夏の夜の宴
何の前触れもなく吹きつけた突風により、庭園に設えた会場の明かりが夏の初めの暑気とともにすべて巻き上げられる。
ちょうど月も雲に隠れたため、あたりは突如訪れた闇のとばりに騒然となり、私は心の中で喝さいをあげた。
きゃー、来たわーーッ!!
私はこの突発的な出来事が今日起こることを知っていた。けれど、今回は一切手を出さなかった。
なぜなら、これはカイルとヒロインの心の距離が一気に縮まる切っ掛けのシーンだからだ。そして、怖がるヒロインのために、カイルが暗闇を克服する重要な転換点でもあった。
さすがの父でもどこぞの天才軍師のように風を操ることはできない。つまり、これは事件ではなく単なる事故。
だから、あえて邪魔をせず起こるままにした。
カイルは無事にリズと出会えたかしら。今ごろは、彼女をなぐさめているのかしら。
すこしでも小説の一端がうかがえないかと耳を澄ましていると――残念ながら何も聞こえなかった――、そこに「ティア、無事か!?」と焦りの含まれた私を呼ぶ声が聞こえた。
「カイル、私はここよ」
返事をすれば、かろうじて被害を免れた手燭を自分でかざし、供もつけず、ヒロインを救うヒーローさながらにマントをなびかせたカイルが暗闇の中から颯爽と現れる。
「ああ、ティア、よかった。怪我はないな!?」
弱弱しい灯りの中でもカイルの顔色が悪く、額には汗がうっすらと浮かんでいるのが分かる。でも、呼吸は乱れていない。
ああ、カイル、怖かったでしょうに頑張ったのね。
ヒロインのために己の恐怖と向き合い、奮起する。まさに主人公にあるべき姿だ。
思わずその姿に感動で涙すら浮かんできそうになる。いけない。成長を見守ってきた親の目線で彼を眺めている場合ではないわ。
私は気持ちを切り替え、はずむ声を抑えつつ、尋ねた。
「カイル、ええ、私は大丈夫よ。リズさ……いえ、他のみなさまはご無事だったのかしら?」
カイルは灯りを身近なテーブルに置くと、問う私の両頬を手のひらで優しく包み、ことさらに穏やかな声で諭すように言った。
「いまから調べてくるから、怖いだろうがここで待っていてくれ。すぐに戻ってくるからな」
「ええ、わかったわ。お願いするわね――って、待ってちょうだい。“いまから”?」
どういうこと?
ヒロインのために暗闇の恐怖を克服したから、こちらに来られたのではないの?
なぜだか嫌な予感がして、背中を汗が流れる。
「……カ、カイル、リズ様にお会いしたのではないの?」
「いや、まだだが……どうした? たしかロナーバ卿の親族の令嬢の名だったな。彼女が何か気になることでも?」
「気になるも何も……」
あなた、彼女に会っていないのならどうやってトラウマを乗り越えて暗い中を動けたの?
もしかして、私が小説と異なる行動をとっているせいで、ヒロイン以外と運命的な出会いを果たしちゃったとかそういうことではないわよね……?
こちらの遠回しな探りに、カイルは過呼吸の症状が現れていない己にいまごろ気が付いたといった様子で、
「お前のことが心配なのに、怖がってなんかいられない」
真剣にそう言い放った。
カイルの言っている意味が分からない。心配していただけるのはありがたいことなのだけれど、友情のために恋愛シーンをスルーしてしまう主人公というのはどうなのかしら。ただでさえ、本編で恋愛シーンが少なすぎて番外編が追加されたほどなのに、それをさらに主人公自ら削るってどういう了見なの。
「わ、私なら大丈夫よ。だから、どうかリ――」
最後まで言わせず、まるで冷たい雨から身を挺してかばうように、カイルはそっと私を抱き寄せた。ダンスのときのようにぎこちなく触れるふうでも、婚約者として紹介するとき遠慮がちに引き寄せるでもなく。それこそ繊細なガラスをあつかうみたいに優しく。
そして、自分がいるからと力強く言い添える。
「ティア、俺の前では強がらなくていい。お前が暗い場所にどれほど恐れを感じているか、俺はしっかりと覚えているんだ」
突然のカイルの行動に私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。
どうして、私がカイルに抱きしめられているのかしら?
そもそも“覚えている”って何が、と問おうとして、そういえば昔オルトに閉じ込められた件が頭によみがえった。
思い返せば、あのとき私は、暗闇に恐怖した結果、混乱のあまり脱出経路を求めて自傷したと周囲に説明をしている。たしか、そののちカイルに招待を受けたときも誤魔化すために、ほんとうに怖すぎて記憶が飛んだのだと盛大にアピールしたことを思い出した。
あのせいで、カイルは勘違いしたのかもしれない。私もあの事件で彼と同じように暗闇がトラウマになってしまったのだ、と。
今日の催しには賓客も招かれている。私がまたパニックに陥って暴れ、来賓の方々に怪我でも負わせたら国の一大事となってしまう。
カイルが私のところに真っ先に来るはずよ……!!
めまいがしそうだ。父とのやり取りならともかく、適当についた嘘の弊害がこういう形で己に戻ってくるとは想像もしていなかった。
「あ、あのね、カイル。今さらなのだけれど、あれは……」
どうやって挽回したらいいのかしら。むしろ挽回できるものなのかしら。
なにより今明るくなってしまったら、私がカイルに抱きしめられているのがリズにバレてしまう。彼は私がまた混乱して大暴れしないよう、落ち着かせているだけなのに。
とにかく、まずはカイルを私から引き離し、ヒロインのところへ向かわせなければいけない。
それに、カイルが暗闇を克服したというのならむしろ好都合とも言える。おびえを見せず、暗闇の中、颯爽と助けに現れるヒーローというのも、ありじゃないかしら。とりあえずリズがキュンとなればいいのだから、このさい経過はもう何でもいいのよ。
そう考えなおし、カイルの腕の中から抜け出し、彼を送り出す。
「カイル、ありがとう。おかげで元気が出てきたわ。私はあなたが来てくれたからもう大丈夫よ。あとはみなさんのことを――とくにリズ様を頼むわね。きっとおびえていらっしゃると思うから!!」
ぐいぐいと押し出す私にカイルは気がかりな様子を見せ、安全が確認されるまでここを動かないようにと何度も言い含める。さらにこちらを気遣うあまり手燭を置いていこうとするので、持っていくよう促すと、
「俺なら大丈夫だ――ああ、ほら、ちょうど月が出て来た」
カイルのいうとおり、雲に隠れていた月が姿を見せはじめ、おぼろにあたりを照らしていく。
「……月は好きだ。銀の光が暗い夜を照らしてくれるから」
カイルは目を細めて空を見上げ、それから私に視線を戻し、微笑む。強がりではなく、見惚れるような心からの自然な笑みだった。
……だから、カイルは銀色が好きになったのね。
たしかに太陽のように頼れる光量ではないものの、暗い中に現れただけにいまその輝きはいっそう胸を打ち、心を慰めてくれる。彼は悪夢で目覚めたとき、窓から差し込む月明かりに安堵したことがあるのかもしれない。
それなのに私ったら、あの男を思い起こさせるからだなんて、私怨でカイルに似合わないとほのめかしてしまった。なんて愚かなのだろう。
彼が今後銀色を纏うときは全力で褒めそやさなければと深く反省する。
同時に、ちょっとだけ安堵もできた。
言うまでもなく私も父譲りの銀髪である。私の髪の色がわずかでもカイルの心の安寧の一役を担えていたのなら、彼への罪悪感もほんのすこし薄らぐ気がしたから。
やがてカイルと入れ替わるようにして、焦った顔のルーデンスとロニヤがどこからともなく現れ、私の無事を改めて確認する。
さらにあちこちでぽつぽつと風よけをつけた蝋燭の火がともり始めた頃、まだ何が起こっているのかわからず怯えた様子のリズがカイルに連れられてやって来た。
「ティア、彼女はロナーバ卿とはぐれてしまったらしい。最近貴族になったばかりだそうで、習慣やこの国のことなどをあまり知らないため、不安でもあるようだ。しばらくそばにいてあげてくれないか」
「ええ、もちろんよ。さぁ、リズ様、どうぞこちらに」
すぐさまロニヤが近くから持ってきた椅子を彼女にすすめる。
リズはちょこんとお辞儀をし腰掛けると、初対面の印象を引きずっているのかやや緊張の面持ちで私に話しかけてきた。
「あ、あの、ラノビア様でいらっしゃいますよね、ご誕日のお祝いの宴席でお会いした……」
「ええ、そうよ」
「あのときもそうでしたが、この度もお助けいただきありがとうございます」
「あら、わたくしはなにも。カイル殿下のおちからですわ」
そう言うと、彼女は鈴を揺らすように可愛らしく首を振り、
「殿下よりうかがいました。私のことをとってもご心配いただいていたと……ありがとうございます。今日はおじ……祖父は欠席のため親戚の方と参加していて、その方を見失ってしまったので、本当にどうして良いのかわからなくて……」
まだ固く強張った声から彼女の不安がうかがえた。
なにせ彼女は貴族という今までとまったく生活様式の異なる日常に放り込まれて、まだ1年も経っていないのだ。
前世で例えるなら、言葉はかろうじて通じるものの、文化も異なる外国の旅行先で突然停電に遭って同行者ともはぐれ、ひとりになってしまったという感じだろう。それは誰だって心細くなる。
その彼女をカイルに慰めてもらいたかったけれど、当人はほかの来客の様子と会場の変更の確認ですぐにまたどこかに行ってしまっている。せめてもうすこしそばにいてあげてほしかった。
でも、こうして色々なことを判断しつつ指示を出して動けるってことは、小説より王としての心構えができているってことだもの。悪いことではないわ。しかも自然の現象とは言え、こちらが招いた宴での出来事だ。不手際はすぐにカバーし、代替案で悪い印象を少しでも返上する。
宰相でも摂政でもない。戴冠はまだでも、やはりカイルこそ、この国を導く者なのだと周囲にいいアピールもできたはず。
私は考えを切り替える。
だとするなら、彼女には私が伝えればいいわ。
カイルの良いところを並べて、彼女の好感度をさらにあげるのよ。
「不安に思われる必要はございませんわ、リズ様」
私は彼女に向き合う。前にみたいに怖がらせないよう笑顔と優しい声を心掛けて。
「カイル殿下がいらっしゃいます。じきにロナーバ卿も見つけてくださいますわ。本当に頼りになるお方ですのよ」
さらにつらつらと列挙し、カイルの頑張りをアピールして励ますと彼女は、
「ラノビア様は落ち着いてらっしゃって、お恥ずかしい限りです」
と申し訳なさそうに告げる。
いっぱいいいところを並べたのだから、そこは私じゃなくてカイルのことに注目してほしい……。
だいたい彼女は自分を卑下しているけれど、私はことの顛末まで知っているから動転せずどうどうとふるまえるだけなのだ。実際、小説では私は暗闇の中でキレちらかし、闇の中にだれよりも響く甲高い声でカイルをうんざりさせている。
いっぽうの彼女は自分も怖いのを押し隠して、周囲で怯えるほかの令嬢――自分を虐めていた令嬢にまで気を遣って、励ましていたはず。
突発的な事態に直面しても周囲の人間を思いやれるリズのほうがよほど素晴らしいと思う。
「そのようなことはございませんわ。こちらこそ、お招きした宴での不手際、お詫び申し上げなければなりませんのに、わたくしどもにかわり皆さまをおなぐさめいただいたとうかがっております」
私はカイルの代わりに不安が和らぐよう彼女の手をとって握りしめる。
ほっそりと柔らかくて、小さな手。
カイルは礼儀上エスコートする以外で彼女に一切触れたことがないはず。それは彼の誕日まで続く。そして誕日の祝宴のその日、彼は明確な意思でもって彼女に初めて触れる。そうして気づくのだ。
自分の中にある特別な想いに。彼女に向ける想いに。今、己が握っているこの手のぬくもりを自分がどれほど求めていたのかということに。
「優しさとは簡単に培えるものではございませんもの。リズ様がお持ちのご気質は十分に魅力的でいらっしゃいます」
「そんなことは……でも、そう言っていただけて嬉しいです。未熟ではありますが、ラノビア様のお褒めの言葉に恥じぬよう、もっともっと頑張りますね」
彼女は私の手をそっと握り返し、恥ずかしそうにお礼を言った。
今はうす暗くてしっかりと確認できなかったけれど、ぜったいに頬を染めて愛らしい表情で言ったに違いない。カイルがここにいないのがつくづく残念だった。
優しいだけではない。誠実で賢く、勤勉で努力家。最初は元平民の男爵令嬢という色眼鏡で見ていたカイルの家臣らも、あっというまに彼女の人間性に敬意を払うようになる。愛らしい見目は王妃としてじゅうぶん価値があるが、その奥にあるものこそが彼女の神髄であり、それこそがカイルが彼女にひかれた理由なのだと。
胸の中に複雑な思いがこみ上げてくる。
それはヒロインである彼女へのかすかな嫉妬であり、愚かな道化でしかないテオドラという自身の存在の自嘲であり、理由の分からない悲しみや苦さにも似たものでもあった。
でも、彼女とこうして相対して改めて実感した。やはりリズこそ、カイルに相応しい。
すべての決着がつくまであと半年もない。真相を知ったときカイルは本当に苦しむことになる。
宰相の娘の私が言えることではないのだけれど、カイルが絶望したそのときはそばにいてリズの優しさで彼を包んであげてほしい。
「ふたりで……」
「ラノビア様?」
「い、いいえ、何でもないのよ――あら、会場が変更になったのね。告げる声が聞こえたわ。さぁ、わたくしたちもまいりましょう。また風で暗くなってしまっては大変ですもの」
ロニヤが灯りを手に導くように先を行き、ルーデンスが後ろにまわる。ふたりに挟まれ、リズとともに歩きながら、私はさきほど呑み込んだ言葉を心の中で彼女に告げた。
――どうかふたりで、幸せになってね。




