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宰相の娘  作者: 衣々里まや
17歳
46/50

真相

次に目を覚ましたときには、すでに私は王都に帰っていた。


寝台の温かく柔らかな毛布の中で意識を取り戻した私が一番最初に目にしたのは、傍らで涙ぐむロニヤだった。それからほかの使用人たちも、私が目を覚ましたと知ると涙を流して喜んでいた。


あれから何がどうなったのか、聞きたいことも知りたいこともたくさんあって、でもカイルに至ってはいろいろと判断を下さなければいけないことが多く、なかなか会うことができなかった。


半月近くがたち、私の体も回復して、ようやく話し合いの機会を設けることができた。


私はいま、カイルとふたりきり――使用人たちも護衛の騎士もすべて退出させて彼と対峙している。


このときを待っていたはずなのに、どう切り出していいのかわからない。


沈黙が私とカイルのあいだを漂う。口を開いては言葉が浮かんでこずに閉じるというのを私は何度も繰り返し、永遠とも思えるような時間のあと、


「……知っているのは、どこまでなの?」


「叔父上のことも、知っている」


カイルから静かに告げられ、耳を疑った。


「嘘よ……」


信じられなかった。


彼の言葉より自分の耳がおかしくなったと言われたほうが、まだ現実味があるくらいだ。


目の前の落ち着き払った彼の様子は、とうていフレディリク様が裏切ったと理解できている態度ではない。


真実を知って、この世の何もかもがいっときは信じられなくなるはず。生きることすら放棄して、自分の殻に閉じこもるのだから。


“その瞬間、カイルの世界から色が消えた”、そう書かれていたほどだった。


呆然とする私に、どこから話すべきか、とカイルは逡巡する。


やがて、ニンス家が評議院で議席を失ったことが大きな転換期であったと思う、と口にした。ニンスの傘下にいた貴族らは失権と同時に慌てて父の、もしくはカイルのもとに下ったそうだ。そのさい、少しでも己を有利な地位に押し上げようとこぞって手土産となる情報を携え、自らを売り込んできたのだ、と。


もちろん、それらの中身は言うまでもなく、ニンス派閥の内情や宰相派閥について彼らが掴んでいた決して表には出せないようなものであった。ひとつひとつは小さくとも集まれば山となる。情報を総合し、考察し、検討した結果、うすうす勘づいてはいたものの、カイルらは宰相が妃の父親として政治を裏から支配するのではなく、なにか別の狙いをもっているのだと確信したらしい。


さらに宰相のうしろに、手を貸し、ときに隠ぺいできるほどの権力者が絡んでいる、とも。そう言ったとき、今まで数をかぞえるように平板だったカイルの声が初めて翳った。たぶん、その時点ですでに叔父のもうひとつの顔に徐々に気が付きつつあったのだろう。


カイルはつづけて、だからわざと周辺を手薄にさせ誘いをかけていたところへ、ある日、別のものが引っ掛かったのだと口にした。


「俺の前に現れたその男は、価値のある情報を持っていると言ってきた……」


カイルは言いながら、ちらとこちらを見る。説明せずともわかるだろう、という目で。


たしかに、言葉にされなくてもわかった――ダスターだ。


あのごうつくばり……欲張ってカイルからも搾り取ろうとしたわね。


しかし、これは私の落ち度でもある。私が接触したから情報の真価に気がついたのだし、私は父らとは取引しないよう言い含めていたが、カイルと取引するなとはたしかに言っていなかった。


「その男が話す内容は、にわかには信じがたいものではあったが――」


カイルは淡々とダスターが持ってきた情報を要約して私に話す。彼にとってはとてもつらいことのはずなのに、筋道を立てて落ちついて、ただ淡々と。


「……男も最初は自分の持つ情報を半信半疑でいたそうだ。だが、ある女が接触してきて、その情報を買い取りたいと言ってきたことで信憑性が高いのだと思ったらしい。そして、奴が言うには、正義のために殿下にお伝えするのが一番だと思った――だ、そうだ」


「その正義はもちろん無料ただではなかったわよね?」


ああ、と答えたカイルが告げた額は私が想定していたよりも二桁多かった。放蕩三昧の人生を二周してもまだおつりがくるほどに。


欲の皮をつっ張らせるにもほどがある。いいえ、実際はそれほどの、カイルにとってはそれ以上の価値があったのだけれど。


「まさか、払ったの?」


私の問いかけに、いや、とあっさり首を横に振ってカイルは、


「牢に入れてある。数日前から変な奴にあとをつけられていると言って怯えていたし、実際、俺の私室に侵入しようとしたところを捕らえたからな」


「今もそこに……? つまり、彼は生きているのね?」


カイルが頷く。


そのために会えなかったのね。てっきり、小説のとおり父に見つかって殺されてしまったのかと。


しかし環境はともかく、城の地下牢以上に安全な場所などないであろう。


ある意味、助かったわね、ダスター。おかげで死なずに済んだのだから。


「ひそかに情報の真偽を調べさせた。だが、ほとんどの関係者は亡くなっており、確証に足るものは得られなかった。証拠の品があると言うので宿の荷物も引き取って探ったが、決め手には欠けた 。だから、北に行き俺に注意を惹かせた。決定的な理由が欲しかったからだ。砦の周囲に跡をつけたり、近隣の村人を脅かして回るようなものではなく、宰相らに俺の直接の介入をゆるす、確固たる理由がほしかった」


そのために危険を承知で懐に飛び込み、自分を囮にしたのだと、カイルは言った。ただ、事を起こすのは私を安全な街に届けてからの予定で、巻き込んでしまったのだけはどれほど後悔してもし足りない、との謝罪も。


……そうだわ。証言があったから、父は捕まったわけじゃない。間接的証言では疑いをかけることはできても、父を拘留することはできない。


神官の証言をもとに、まずダスターの殺害を糸口として調査が入り、その結果、たくさんの過去の繋がりがみつかったのだ。ダスターが死んでいない以上、そもそも父を強制的に調べることはできない。


迂闊だった。証言のことに気をとられて、そこまで気が回っていなかったなんて。


「だとしても……あなたは王子様なのよ? この国を背負う人間なの! あちらの目的がわかったのなら、王になる前のいまが一番危ないというのもわかっていたはずよ! どうして、自分の身を危険にさらすような手を使ったの!!」


私が北に同行することを知って強硬に反対していた人たちの気持ちが、やっとわかった。彼らはもう父の裏切りを知っていたのだ。


私の責めるような言葉にカイルはやや口ごもったあと、ぽつりと漏らした。


「……お前を利用されるかもしれないと怖かったからだ」


「私を利用する? 父が、ということ?」


何を今更と思う。


カイルは知らないだけで、父は散々私を己の詭計のために利用してきたのだ。


そう笑い飛ばそうとしたのだけれど、カイルの憂いの表情で、たぶん、より過激な手段として宰相の娘を使おうとしていたのだと悟った。父の派閥の中でも一部の過激派がそう主張していたらしいと彼はつづけ、カイルについたほうが有利と見て、父を裏切る者が出て警告してくれたのだと説明を加えた。


「幸いなことに、宰相が却下したらしいが……」


もう過ぎたことなのに、カイルはあらためて安堵の息を吐く。


「心配しなくても、父はそういう方策はとらないわ」


父が取り合わなかったのも当たり前だ。情ではなく、成功確率の低さからありえないとあの人は却下したのだ。私があるていど自由を許されていたのは、こちらが父の手のひらの上で、ときに彼のために踊っていたからである。私を信用しているからではない。父の目的を知らされていないことからも、断言できる。


かけらも信を置いていない者を策の肝に据えるなど、どう考えてもその計画は破綻している。


なのに、カイルはごく真剣な顔で首を横に振った。


「馬鹿げた案じゃない。現に俺はお前が……」


そこで急に我に返って、慌ててカイルは口をつぐみ、ごまかすように目をそらした。たぶん、彼はこう言いかけたのだろう。


現に俺は――かつてお前が宰相に傷をつけられるのを見たことがあるから、と。最後まで言わなかったのは、彼に見られていたとわかれば私の心が傷つくととっさに考えたのだ。


本当にどこまでも優しいのね……。


そもそも造反して情報を流したこと自体、父の策だった可能性も捨てきれない。そのくらい、今は何が真実で誰が嘘をついているのか判然せず混沌としているのだ。カイルだってそれを考えなかったわけではないはず。


それでも、カイルは私の身を案じて動いた。


カイルはわたしをじっと見つめ、問いかける。


「ティア、お前は知っていたんだな? 以前から」


ずっとこの瞬間を恐れていた。剣を首につきつけられ、罵倒され、憎しみのこもった目で呪詛を投げつけられている自分を何度も想像していた。


でも実際に訪れてみたら、あまりにもあっさりとしていて、予想と違いすぎて言葉にならない。


「お前がおびえていたのは、これだったのか? 俺が、お前ではなく叔父上を信じるのではないかと……」


カイルが手を伸ばし、私をつかむ。次に何が起こるのか予測がつかず身をこわばらせる私を、カイルは自分の胸に抱き寄せた。


「お前がずっと何かにおびえていたのは気づいていた。ただ、無理やり聞き出すのは躊躇われて、お前が話すのを待とうと思っていた……もっと早く言ってやればよかった。すまなかった」


信じがたい目の前の現実が、砂に水がしみこむように徐々に私の中に浸透してくる。


……カイルはすべてを知っていた。


私の父が犯した罪も、私が黙っていたことも、カイルは知っていた。すべてを知っていて、すべてを理解して、それもでもなお彼はここにいる――私の、隣に。


その事実が何度も何度も私を貫く。


カイルを信じなかった自分の愚かさ、ひとりだけ真実を掴み動いていると思い込んでいた己の傲慢さに恥ずかしくなった。


私は、いままでほんとうの意味ではまったくカイルを理解できていなかったのだ。すべてを知っても信じてくれたカイルの優しさと、その覚悟を。


だからこそ、私はちゃんと伝えなくてはいけない。私はカイルの胸をぐっと押し、


「だったら、父がどれほど酷い男かあなたはわかったのでしょう? そんな男の娘は、あなたにふさわしくない」


「二度も言わせるな。俺が愛したのは、宰相の娘ではない。テオドラという、ひとりの女だ」


逃れようとする私をカイルは再びつかまえる。


「宰相の過去はお前の罪ではないし、お前が背負う業でもない」


「でも、たしかに父がやったのよ……父のことを考えるたびに罪悪感に襲われたわ」


「だとしたら、俺も酷い男なのだろうな。そのお前の罪悪感を利用してでも、お前を引き留めようとしているのだから」


「あなたを助けたのだってほとんど自分のためだったの」


「知っている」


「私、性格だって本当は悪いのよ……」


カイルはくすっと小さく笑って、知っている、と答えた。


「それから? ほかに告げておきたいことはないのか? まぁ、何を言っても放すつもりはさらさらないが」


言葉を表すかのように私を抱きしめる腕にわずかに力が加わる。


「わ、私は誰にも歓迎されない存在で……でも自分で折り合いをつけて生きていこうと思っていたの。だって、私は宰相の娘だから仕方ないって……」


でも、もし、本当にわたしを受け入れてくれる人がいるのなら。ここにいてもいいと言ってもらえるのなら。私は、ひとりじゃないのだとしたら。


私はカイルの胸に顔をうずめる形で、呟く。


「……カイル、本当に私でいいの?」


「何度言わせる? お前がいいんだ。お前じゃなきゃだめなんだ」


「カイル……」


「ティア、お前の父を殺す男であっても、お前は俺と共に生きてくれるか?」


思っていたのと違う部分もあるけれど、たくさん私の知らなかったカイルを発見して、惹かれていた。


でもずっと好きだと認めるのが怖かった。殺したいほどに憎まれることがわかっている相手を、どうやって愛しているのだと認められるだろう。


だから自分をずっと誤魔化してきた。諦めて、自らに言い聞かせてきた。私は宰相の娘だから、愚かだから、愛される理由などないのだから。……けれど、もういいのだ。


私は顔を上げ、返事の代わりにそっと目を閉じた。しばしのあと、カイルのまつ毛が肌をかすめる。唇に柔らかなものが押しあてられ、最初はついばむように、それから少しずつ、触れている時間が長くなっていく。腰に手が回り、私の髪にカイルの指がうずめられるのを感じた。互いの想いを伝えあうために、口づけは徐々に深くなる。


何度も息をついで、唇が重なり合って、触れ合って、ようやく落ち着いたころにはふたりとも息が上がっていた。


「私も……カイルのことが好きよ」


カイルは優しく指で私のほほをなで、涙のあとをそっとぬぐうと、微笑んで言った。


「ああ、知っている」

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