ヒロインの登場
同色の花綵刺繍が施された落ち着いた淡い紫の布の下からのぞくのは、ふんだんに重ねた真っ白いレース。さらにその下では、ひと襞ごとに交互に色を変えたピンクとベージュのフリルが足元を飾り立てる。
帯は幅広のクリーム色の飾り帯。その上に帯どめとしてドレスの共布で大きなループを重ねたリボンが段になってしだれ、靴にはリボンと同じ色のタッセルが付き、歩くたびにゆらゆらと揺れている。
衣装係たちからは何度も確認された。本当に、こちらで宜しいのですか、と。
色味が地味だからだと思われる。だけど、カイルに恥をかかせない程度には着飾っているし、むしろこれでいいのだと私はぐっとこぶしを握る。
なぜなら、今日の主役はヒロインなのだから!
正確には王宮で催される私の誕生日祝いのため、私が主役ではあるのだけれど、物語的なメインはそこではない。
今日の舞踏会でいよいよ祖父に引き取られたヒロインが招待客の連れのひとりとして登場し、カイルと顔を合わせる。
互いに惹かれるものがありながらも、その場は何事もなく別れる二人。しかし、心の中では相手のことを決して忘れることがなかった。
同時に、自分で希望した大々的な祝宴で――この度はなぜかそのとおりに企画しようとしていたらカイルがすべて手配してくれた――、ヒーローとヒロインが運命の出会いを果たすという、テオドラの道化っぷりを表す、ある意味象徴的な章でもある。
「ティア、誕生日おめでとう」
そう言って微笑むカイルは今日も眩しい。
主役である私に気を遣ってか、使っている色味は上下ともにシンプルに黒一色だ。そして細い黒のリボンタイ。唯一、まばゆいばかりに輝く球形の釦には金の台座に紫水晶がはめこまれている。また、纏うマントは沈んだ赤ながらも金糸と銀糸が織り込まれているらしく、カイルが動くたびに光を受けて二色がにじむように混ざり合っていた。
「ありがとう。カイルこそ、忙しいのに会場の手配まで大変だったでしょう?」
「今日はティアの生まれた日だから、俺にとっても嬉しい日だ。この程度、苦でもない」
「そうなの? そういってもらえると私も嬉しいわ」
たしかに、友人の誕生日会ってときとして祝われる当人よりも催す側のほうが張り切ってしまうものだ。自身の言葉のとおり、ダンスをするときもカイルはいつにもまして幸せそうだった。
やがてカイルとのダンスが終わると、父がやって来た。
「テオドラ、誕生日おめでとう。……おいで」
私の手を取り、やわらかく深みのある声で父がダンスに誘う。
ダンスならカイルも上手ではあるものの、彼はいつも緊張してるかのようにほんの少しだけぎこちない。対して、比べるものではないと分かってはいるけれど、父は余裕の貫禄だった。背丈も脚の長さもぜんぜん私と違うというのにまったくそれを感じさせない動き、こちらを気遣う優しいリード。
ろうそくの明かりを纏う父は普段にもまして美しかった。冴えた銀色の髪に高貴な青氷の瞳。整えて撫でつけた髪からこぼれるひと房ですら、計算されつくした美の一片であるかのよう。
すれ違う女性が、お相手ではなく父を見ようとつぎつぎに振り返る。私だって血のつながりがなく、父の本性を知らなければ、周りの女性のように見惚れていたかもしれない。
「……っ!!」
父の足を踏まないよう気をつけていたあまり、着地をおろそかにしてしまった。かかとが床をすべる感触につづいて、かくんと私の足が地面と平行になろうとした瞬間、父は片腕でいともたやすく私をふわりと抱き寄せ、己ごと身をひるがえらせた。
父のマントが華麗に舞い、私のスカートが花開くように優雅にひろがる。まるで私の失敗などこの世に存在せず、最初からこうして終わる予定だったかのように。
同時に音楽が終わり、拍手が会場にあふれる。
私たち以外にも踊っていた人は大勢いるはずなのに、その拍手はすべて父に向かっているように思えた。隣で踊っていた女性もうっとりとした表情で、父にたいして熱心に手を叩いている。
「……お父様、ごめんなさい」
「さて、なんのことやら」
父は励ますように親指で私の頭をゆっくりと撫でる。そして、
「誕生日、おめでとう。お前がこの世界に誕生してくれたことが、神から私への何よりの贈り物だ。お前もおなじほどに幸せであればいいのだが」
そう言って、私の額に祝福を授けるように口づけをし、父は去っていった。
「……び、びっくりしたわ……。小説だと、たんに“親子で踊っていた”としか描写がなかったから……」
傍から見れば娘を溺愛している父親の姿だ。よくもまぁ、欠片も思っていないであろうに、あのような言葉がすらすらと出てくるものだと呆れる。
「ダンスのときのフォローといい、女のあつかいに手慣れてるわね……」
ともかく、これでこの日の私に関係するメインイベントは終わった。
今日は父も一切動かないはずだし、私もゆっくりできる。
「あとはヒロインを待つだけだわ」
気合いを入れなおし踵を返した私の前に、
「あら、そちらにいらっしゃるのはテオドラ様ではなくて?」
颯爽と立ちふさがったのはエメリー嬢だった。扇の陰から挑戦的な目が私をとらえる。
「素適でしたわ、先ほどのダンス。宰相閣下とこれ以上ないほどによくお似合いでしたこと」
殿下より父親と踊っているほうがあんたにはお似合いよ、ということだろう。
小説でもそうだったけれど、あなた、まだあきらめてなかったのね。
まぁ、それもそうかと私は納得しなおす。
今年、カイルは18歳になる。いよいよ結婚できる歳になった。年明けの戴冠式で彼の隣に並んだ女性が国母となるも同然。彼女にとっても今年が最後のチャンスなのだ。いいえ、彼女だけじゃない。今日この祝宴にいる女性のほとんどが、私を祝うためではなくカイルに会うために来ているのだから。
「ですけれど、殿――」
「あら、エメリー様にお褒めいただけるだなんて光栄ですわ。では、御機嫌よう」
「ち、ちょっと、人の話を……お、お待ちなさい……!」
猛烈アピールでもなんでも好きにしたらいいわ。カイルは今日、ヒロインと出会い劇的な恋を始めるのだから、私たち脇役に口をはさむ余地などないのよ。
私は彼女を無視して会場の奥へと足を進める。
悪役の勘、とでも言うべきだろうか。
遠目からでもすぐにわかった。その方向が光り輝いているようにすら思えた。
「な、何という隙のない可愛さなの……!!」
思わず取り落としそうになった扇を慌てて握り直す。
小説の挿絵その通りだった。いいえ、以上だ。
さらさらのストレートの髪はあたたかみのある小麦色、長いまつげの下からのぞいているのはピンク色の瞳。優しくて儚げで、触れれば壊れてしまうのではないかと躊躇してしまうような、繊細な愛らしさ。
ドレスはレースを主体とした淡いクリーム色に小さめの白いリボンがちょこんと載っているだけ。控えめな彼女の性格を表すかのように下衣のふくらみも抑えられていて、一見して目立たない見た目だけれど、それを着ている当人が人の記憶に残るほどの輝きをはなっているのだから、むしろつり合いが取れていると言える。
カイルは彼女を春の日射しにたとえていた。彼女のそばにいると、あの庭にいるような心地にさせられるのだ、と。
宴はまだ始まったばかりだから、時間が早すぎるのかもしれない。彼女は祖父と見られる人物と一緒におり、カイルと出会うのはどうやらまだ先であるらしい。もう少し時間がたったときに、また様子をうかがいにいけばいいわ。そう考え、振り返ってちょうど声をかけてきた人に私も笑顔を返した。
「……おかしいわ。挨拶の列が途切れない」
おざなりなお祝いの言葉を適当に躱して、カイルとヒロインの出会いをこっそり観察しようと思っていたのに、話しても話しても次から次に人がやってくる。
最初は律儀に踊りの誘いにも応じていたけれど、とても対応しきれない数を申し込まれてしまって、足の調子が良くないのだと嘘をついて以降は全部断った。
カイルたちはどうなったのかしら、もう運命の出会いは済ませてしまったのかしら、と会話のかたわら横目で会場を探ると、遠くにカイルが見えた。彼の周囲も私と同じく人だかりができ、一歩進むごとに呼び止められている。
ちょっと、全然前に進んでいないじゃない。ヒロインはまだはるか遠く向こうにいるはずなのに。
どうなってるのよ。小説では、“誰もが泥船に乗るのを拒否するように目を合わさず”ってあったじゃない……。
そう思ってから気が付いた。
「……私のせいだわ」
私が変えて泥船じゃなくなったからだ。
私がカイルを助け、評議院派閥を抑え込み、父の影響を軽減した。勢力が拮抗している今、カイルこそ勝ち馬であると彼に賭けようとしている人がでてきているのだわ。
そして私も、将来有望な王子に嫌われることなく婚約者としてここにいるため、みなが名を売ろうと話しかけてきている。
「冗談じゃないわ」
このままではカイルがヒロインにたどり着く前に宴が終わってしまう。
しっかりしてちょうだい、カイル! 有象無象の相手ばかりしていたら、ヒロインとの出会いを逃してしまうわよ!!
まるで私の応援の声が聞こえたかのようにパッとカイルが顔を上げ、私と目が合う。途端に彼が顔を輝かせ、人をかき分け、こちらに向かってきた。
「ティ……テオドラ!!」
カイルの呼び声に、殿下の邪魔をしてはならぬとさっと私の側の人垣が崩れる。
空いたところをとおって、カイルは目の前までやってくると私の手を握って引き寄せた。
「ああ、良かった。探していた」
「私に、なにかご用?」
「いや、今日はお前の誕生日だから、できるだけ一緒にいたいと思っただけだ」
いまいち意味がわからないけれど、とりあえず今がチャンスだ。
カイルに遠慮して周囲が話しかけるのをためらっているあいだに、私はカイルの手をひいて、じりじりとヒロインのほうへと誘導する。
「ねえ、カイル、あちらの女性、どなたの関係者かわかるかしら? 私ったら思い出せなくって」
「ああ、ロナーバ卿の紹介のはずだが……」
そう言いながら、カイルはじっと私が指し示した彼女を見つめている。
行くの? 行っちゃうのかしら? もうひとめぼれしちゃったのかしら!?
わくわくする私の隣でカイルはそっけなく、
「で、彼女がどうかしたか?」
こちらに向き直る。彼女はただの景色の一部だとでもいうみたいに。
どうかした、と訊きたいのはこちらのほうだ。
「ど、どう思う?」
カイルは私の言葉に彼女をもう一度見て、数秒眺めてから一言、
「……令嬢だな」
違う! そうじゃない!!
私の心で最速の突っ込みが入る。
顔よ、顔を見て何も思わないの!? 可愛いでしょう? 可憐でしょう? まさにヒロインでしょう?
運命感じちゃったでしょう!?
口には出せないから心の中で必死に語りかけるのだけれど、カイルにはまったく通じていないようだ。
……まさか、先生との勉強のし過ぎで視力が落ちているわけではないわよね。彼女見えてないとか?
もう少し近づいたほうがいいのかしら。
それともやはり物語のとおりにカイルが自ら行くのを、待つべきかしら。
思案しつつ、運命に導かれるようにカイルが彼女のところへ移動するのをひたすら待ってみるけれど、彼はまったくもって動く気配がない。それどころか彼女を見てすらおらず、あまつさえ今度≪夏の庭園≫で小舟を浮かべて散歩するのはどうだとものすごくどうでもいいことを私に訊いてくる始末だ。
一方のヒロインもお友達との会話に花が咲いてカイルとの運命の出会いを忘れてしまったのだろうか。熱心に何やら話しこんでいて行動にうつす素振りが見られない。
宝くじよりも低い確率だったとしても万が一という一縷の望みをかけて他の国のお嬢様方も今日はほんとうにおおぜい出席しているのだから、気の合うお友達ができれば話が弾むのもしかたがないのかもしれないけれど――いいえ、待ってちょうだい。構図がおかしいわ。
上から見ていたから気づけたのだが、壁際のヒロインに対して、追い込むように複数名の少女たちが取り囲んでいる。
「……虐めだわ」
ある意味ではヒロインの通過儀礼ともいえるのやもしれない。
とつぜん社交界入りした元平民、というだけでも一部の反感をかいやすいのに、それが可憐で愛らしい娘ともなればなおさらだろう。
しかし虐めが終わるのを待っていられるほど、私もカイルも時間に余裕があるわけではない。こうしている間にも刻々と時は過ぎ、何とか顔を覚えてもらおうと周囲が話しかけるタイミングをうかがっている空気が伝わってくる。
あーもう! どうして私が引き合わせないといけないのかしら?!
焦れた私はカイルの手を引っ張り、彼女たちの前に歩を進める。
「リズ様、ご機嫌よう」
私のかけた声に誰だと振り返った虐めの加担者たちが、そこに立っているのがカイルと私だと知って慌ててドレスをつまみ、頭を下げる。
「カイル殿下、ラノビア様、ご機嫌麗しく……」
「楽しいお話の邪魔をしてしまって、ごめんなさいね。でも、わたくし、彼女にお話がございますのよ」
「か、彼女とお知り合いでいらっしゃるのですか?」
「ええ、わたくしたち、お友達ですの」
「お友達!?」
少女たちが、元平民だとなめてかかっていた男爵令嬢が他国の王妃になる女と知り合いだというとてつもないコネクションをもっていたと知って、悲鳴に近い声をあげる。
「さ、左様でしたか……ラノビア様のお邪魔をするわけにはまいりませんので、わたくしたちはこれで」
にらみつけるまでもなく、そそくさと彼女たちは蜘蛛の子を散らすごとく逃げて行った。
「テ、テオドラ・ラノビア様。ご高配を賜り感謝の言葉もございません。ご誕日のお祝いを申し上げます」
ひとり残されたヒロインが前に出ている私に慌てて頭を下げる。
「構わなくてよ。顔をあげてくださいまし」
そしてカイルを見るのよ! さぁ、恋に落ちて!
「い、いいえ、恐れ多く……」
彼女はただびくびくと腰をかがめ、地面を見つめている。
……もう少し穏やかに割り込むべきだったわ。
畏縮してしまっている彼女をみて、今更ながら反省をするものの、もう遅い。
どうしたものか。
「そう。あなたの後頭部を見て、わたくしに会話をと仰るのね?」
……言い方を間違えたわ。今のどう聞いても嫌味よね。
案の定、いいえ、と慌てた声を出して弾かれたように彼女が顔を上げる。
見つめ合う、無表情のカイルと私に恐怖して蒼ざめたまま笑顔の一切ないヒロイン。ふたりは互いに視線を合わせ、合わせ、合わせ、そして――何事もなかったかのようにそらせた。
ち、ちょっと、私のように枝葉末節のお役目ならともかく、メインキャラが物語の根本を変えようとするのやめていただけないかしら。
「殿下、こちらリズ・リアノン様ですわ。ロナーバ卿の遠いご親戚でいらっしゃるそうですわ」
私の言葉でふたりがようやく挨拶をかわす。
しかし両者とも表情は硬く、どうにもぎこちない。突然の紹介にどちらもなんと声をかけてよいかわからず、言葉が続かないようだった。
今はまだ互いの運命がどれほど強く結ばれ合っているか知らないのだから、仕方ないのかもしれない。
小説でも最初はなぜか気にかかる、笑顔が忘れられない、程度のものだった。……実際のところ、私のせいでリズは笑顔がないけれど。
とりあえず無理に交流を促すより、今日は顔を合わせ、知り合うことができたことに良しとすべきなのだろう。
私にできることはしたはず……よね?
気まずい空気の中で、そう私は自分を納得させた。




