ふたりの後継者
個室に入ってきた青年は奥に座っている私に目を留めたとたん、驚きに身を固くした。無人だと思っていた場所に人がいたこと、そしてなにより私が誰だか分かったからだろう。
それが王子の婚約者であり宰相の娘を前にしてのことなのか、4年前の事件の関連を恐れてのことなのかまでは、まだわからないけれど。
「失礼いたしました。先客がいらっしゃるとは思わず……部屋を間違えたようです。すぐに退室いたします」
「あら、かまいませんわ。どうぞお座りになって」
私が相席をすすめると、彼はためらいの顔を見せる。その表情から、何とか失礼にあたらないように部屋を出てていく言葉を探しているのがわかった。
しかし、退路を塞ぐように背後に立つルーデンスとロニヤの気配にやがて気づいたらしく、諦めた様子で彼は私の前までやってくると恭しく一礼した。
「テオドラ・ラノビア様、ご機嫌麗しく存じます。エドガー・ガードナー、と申します」
低く落ち着いた柔らかな声、穏やかな口調、緊張のためか少し強張った笑み。けっして目を惹くような容貌ではなく、一見して悪い噂とは似ても似つかないが、見えているものがすべてではない。
貴族なら、特に。
私は彼に笑ってみせる。
「お会いするのに苦労したわ。夜会などにはいらっしゃらないのですもの」
その言葉に彼は再び体をぎくりとこわばらせた。仕組まれた出会いだったと気が付いたのだ。
「も、申し訳ございません。もともと騒々しい場所は苦手でして……さらに、近年は見も知らぬ女性から、なぜか私と親しい関係であると声をあげられることが多く、辟易しておりまして……」
彼はいいわけめいた口調の合間にため息をつく。そこには、もううんざりだという彼の苦悩がはっきりとあらわれていた。
「騒々しい場所が苦手でしたら、こちらのお店はちょうど良いのでしょうね。懇意になさっているとか? ああ、どうぞおくつろぎになって。あなたに少しお尋ねしたいことがあって、お待ちしていたのよ」
「どのようなことでも。包み隠さず、ラノビア様にはお話しいたします」
エドガー氏が向かいに腰かけると同時に、ロニヤが湯気の立つカップを彼の前に置いた。
彼はロニヤにも茶器にも目をくれず、緊張の面持ちで私を見つめつづける。顔色はあまりさえず、疲れのためか20代後半のはずが30をとうに過ぎているように見える。またたいして眠れていないらしく、目の下のクマがうっすらと湯気をすかして確認できた。
私はそれらに気が付かないふりをして、ゆっくりとお茶を味わう。焦れるほどの時間ののち、カップを置いて、ようやく声をかけた。
「ずいぶんと人生を謳歌なさっていらっしゃるようですわね」
「……噂をお聞きになったのですね。お耳汚しばかりでしょう。お恥ずかしい限りです」
「では、お認めになると?」
「いいえ」
今までおっとりとしていた彼が、初めてはっきりと告げた。まっすぐにらむようにこちらを見つめる。
「噂があるのは確かです。しかし、私にはまったく身に覚えがないのです」
「証言がございますのに? 女性が、あなた様から贈られたと掲げたものもあったとか?」
「証言があろうとも、証拠の品を取り出されようとも、それでも私には覚えがないのでございます。亡き母の名を汚すようなまねはしていないと断言できます。ラノビア様、どなたが訴えられたのかは存じませんが、他の誰かとお間違えになられているのでしょう。どうか、そのようにお伝えください」
どうやら彼は、私がどこぞの令嬢からの訴えを受けて彼を問い詰めに来たものと思っているらしい。
夫人はエドガー氏には何も説明をしていないようだ。まぁ、とうぜんであろう。ここで私が夫人の企みを教える義理もない。
さらに、こちらがあの使用人に気が付いていることもまた黙っておいたほうがいい。今の時点で手の内をすべてさらす必要はないのだから、状況を利用させてもらうことにしようと決め、私はそ知らぬ顔で質問を続けた。
「覚えがないだけ、とは限らないかしら? 酔えば、記憶というのは曖昧になってしまうものでしょう?」
「酒を飲んでいないのです。飲んだ覚えすらないのに、酔うことがありえましょうか? 悪酔いをして野外でみっともない姿をさらして以降、酒には手を出していません」
「夫人の寝室に忍び込んでおきながら、そう仰るおつもり? それとも、素面でなさったことだと?」
「目覚めたらそこにいたのに、知るわけがないでしょう!!」
とつぜん声を荒げ、テーブルに攻撃的に拳を叩きつけ立ち上がる。衝撃でカップが倒れ、中身が撒き散らされる。
ロニヤが布巾を手に駆け寄ってきたことで我に返り、己の振る舞いを恥じるように彼は深々と頭を下げ座り直した。
「し、失礼……たしかに悲鳴で目が覚め、慌てて部屋を飛び出したのは事実です。……衣服が乱れていたことも。しかし、直後に広間にいた弟になぜ夫人の部屋から出てきたのかと訊かれて、初めて自分がいた場所を知ったくらいです。おかしなことを申しているのは承知です。ですが真実、私は何も知らず、何もしておりません!!」
「“弟に訊かれて”ということは、ご兄弟で参加なさっていたの? レジナルド様、でしたかしら?」
「はい。我々は母親違いの兄弟なのですが、仲は良好で、そのような私を心配して弟も付き添ってくれたのです。しかし弟が言うには、気が付けば私の足がふらついていたとかで、会場の外の長椅子に休ませていた、と。しばらくのちに夫人の悲鳴が聞こえ、わ、私が……」
エドガー氏は声を震わせる。その様子から、彼の混乱と脅えが伝わってきた。
そのあとも何を訊ねても、知らない、覚えがないの一点張りだった。泥酔による失態の件、酒宴での乱痴気騒ぎの件、酒に酔った上での暴力事件。幾人もの女性との噂。
否定を証明できるような証拠があるなどの、そういったこともない。
ただ首を振って否認を続ける姿は愚かをとおりこして、いっそ哀れにも思えた。事態を好転させる術を持たない無力な子どもを前にしている気分だ。
嘘をついているようには見えないけれど、これが演技だとしたら相当の役者ね……。
兄弟で後継者争いをしているとはとうてい思えない姿。むしろ異母弟のことを褒め、かばってさえいる。
へたな小細工をされないよう突然の訪問をしたのだけれど、先触れを出していたとしてもこの態度は変わらなかったのではないだろうか。
精神的に若干不安定に見えるのも生来の気質というより、ほんとうに訳の分からない状況に振り回されて精神が摩耗してしまった結果のように思える。
話が堂々巡りで何の答えも出ないことで、ようやく私もあきらめがついた。
会話のあいだ、4年前のことはおくびにも出さなかった。
「……エドガー様のお話は理解できましたわ。あちらの方が納得されるかどうかはまた別ですけれど、エドガー様のお言葉を伝えてみますわ」
あくまでとある令嬢の代わりに来たのだという演技のまま、私は部屋を後にした。
* * *
「テオドラ・ラノビア様、お噂通りのお美しさ。お会いできて光栄です」
青年は長い腕を役者のようにおおぎょうに振り、うやうやしく辞儀をした。
たしかに長男とは対極に位置するような人間だ。母親の血が入っているのも一目でわかる。華やかで目鼻立ちのはっきりとした顔立ち。もし兄弟が並べば、弟は光が当たったかのように前に浮き出、兄はその陰に沈むのだろう。
美しい青年ではあるけれど、同年代であるカイルや私に比べても大人びており、どこどなく遊びに慣れたような放蕩的な雰囲気もあって、正直に言えば、うさんくさい。
とはいえ、エドガー氏同様に第一印象だけで人間性まで決めつけてはいけない。
「お会いできてうれしいですわ。夫人より、わたくしのことはうかがっていらして?」
「はい。母にご助力いただいているそうで、息子として心からの感謝を申し上げます。なにぶん、母はああみえて社交というものが苦手でして」
「レジナルド様からもすこしお話をうかがいたいと思い、参りましたの。よろしいかしら?」
「なんなりと」
私が椅子を示すと彼は短く微笑し、優雅に腰を掛けた。いちいち動作が芝居がかっている。
「レジナルド様のお兄様のことですの」
「やはりですか……」
そうだと思っていた、とばかりに彼は眉間にしわを寄せ、かぶりを振る。
「いずれはお尋ねになられるものと思っておりました。エディ兄さ――いえ、兄は悪い人ではないのです。ただ、どうも酒癖が良いとは言えないようでして……家を背負う重責を苦痛に思っていたのやもしれません。父が倒れて以降はとみに酒の量が……」
そこまで言って言葉を濁す。あまり本人の悪口にもなるようなことは口にしたくない、といった感じで。
仕方なく私が促す。
「お兄様のお噂について、レジナルド様はどう思っていらっしゃるの?」
「……真実とは信じたくありません。本人も否定していますので。ただ、あれほどまでに証言や証拠が出ますと……。それに一度、兄の姿をはっきりと目にしておりますので……」
「夫人の寝室での事件のことですわね。そのさい、ご兄弟で一緒にいらしたとうかがいましたわ。そのときの出来事をくわしくお話しくださる?」
「はい――兄は酔って失態を演じることが増えたので、私ができるだけ側にいるようにしていたのです。あの日もそうです。しかし、少し目を離したすきにやはりひどく酔っぱらってしまい、休憩室前の廊下にあった寝椅子で酔いを醒ましてもらっていました」
「お兄様はそのときおひとりで?」
「ええ。頭が痛いからしばらく静かな場所でひとりになりたいと言われたのもあり、私はいったん会場である広間に戻ったのですが、やはり兄が心配になって同じく招かれていた友人たちに先に帰ることを伝えていた矢先、夫人の悲鳴がきこえました。なにごとかと振り返ってみれば会場の扉が開いて……その、全裸に近い兄が動転した様子で駆けこんできて……驚きました。私はすぐさま、兄になぜ夫人の寝室に忍んだのかと尋ねましたが」
「お兄様はなんと?」
「いくら問い詰めても、知らぬ存ぜぬと埒があかぬばかりで。たしかに兄の女性関係についての噂はいろいろと耳にしていましたが、まさかあそこまでの狼藉をはたらくとまでは思ってもおらず」
「けっこうな騒ぎになってしまったとか」
「そうなのです。落ち着いてまず服を着ればいいのに、どうやら屋敷を出ようとして逃げ惑い、右往左往したようで、たくさんの人の目にもさらされてしまい……目を離してしまったことが悔やまれます。酔っていたのも、こちらを油断させる演技だったのでしょう。よりにもよって夫人を狙っていたとは……」
彼は当時の混乱した状況を思い出したのか顔を覆って嘆息する。
「屋敷のご当主が父と親しかったこともあり、その場では酔って自宅と間違えたのだろうと笑い話に変えてくださってお許しをいただけたのですが……」
「もしや、宴席などで、お家の代表として夫人とレジナルド様がご出席なさっていたのもそのことが関係しておりますの?」
「はい。その一件以降、兄にもそうしてくれと頼まれましたので」
説明は一区切りついたとばかりにレジナルド氏はカップをとりあげ、お茶をゆっくりと飲んでいく。言い訳に終始してお茶にはいっさい手をつけなかった兄とは異なり、余裕の態度だった。
さらに、ほかに質問があればいくらでもと言いたげにこちらに視線をよこす。それを受け、
「そうですわね、ほかには……」
私は真剣な顔つきでさも考え込んでいる風を演じ、次の質問を口にした。
「お兄様の醜聞のさいにも一緒にいらしたというお友だち、先日の貴族の子息らによる非道な事件の彼らと親しかったそうですわね?」
さりげなさを装って口に出すと、レジナルド氏は実はそれが訊きたかったのかと合点がいった様子で、
「お恥ずかしいことに、友人だと思っておりました。私は、人に貴賎なしと思っておりまして、彼らの裏の顔を知らなかったのです。疑ったこともなかった。すっかり騙されておりました」
「では、あなたは彼らとは無関係だと?」
「無論です」
「そう……よかったですわ! それだけが気がかりでしたのよ!!」
私はことさらに明るい声をあげ強調する。真の目的はそちらであり、それが解決されたことによりすべての憂いが晴れたとでもいいたげな態度で。
「わたくしのお友達のなかには、あの事件でご家族がつらい思いをされた方がいらっしゃいますの。ですから、もしレジナルド様が繋がりがあるのでしたら、お力にはなれないと夫人にお伝えしようと思って心配しておりましたの」
「さようでございましたか。事件以降、完全に縁を切っております。わたくしが二度と彼らと行動を共にすることはないでしょう」
そう言って、レジナルド氏は微笑み、現れたときと同じくやはり芝居じみた仕草で優雅に一礼した。
「――お嬢様、よろしいのですか?」
扉の向こうにレジナルド氏の姿が消えじゅうぶんに経ってから、ロニヤが確認の声をかけてきた。
あまりにも彼と交わした言葉の内容がエドガー氏に偏りすぎて、疑問をおぼえたのだろう。
「ええ、もういいの。彼らについては、なんとなく答えが見えたから」
「先ほどの会話で?」
「いろいろとおかしな点が多かったじゃない」
「おかしな点、ですか?」
ロニヤが可愛らしく小首をかしげる。素直な彼女は気が付かなかったみたいだけれど、嘘つき同士、私にはすぐにわかった。
ありがたいことにレジナルド氏はたいして頭が回らないらしい。自分で勝手に白状してくれたのだから。
「たとえば、酔って夫人の部屋から兄が出てきたとのことだけれど、エドガー氏は弟に言われて初めて知ったと言ったし、レジナルド氏も現れてまっさきにそう尋ねたと言っているのだから、このときのふたりの証言に齟齬はないということよね。もちろん、エドガー氏が知っていたのに知らないと嘘をついただけとも言えるわ。でも、もういっぽうで、どうして自分の兄がさきほどまで夫人の寝室にいたとレジナルド氏は知っていたのかしら?」
「そこから出てくるのが見えたのでは?」
「悲鳴のあと、あられもない姿のまま兄が会場の扉を開けてあらわれた、と言ったのよ。扉の向こうの、見えもしない部屋がどうしてわかったの?」
「……そちらの方向にはその部屋しかなかった、でしょうか?」
「出口が分からず右往左往するほどの広い邸宅で、広間に通ずるのが一部屋しかないだなんて、よほどおかしな造りだと思わない?」
「…………」
「それに、逃げようとして間違って大勢が集う広間に向かってしまうような慣れない屋敷で、どうやって意識を失うほど酔った男が夫人の寝室へ誰にも知られずに潜り込めたのかしら? 誰かに運び込まれたと考えるほうが自然ではなくて?」
「でも、どなたが? レジナルド氏は見舞ったあとすぐ会場に戻ったと証言が……」
「ええ、お友達の証言よね? あの素行の悪いお友達の……」
あっ、とロニヤが声をあげた。
兄と異母弟の当主の座をめぐる喧嘩――いいえ、後継者争いというより一方的に貶められていると言っていいのだろう。兄は弟が自分を罠にかけていると気づいてもいないようなのだから。
「兄弟の事情については読めてきたわね……」
ただし、やはりどこまでいっても私とのかかわりは見えてこない。
むしろエドガー氏の内情を把握した今、よけいに彼の使用人が私たちに害をなした理由がわからなくなった。
あの事件、カイルのあとにわざわざ私を呼びに行っているのだ。私たちふたりに用があったはず。
もちろん、どちらかが本命でもうひとりはそれを誤魔化すためのダミーだというのも考えられないことではないけれど、それはそれでカイルにしろ私にしろ、ダミーにするにはそれぞれリスクが高すぎる。やはり、危険を冒してもふたりを集めることに意味があったとみるべきだろう。
一方で、そのリスクに対して暗闇に閉じ込めるだけというのがまた腑に落ちない。殺すでもなく、子どもをただ恐怖に陥れてどうしようというのか。
「……こうなってくると、エドガー氏は4年前の件にはいっさいかかわっていないという可能性もでてきたわけね」
「そのようなことがありうるのでしょうか」
訝しむロニヤに私は、あるのよ、と心の中で言葉を返す。
私が父の犯した罪にまったく関係がないようにね、と。
あの使用人はエドガー氏ではなく、ガードナー卿の指示を受けて動いたのだとしたら。
4年前なら、当主がまだ現役であったはず。当時はガードナー卿が関係し、その企てを現在夫人が引き継いで行動したのではないか。それとも病は偽りで表に出てこないこと自体になんらかの思惑が隠されているのか。
ガードナー卿はどの派閥にも所属していなかったはずだが、それは世間を欺いているだけであり、実際には私たちに明確な敵意をもったどこかの誰かの協力者なのかもしれない。
いまのところ、あの家が兵や食料、武器を集めている様子はなく、叛乱や謀反の気配もない。ゆいいつ、当主が倒れたのちに一気に支出が増えているようだったけれど、調べてみれば買いあさっているのは衣服や宝飾品が大半であったとの報告も確認している。
「……判断材料が少なすぎるわ」
先入観に支配され、見逃していることはないか、見落としていることはないか、何度も当時を思い返した。さまざまな立場から、考えられうる理由を検討してみた。しかし、やはり答えはでなかった。
このまま考え続けてもいたずらに時間が過ぎるだけだ。
ガードナー家にはあの日以来、見張りをつけており、あの男が簡単に逃げられないようにはしているものの、絶対ともいえない。重要なカードを使う前に失うくらいならば、勝負が読めなくても切ってしまうほうがいいときもある。
私はこころを決め、ルーデンスに声をかけた。
「ガードナー家の使用人を呼んでちょうだい。こっそりとね」




