和解
あの一件以来、カイルはあからさまに私を避けるようになった。
食事は業務を理由に部屋でとるようになったし、私が訪ねて行っても居留守を使われる。廊下の端と端で顔を合わせれば走って逃げるし、追いかけても足の長さが違うので追いつけない。
最初は、私もカイルが暴走するようなことをしてしまったのだからと反省していたけれど、ここまでされるとだんだんと腹が立ってくる。
おかしくないかしら。
どのような理由であれ、彼が私に暴行を働きかけたのは事実だ。私は被害者のはず。
「それなのに、私のほうこそ彼から怯えの態度をとられるのは納得がいかないわ」
カイルを探しながら、彼のことを考える。
ここ数日、ずっとカイルのことだけを考えていた。他のことは手につかなかった。
あの日の彼の表情、声、行動が指し示す、その意味を。
ヒロインとカイルの仲に進展がないことにも、やっと合点がいった。
根は真面目なカイルのことだ。私に物思うような汚点がなければ、たとえヒロインに心揺れた瞬間があったとしても軽佻浮薄な考えとして一蹴したはず。
私はあの宰相の娘で、未来を――リズの存在とこの身がどれほど彼に憎悪されるかを知っているから、自分が彼の対象になるだなんて考えもしていなかった。でも彼から見れば、私はこの世界でたったひとりの彼の婚約者なのだ。
人の裏を読むことばかりに目がいって、至極当たり前の、そんな単純なことに気が付けなかった。
ときどき、いっそ彼にすべてを話してしまいたい衝動に駆られる。
だが、どうして言えるだろう。
私の父があなたのご両親の事件にかかわっているの。だから私はあなたに殺されたくなくて、ずっと気のいい婚約者の演技をしていたのよ、ごめんなさいね。などと。
私が騙している罪悪感から解放されるだけで、彼を余計に傷つけてしまうだろう。自分の良心の呵責で彼を苦しめるわけにはいかない。だから、最後の最後まで何も言わない。そう決めていた。
私たちは互いに助け合えていたけれど、親の罪のせいで道は交わることはなかっただけ。その代わりに、真実を知ったときの彼からの言葉はそれがどのような類のものであっても、かならずすべて受け止めよう、と。
「――カイル、お邪魔するわね」
私はノックと同時に部屋に足を踏み入れた。
「ルーデンス、誰も入ってこないよう見張っていて」
そう命じて、後ろ手で扉を閉める。
そして逃げられないよう大股で彼に近づき、一気に距離を詰めた。部屋の中央で驚きに身を固くして立ちすくんでいたカイルが私の勢いに怖気づき、おびえた子ウサギのようにじりじりと後退していく。
それをさらに追いかけ、部屋の隅にまで追い詰める。壁についた手がドンッと鳴って彼の両側をふさぎ、どこにも行けないようにする。
喧嘩をふっかける不良のように顔をすぐそばまで近づけて、彼に告げた。
「カイル、ちょっと私とお話ししましょう?」
「テ、ティア……いまは、すこし時間が……」
カイルは私と目を合わそうとしない。身体を強張らせながらも、視線だけは必死にあちこちに散らしている。
私は盛大に、あからさまなため息をつく。
「いつまでそういう態度をとっているつもりなの? あなた、私に何か言うことがあるのではないかしら?」
私の言葉にようやく観念したらしい。
カイルは視線をこちらに戻し、覚悟を決めたように見据えると叫んだ。
「――ティア、俺を捨てないでくれ!!」
「……はい?」
出てきた言葉が思っていたのとあまりにも異なるため、いっしゅん思考が停止してしまった。
どういうこと? どういう意味?
混乱する私をよそに、彼は一度出てしまえばとまらないとばかりにつぎつぎと謝罪の言葉を連ねていく。
「それほどのことをしてしまったのは分かっている。俺には何も言う資格がないことも。お前が俺のことを憎むのも――」
「ち、ちょっと待ってちょうだい! 憎む? 私があなたを? どうして?」
「どうしてってあれほどのことを……お前を怯えさせ、傷つけただろう」
よく眠れていないのだと思われる。カイルの声はかすれ、血色は悪く、目の下には濃いクマがあった。食事もろくにとれていないのかもしれない。やつれている。
あの行為で盛大に傷ついているのはあなたのほうではないかしら。と言いたくなるような容貌だった。
「俺はなぜ、あのようなことを……お前を傷つけるつもりはなかったというのに……なぜ……!!」
彼はうなだれたまま肩を震わせ、苦悩と後悔の弁を述べる。思っていた以上の落ち込み具合に、なんだかこちらのほうがわけもなく申し訳なくなってくるほどだ。
たしかに押し倒されたけれど、私が速攻ひっぱたいたから、結局ちょっと首を噛まれただけで終わっている。胸の上のほうがちらっと見えたかもしれないけれど、夜会ドレスはたいてい胸元が大きく開いているし、なによりすでに遠征行きをとめるために議場で全裸を披露済みだ。いまさらである。
「ねえ、カイル。すこしおち……」
「許してくれと言えた立場ではないのは分かっている。ただ、かなうならもう一度俺に機会を――」
「いいから、話を聞きなさい!!」
埒が明かず、頬を包み、無理やりこちらを向かせる。そうして彼の顔を覗き込んで初めて気が付いた。
目が潤んでいる。唇をかみしめてぷるぷると震えてもいる。なんとかこらえてはいるようだけれど、今にも泣きそうだった。
雨に濡れた子犬じゃないの……!!
「すまない、ほんとうにすまなかった!!」
「ええと……まず、言っておきたいのだけれど、怒ってはいないわ。たしかにびっくりはしたけれど……」
見てはいけないものを見てしまった気がして、今度は私が目をそらす番だった。
「それから、さきほども話したと思うけれど、憎んでもいないわ。傷と言っても噛み跡は数日で消えたし……」
跡と耳にして彼はもう一度謝罪の言葉を口にする。ただ、涙声のせいで私の耳には「しゅまにゃい」というふうにしか聞こえなかった。
「あー……つまり、私はあなたを許しているということを伝えに来たのよ」
ほんとは違うけれど、もう最初の気持ちはどこかに吹き飛んでいた。むしろ今では早く彼を立ち直らさなければという、謎の使命感にかられてさえいる。
「ほ、ほんとうにいいのか……?」
「ええ」
私の態度に、彼は私が怒っても憎んでもないことをようやく理解できたらしい。ほっとした顔で、
「よかった。もう俺がいやになったのかと……」
「あなたを捨てるだなんて、あるわけないじゃないの」
解消もなしに今実家に帰ったら確実に父に目をつけられるもの。それに私を捨てるのはあなたのほうでしょ。彼女を選ぶのだから。まぁ、父の問題以外にも、小説の私はすこぶる性格が悪かったから嫌になるのも分からないでもないけれど。
「……ガードナー卿とはほんとうになんでもないの。ただ、人を探してもらっているの。私のことを助けてくれ……た人よ。政治的に少し難しい立場の人で、そのために周りの誰にも、父にも頼めなくて」
「そうだったのか」
「いずれ、あなたにも紹介しようと思っているのよ。だから誓って、あなたが心配するようなことは何もないの、絶対に。ただ、誤解を受けるような行動をとってしまったことは事実で、それは申し訳ないと思っているわ」
私の立場で特定の未婚の青年と親しい姿を見せるなど、たしかにやってはいけないことだった。
「俺のほうこそ、もう二度とあのようなことはしない……絶対に。お前を傷つけるようなことはもう二度と!!」
「それ以上謝らないで。謝罪はいただいたもの。あなたも私も、お互いにもう少し話をするべきだったわ。それだけのことよ。結婚のことも、来年お話ししましょう。私、今はまだ色々と忙しくて……あなたの戴冠式のころには余裕ができているはずだから」
胸が痛むけれど嘘ではない。そのときにはもう彼の関心は私から離れているはずだから、結婚のことなど思いだしもしないだろう。
「ああ。ティア、ありがとう」
カイルは自分が触れても私が怖がらないか、おそるおそる手を伸ばして私の指先に軽く触れる。
私は安心させるために彼の指を握り返し、微笑みを返す。
政治的な立ち回りのことは計算できていたけれど、彼の気持ちまでは計算に入れていなかった。これは私の落ち度だ。
でも正直、嫌われていないだろうとはつねづね感じていたものの、カイルが私と本当に婚姻を結んでもいいと思うほど心を許していたとは予想外だった。たしかに小説とは異なり、今の私はそこまで性格が悪くはないと思うし、彼の、なにより王室の役に立ってもいる。
だとしても、と私はすぐさま未来を否定する。
たどり着く先は変わらない。父が起こした惨劇の過去はもうどうしようもないからだ。もちろん私の罪ではない。けれど、テオドラが宰相の娘である以上、真実を知れば彼は私も憎まずにはいられなくなるはず。
私は嬉しそうにこちらを見つめてくる彼の顔を見て、思う。
こうしてカイルが私に笑いかけてくれるのはあと何回あるだろう。
父のことを考えると、カイルと仲良くなったことを後悔する瞬間がある。申し訳なくて、父の娘であることが情けなくて恥ずかしくて。
私自身も思っていたよりもカイルの身近にいることで彼に入れ込んでしまっているようだった。すべてが明るみになる瞬間が怖い。処刑台へ送られるかもしれないことよりも、いま私たちのあいだにあるすべてが断ち切られることのほうを恐れている自分を否定できない。そのことを考えるたびに息がつまりそうになる。
おかしい。
私が宰相の娘であることは変えられないし、その覚悟もずっとしてきていたはずなのに……。
あれで土日はさむのはちょっとどうかなと思ったので。次回の火曜日の更新は飛ばします。




