げた。
執行の日、カイルはつらそうで苦しそうではあったけれど、涙は零さなかった。その日の夜もただ黙って叔父の死を悼んでいた。私は、彼に寄り添い、一緒に心の痛みを共有していた。
私との結婚は、とうぜんのことだけれどかなりの貴族が反対した。しかし、思いもかけないことにそれと同じくらい、賛成の声もあがったのだ。
ラパント卿やガードナー卿はもちろん、セーディ家もその筆頭だった。彼女は私に会いに来て、私たちのあいだの友情は変わっていないのだと告げた。そして言った。ありがとう、と。
がめつい卿がわざわざ行って、私が彼女の家の事業に手を貸していたことを漏らしたらしい。いかにも小悪党な見た目で、お金が大好きで、父の側に立って居た人だったために油断のならない人だと思いこんでいたけれど、実は商売が好きなだけでいい人なのかもしれない。
それからリズを見かけないと思ったら、彼女は原作とは異なり、カイルの誕生日よりも前に帰国していたことが判明した。その後、様子をうかがう文を出すとお招きに預かりたいと早速の返信があり、彼女がやって来た。
「貴族になったばかりで何も知らないわたしですけれど、それでも、わたしだって自分がどうして隣の国の宴に呼ばれたのか、その意味くらいは分かっているつもりです」
彼女はそう告げた。そしてきっぱりと言った。
「だから、祖父にも伝えました。カイル殿下とテオドラ様はとてもお似合いで、わたしはおふたりの……お友達の邪魔をするような失礼なことは絶対にしたくありません、って」
お友達、と口にしたとき、彼女は一瞬こちらの様子をうかがうようにためらった。けれど、私が肯定の微笑みを見せると、一転して花のようにぱあっと顔を輝かせる。
「待っていてください! いつの日か、お友達になってよかったと思っていただけるような淑女になってみせます!!」
可愛らしく両手でこぶしを握り、そう宣言する彼女は輝いて見えた。
彼女に会うまでは、カイルとの人生を奪ってしまったことに対する謝罪となにかしらの補償をおこなうべきではないかと考えていた。
けれど彼女を見ていると、これ以上私が負い目を感じること自体、彼女に対して失礼になるのだと気がついた。彼女だってちゃんと自分の意思で人生の選択をしたのだ。
リズなら、きっと幸せな未来を切り開くことができるだろう。
それに、私自身、他人の心配をしている場合ではないのだ。
宰相派とニンス派、このふたつの大きな派閥がなくなったことで、評議院の勢力図は大混乱を呈している。これを機に我こそはと台頭をねらい、貴族たちは舌なめずりをして蛇のごとく機会をうかがっているに違いない。
彼らだけではない。父が――宰相がいなくなったことでニンス家もまた復権を狙い動き出すはず。すくなくとも私が卿の立場なら、そうする。
政争は激化し、ますます混迷を深めるだろう。
先代のノヴェルティ侯爵とて、同じだ。ニンス家を政界から引きずり落としただけで満足するはずがない。あの家もまた油断がならない。
そもそも若かった侍女長を宮廷に送り込んだのがノヴェルティ家だったのだ。婚約者であった令嬢の口調や癖を彼女に教え込んで、陛下に近づかせたこともつかんでいる。多額の金を払い、宮廷医を抱き込み、子を宿した彼女を王太王后の目から隠し、侯爵の屋敷で産ませたことも。
……こうなってくると、何もかもが怪しく見えてくる。王太王后の死についてさえも。
妃となる私にはラノビアという家はなくなり、もはや後ろ盾となる親族もいない。そしてカイルも、従祖父にあたるニンス卿が今や政治の世界ではちからを失い、近しい人はみないなくなり、孤独な王子様になってしまった。
王族は貴族という飢えた狼らの前に差し出された餌も同然。カイルがひとりで戦うのは不可能に近い。
父ならば、これこそが政治の醍醐味であると冷たく笑うのかもしれない。
そして悲しくもありがたいことに、私はその父の娘で、工作や謀をもっとも得意としている。
「これ以上、好き勝手にはさせないわ」
私がカイルを支え、切り抜けさせてみせる。
それに今は、ひとりじゃない。
「テオドラ・ラノ・エクス・オシュタインの名において、皆さまを心から歓迎いたします」
私は呼びかけに応えて集まってくれた人たちの顔を見回す。
引き続き師となること約束してくれたラパント卿、今さら説明するまでもないガードナー卿、これから一気に手を広げ大陸一の商家となるであろう――叙爵は断られた――がめつい卿、さらに商売が成功し、そのがめつい卿に並びつつあるセーディ家のセシリエ、改めてカイルの親衛隊から私の直属の騎士となったルーデンス、そして私のことを妹のように大切に想ってくれているロニヤ、私には皆がいる。
「どこの誰が相手であっても関係ないわ」
たとえ宰相の娘ではなくなったとしても、私は私なのだから。
「――最後に勝つのは、この私よ」
※ラノ・エクスは王族のみつけることができる冠を表す単語の女性形
お読みいただきありがとうございました。




