燃ゆる船
夏の暑さが秋風にすこしずつ流されはじめるようになった頃。
夜遅くに城の門が開き、早馬が駆けこんできたという情報があった。
おそらく北方の蛮族が動き始めたのだろう。投機の指示を出したとき、家令は誤魔化したけれど大金が家から動いているのも確認していた。
近日中にカイルは信用のおける臣下のみを招集して会議を開き、派兵を決めるはず。
いよいよだ。私があたためてきた水路と船会社をカイルに披露するときがやって来たのだ。
すべてが順調に進んでいる。私は、私が望む未来へ着実に歩んでいる。
そう思えたのも、たった数日のことだった。
――その夜、船が燃えた。
「どうして……」
私は焼け落ちかろうじて残っている黒焦げの梁や船の残骸を前に、呆然となった。
父の仕業ではない。また選挙を恨んでのニンスの関係者による放火もよぎったけれど、実際はそういった類のものでもなかった。
原因は、他倉庫での失火と炎上による延焼。
王都を貫くように流れる川のふちのこの一画では、大型の水上輸送手段を持たない人たちが小さな川舟で物品を輸送したり、人を乗せて渡したりして賃金を稼いでいる。
そして昨晩、この辺りでそういうことを生業にしている者たちによる諍いがあったらしい。
酒が入った者同士、きっかけは肩がぶつかったなどその程度のものだった。しかし、普段からいがみ合っている商売敵の悶着は、日ごろのうっ憤を火種に罵りあいに変化し、煽られた外野も加わってすぐに乱闘騒ぎへと発展した。
やがて、止めようとした見張り番が巻き込まれ、持っていた灯りが船小屋のひとつへと転がっていってしまう。
最悪なことに、そこは船荷の菜種油を保管した倉庫も兼ねていた。大きく燃え上がるのに時間はかからなかったことだろう。
油だけではない。周囲の建物にも燃えやすいものはごまんと保管してある。獣脂、布、薪、酒樽など。
消火に回ればいいのに頭に血がのぼっているうえに酔っぱらっているものだから、燃え上がるそれらを背景にやられたものがやり返し、またやり返されるを繰り返す。
火は次々に燃え移り、そう遅くない内に、うちの船倉も巻き込まれた。
とくに私のところは目立たないよう扱う荷の量を抑えていたために全員が日没前に仕事を終わらせ帰宅しており、気が付いたときには手遅れだった。
火消しに走ったにもかかわらず跡形も残らなかった。
おまけに、その火を止めるために夜通し消火にあたった船員のほとんどが、程度の差こそあれ火傷でけがを負ってしまった。
「もう少し考えるべきだったわ……」
誰だって荷運び賃は独占したい。貧しいならなおさらだ。社会階層的にあまり豊かとはいえないこの区画の人たちは、日々の生活がゆえに精神的にも余裕がない。
父に目を付けられるのを恐れ、高級埠頭区に船倉を構えなかったのが仇となった。
なんて滑稽なことだろう。政治的なやりとりや策謀には考えを巡らせることはできても、私はあくまで貴族の令嬢であるということだ。今となっては愚かとしか言いようがないが、こうして問題が起こるまでこのような事態を想定もできなかったのだから。
「水路ができていても荷を運べないのでは意味がないわ」
交流会の日程変更の連絡があったということは、今日の午後、カイルたちは北の砦の件を話し合うために集まるはず。
午前中の今ならぎりぎりだけれどまだ間に合う。急いで戻り、昼食前のカイルに話をすれば、その後の会議で議題にあげてもらえるだろう。本来、その予定だった。
けれど、それから先、船も人もない現状でどうするのか。父が情報をつかみ何か対策を施す前に準備を整え船を出すのなら、10日が限度だと思われる。そのあいだに丈夫な船と信用のおける船員をどこから調達するというのか。
ラパント卿の元にあるのは大型商船ばかりだ。そもそも海と川ではまったく環境が異なる。たとえ借りられても、波もなく海よりも水深が浅い川では船底がつかえて座礁するのがオチだ。
それに原作とは異なり、すでにラパント卿は心情的にはカイルの側に立っている。父はラパント卿の動向を警戒して見張ってもいるはずだった。
「怪我を負ったものは療養に専念するように伝えて。その間の給金も保証する、と」
承りました、と被害の報告をするために残っていた船員が答える。かろうじて軽傷とはいえ、彼もまたあちこちに傷をつくり、煤で汚れ、消火のための散水によって手も足も濡れそぼって哀れな状態だった。
「船を作り直すのにどのくらいかかるかしら」
「大急ぎで作らせてもひとつき……いえ、すべてを揃えるとなるとふたつき以上かかります」
板を組み合わせるだけではない。油脂を塗り、乾かせ、腐らないようにもしなくてはならない。材料となる大量の木材も調達する必要がある。これから冬に向けて、材木の価格は上昇していくばかりだというのに。
獣退治のための追加の兵士と彼らを冬のあいだ賄う量の荷を運ぶのだ。あるていどの数と頑丈さが必要だった。
かといって、ラパント卿以外のところから船を借りたり買い取ったりもできない。大量に船を集めれば噂が立つ。どこまで父の手がのびているかも分からない状況で、万が一細工をされた船を選んでしまい途中で乗っている人ごと沈んでしまったともなれば目も当てられない。それに大きく動けば、父は必ず私の存在に気が付くだろう。
「王都以外の遠い街なら、どこかで調達が……」
そう考えてやはり無理だと思い直す。王都を出たことのない私がどこの誰に会いに行くというのか。今から10日でいちから信用できる業者を見つけ、契約を結ぶだなんて間に合わない。
「業者――そうよ、がめつい卿のつてを借りられれば……!!」
「そのことなのですが……」
治安のため周囲を警戒していたルーデンスが私の言葉を耳にし、言いにくそうに、
「……例の商人が、宰相閣下を訪ねていたと報告が」
「嘘でしょう……」
このタイミングで!?
この5年、人脈を築き、用意を整えてきた。それがほんの些細なきっかけで壊れていく様を見せつけられ、足元ががらがらと崩れ去っていくような感覚に陥る。
がめつい卿と父が手を組んだのだとしたら、破格の条件を出したに違いない。家でのお金の動きにはかなり気を付けていたし、実際、蛮族に支払ったと思われる以外に大きな出金はなかった。だから、まさかここで父が仕掛けてくるとは思ってもいなかった。
私の計画を破綻させる最高の機会を狙っていたとしか思えない。
葡萄園の経営は軌道に乗っているから今すぐ何かが影響を受けるというわけではないけれど、いくつかの事業については手を引いた方がいいのかもしれない。金銭的にも見直しの必要が出てきたというわけだ。
「計画を練り直さないと……」
ただ、まだ最悪の状況というわけではない。ある意味では、ここで良かったとも言えるだろう。最終的なラインは越えていない。何もかもが間に合わないというわけではないのだから。
10日で用意できないのなら、船は作り直すしかない。お金を積めば、ふたつきで仕上げてくれるところが見つかるはず。火傷をおった船員もそれだけあれば復帰できる。
つまり、一陣目と二陣目の兵を見殺しにする。
小説のとおりに進んだとしても、最終的な敵の出方は知っているのだから、それとなく情報を流せばカイルと親衛隊だけは助けられるはず。
計画を変更し、私にとって最も傷が浅い方法を選ぶのだ。そうすれば、まだぎりぎりで挽回はできる。小説と同じくラパント卿が提示したタイミングで輸送手段を提供したなら、協力した私まで処刑しようとは思わないのではないだろうか。
そう。顔を合わせたこともない、今後も決して知り合うことがない人たち。小説では名前さえ登場せず、死んでいったことだけが数行で描写された兵たちを見捨てれば――、
「いい……わけがないじゃない」
生き残るのが私の目標だ。自分が死んでしまっては意味がない。そのはずだ。
でも、ここで見殺しにすれば、私は自分の欲のために大勢を巻き込んだあの父と同じになってしまう。
死ぬのは嫌だ。だけど助けられる人たちを見捨ててまで生き延びる覚悟もまた持てない。たとえ相手が見も知らぬ、私にとっては名もなき人たちであっても。
私はカイルや周囲に対して不誠実なことをしているのだから、せめてできることをしなくては。そうでなければ、どうしてこの身と命をカイルに交渉できよう。
「……考えるのよ」
10日以内に信用のおける船と船員を用意する方法を。
いつの間にかずいぶんと時間がたっていたらしい。焦りで考えがまとまらず動けない私の耳に、午後を知らせる、鳴り響く鐘の音が聞こえた。
「……そんな……会議が始まってしまったわ」
とりあえず急いで王宮に戻ってきた私を待ちかねているものがいた。部屋にとおされた彼は突き出たお腹の前で腕を振って、謝罪の仕草をかねた辞儀をする。
「テオドラ様、長らくご無沙汰しておりました」
「がめつい卿……なにかご用かしら」
「本日は、お嬢様のご署名をいただきたくまいりました」
こちらの冷たい声を気にする様子もなく、がめつい卿は手持ちの古い鞄を開き、一枚の紙を取り出す。そしてそれを伏せた状態で机の上に置き、こちらに押し出した。
契約終了の準備はできていたということね。
私は表に返して手に取り、書かれていることを確認する。
「署名はこちらね? 内容は……船、と……船員の借り受け……?」
「はい。わたくしなら――」
そう言ってから、私の背後にある窓――その先に焼け落ちた倉庫が見えるかのように目をやり、誇らしげに胸を張って丸いお腹を突き出す。
「最適な人と物を迅速にご用意が可能です」
「ど、どうして!? 父の誘いを受けたのではなくて?」
てっきり向こう側についたものだと。
暗に含めた私の言葉に彼は肩をすくめ、にやりと笑う。
「いえいえ、風はあちらを向いているように思えたのですが、私の長年の勘がこちらだと告げたのですよ。この嵐はいずれ風向きが変わる、と」
目の前の商売人は誰よりも金に強欲で、得をするなら自らの肉を金貨に換えることも辞さない男である。
しかし、その心眼は本物だ。
彼はときに貴族の裏の顔とも笑顔を交わしながら、同業者からの裏切りや立身出世の諍い、計略など日ごと繰り返される欺瞞の大海を、自らの腕一本でのりきってきた。しかも無傷で。その彼が、こちらについた。
念のため、嘘をついている可能性を考えてみて、やはりそれはないと判断を下す。信用は何よりも値が張るもの。商売の最大の武器であり、一度でも毀損すれば市場での価値が泥水以下になりさがるのをさんざん見てきているだから。
ということは、すべては終わってはおらず、今もいきているということだ。私の計画はまだ潰れてはいない。私にはまだみんなを助ける機会も勝つチャンスも残されている。
「がめつい卿、私を選んでくれたこと――」
後悔はさせないわ、と口にしかけて言い直す。彼にはこのほうが相応しいと思ったから。
「あなたに損はさせないわ」
ありがとうございます、と彼は優雅に一礼する。そしてこう言った。
「それこそが、私が最も望んでいる言葉です」
すでにがめつい卿が信頼のおける業者に働きかけていて、船も人員も2~3日で到着するとのことだった。
おかげで輸送の問題は解決できた。
あとはカイルを止めなくては。でもどうやって?
カイルはすでに王権派のなかでも信用のおけるごく一部の者たちと歓談という名の会議に入っているだろう。その会議には先生であっても加わることはできない。私は言わずもがな。そもそも乗り込もうとしても、宰相の娘などはるか手前で叩きだされるのがオチだ。
「それこそ火を放つとか……」
ありえない。会議は止められるかもしれないが、私の人生も放火の重罪人として処刑されて終わるだろう。
こうしているあいだにも刻一刻と過ぎ去っていく。
時間は残されていない。結論が出て会議が終わるまでに場に乗り込み、そこにいる人々を納得させなければならないというのに。
もちろん、会議が終わったあとのカイルに話をすることはできるし、カイルを説得する自信もある。でも、それではだめなのだ。
本質を見失ってはならない。
カイルが信をおく彼らと出した結論を私の言葉でひっくり返しては、彼らの心がカイルから離れてしまう。離反を招きかねない。彼らの前で、私の提案を彼らに認めてもらわなければならないのだ。
「必要なのは、議場に乗り込む方法よ」
会議室には裏口も秘密の通路もない。あるのは正面突破の一択。薬を入れた飲み物を差し出したところで、部屋の入り口を守る騎士らは絶対に受け取らない。色仕掛けも通用しない。
「彼らは騎士なのだもの。生半可な策では――そうよ、彼らは本物の騎士なのだわ」
私は父に負けることを恐れすぎて、先に手を打つことに固執してしまっていた。勝ち続けられる人間などいない。たとえ未来を知っていても、私は万能の神ではないのだから。
臨機応変に物事にあたるのだ。
頭を使うだけが政の戦いではない。
ときには身体を張ることだって必要だろう。




