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宰相の娘  作者: 衣々里まや
13歳
3/50

王子と摂政

「テオドラさま、準備が整いました」


ありがとう。そう言って、わたしは鏡の前で自分の姿を確認する。


わたしの感謝の言葉にまだ慣れないでいる使用人たちの姿が、磨き上げられた鏡面に映って見えた。母は上の者に対する礼儀には厳しかった反面、下の者への接しかたは粗略で家畜も同然の扱いだった。わたしも居心地の悪さを感じてはいたけれど、ずっと母のやり方に従っていた。


でも、もうそういうことは言ってられない。わたしは変わったのよ。


生き残るためだったら、誰にだって媚びを売るわ。そう、カイルにだって母の嫌がる下級の者にだって。


改めて鏡の中の自分を見つめる。


うつむいても、顔をあげても、正面も横顔も、すべてが完璧。完成された美少女がそこにいた。


悪役の娘とはいえ、主人公やヒロインに対抗する存在なだけはあり、自分で言うのも何なのだけれどわたしは器量が抜群に良い。見目うるわしい両親の優れた部分を全て受け継いでいた。


父からもらった、ゆるく弧を描く冴えわたる月の雫のような銀色の髪に、母と同じ暮れなずむ空を思わせる鮮やかな紫の瞳。磁器のごとく白い肌で微笑むのは、ほんのりと紅をさしたような淡い小さな唇。


まばたきするたびにふわりと舞う長い繊細なまつげも、狭いひさしていどのほどよい空気感のあった前世のわたしとは天と地ほどの差があった。


とくに今日は白いレースとフリルたっぷりの淡い色のドレスを着用しているから少し幼い印象なものの、 堂々たる美女へと成長する兆しはすでにはしばしに表れはじめている。


「まぁ、ヒロインはそれを上回る可愛さをもっているのだけれど……」


言うまでもない設定にあらためて小さくため息をつく。


とたんに背後の使用人たちが、なにかしら粗相があったかと顔を曇らせる。少し離れていたからわたしの小さなつぶやきは聞こえなかったけれど、鏡を見てため息をついたのには気が付いたのだろう。


わたしがいる場所は王子の婚約者にあてられた王宮の一角、居間に併設された衣裳部屋で、とはいっても居間なみの広さがあった。来た当初、わたしが我が儘を言って拡張させたのだ。


王族の住居をまだ嫁入りもしていない娘のために改築させる。


フレディリクさまがあいだに立ったからとおった意見とはいえ、カイルの幼いが故の立場の弱さ、なにより父の権力を象徴するとんでもない事件として貴族たちに伝わったであろうことは想像に難くない。


これ以上、わたしの身勝手さを周囲に披露するわけにはいかないわ。


いまさら自分の過去を気にしても仕方がない。わたしが父の娘であることも、やられ役の女であることも変えられないのだから。


やることをやるだけよ。


そしていま、わたしがやるべきことはとうぜん決まっている。そのためにここまでお洒落をしたのだから。


わたしは優しいあるじよろしく、使用人たちに振り返って微笑む。


「完璧よ、みんなありがとう。あとはどうぞ休んでいてちょうだい 。わたしはこれから、殿下のお部屋に行ってくるわね」


* * *


「カイル殿下はお会いになられません」


こちらが何を言うまでもなく、廊下の真ん中で、わたしの行く手をふさぐように立ちはだかって侍女長は告げた。冷ややかな口調、冷ややかな目つき。


白くまだらな髪を後頭部できつくひとつにまとめ、ずんぐりとした体型に丸い眼鏡は良き乳母という言葉が似合いそうな雰囲気だけれど、こちらに向ける表情は決してあたたかみのあるものではない。


カイルがわたしに会いたくないのは知っている。しかし、カイルへの来客の取り次ぎは侍女長の仕事ではない。しかも彼女は取り次いですらいない。


当然ながらわたしのほうがよほど立場は上だ。それでも彼女がここまで強く出られるのは、わたしがここではカイルに歓迎されていないから。彼女たちにとってわたしは婚約者ではなく、いつまでも居座る招かれざる客人というわけ。


おまけに、侍女長はカイルが生まれるずっと前から王家に仕えてきているためにカイルも一目置いている。それを理解しての態度なのだろう。


以前のわたしなら、あっさり彼女にやり込められて自室で使用人たちに当たり散らしているところだ。でも、こんなところで負けていたらそれこそ生き残れない。


わたしは彼女に笑ってみせる。貴族の娘らしい余裕の笑みで。


「お願いしてもいないのに、わざわざ行動していただけるだなんて、お礼を言うべきかしら? それとも、よほど暇だったのねと笑ってあげるべきかしら?」


いつもみたいに我が儘を喚き散らさないことに、彼女がぎょっとする。なにか言い返そうとしているのは伝わってくるものの、想定外の状況にとっさに頭が回らないらしい。


金魚のようにぱくぱくとただ口を動かしている彼女を無視して横を通り抜け、わたしは廊下の奥、カイルの部屋をノックした。


「殿下、よろしければお茶をご一緒に――……」


挨拶をし、おもてをあげたわたしは思わず息を呑んだ。


カイルはいつも以上にわたしの来訪を嫌がっていた。普段はわたしを無きものとみなす彼が珍しく感情あらわに鋭い目で、戸口に立つわたしをにらみつけてきている。


そして彼の後ろから、まったく心の読めないふたつの瞳がカイル同様にこちらを見つめていた。


「お邪魔をいたしまして申し訳ございませんわ、殿下……フレディリクさま」


父だけではない。ここにもう一つ、大きな問題があるのをわたしは忘れていた。


赤みがかった茶色の髪と、黒に近い青の瞳――目は実際はもう少し明るい色なのだけれど、眼窩がくぼんでいるせいで、暗い底知れぬ夜の海のような色に見える。背が高く、やせていて、顔は整っているはずなのに纏っている雰囲気のせいか、凡庸でどことなく頼りない印象を受けてしまうこの男性こそが、オシュタイン大公フレディリク・ラノ・イクス・オシュタイン。


先代の国王夫妻暗殺の首謀者、この物語のもうひとりの黒幕である。


そう。幼いカイルはこの時点で、自分の両親を殺した張本人を、叔父であるフレディリクさまの裏切りを、まったく知らないのだ。


結局のところ、物語の決着に5年もかかったのはカイルがひたすらにフレディリクさまを信頼し、微塵も疑っていなかったというのが非常に大きい。カイルは叔父が自分をかばって怪我を負ったと、そのおかげで自分は生き延びられたのだと信じてやまないのだ。


いまはまだ父とわたしのことも、いずれ国王となる自分に権力目当てでたかってくるハエのような親子というふうにしか思っていない。


やがては身も心も強くたくましく成長するカイルではあるが、自分を温かく見守っていた目が、穏やかに抱きしめてくれた腕が、本当は恨みを募らせ自分の死を望んでいたのだとわかったとき、深く絶望する。


その傷心のカイルを支え、立ち直らせ、問題に向き合わせるのが他の誰でもない小説のヒロイン、隣国の男爵令嬢リズである。


そのような彼にいまわたしが「叔父こそが黒幕である」とネタバレしたらどうなるか。


結果など、言うまでもないことであろう。


カイルの欠片しかない信用すら失い、二度と取り戻せないどころか、間違いなく激怒した父によってわたしは家につれ戻される。それだけでなく、すべてを台無しにしたとして今度は実の父に殺される可能性すらあるのだ。


なにより、証拠もなしに誰がそのようなことを信じるだろうか。


急ぎすぎてはいけないわ。


わたしは自分を諫める。


いまはカイルとの距離を縮めることのほうが先よ。


それもごく自然に、誰にも疑われることなく、である。


フレディリクさまはわたしのことを、彼らの野望もたくらみも知らず、父親からも何も教えられていない無知な協力者だと思っているはず。下手に疑われるような振る舞いはできない。


今日は退くべきか、迷うわたしにフレディリクさまが穏やかに声をかけてきた。


「これからテオドラも一緒に、お茶をどうかな」


「ま、まぁ、よろしいのでしょうか」


「叔父上!!」


ふたりきりの時間を邪魔されたことに抗議するカイルを後押しするように、追いかけてきた侍女長もわたしの参加に難を示す。


「フレディリクさま、なにぶん急なことでして人数分の準備が整っておらず――」


「菓子が足りないということかな。それなら、私の分をテオドラに回してあげてくれないか」


「し、しかし……」


「頼んだよ。ああ、でも、侍女長のパイだけは私にも半分分けてくれるかな。あれはとくに私のお気に入りでね」


「まぁ……かしこまりました。すぐにご準備いたします」


渋っていたのもどこへやら。褒められ、侍女長は嬉しそうにあっさりとひきさがった。


反対に、なおも納得できていないカイルをフレディリク様は優しくなだめる。


カイルとは異なる意味でフレディリクさまの表情からは何も読み取れない。


いずれかならず王となるカイルではなく、フレディリクさま側に父がついた理由は、権力の拡大だろう。


たとえ正当な理由でフレディリクさまが王位についたとしても、その血ゆえに忠誠をもって従うものは少なく、軽んじられるであろうことは、いまの彼の摂政としての存在感を推し量らずとも明らかだった。


侮られる新王には、味方が必要だ。影響力のある、貴族の中でとくに強い力を持つ者が。フレディリクさまは後ろ盾として父を選んだのだろう。


そして父もまた、王となっても父を頼らざるを得ないフレディリクさまに手を貸すことで、陰からこの国を支配しようと目論んでいる。


大昔、腐敗政治にものもうし、反体制派として絞首刑になった政治学者ウロマ・ギリーヌは、執行の直前、最期にこう嘆いたという。


“権力は甘い砂糖だ。いつの時代でも蟻のように人がたかる。しかし、踏みつぶせない分、人のほうがよほどたちが悪い”


そのとおりだと思う。本当に勘弁してほしい。そもそも大人の政治ゲームに子どもを巻き込まないでいただきたい。


ため息をつきたくなるのをこらえるわたしの目の前で、カイルの視線に応えるようにフレディリクさまが目を細める。それを受けてカイルの口角が上がる。つぎに、カイルは改めてわたしに不機嫌な視線を戻し、催促がましく、戸口のほうに目をやった。わたしに暗に出ていけと言っているのだ。


そう簡単に出ていくわけがないでしょう? 一応、わたしはあなたの敵なのだから。


笑顔で無視を決め込むわたしとそれに冷たい一瞥をくれるカイル。わたしたちのあいだに、やがてお茶の準備が整ったとの知らせが入る。


わたしはカイルが発しつづける不快のサインにいっさい気付かないふりをして、ふたりのあとに従い一緒に≪春の庭園≫へと出た。


「まぁ、なんて美しいの……!!」


蔓の絡まった美しい門が開かれた先には、息を呑むような景色が広がっていた。


庭を埋めるように生い茂る瑞々しい緑葉に、そのあいだで息づく色とりどりの花たち。青空を背景に花弁の縁をピンクに染めたバラがしだれ降っているかと思うと、足元では、朝露をたたえた宿根草がわたしもわすれないでと存在をささやく。


それらを通り抜ける風が、豊かな黒土と春を祝う若芽の香りとほころぶ花の甘く芳しい香りを柔らかに巻き上げて、あたり一面に届けている。


どこに視線をやってもが目がくらむような鮮やかさ。まるで『楽園』をテーマにした一枚の絵画を見ているかのようだ。


小説でもたびたび描写されていたけれど、ほんとうに見事だった。


この≪春の庭園≫は、長い冬を耐えやっと訪れた春を謳歌するかのように種々の花が咲き誇っている様子から名付けられた王族の専用庭のひとつで、とうぜんながらただの婚約者であるだけのわたしは許可がない限り立ち入ることができない。さすがにわたしの我が儘もここには通用しなかった。


というのも、≪春の庭園≫はとくに亡き王妃、つまりカイルの母親が愛していた庭であり、カイルの中にはこの場所での幸せな記憶がわずかばかり残っていて、いわば、ここはカイルの聖域でもあったからだ。


そして≪四季園≫は、いずれヒロインとカイルが少しずつ交流を深め、愛をはぐくんでいく場所でもある。同時に、こうしてフレディリクさまのお誘いでもない限り、死ぬまでわたしからは決して足を踏み入れることができなかった場所でもあった。


悪役女とヒロインの扱いの差にいまさらながら悲しくなってくる。宰相の娘というだけで、わたしは一応婚約者なのにそういう扱いをされる日がくることは一生ないのだ。


まだ子どもだから、情緒が豊かなのかも知れない。自分の存在の軽さと理不尽さに鼻の奥がつんとしてきて、あわてて頭の中から感傷を追い払う。


いけない。ここで不審なふるまいを見せるわけにはいかないとさっき誓ったばかりなのに。


わたしが全てを知っていることも、父同様にフレディリクさまをも裏切ったことも、いまはまだ誰にも悟られるわけにはいかないのよ。戦いはもう始まっているのだから、しっかりしなくては。


わたしは自分に喝を入れ、背筋を伸ばし、目の前のことに意識を集中させる。ひかれた椅子に腰を下ろし、フレディリクさまには誘っていただいたことへの感謝の笑みを、そしてカイルにはいかにもそれらしい媚びた笑みを返しつづけた。傍からは、父の言いつけをひたすら守っているだけの愚かな娘に見えるように。

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