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宰相の娘  作者: 衣々里まや
17歳
36/50

侍女長の正体

「私の傷を気にしないはずだわ……」


ラパント卿の屋敷を辞去した帰り道、馬車に揺られながら考えに耽る。


私はたんに、王の父親となって覇権を握ろうとしている宰相、という世を欺くために存在している野望の象徴でしかなかった。私は最初から、いてもいなくてもよかった。父の本意を隠すための舞台装置でしかなかった。


人形同然で、父にとって私が重要な存在であるとは微塵も思っていなかったけれど、ほんとうにあらためてどうでもいい存在であったのだと思い知らされ、軽くショックを受けている自分に衝撃を受ける。


「もうとっくにこの感情は手放したつもりだったのに……」


私の口からひびわれた笑い声が漏れる。


父にかけらも同情しないと言えば嘘になる。正しいことをしたくて政治の世界に足を踏み入れたのに、力及ばず人が死んでいくのをただ眺めることしかできなかったとしたら私だって絶望するだろう。だからといって、そのあとの行動が肯定できるわけでは決してない。


父の過去についてはわかった。どうして今のような人間になったのかも。でも、先生の話からは父と侍女長の繋がりは見えてこなかった。


侍女長の過去を洗い直すよう、すでに指示は出している。そこに答えが、父とのなんらかの繋がりが見つかるのと良いのだけれど。


「何か見つかるかしら……」


ここでいくら悩んでも答えは出ず、そうこうしている内に、馬車はあっというまに王宮に着いた。


結構な時間ラパント卿と話をしていたのだけれど、招宴はまだたけなわなようでカイルは帰ってきていないらしい。扉が開き、早い帰還にたいして慌てて出迎えの使用人たちがばたばたと玄関から出てくる。


お帰りなさいませ、と並んで頭を下げる使用人らを見ながら、侍女長についての噂も集めてもらうべきだろうかと考えるなか、ふと、そういえば以前にもあったわねと思いだした。


ロニヤをかばって侍女長に頬を打たれたとき、おしゃべりや噂話が大好きな使用人たちが何と言っていたか。


「……そうだわ。先生の話を聞いていたとき、どこかで耳にした名だと思ったのよ」


ある使用人がこう言ったはずだ。


“キャプロンとかいうすっごい山奥の村出身で、もう廃村になって残ってないとか”


「だからなのね……」


侍女長が王族を裏切った理由が、分かった気がした。


キャプロン――侍女長の出生地であり、貴族らの方策によって救われることなく焼き尽くされた場所だ。




「瓶の中身ですが……なんの問題もない。ただの水ですな」


医師が成分分析の結果を報告しにきた。この時代、簡単な実験器具しかないし、知られている毒の数もそう多くないから、結果が出るのは早かったようだ。


「ただの水? それなら、何故お嬢様のところから持ちだして混入させようとした? お嬢様に罪を着せるためなら、中身を入れ替えているはずだ。筋が通らない」


疑義を呈すルーデンスに医師がひとつの見解を提示しようと私に問う。


「テオドラ様、香水の中身にお心当たりがございますかな?」


ここは正直に答えた方がいいだろうと考え、私はそのとおりだと頷いた。


「……香りがあまり好きではなくて、でも瓶がきらきらしているから捨てるのは忍びなくて、水を入れて飾っていたの」


「なるほど、香水や化粧品のなかには、少量を肌につけるならまだしも多量に摂取すると毒となるものもあります。たとえば、香りづけのために使われる酒精などは同じ酒類でも飲用にはむいていないものが大半です。内臓や神経がやられる。それを狙ったのやも知れませんな。まあ、当人に訊くのが一番手っ取り早いでしょうが」


そう言って、これで自分の仕事は終わったと言いたげに首を振って出て行った。


医師の言うことはもっともだ。結局、考えていたところで憶測にしかならない。私は誰にも見られることなく部屋に侍女長を連れてくるよう、ルーデンスに告げた。


やがて、ルーデンスに後ろ手に拘束されたまま侍女長が私の部屋にやってくる。


侍女長の顔は無表情で、怒りや屈辱といったものはみられない。しかし、表情がないのも諦めによるわけでもなさそうだった。どちらかというと、意図して心情を読ませないようにしていると言ったほうが正しい気がする。


すでにロニヤなどほかの使用人たちは席を外させている。侍女長が暴れたときのためにルーデンスのみ残し、私は彼女と対峙した。


「なぜ、あれを持ち出したの? あれはただの香水瓶よ?」


嘘はついていない。実際に私は、父から毒だとは聞かされていないのだから。


侍女長はまったく口をひらこうとしない。こちらと目を合わそうともしない。路傍の石のように、ただじっと黙ってそこにいるだけだった。


私は彼女の様子を眺めながら、報告書にあった情報を思い出す。


彼女が侍女長に昇進したのは、長年の忠誠を功績としたわけではなかった。そもそも彼女が王宮に勤めだしたのは30歳になってからで、短いとは言い難いが生涯をかけたといえるほどでもないていどの年月だった。


昇進した切っ掛けは、孫の誕生を喜ぶ陛下が何とはなしに、カイルのお世話係に生まれ故郷の話をふったときのことだったそうだ。使用人たちも王子の生誕日を言祝ことほぐように、仲睦まじい家族の話や故郷、輝かしい未来の話を披露した。


その流れの中で話を振られた彼女は、王都で育ちましたがといい、つづけてこう答えたそうだ。「生まれはキャプロンでございます」と。


そのたった一言に陛下は顔色を変えた。そして次の日、彼女は突然侍女長に昇格したらしい。当時、すでに妃である王太王后は没していたので、彼女の昇進はまず間違いなく陛下の指示だろう。


村を焼けと提案した己の妻を止められなかった罪悪感なのだろうか。それとも、故郷を失い生き残った彼女にせめてもとの慈悲だったのだろうか。


とはいえ、耳にしてすぐに事情を察することができたほどに、陛下が後悔を抱き続けていたというのもどこかそぐわない気がする。


そもそもが腑に落ちない。


なぜ山奥の小さな村を焼いて消すことに王太王后は固執したのか。


病が広がらないように? 普段は政治に微塵も気を払わなかったそうなのに? 


実は金鉱などが隠されていて、その利権によるものではと考えてもみたけれど――実際、当時先生も王妃殿下の執着を疑問に思いひそかに調べたそうで、でも何も見つからなかったと言っていた――、あの一帯は事件以降、放置されたままであるそうだ。


また、のちの調査で、村の井戸に引きこんでいた川の上流で黄変病にかかった遺体が半分浸かった状態で発見されている。本来発生し得ない場所で起こったのも、病の変異などを疑うような怪しいものではなかったというわけだ。


土地の利権ではなく、そこに住む人が重要であったのだろうか、と視点を変えてみて、いいえ、とすぐさま私は自分の考えを否定する。


王太王后はこの国で女性が持てる権力の頂点に立つ女である。その彼女に瑕疵を与えられる人物なんて、陛下を除いてひとりもいるわけが――……。


“貴族の中の貴族、伝統を重んじ、身分を重んじ、弁えるものは重用し惜しみなく褒を与えるいっぽうで、沿わぬものには容赦せぬ方であった ”


“ある年には王宮から己より若い娘を皆追い出してしまわれた。それから、美しい女も ”


“しかし、結局は王太王后様にも分からず、だからこそめぼしい女をすべて追い出してしまわれたのだろう”


ふいに、ある一つの考えが浮かんだ。


「まさか……」


王太王后が燃やせと言ったのは、派閥の勢力争いや利権からなどではなかったとしたら……。


自分より若く美しい女が陛下に近づかないよう、排除するような人間だ。そうとう気位が高く、嫉妬深かったはず。


思いもよらなかった自分の考えにたじろぐ。


到底信じられることではない。でも、そう考えればつじつまがあう。


「フレディリク様の生みの親って……」


私の呟きに彼女が小さく肩を揺らした。


今まで岩のように頑なだった彼女が初めて動揺を見せたのだ。すぐに表情を消したけれど、一気に血の気が失せ、唇がかすかに震えてすらいる。その態度がなによりも答えを表していた。


「そう、だったのね……」


フレディリク様は自分の母親がすぐそばにいることを知っていたのだろうか。いいえ、知っていたら利用していたはずだ。父にも協力など求めなかっただろう。


「先生が見覚えがあると仰っていたのは、そういうことなのね……」


天真爛漫な美しい娘――先生の言葉だ。今の侍女長の姿からは想像もつかないけれど。


たかだか数年でそこまで容姿が一気に変化するわけがない。


王宮に戻るために彼女は己の姿を変貌させたのだ。昔の面影が残らないよう、わざと太って眼鏡をかけて、姿を誤魔化して。


若い娘、器量の良い子たちをすべて追い出したのなら、王宮は人手不足に陥っていたはず。


そこにある女性が仕事を求めてやってくる。


白髪で老けた、太った、男に色目も使えないような女。けれど、能力はあって手慣れたように王宮を切り盛り出来たら。


平民であっても妃殿下は追い出すどころか、むしろ重用されたことだろう。


“王宮にきたときから見た目がまったく変わってないって噂もありますね ”


そのとおりなのだ。老けなかったのではない。最初から老けた格好をよそおっていたから、ほとんど変化がないように見えただけなのだ。まだらの白い髪も、白髪ではなく薬品かなにかで色を抜いていたのだろう。


しかし、陛下は故郷の名を聞いて、気が付いた。


目の前の女性が、かつて、自分が閨に引き入れた少女なのだと。そしてそのせいで、すべてを奪われた娘なのだと。


その晩、どのような密約があったのだろう。あるいは一方的な通告だったのだろうか。


彼女は自分を妃にしろと迫ったのだろうか。代わりに出世を提案されたのだろうか。


「いいえ、逆だわ……」


おそらく、彼女は身分や己の正体についていっさい秘匿することを希望していたのではないだろうか。


今まで、フレディリク様の生母について情報は全く漏れ聞こえてこなかった。彼女は頑なに口を閉ざしていたのだ。身分を求めていたのなら騒いでもいいはずなのに。


身分を求めないならば、なぜ彼女は王宮に戻って来たのか。


だとしたら、王宮から離れなければおかしい。わざわざ自ら危険に近寄る必要はないはず。


復讐のため?


王太王后が村を焼いたのは侍女長が戻ってきて勤めだしたあとだった。恨みを晴らすためでもない。


それどころか侍女長は自分の村が焼却されたときも、何も言わず働き、無関係を装っていた。ただの使用人として。


理由は、ひとつしかない。……息子を守るためだ。


「陛下も、どうしてわざわざ争いのタネになるような子を引き取られたのかと思っていたのよ」


もしかしたらフレディリク様を引き取ったのは、継承権争いや先王の将来を憂いてのことではなかったのかもしれない。


身分をわきまえさせ、過分な欲を抱かぬよう教育させるためなのかと最初は考えていた。しかし、それならば、素性など明かさず一生平民の子として育てればよいだけのこと。


「もしかして……」


自分の想像に肌が粟立った。


……フレディリク様の前にも子はいたのかもしれない。唯一生き残れたのがフレディリク様だっただけで……。


「ノヴェルティ家の3人目って……」


たとえば、ノヴェルティ家は王室の一員の座をあきらめておらず、婚約者であった姉とうりふたつの末の娘を差し出そうとしていたら、いいえ、すでに差し出していたのだとしたら――推論でしかなく、証拠もないけれど、まったくあり得ない話でもないはず。


それどころか、さらに恐ろしいことに気が付いた。


そうそう都合よく村に病気が発生するわけがない。上流の遺体自体が、王太王后の指示でおこなわれたことなのかもしれない、と。


ぞっとした。


夫が閨を共にし、子をなしたというだけで、十数年たったのちでさえも相手の女の故郷を突き止めたら関係のない人間を巻き込んででも消し去ろうと考えつく、その人間性がおぞましい。


そのような王太王后の元で幸せに暮らせるわけがない。もしかしたらフレディリク様の生活は、私が想像していたよりももっとつらく、重いものだったのかもしれない。


「……ノヴェルティ侯爵もそういうことなのね」


先生とおなじく評議院にいたのならば、ノヴェルティ卿はニンス家とそして王太王后の気質や陰湿さを十分知っていたと思われる。


おそらく、自分の妹たちに起こった出来事は仕組まれたものだと先代のノベルティ卿は考えたのだ。いいえ、もしかしたらなにかをつかんではいたのかもしれない。婚約者の座を奪うためにニンス家が襲わせたと信じるにたるものを。


ただ、確たる証拠があるわけではないのだろう。それならばしかるべき場にて糾弾していたはず。


王族に寄り添う家が、心証のみでかりにも王の外戚を公然と排する策をとるなど、政治的火種になりかねない。ただし、坂の上の馬車を突き落とすことは許されずとも、突き落とそうとしている人物がほかにいるのならば、そのうしろからそっと車輪に油をさすくらいよいのではないか――だから、ノヴェルティ家は私にリストを渡したのだ。


父ならば、判断は難しかっただろう。しかし、カイルとの仲も決して悪くはない私なら、たとえ政敵の娘であっても、真の敵を追い落とすためにいっとき目をつむって手をさしだせた。


父も、先代のノヴェルティ卿がけっして恨みを忘れておらず、わたしが主体となって動くのならばのってくるとわかっていたのだ。


失望した先生とは異なり、前侯爵は陰に潜み爪牙を研ぎ続けるため早くに引退し表舞台から姿を消したのかもしれない。


「なんということなの……」


あまりにもたくさんのことが一気に判明したせいで、混乱し、呆然としてしまう。


過去という決して手が届かない、触れることもかなわないものがいまもなお燃え続けているとわかり、それどころか、私にまで飛び火しようとしていたのだ。


予測もしていなかったことではあるけれど、目の前にしているのは父と私の延長線上の問題であるのもたしかである。避けてとおるわけにはいかない。


「ふたりきりにしてちょうだい。少しのあいだでいいから」


ルーデンスは激しく渋ったが、やがて最後には了承した。扉の前で待機しているので何かあればすぐに声を、と残して彼は立ち去る。


私はルーデンスが退出した静かな部屋で、あらためて侍女長と向き合う。


「……あなたに毒の存在を教えた人は誰なの?」


「…………」


「名前を言いなさい。王族を弑そうとするなど重罪よ。たとえ未遂であっても、命はない。でも、瓶の中身は水だった。だから、証言するなら、私の名前にかけてあなたの命は保証するわ」


「……わたくしにそれを訊くというのですか。あなたが? 宰相閣下の娘が?」


彼女は顔をあげ、真っ直ぐに私を見つめ傲然と言い放った。まるで父と対立している私のほうこそ罪人であるかのように。


その口調でやはり確信した。


彼女はカイルに、王室に仕えたのではない。自分の息子に仕えたのよ。


家族を殺された憎しみ、故郷を滅ぼされた恨みのために、そしてなによりも愛しい息子に王位を捧げるため、カイルを殺そうとしていたのだ。


父がある日それを知り、彼女に協力を持ち掛けたのだとしたら……。


彼女は絶対に父の名を口にしない。


毒を黙っているのも、とうぜん私をかばっているわけではない。


彼女は父に賭けている。


父がカイルを殺してくれると、彼女の代わりに彼女からたくさんのものを奪った傲慢な血の者をこの世から消し、大切な息子を王位につけてくれるのだと、かたく信じている。


どのように言ってのけたのか。神への崇拝のごとく 、彼女の心は完全に父にからめとられてしまっているのだ。


もし彼女が証言してくれたら、ここで終わらせられるかもしれない。その希望は呆気なく打ち砕かれた。


「……あなたの意志は、分かったわ」




遅く、ルーデンスが帰ってきた。彼はいつもとまったく表情がかわらない。


「見送ってまいりました」


ほんとう?


訊きたいけれど訊けない。じゃあ、どうしてあなたはわざわざ着替えてから戻ってきたの、って。


王家に仇をなした罪で公的に彼女を処罰すれば、背景を探られフレディリク様との繋がりまで表ざたになる可能性がある。


この世界では遺伝子検査など存在しない。


だから陛下がお隠れになった後、当事者がいないのをいいことに我こそはフレディリク様の母親であると次々に女が名乗りを上げ――中には後釜を狙う貴族の後援を得ていた者すらいた――、明らかに年齢がつり合わない者も出てくるほどの騒動となった。ただでさえ、王家のちからは盤石とは言い難いのに、そこにいまさらの醜聞で泥を塗らせるわけにはいかないのだろう。


フレディリク様には最初から母親などいない。生物学的にあり得なくとも、政治的には通じるのだ。


わかっている。ルーデンスはカイルに――王家に仕える者として当然の務めを果たしただけ。


小説では、侍女長が罪をおかし断罪された描写はでてこなかった。脇役だから省かれた可能性はある。でも、もしそうじゃなかったとしたら。


私の言葉が、考えが、彼女を突き動かし、過去と秘密を暴かせ、彼女を死地へと追いやったのだとしたら。


私の行動が物語を変えるかもしれない。あらためてその本当の意味を実感している。


……吐きそうだ。震えが止まらない。


こんなことで動揺するなんておかしい。


私はもうずっとこうして、父のことも自らの手で処刑台に送ろうとしていたはずなのに。

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