料理のお味は
「もういらないわ」
わざとらしくため息をつき、食べたいのを我慢してフォークとナイフを皿に置いた。ナプキンで口を拭えば、それを合図に椅子がひかれる。
「どうかなさったのですか、お嬢さま。お口に合いませんでしたか? 最近よく、お菓子もお残しをなさいますが、どこかお加減でも?」
食堂を出たところで、侍女のひとりが心配そうに駆け寄ってくる。わたしにつけられた中でも一番若い侍女、ロニヤだ。
いつもと変わらずまったくおいしくなかったわ、などと彼女には言えず、わたしは下を向いて、なんでもないのと答えた。
ちなみに冷めているのも味が薄いのも、料理人が下手なのではなく単純にわたしへの嫌がらせにすぎない。カイルと一緒のときには、彼と同じものが出たことで気づいた。
不味いものをわざわざ別で作るほうが手間だと思うのだけれど、そのような手間暇かけた嫌がらせが日常的に行われているほど、ほんとうに笑えるくらいにわたしは嫌われており、周りには敵しかいない。
調理場に苦情を出しても、これが宮廷の味だとか健康のために調整しているなどとかわされ、父に訴えれば、耐えろと窘められる始末。父の場合は、いずれこの点も王宮の働き手すら満足に管理できていないカイルの能力不足として使うつもりなのだろう。
実際に、いい意味でも、悪い意味でも、いまここにあるすべてが13歳という少年の手には余るのだ。
「ご体調にお変わりはございませんか?」
「うん、食べたくないだけよ」
「左様ですか……」
ロニヤは腑に落ちない様子ながらも、それ以上強くは出られず言葉を収める。
彼女が気づいたのなら、いい頃合いかもしれないわね。
しかもちょうど他の侍女たちは席を外し――わたしが小言を言わなくなったから、適度に手を抜くようになったともいう――ふたりきりだった。唯一彼女だけが、わたしから目を離さず、与えられた自分の職務に忠実なのだ。
このまま誰もいないところで彼女と話がしたい。迷った結果、
「少しお散歩がしたいわ」
「承知いたしました。日傘をお持ちしますか?」
部屋へと引き返そうとする彼女を引き留め、わたしは三方を建物に囲まれた小さな中庭へと足を運んだ。
花壇は花の季節から若葉の季節に移り替わろうとしていて、宝石みたいに鮮やかな新緑が目に眩しい。窓の向こう、建物の中を忙しそうに行き来している王宮の下働きたちが見えるけれど、すくなくとも庭には誰も見当たらなかった。
わたしは念のためさらに歩いて周囲に人気がないのをしっかりと確認してから、声をあげた。
「ロニヤ、お食事のことなのだけれど、ほんとうは食べないのには理由があって……誰にも言わないでほしいの」
「もちろんです、お嬢さま」
彼女は立ち止まったわたしの前に出で、顔をのぞきこむようにして、しっかりと頷く。安心させるように。
でも、わたしはその約束は守られないであろうことをじゅうぶん承知しているし、約束はかならずしも守られなければならないわけではないことも知っている。
「わたしね、好きじゃないの。お料理を作ってる人が」
「まぁ、料理人のことが? お嬢さま、厨房にいらっしゃったのですか? もしや、なにか失礼なことでも?」
「この前、道を間違えちゃって迷ったの。そこで、見たの」
「何をご覧になられたのですか?」
「男の人が、こっそり料理におかしなものを振りかけたりしていたの。わたし、そのときの顔が怖くって……」
「おかしなもの、ですか?」
彼女の声のトーンがほんの少しだけ低くなる。きっと注意していなければ気づけなかったほどにかすかに。
わたしは彼女の変化に気づかなかったふりをして再び歩き出す。
「そう。わたしだって、お塩やお砂糖は知っているわ。それをお料理に使うことも。でも、その人はね、小瓶を懐から出して振りかけたあと、またそこにしまったのよ。おかしいじゃない? どうして収納棚に戻さないの?」
後ろをついてきている侍女の足音がやむ。振り返らなくても声をきくだけで彼女の顔が強張っているのが分かる。
「……お嬢さま、その料理人、どのような外見か憶えておいでですか?」
とうぜんよ。
こっそり部屋を抜け出し、厨房に忍び込み、あの男のことをちゃんと観察してきたのだから。
「ええと、たしかおひげが――」
わたしは立ち止まり、口元に手を当ていっしょうけんめい思いだしているふりをしながら間違いのないよう特徴をつぶさに挙げ、彼女に伝える。彼女は黙ってわたしの話を聞き終えると、とうとつに日射しが強いので屋内に戻ったほうがいいかもしれないと言いだし、部屋に着くと代わりの侍女を呼びつけてわたしを任せ、その場をあとにした。
数日後、お茶の時間にロニヤがいつも以上にお菓子をお盆にのせ報告に来た。
「お嬢さま、先日の料理人はなにか粗相があったそうで、解雇されたようです。彼の作った料理はもう登場しませんから、大丈夫ですよ」
そう言って彼女は微笑む。
「ほんとう!? よかったわ!!」
毎夜、ベッドの上で爪を立てながら空腹に耐え忍んだ甲斐があったというものだわ。わたしも無邪気に喜んでいるふりをして笑顔を返し、元気にお菓子に手を伸ばした。
ああ、美味しい!!
いえ、実際のところ味は変わっておらず美味しくもないはずなのだけれど、“飢えたものには苦いものでさえ甘い”のだ。
演技をせずに食べることができるというのは素晴らしいことなのだと改めて思う。不安を装っている最中は、気を遣うあまり食事をしている感覚がなかった。
もともと自分の食べ物には毒の心配などしていない。あの料理人が担当していたのはカイルの分だったのだから。
毒といえるほど強くはないものの、子どもの体には決して良くない害のあるものをあの男は混入させていたのだ。とうぜん毒見係はいるけれど、身体の大きな大人が少量口にしただけでは影響が出ない程度を。
そのせいで少年期のカイルは軽度の呼吸器障害に悩まされており、食が細く、年齢のわりに痩せていて、背もわたしとほとんど変わらない程度の成長しかできていなかった。周囲からは事件の後遺症だと思われ続けていた。
実際、暗殺事件以降、カイルは閉じられた暗い場所などに行くと過呼吸の発作を起こすようになっていたから。
だけど、これで大丈夫のはず。小説でも、料理人がいなくなって以降、王宮の調理には一層の警戒がなされ、おかしなものが混ぜられることはなくなったのだから。
美味しいものが食べられてうれしい、といわんばかりのわたしの様子をロニヤは穏やかに見守っている。子どもの想像力に大人として対応しただけ、という態度で。
けれど、わたしは知っている。わたしの侍女や世話係たちはすべて父が選んで送り込んだラノビア家の息のかかった者たちだけれど、実は彼女だけは王子側の二重スパイである、ということを。
彼女は仕事に忠実な侍女のふりをして、わたしのことを見張っている。いいえ、それこそが彼女のほんとうの仕事なのだ。
彼女なら情報源がわたしだと秘匿したまま、うまく処理してくれると信じていた。
だって、これがわたしからだと父にバレるわけにはいかないのだから。彼女にとってもわたしは敵側の情報を知ることのできる重要な伝手なのだもの。失いたくないはず。
この場所は魔窟だ。
誰もが笑顔で握手をしながら、もう片方の手で相手の喉にナイフを突きつけている。
わたしにとっては見せかけの味方と敵しかおらず、孤立無援。たったひとりで戦いぬかなければならない。
わたしの言うことを信じてくれる人などだれもいない。わたしは非力な子どもでしかなく、状況はきわめて厳しい。だけど、有利な点もある。子どもだからこそ、誰もが油断する。言い換えれば、幼さは武器にもなる。
それを利用して、わたしは渡り合えばいい。
もともとはファンタジー小説であったとしても、いまではわたしの命を賭けた物語にもなっている。小説ではテオドラは父のただ忠実な駒にすぎなかった。政治ゲームに参加しているのはカイルでありフレディリクさまであり、父であった。勝敗は彼らが競っているもので、わたしには関係なかった。
でも、わたしは自分の役目から外れ、歩き出している。望んだわけではないけれど、いまやわたしも参加者のひとり。
……このゲームに勝つのはわたしよ。
わたしは彼女に微笑みかけ、心の中で語りかける。
あなたはいずれわたしが取り込むべき登場人物のひとり。いつか、わたしのことをカイルに告げるとき、今回のことを証言してもらうわ。
でも、いまはまだその時期ではない。
だから、ねぇロニヤ、しばらくのあいだはわたしたち、おたがいに騙し合いましょう?




