侍女長
「おかしい。瓶が違うわ」
手に取ってすぐに分かった。違和感があった。
例のガラス瓶、4年前目覚めてすぐに中身を捨てた、あの毒の入れ物。
しばらくは空のままにしておいたのだけれど、ある日ふと気がついたのだ。中身がなくなっていたら、父にばれるんじゃないの、と。
だから水を入れておいた。常温の水はすぐに傷んでしまうため、こっそり瓶を洗って頻繁に中身も入れ替えていたのだ。
数日おきに触っているから、感触が違うのはすぐにわかった。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
手の中の瓶をじっと見つめてたたずむ私に気が付き、ロニヤが問いかける。
「置いていたものと違うものが飾ってあるの」
「並び順が、ではなくですか?」
「ええ、まったく別のものにすり替えられてる」
すぐさまロニヤが部屋を出ていき、掃除担当者をつれてきた。
すでに理由を聞いているのだろう。彼女たちは青い顔をして、自分ではないと最大限に首を振る。
「わ、わたしたち、何もしてません!!」
「わかっていてよ」
忠誠という心をつかんだのではなく金銭で掌握しただけなのだから、いつでも裏切られる覚悟はしているし、用心もしている。
けれど、彼女たちだってときどき話を集めてきたり、噂を流したりするだけでおいしい思いができるのだ。香水一本程度で、そのような職場をみすみす手放すほど愚かでもないはずだった。
「ここ数日でなにかおかしなことを目にしたり、耳にしたことはなかったかしら?」
涼しくなってきているから真夏のように頻繁ではなく、前に水を入れ替えたのは一昨日だ。そのときは別段おかしなことはなかった。だから、その日から今日のあいだにすり替えられたことになる。
自分たちがやってもいない罪を着せられてはたまらないと、彼女たちはひとつひとつ指折り数えて、該当の日の行動を列挙していく。やがて、かたほうの少女が、あっ、と声を出した。
「違うかもしれないですけど……昨日の夕方、侍女長がこのお部屋に入っていくのを見ました」
「侍女長が? なにをしていたのか知っていて?」
「いいえ。抜き打ちで掃除の確認でもしてるのかなと思って、そのときはとくに気にしませんでした」
「……お嬢様、念のために調べてまいります」
しばらくして、ほかに無くなっている装飾品や調度品はないとロニヤから報告があがった。被害はあの香水瓶だけ。
犯人は侍女長である可能性が極めて高い。
としても、侍女長がわざわざ何のために香水瓶など盗むというのか。まさか、お洒落がしてみたかったなどと言うわけがない。似た瓶を用意してまですり替えたのだから、最初からピンポイントであれだけが目的だった。
いいえ、たぶんあの瓶の中身が。
いよいよ私を怪しんで証拠をつかもうとしたのだろうか。とするなら、中身はただの水が入っているだけなのだから、焦る必要はない。
でも、この違和感はなんだろう。なにかがおかしいと告げている。
ここに越してきた当初から、私はあれを父から受け取って持ってきていた。今さら? でも、彼女がごく最近、私が毒をもっていると知った可能性だってないとはいえない。その場合、どこから情報を仕入れたのかがまた問題になってくるわけだけれど。
「テオドラ様、馬車が参りました」
気にはなるけれども、今日は先に片付けなくてはいけない問題があった。
私はひとまず侍女長のことは頭の隅に寄せて、目の前の対処すべき事柄に思考を切り替えた。
開放感のある庭園で、私は同じように招かれた客人たちとあいさつを交わす。
その中のひとり、見知った顔があった。
「あら、ガードナー卿」
変わらない穏やかな笑みに思慮深そうな目。生まれのよい人間が自然と身に着ける、柔らかな物腰。それにくわえて今は控えめながら当主としての自覚と威厳も備えつつある。
彼はうやうやしく私の手をとり、口づけを落とす。挨拶のために互いに腰を折り曲げたまま、もっとも顔が近づいた距離でそっと囁いた。
「ちょうどよかったわ。お願いがあるの。本日の食後の甘味はすこし遅れるかもしれないから、誰も席を立たないように話をつないでおいていただけるかしら」
「ご説明は、いただけないのでしょうね」
「ええ」
くすりと笑って、彼は私だけに分かる了承の声をあげた。
食事会は和やかに始まった。
主催者である子爵の出身地の食材と王都の流行が巧みに取り入れられた、趣向を凝らした料理の数々は舌だけでなく見る人の目も楽しませてくれる。会場の雰囲気に招待客のリスト、細部まで気配りが行き届いており、カイルを歓待したいという子爵の心からの想いが伝わってくる。
穏やかな雰囲気でいよいよ本日のメインに進もうかというころ、グラスをとろうと伸ばした私の手と、サーブしようとしていた給仕の手が交差してぶつかる。グラスが倒れ、中身が私のドレスに飛び散った。
談笑していた子爵が悲鳴をあげる。
「な、なんと失礼なことを!! 申し訳ございません、ラノビアお嬢様!!」
「あら、違いますわ、子爵。どうかお責めにならないで。今のはわたくしが動いて当たってしまったのですわ。……ですが、このままお食事を続けるのは差しさわりがありますので、少しだけ席を外してもよろしいでしょうか? 皆さまはどうぞ、お続けになってください」
私はまったく気にしていないとの気持ちを示すために、いつも以上の笑顔で同席しているひとりひとりに笑いかける。子爵と夫人には、親しみを込めた頷きも入れて。
立ち上がる寸前、カイルがそっと耳打ちしてきた。
「ついていこうか?」
「子どもじゃないのだから、大丈夫よ」
気持ちだけいただいておくとのしるしに、私はカイルの手を誰にも見えない角度でそっと握ってから、その場をあとにする。
「――……ありがとう」
人目のない場所まで来たところで私はそう言って、小袋に入れていた宝石を男性に――さきほど粗相をした給仕に渡す。
強張った顔でいた彼は一転して信じられないというように体を震わせ、それを強く握りしめると、鼻をすすり上げた。
「か、感謝いたします! これで、妻の治療費を払えます!!」
「足りなかったら王宮にわたくしを訪ねて。あなたの名前は伝えておくから」
彼はなんども振り返って頭を下げながら角を曲がっていった。
入れ替わりにルーデンスがどこからともなく現れ、私のあとをついてくる。
「ねえ、ルーデンス、怪しいものが甘味に仕込まれる可能性があると情報を耳にしているの。手伝ってもらえるかしら?」
「無論です。テオドラ様のお力になることが私の務めでございます」
「あなたが……どうして……」
見慣れた瓶がこちらに転がってくる。私はそれを拾いながら目を疑った。
ルーデンスに腕をねじあげられ、壁に押し付けられているのは――侍女長だった。
己よりもさらに長いあいだ王室に、カイルに仕えていた人物ということもあり、さすがのルーデンスもにわかには信じられなかったようだ。
とりあえず、カイルには知らせずにルーデンスが王宮に連れ戻し、そのあいだに小瓶の中身を医師に調べてもらうことになった。
私もすぐに戻った方がいいのかもしれないけれど、あまりにも目の前で起こった光景が信じがたく、少しのあいだだけでも一人になって考えをまとめておきたかった。
庭園を考えにふけりながら歩き回っていると、近づいてくる人影がある。
「騒ぎは収まったようですね」
「ガードナー卿、食事会は?」
「終了いたしました」
「そう……」
そのとき、ふいにある言葉がよみがえってきた。
もしかしたら私は、ひとつ重要な証言を聞き流していたのかもしれない。
「今日はオルトは?」
「この時間でしたら馬車で待機を――連れてまいります」
言わずとも察してガードナー卿が庭園の入口へとすぐさま向かう。待つ、というほどの時間をかけることもなく、彼がふたたびオルトを連れてあらわれた。
相変わらず若干肩が丸まっているけれど、脅されることがなくなったからか、以前のようなおどおどとした雰囲気はなくなり、いかにも有能な侍従、といった感じだ。
「ご無沙汰しております」
と折り目正しく礼をしてから、
「わたくしになにかお尋ねなさりたいことがございますとか?」
「ええ、そうよ。――あなた、4年前に王宮に忍び込んだとき、誰かに呼びとめられたと言っていたわね。そのときの相手の顔を覚えていて?」
「はい、覚えております。……年のころは50少々といったところでしょうか。ふっくらとした体格の女性で、まだらの白髪をひとつにまとめ上げ、このような丸い眼鏡をかけた――」
オルトは体のラインを再現するように両手をおおきく広げて弧を描き、さらに目元に親指と人差し指で小さな丸をつくって見せた。
「ありがとう。さがっていいわ」
彼があげた特徴に当てはまる王宮の人間など、ひとりしかいない。
「……間違いなく、侍女長だわ」
もっと前に、オルトが説明している時点で人相を確かめておくべきだったのだ。
「なぜなの……」
彼女なら、王宮に勤めている者すべての顔を把握しているはず。いくら臨時が多かったと言っても、オルトのような者が王宮の奥をうろついていて怪しまないはずがない。
なぜ、彼女はこのいかにも怪しい男を見逃したの? カイルの脅威になりうる男をあえて通した理由は何なの?
もし、彼女が――、
「ティア!!」
突然の呼びかけに私は考え事から引き戻された。
誰と振り返るまでもなく、その呼び方をするのは決まっている。
カイルがこちらに走ってくるのが見える。
そのうしろに従っているのは副隊長のジュリアンだ。手が空いていない隊長の代わり、というよりはこういう華やかな場所には副隊長のほうが視覚的に邪魔をしないというだけのことだろう。
私と目が合うとジュリアンは優雅に会釈をした。隊長とは異なり、副隊長は少なくとも表面上は露骨な敵意を見せることはないようだ。
「戻ってこないから心配した」
副隊長に気をとられていた私をカイルが引き寄せる。
「ごめんなさい。なかなか染みが落ちなくて……」
カイルは周囲を見回し、
「ルーデンスは何をしている? こういうときのためにいるはずだ」
「思いだしたことがあって、それをしてもらいに彼には先に帰ってもらったの」
「思いだした? ティア、なにか困ったことでもあったのか?」
「いいえ……」
カイルの顔をまっすぐに見られない。
もしカイルが幼い頃から面倒を見てくれていた女性が実は自分のことを殺そうとしていたなどと知ったら、彼はおおいに傷ついてしまう。ただでさえ、たくさん失ってつらい人生を歩んできているのに、これ以上、彼に悲しい思いはしてほしくない。
「なんでもないの……ただ、そうね、少し疲れちゃったみたい。子爵と夫人に伝えておいていただけるかしら、せっかくのお招きを早々に退出することになり残念に思っていますと」
「なら、俺も一緒に――」
「子爵は熱心な王室支持者よ。歓待を受けるのもあなたのお仕事でしょう、王子様?」
私は頑張ってと声をかけ、カイルを送り出す。彼は何度も何度も振り返るから、転ばないか心配になるぐらいだった。
カイルが茂みの向こうに消えて、私は振っていた手をおろした。
――そう。その熱心な王党派と思われていた子爵家での本日の毒殺未遂事件により、子爵家は追放されることとなる。そして、子爵家の罪をもっとも糾弾していたのが、のちに宰相派と判明するモーリュ伯爵だった。
モーリュ伯爵の裏切りが発覚するのは物語の最終章だったから、さかのぼって毒殺未遂に関する言及は作中ではなかったけれど――、
「読んでいて、伯爵が絡んでいる時点でおかしいと思っていたのよね……」
伯爵は北の砦でも兵の身の安全を理由に一時退却を声高に主張している。
北の砦は国境近くにあり、王国の要衝でもある。もし彼の意見を取り入れ万が一にも空いたところを攻め込まれでもしたら、カイルの権威は地の底まで失墜していただろう。
実際、撤退案を採用していたら、父は蛮族を使って他国からの侵略があったように偽装していたはずだ。
やはり毒殺に子爵家はまったく関与しておらず、冤罪だったとみて間違いないだろう。
正直に言えば、伯爵の手先による事件だと思っていたので、実行犯が侍女長だったのは予想もしていなかったことだったけれど。
たしかに王室の役職付きなら、招待客ではなくともうろついていても咎められることはない。
だが、ここで問題なのは彼女が犯人だったことではなく、なぜ彼女が犯人であったのかということだ。さらに、
「彼女があれをどうして毒だと知っていて持ち出したのか。結局、この問題に戻るのよね」
毒の小瓶は私が直接父から受け取った。あいだに入った人間はいない。渡された場所は屋敷でだったけれど、母は絶対に知らないと言い切れる。
父が話す可能性がある唯一の人物フレディリク様も知らないはずだ。知っていたらとっくに私の部屋から持ち去って、誰かに使わせているだろうから。
そしてもちろん、私は誰にも言っていない。
となるなら、やはり考えられる人物は、ただひとり。
彼女に毒の在処を教えたのは――。
「……父だわ」
私は重大な思い違いをしていたのかもしれない。
もし父が毒の場所を知らせたのなら、彼女は王家の側の人間ではなく父の協力者ということになる。
そうであるならば、見るからに怪しいオルトを見逃したことも説明がつく。
しかし、王家に忠誠を誓っているはずの彼女が、なぜ王室を裏切るような真似をしたのか。なぜ、父と手を組んだのか。お金欲しさ? それとも脅迫されて?
「……まさか、父の色香に惑わされて、などということはないわよね」
それは勘弁してほしい。親の愛人の存在など知りたくもない。しかも相手があの侍女長だなんて。しかし、絶対にないとも言い切れないだろう。
宴での、女性の扱いに慣れた父の所作を思い出す。
父は美男子であり、いまだに狙っている女性は多い。もし父に甘い言葉をささやかれでもしたら、たいていの人はその気になってしまうだろう。父がそういう策をとるとはなかなか考えられないが、本願成就のためなら手段は択ばないのかもしれない。とくに今年は最後の年となるのだから。
侍女長のことも問題だけれど、父のことも読めない。
父はどのような手を使って彼女を引き入れたのだろう。
私は今まで父を知っていると思っていた。でも、そうじゃないのかも。
父が変わった私を知らないように、私だって本当の父のことなど何も知らないのかもしれない。
迎えに来た馬車に乗る前に、御者へ行先の変更を告げる。
「……王宮に戻る前に、ラパント卿の屋敷へ向かってちょうだい」
私は父をもっと知らなくてはならない。




