親衛隊
「知って、いる、ですって……?」
ああ、と肯定するカイルのなんら変わらない表情は、私が都合のいい夢を見ているのだと疑いたくなるものだった。あるいは、こちらの言ったことをたんに彼が理解できていないだけなのではないか、と。
「あ、あなたは知っていて、宰相の娘と一緒にいたというの?」
「俺が共にあったのは宰相の娘ではない。テオドラというひとりの女だ」
彼は私から目をそらすことなく、きっぱりと言う。
「で、でも……私は、父の娘……なのよ……」
胸に言葉がつかえてうまく出てこない。
罪の告白をしたのは私のほうなのに、なぜ私が狼狽する側にまわっているのだろう。
いっぽうのカイルは構えているのとは別の手で、いまだ混乱のさなかの私の手をすくい取り、力強く握った。
決してひとりにはしない。
カイルの想いが伝わってくる。
そのぬくもりに私の心が揺らぐ。とうに覚悟は決めていたはずなのに、彼の手を振りはらえない。
必死に自分に言い聞かせる。
余計なことを考えないで。今はこの状況を何とかするほうが先よ。命を惜しんではだめ。
私の中で大きく膨れ上がりそうになっている何かを懸命に抑えつけ、今目の前のことに意識を集中させる。そこへ、
「女が返事をもってきました!」
ひとりの男が入ってきて、そう報告を入れた。つづけてこそこそと追加でなにかを耳打ちし始める。
もう帰ってきただなんて、よほど天候と運に恵まれたのだろう。最速の予想よりもさらに数日早い到着だった。それよりも、気になるのが女性という情報だ。
……まさか、ロニヤではないわよね?
何が起こるか読めないから、彼女は同道させず王宮にて待機を命じていた。ロニヤはなんといっても若くて楚々とした美人だ。賊にとってはいい土産になるだろう。
父がそのような指示を出していたとしたら、彼女までが犠牲になってしまったら、私はどうしたらいいの。
心配に息が詰まりそうになる私の目の前で、男につれられてひとりの女性が姿を現した。
とても美しい女性だった。一瞬にして周囲の空気を変えてしまうような鋭い美しさ。少し背が高い以外は、およそ欠点というものが見当たらないほどの。
……ロニヤじゃないわ。
私の侍女ではなかったことにほっとするけれど、かわりに別の女性が犠牲になることは変わらず、決して喜べることではない。
いったい誰なの。どうして彼女が選ばれたの。歩き方なども洗練されていて、一定の教育を受けていることがうかがえる。しかし、そういう地位の女性がこのような交渉の担当に選ばれるわけがない。
見たことも……いえ、待って。見たことがある気がする。どこでだかは分からないけれど、確かに会ったことがある気が。でも、これほどの美女なら一度会ったら絶対に忘れないはずなのに。
女性が手渡した紙をひろげ、文章を目で追ったあと、頭目は意味深に目を細めた。
「これは、本物なのか?」
問われ、女性がこくりと頷く。
「だったら、なぜ印が捺されていない?」
「急いでいたので閣下がお忘れになったのでしょう」
女性が初めて声を発した。少しだけハスキーな、中性的な声。
「こっちが使いに出した男はどうした? なぜそいつが届けない?」
「昼夜を問わず駆けてこられたために、お倒れになられました。ですので、わたくしが代わりに。他の者では警戒するだろうとの閣下のご判断です。わたくしではご不満でしたでしょうか?」
女性が嫣然と微笑む。彼女は周囲の状況をまったく気にしていないように見えた。ずいぶんな肝の据わりようだ。
「言伝も預かっております。“残りは近日中に。受け取り次第、このたびの一切を忘れるならば、私もお前たちの存在を忘れるだろう”とのことでございます」
「返答については理解した。だが、娘のことは記載がない。つまり、そういうことだな?」
「お断りいたします」
女性が初めて鋭い声を出した。つづけて、
「殿下も、お嬢様も、我々にとっては必要なお方ですので」
そう告げる。
……まさか。
私の心の声が聞こえたかのように、女性は私のほうを見て一瞬微笑み、恭しく屈んだかと思うと、だしぬけに後方へ向けて鋭い回し蹴りを放った。すばやく反応した首魁とは異なり、よけきれなかった数人がまともに頭部に浴びて崩れ落ちる。女性はすぐさま蹴り飛ばしたひとりの男から剣を奪い、
「殿下、こちらを!!」
カイルに向かって放り投げると、さらにもう一本を別の男の手を踏みつけて奪い取った。
「よくやった、ジュリアン」
受け取ったカイルがそう声をかけて、ナイフを腰にはさみ、私をかばうように剣を構え直す。
「ジュリアンって……やっぱり副隊長なの!?」
思わず声が裏返ってしまった。
ジュリアン・ジリンガー、そのあまりの容貌の愛らしさに、幼い頃はジュリアとかジュリアナと呼ばれては、そう揶揄ってきた相手をぼこぼこにしていたという美貌の騎士。
「女装がこれほど違和感ない方だったなんて……」
正体の衝撃で、状況にそぐわない平和ボケした感想が浮かんでくる。
その間にも副隊長は着々と自らに与えられたと思しき役割をこなしていた。
懐から取り出したなにかを窓の外に向かって放り投げ、不意に襲われることのないよう死角になる位置をカバーし、さらに周囲の男たちを牽制して私とカイルから距離をとらせていく。
投擲した窓の外からは、すぐさま煙が立ち上る。次の瞬間、
「突撃ーーッ!!」
聞き覚えのある勇ましい声がどこからかあがった。同時に砦の門がなにかに破られるけたたましい音が辺りに響き、雄たけびを上げなだれこむ男たちの声と金属がこすれ合う音がすぐに続く。その中に、
「テオドラ様!! 殿下!!」
聞き覚えのある声が聞こえた。ルーデンスだ。
私が彼の名を呼ぶと、届いたとはとうてい思えなかったのに「すぐに参ります!!」と応じる声が返ってくる。
そのあいだに、カイルと副隊長は牽制しつつ私を守るようにして部屋を出て、広い場所へと移動しはじめる。おそらく味方の合流にそなえて、狭い部屋では剣を使っての戦いが不利になると判断したのだろう。
戦いやすい場へと移ったことで、カイルと副隊長の陣形が形を変える。私を背後にかばう姿勢は変わらずとも、防御から攻勢へと転じたのだ。相手のほうも、
「怯むな! 女を狙え! 人質にとるんだ!!」
剣の柄で壁をたたき、周囲を奮起させる頭目の言葉に、攻め込まれたことに動転していた場の空気が変わる。
十数人の視線が一斉に私に集中し、ふたりに斬りかかるのではなく、協力して私をとらえようと動き出す。しかし、
「下衆どもが! 俺の妻に触れるな!!」
そう吐いて誰よりも先にカイルが動いていた。
白刃が翻り、私に近づいてきた数人が続けざまに倒れる。さらに踏み込んで複数人に斬りかかる。カイルは目覚めたばかりで、しかも負傷中。動きはやはり怪我の名残りを感じさせるのに、彼は次々に敵を斬り伏せていく。そして、
「女性を狙うなど、万死に値する」
カイルの動きに合わせて、副隊長も前に出ていた。
一歩が速い。細身を活かした俊敏な動きで数の差をものともせず、カイルをフォローしながらすべてをいともたやすく軽やかにさばいていく。経験の差なのだろう。賊とは踏んできた場数が違うのだ。
奪い、ただ衝動のままにちからをふるってきた者と、生きるために、そして守るために日々、技を磨いてきた者との明確な差がそこにはあった。
目の前のふたりだけではない。外からも各個が複数を撃破しているらしき、絶え間ない剣戟の音が徐々に近づいてきていた。
「退けい、ルーデンス!!」
階下から銅鑼のような声が響いたかと思うと、石が踏み砕かれ、岩が削り取られるようなゴゴゴという重機にも似た音が鳴り響く。一瞬、ルーデンスに何かあったのかとあわてて近くの窓から覗き込んで驚愕した。
「嘘でしょ……信じられない」
大盾が下から迫ってきていた。いいえ、構えた状態で、誰かがそのまま階段を駆け上がってきているのだ。厚い鋼の盾は剣や斧をはじき、その勢いのまま狭い通路に詰まった男たちを力業で一気に押し出していく。
ある者は足を踏み外した結果、段上でボロ雑巾のように踏みつけられて脱落し、またある者は男たちが団子になって下から押し上げられてくるのを見て慌てて踵を返そうとして間に合わず手すりのない側から落下していく。まるで地を均すブルドーザーだ。
盾の陰で顔は見えなかったけれど、声とこの大きさを扱えるちからの持ち主といえば隊長以外に思い当たる人物はいない。
さらにその盾を蹴って跳躍し、ルーデンスがこちらに走ってくるのが見えた。道中の敵を切り捨てながら、彼がまっさきに広間に姿を現す。
「テオドラ様!!」
彼は私を見つけると、駆け寄り、こちらの無事を見て取るやすぐさまカイルたちと同じく私をかばうように剣を構え直す。
強いふたりにくわえてもうひとりが合流したことで、下の状況を確かめずとも形勢が逆転されたのを感じ取ったのだろう。包囲がじりじりと後退しだす。中でも、最も見切りをつけるのが早かったのはあの男だった。
カイルの剣に押されていた頭目が一瞬のうちにひらりと身をひるがえし、窓の向こうへと姿を消したのだ。あっという間の出来事だった。
「ひとりも逃すな!!」
カイルの声で自分たちが置いていかれたのだと気づいた者はあわてて頭目につづき、判断遅く取り残された者はあきらめ、降伏のしるしに武器を落とし、両手をあげる。
「殺してはだめよ! 証言が必要なの!!」
ダスター、もしくは神官の証言が期待できない今、彼は父の関連を示す重要な証人となる。減刑と引き換えに父のことを話してもらえれば、宰相の罪の重要な証拠のひとつとすることができる。
隊長とともに上がって来たうちの数名が、私の叫びに「必ずや、生きてとらえます」と述べてすぐに後を追っていく。
一方、残った者たちを縛り上げ、周囲の安全を確かめてからようやく、淑女のドレスを真っ赤に染めあげた副隊長がにこやかに労いの言葉をかけてきた。
「殿下、よくぞご無事で。お嬢様も、よく頑張られましたね」
「助けていただき、ありがとうございます。あの、ジリンガー様も……よくお似合いで」
ついさっきまで死ぬ覚悟さえしていたために、めまぐるしい状況の変化に頭がうまく回らず、おかしな返答をしてしまう。とたんにルーデンスが吹き出し、振り向いた上司の笑顔にあわてて表情を消す。
「お前たち、どうやってここに?」
怪我が影響しているのか、わずかに肩で息をしているカイルの問いに対して、
「お嬢さまの船の船員が、客の中に怪しい人物がいると、男が眠った隙に船をもどしてわれわれに連絡を。すぐにでもお助けしたかったのですが、男がなかなか拠点の場所を吐かず……また万が一のこともあるため、使者のふりをして内部に入るのに往復分の日数を待たねばならず。遅れましたことをお詫び申し上げます」
副隊長が代表して答え、膝をついて頭を垂れる。それに倣うようにしてつぎつぎに場にいる一同がカイルに向かって膝を折った。
「いや、よくやってくれた。俺たちが助かったのは、みなのおかげだ。そして俺が生き延びられたのは……ティア、お前のおかげだ。ありがとう」
カイルがそう言って私を振り返る。彼のまなざしはどこまでも穏やかで、警戒の色は欠片もなかった。
「カイル……」
聞きたいことはいろいろとあった。
「カイル、あの……」
でも、何を言えばいいのかわからない。
「わ、私は……」
「ティア、もういいんだ」
カイルが優しく私を抱きしめる。
なにが、“もういい”のか。命の危機を脱したことなのか、父のことなのか。
尋ねたいのに、カイルのぬくもりに安堵し一気にちからが抜けて、周囲の音が遠くなる。
ぼんやりとしていく意識の中で、私は怪我をしていないはずなのにと疑問をもってから、そういえばこの数日、ほとんど寝ずに看病していたことを思いだした。それを最後に私は彼の腕の中で気を失った。




