ガードナー家
小説のテオドラは誕生日の盛大なお祝い以降、初夏まで出番がなかったのだけれど、現実の私はそういうわけにはいかない。
春となって本格的に社交のシーズンが始まり、カイルの婚約者として、宰相の娘として、私は毎日毎日お茶に夜会に誘われ、大忙しだった。
「ずいぶんと華美な催しですこと」
「ガードナー卿はご存じなのかしら? お倒れになったままなのでしょう?」
「知っていれば、このような催し、許可なさるわけがございませんわ」
扇の陰でこれみよがしに行き交う言葉たち。
まぁ、言いたいことは分かる。正直、飾りつけが派手で目に痛いし、会場を歩き回る使用人の何人かは明らかに能力ではなく見た目で選ばれたとわかる面々だった。
原作でもテオドラはこの夜会に出席していたと思しき描写があったため、なにか有益な情報が得られるかもと顔を出したのだけれど、これは早々に退散して良さそうね……。
壁際で控えていたロニヤに帰宅の合図をして出口に向かいかけたところへ、ひとりの使用人が近づいてきた。この場には似つかわしくない、白髪の、几帳面で見るからに有能そうな老執事だ。
「テオドラ・ラノビア様。当家の当主代理がラノビアお嬢様にご挨拶の機会をたまわりたく、わずかばかり時間をお許しいただけましたらとお願い申し上げます」
ロニヤが振り返って私を見つめる。どうしますか、と。
時間もまだ早いし、会うだけなら特に問題はないだろう。
それに、このような夜会を催す夫人というのがどういう人物なのか気にはなった。当主であるガードナー卿は体調がすぐれず、今は全権を夫人に委譲していると耳にしている。
私が頷いたのを確認して、代わりにロニヤが「案内してください」と告げる。
別室に案内されるのかと思いきや、執事は会場を離れ、同じ敷地内にある本邸へと私たちを導いた。
屋敷は会場に負けず劣らずのきらびやかさであった。この家ではたしてくつろげるのだろうかと疑いたくなるほどの。誇示するように飾られている富を気にかける様子もなく、先導する執事は広間の階段を上がっていく。
大階段の突き当り、玄関からも見上げることができる場所に金装の額に入った大きな肖像画が飾られていた。
美しい、派手な顔立ちの女性だ。これから会う夫人だろう。そしてその女性の隣には若い男性が寄り添っている。さすがに当主ではなくご子息と思われる。夫妻は20歳以上年が離れているとの話なのだから。
「……このように一番目立つ場所に自身ではなく妻の肖像画を置くだなんて、ガードナー卿はよほどの愛妻家なのね」
私の呟きを耳にした執事が一瞬足を止め、意味ありげに目を伏せる。しかし、何も口にすることはなかった。
2階の案内された部屋で待っていたのは、やはり先ほどの肖像画の女性だった。いいえ、肖像画には画家により上品さという一点が加えられていたと言ってもいいのかもしれない。
夜会や屋敷に対して、夫人の私室はさきほどまでの輝きが嘘のように質素だった。物はほとんどなく、最低限の体裁を整えてはいるものの、といった具合だ。
休んでいたのか、夫人は長椅子から今身を起こしたばかりという印象を受けた。彼女は弱弱しく私に微笑みかけてくる。
「ラノビア様、お越しいただき、まことにありがとうございます。あたくしの招きにも応じてくださって嬉しい限りですわ。いま、社交界ではラノビア様がいらっしゃるかどうかで招宴の格が決まりますのよ」
「まぁ、そう仰っていただけると嬉しいですわ。ですが、わたくしがみなさまにそう思っていただけるのも、カイル殿下と宰相である父のおかげですから。わたくしなどとてもとても……」
外から運び込んだのだろうか。唯一この部屋で輝きをはなつ椅子を示され腰掛けるが、正直、肘置きにもごてごてと装飾がなされているので座り心地が良くない。
「そのような控えめなご気質が、カイル殿下と宰相閣下のご寵愛を一身に受けられる由なのでしょうね」
ふふっと彼女は扇の陰で笑う。
私も、そのようなことは、と謙遜し取り出した扇を広げて笑う。
互いに笑い、そして、扇の向こうで沈黙が下りる。
私を呼んだわりには、夫人は用件を伝えることも、言葉を並べ立てることもしない。
いつまでも話しだすのを待っていても時間が過ぎるばかりだ。この椅子も長いこと座っていたいものではない。仕方なく、私から切り出した。
「夫人、おからだの調子がよろしくないのでは? 本日の夜会も主催であるのにおみえになられませんでしたし。お邪魔をしてはいけませんから、わたくしお暇いたしますわね」
「お待ちになって!!」
すぐさま声がかかり、立ち上がりかけた私を引き留める。
私はわざとゆっくり、椅子に腰を戻した。
「申し訳ございませんでした。話をどう切り出してよいものか迷い、ラノビア様にはご迷惑を……」
迷ったように何もない場所に目を留めては散らすを繰り返したあと、夫人はやがて、鮮やかに色を塗った自分の爪に視線をおとしたのち、指先を丸め、ぽつりと呟いた。
「実は、ラノビア様に息子を助けていただきたいのです」
「助け?」
彼女は頷いて、言葉をつづける。
「あたくしにはふたりの息子がございます」
知っている。ひとりは先妻の息子エドガー、もうひとりが夫人がここに嫁いでから生んだ息子レジナルドだ。その息子たちに必要な助けとはなんだろう。しかも私に頼るようなものとは。
もしかして、家を継げないほうの息子に少しでも強力なつながりを持たせておきたいという母心から、私を呼んだのかしら。
私はすこし前にしつこく会場で話しかけてきた、とある親子の貴族を思い出し、うんざりした。
まさか彼らみたいに、息子を私の愛人にさせたいと考えているわけではないでしょうね。
私は慎重に言葉を選んで尋ねる。
「……なぜ、わたくしに助けを?」
「まぁ、宰相閣下殿のご令嬢であり、いずれ国母ともなられるお方がなぜなどとどうして口になさるのでしょう?」
彼女は本気で驚いているかのように、目を丸くしてみせた。おおげさなほどに。
「それに、ラノビア様にでしたら、寄る辺のないあたくしの気持ちを分かっていただけるのではないかと勝手ながらに思っておりましたの」
「夫人のお気持ち?」
「――あたくしがこちらに嫁いだとき、夫とは親子ほどの年齢差がございました。とうぜんながら、あたくしが希望したのではございません。女は政治の道具でしかない。その言葉の意味が身にしみてご理解いただけるのでは?」
彼女は微笑みかける。私に、まるで自分たちは同志だと言わんばかりに。
「もちろん歳の差こそありましたけれど、夫はあたくしに優しく接してくださいました。しかし、年若い後妻など、この屋敷の者たちにとっては受け入れがたかったのでしょう。お世辞にも、幸福な日々であったとは言い難いものでした」
あなたにだって心当たりがあるでしょう、と夫人は言外に含ませる。
そして部屋を見回し、そっと目を伏せる。
この部屋を見て! これがその証なの! と言いたげに。
「そのうえ、生まれてきた子は夫ともあたくしとも異なる瞳の色をもってしまった……あたくしの祖母の色なのですわ。ですが、それを心から信じてくれたのは夫以外には……いえ、夫も心のどこかではずっと疑っていたのでしょう。祖母は決して尊い血とは言いがたい出でして、それもあったのやもしれません」
「大変でしたのね……」
相槌を打ちつつも、私は首をかしげずにはいられなかった。
話がさっぱり見えてこない。彼女は何が言いたいのだろう。
とりあえず彼女が言っている異なる瞳の子とは、次男のレジナルド氏のことだと思われる。ガードナー卿が彼女の不義を疑っていて、それを何とかしてほしいということだろうか。
私を何だと思っているのかしら。
私は探偵でも、裁判官でも、問題解決係でもないのだ。
辞去の言葉をどこで挟もうかと考えていると、彼女はそっと窓辺に立って、外に目をやる。そちら側は夜会の会場がある方角だ。
「宴を開くことを提案してくれたのは息子――レジーでしたの。心を開いて悩みを打ち明けられるような友をつくるべきだ、と。ただ、お恥ずかしいことに、あたくしは宴の主催をしたことがなく、今まですべて夫に任せておりましたから……屋敷の者たちに命じたのです。夫がしていたように、会場を準備してほしい、と。しかし、出来上がってみたらあのような……」
彼女は言わなくても分かるだろうと、苦笑して見せる。
「そのような夜会にみなさまを、ラノビア様をお招きしてしまい、恥ずかしくて顔が出せませんでしたの。ですが、こうしてラノビア様があたくしに応じてくださって、どれほど心が救われたことか……言葉にできませんわ」
「大げさですわ、夫人。たしかに……少々目新しい趣向ではございましたけれど、楽しまれている方もいらっしゃいましたもの」
たぶん、と心の中で付け足す。
「本当にお優しい方ですのね、ラノビア様……」
彼女はそこまで言ってふいに肩を力なく落とし、悲壮な声で告げた。
「夫は……もう、長くないのかもしれません……!!」
「まぁ、夫人、そのようなことは……気をしっかりお持ちください」
「いいえ! 看病しているあたくしにはわかるのです……夫は日に日に痩せていく一方で、とくにちかごろは一言、二言を交わすのがやっととなっていて……」
今度は声を震わせ、私には見えない涙をハンカチでぬぐう。
「愚かなことを申しているのは重々承知しております。けれど、あたくしはもうラノビア様のお優しさに縋る以外には何もないのです……!! 夫が亡くなれば、全権が長男のエドガーに移ります。それに不満はございませんわ。ですが、このままでは、あたくしたちは不義をおこなった者としてこの家を追い出されてしまうでしょう。いいえ、あたくしは構いませんの。でも、せめて息子だけは、ラノビア様のお力でなんとか助けていただけないでしょうか!?」
彼女は顔を上げて懇願する。
つまり、私に息子の身元を保証してほしいとか、口添えをしてほしいとかそういうことを言っているらしい。さらにその先で、後継者問題に介入してほしいと願っているのが透けて見えた。
どうして私が……。
ため息を何とか呑み込む。
父を遠ざけてカイルを傷一つなく勝たせるためにもこの1年が勝負なのに、なぜよその家督争いにまで手を貸さなければいけないのか。そもそも本家と分家の間柄ならともかく、跡継ぎの問題に他家が介入するのは貴族法にも反する完全な越権行為である。
「夫人、お気持ちはお察しいたしますわ。けれど、血統に口をはさむことは誰にも出来ませんの。とうぜん、わたくしにもですわ。お力になりたいのはやまやまですけれど、ご協力はできそうにもありません――お疲れのご様子ですから、失礼いたしますわね」
なおも追いすがろうとする彼女を残し、私は部屋を後にする。
これ以上引き留められる前にさっさと退散すべきだろう。
「ロニヤ、馬車を――」
広間の階段をおりながら、部屋の外で待機していた彼女に今度こそ帰宅の準備を頼もうとしたところへ、ガラスの砕ける激しい音が届いた。
「何をやっているのかね!?」
「も、もうしわけございません」
手すりの上から様子をうかがえば、さきほど私を案内した執事ともうひとり、そそうをしたと思われる使用人の男が足元に散らばったガラス片をはさんで対峙していた。
「あの男は……!!」
私は目を疑った。
血色の悪い肌に、疲れたように丸まった肩と神経質そうな瞳――4年前より多少やつれてはいるけれど、間違いない。そこにいたのは、私とカイルを小部屋に閉じ込めた、あの男だった。
男は執事に叱責を受けたあと、片付けのための道具を取りに行こうとでもしているのか、こちらに気づいた様子もなく去っていく。
「なぜ、あの男がここに……? そこのあなた!」
私の呼びかけに、音になにごとかとやって来たほかのガードナー家の使用人が駆け寄ってくる。
「あの男……いいえ、去っていった男のほうよ――彼、この家とどういう関係なのかしら?」
騒々しくて気を害したのかと、使用人は平にご容赦くださいと頭を下げつつ、こう答えた。
「エドガー様の専属使用人のひとりでございます……」
「ご長男の……?」
あの怪しい男は、ご子息が幼い頃から屋敷に仕えているのだと簡単な説明が続く。
どうやら、この家を去るのはまだ早いということらしい。
「……ロニヤ、扇を忘れてしまったみたい。夫人のお部屋に戻るわ」
「わたくしが参りましょうか?」
「いいえ、あなたは馬車に待つように伝えてちょうだい。少し、時間がかかると思うから」
ロニヤは私の手に扇が握られているのを知っているけれど、承知しました、と一言だけ告げて命じられたままに馬車へとひとり戻っていく。察しのいい彼女がいてくれて本当に助かる。
私が部屋に入ると、何を言うまでもなく夫人は人払いをした。黙ってはいるけれど、私が戻ってきた意味に期待しているのが空気から伝わってくる。
「夫人、先ほどの言葉、撤回いたします。夫人たってのお願い、わたくし、喜んで協力させていただきますわ」
――あの男の目的と正体を突き止めてやるわ。




